恋する哲学(仮)-6

の ☆ 少しずつ、少しずつ
先輩の隣。部室で寄り添って取り留めもない話を交わす。そこに何か意味なんて求めることもない。ただこうして先輩と話している時間が楽しいだけ。
私の気持ちに応えたいと言った先輩は、こんな会話を楽しんでくれているんだろうか。
意味なんてない、山なんてない、ただ話すことそれだけが目的で、拘るものも何も持たない、軸さえも定めないもの。
そんな会話を通して少しずつ先輩のことを知ってゆく。そうしてまた次の会話に繋げて先へ行く。
時間が来て校門で先輩と別れてからもメールでやりとりが続いていた。
部活の話、学校の話、中学校の時の話、休みの日の話。
先輩がこの間球場に野球を見に行ったときの感動、飛ぶホームランボールの音、フェンスの前に立つ選手の姿。
私はそれほど野球に詳しいわけではないけれど、楽しそうに話す先輩を見ていると私も野球を見てみようかなって。
私も時々見に行く舞台の話をしてみた。小さい劇団が半年に一度くらい開く小さな舞台。有名なわけではないけれど友人に誘われて見に行ったときに強く惹かれて以来、ずっと新しい劇を追っている。
そうやってお互いのことを話して知って近づいて、自分の世界を広げて相手のことを知っていく。
少しずつ、少しずつ。

お ☆ あの光るランプは
そんな二人だけの時間。そこに他の誰かが立ち入らず、ずっとこのままだったら幸せだなって。
でも、こんな時間がいつまでも続くわけじゃない。そんな風に思ってしまったから。
ある日、私が部室に行くと、部屋は開いたまま、がらんどうで誰もいなかった。
ここまでならよくある話で、誰かが閉め忘れたのだろうと思って、一人腰掛ける。
そうして、ふと部屋を見回してみると、机の上に一台のケータイが置いてあった。
それはランプが定期的に光ってメールが着ていることを知らせている。よく見る、先輩のケータイ。私と、メールを送り合っているもの。
机の上にぽつんと置いてあるそれが、何となく気になった。あの光るランプは誰からのメールなんだろう。そんな考えがふとよぎる。
心配になっていなかったと言ったら嘘になる。でも、今の私がそれを心配する理由があるだろうか。ちゃんと付き合い始めてまだ一ヶ月も経っていない。それに先輩はあんな人だし……。
でも……、この相手が誰なのかって。ちょっと、手にとってみるくらいは、いいよね、って。
そんな軽い気持ちでケータイを手にとった、その時。
「夏希ちゃん……?」
先輩は、部室の入り口で呆然と私を眺めていたのだった。

く ☆ 何かを言い出すにも、何も言わないのにも、そぐわなくて
すかさず手にしたケータイを机の上に置く。
そんなことをしたって、私がそれを手にしたことが変わるわけもなく。
「……夏希ちゃん」
もう一度私の名前を呼ぶ。怒ることなく、平静に。
「……ごめんなさい」
小さく零す。それは先輩に向けられた言葉だっただろうか。それとも、ただ口に出しただけだろうか。
「こんなところに置いておいた僕も悪いんだけどね」
俯き床と机の境目を虚ろに眺める私の耳に、近づく先輩の足音が響く。
そばに立って、私の頭に手のひらを乗せる。少しだけ、強めに。
「別に見られて困るものもないけど。でも、ね?」
「うん……」
私の作った、気まずい空気が流れている。
何かを言い出すにも、何も言わないにも、そぐわなくて。
こんな時、どんな顔をすればいいのか、分からなくて。
先輩の手が、私の頭を静かに撫でるのを、黙って感じているしかなくて。
私の身体は、まるで動き方を忘れたかのように、微動だにしなくて。

や ☆ あの時の感覚が
それから少しして。
先輩は手にしたケータイのランプが点滅していることに気がついて、片手でケータイを開けて確認していた。
そこに何が書いてあったのかは分からない。ケータイを閉じないまま私にちょっと待っててと告げて、そのまま部室の外へと出て行ってしまった。
部屋に取り残された私は、そのままへたりと近くの椅子に座る。
どうしてこんなことをしたんだろうって、今さら思っても仕方ないのだけれど。
先輩はそんなに怒ってはいない。だけど、私の中ではそのこと自体が私を苛んでいた。もっと、ちゃんと怒って欲しい。でも、こうすることが先輩の優しさなのかも知れない、なんて。それも思い上がりなのかも知れない。ただ、先輩にどうなのかなんて訊けるわけもなく……。
実際はそんなことをとやかくと考えたところで何も意味はないのかもしれない。でも、考えたくなくても浮かんでくる。何も考えないようにしようとしたって、そんなことは無駄なんだ。
一瞬の気の迷いと言われればそうかもしれない。魔が差した、とか。そんなふうに片付けていいとは思わないけれど、でも……。
そんなふうにしか言えなくて。そんなふうにしか思えなくて。
あの時の感覚が、ひどく私を傷つける。

ま ☆ 今日のことを、ちゃんと
先輩はしばらくしてから部室に帰ってきて、荷物を手にして早々に帰ってしまった。私にただ、今日はごめんとだけ言い残して。
内心安心して少しだけ立ち上がった私は、その後所在なさ気にその場に座り込むこととなった。
先輩に何か急ぎの用事でもあったのだろうか。さっきのメールが関係ありそうだけど……。
もし先輩が帰ってくるのが遅くて少しでもメールが読めていたら、なんて。馬鹿な事を考えて再び自己嫌悪に陥る。
とりあえず私も帰ろう。先輩に会うためにここに来たのに、したことといえばつまらないことだけで。今日は何をしにここに来たんだろうか。こんなつもりじゃ、なかったのに。
先輩には、夜になって落ち着いたら一度メールを送ろう。今日のことを、ちゃんと。

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