恋する哲学(仮)-5

な ☆ ただただ待つだけで物事が好転するわけもなく
翌日、月曜日。一週間の始まり。授業のある日。
ここまで一度も先輩に会うこともなく卒なく授業をこなし、そしてこの時間。
寝て覚めて、だけどまだあの時のわだかまりが胸にある。
あの後、私が送ったメールに先輩は何も返事を返さなかった。まるであの時私が言いたかったことが分かっていたかのように。それとも、ただ必要以上に触ることを避けようとしただけなのかもしれない。私にはそれが嬉しかったけれど。
"一度ちゃんと話がしたい"
それにちゃんとした返事は返さなかったけれど、結局部室に来てしまっていた。明かりは付いている。恐らく先輩はいる。今どういう顔をして先輩に会えばいいのか分からないけれど。
でも、会わないわけにはいかない。ここでただ迷い、動くことを躊躇っていたところで時間が何かを解決してくれるわけでもないのだから……。
そう分かっていても、なかなかどうして動こうとはしなかった。
一体自分は何を待っているのだろう。この部室から先輩が出てくることだろうか? 自分の気持ちが固まることだろうか? 帰るべき時間になることだろうか?
ただただ待つだけで物事が好転するわけでもなく。ここから動いて足掻いて藻掻いて。そうしたって上手くいくとは限らないけれど、それでも。
何もしなかった自分より、きっといいと思えるから。
たとえその結末に後悔しか待っていなかったとしても。

ら ☆ どんな顔をして会えばいいか分からないから
手を部室のドアに掛ける。今更。今更だけど、ドキドキする。
そっと恐る恐るドアを開ける。部室の中が徐々に明らかになる。先輩は、何処の席に……?
……覗き込んでもそこに先輩はいなかった。でも、電気は付いている。そして誰もいない。あれ?
部室の中へ入って辺りを見回す。それでも誰も見当たらなかった。
気づいたことといえば、鞄が一つ。先輩がよく持っているものだ。何処かへ出かけているということだろうか。あれだけ開けることを躊躇ってようやく入った結果がこの通り。先輩は何処へ行ったのだろうか。
どうやら待つことになるらしい。それはそれでまた緊張するものだ。開けて入って挨拶する方が気楽な気もしてくるから不思議なものである。
それからしばらくして。
廊下をこつこつと歩く音がして、この部屋の前で止まった。
そうしてゆっくりとドアが開く──。
「よかった。来てくれていて」
先輩は顔を綻ばせてそう言った。私はそんな先輩を端目に入れながらも直視できなかった。
「先輩。昨日は急に帰って、ごめんなさい」
どんな顔をして会えばいいか分からないから。先輩は見ない。いや見れないのかもしれない。私があんなことをしても、先輩は私に会って顔を緩ませるのだから。
「僕こそ、ごめん。夏希ちゃんが僕のことを好きだなんて、知らなくて」
「えっ?」
思わず声に出てしまっていた。
それって、一体どういう意味……?

む ☆ 今度こそ、ちゃんと
顔を上げる。先輩は口を噤んだまま私の座る向かいの椅子に座った。
「僕と夏希ちゃんが付き合い始めた日、夏希ちゃんは"分からないならのしてみればいいんです"とか"私が先輩の彼女になります"とか言ったでしょ?」
「そう、ですけど……」
今思い出してみると恥ずかしい台詞ばかりだ。しかし先輩はそれがどうかしたんだろうか。
「それで、僕はてっきり夏希ちゃんが僕の"彼女役"になるのだとばかり思っていて。恋愛が分からないっていう僕をエスコートしてくれる、"彼女役"にね」
彼女役。彼女じゃなくて、彼女役。確かにそういう風に解釈されても仕方なかったかもしれない。
「でも、昨日あんなことがあって。僕と一緒にいて泣くようなことがあって、電話さえ出てくれなくて。ようやく、おかしいなって」
あんなところ、ばっちり見られていたらしい。見られないように、見せないように、帰ったはずなのに。
それにしても、ようやく、か。でも、気がつけば私も一度も好きだなんて言ったことがなかった。ただ先輩の彼女という立場に甘んじて、ちゃんと自分の気持ちを伝えることさえしていなかった。
「英人先輩」
敢えて名前で、呼んでみる。
「うん?」
今度こそ、ちゃんと。先輩の目をしっかりと見て。
「私、先輩のことが好きです!」
「うん!」
返す先輩は、今までに見たことがないようなびっくりするほどの笑顔だった。

う ☆ ぎゅっ
「……改めて。夏希ちゃん、宜しくね」
「こちらこそ」
言って差し出された手を恐る恐る握る。先輩は私が握るとその手をきゅっと握り返してくれた。
「でも、恋愛が何なのか分からないって言うのは変わってないんだけど。ただ夏希ちゃんが僕を必要としてくれているのなら、僕もできる限りそれに応えたいと思うよ」
それが先輩なりの付き合い方なんだろうか。
前にいる先輩は以前より大きく頼もしく見えた。私が先輩を見上げると気になるのか先輩は首を傾げて口を緩める。私もそれに自然と笑みが溢れた。
先輩は。先輩は。
この気持ちがどのくらい先輩に伝わっているのか分からないけど、少なくとも先輩はそれに答えようとしてくれている。それが嬉しい。
どのくらい。どれくらい。この気持ちが先輩の元へと届くのだろう。
それがずっと先でも。たとえ無理だとしても。その存在だけは先輩に届いているんだって。そう思うと。無駄じゃなかったんだね、って。付き合ったことも、伝えられたことも。
今なら、きっと。何故かできる気がして。
ここから少しだけ前へ進んで、先輩の前に立って。
ぎゅって。
先輩を正面から抱きしめる。
「夏希ちゃん……?」
先輩は戸惑ってるけれど。こうやってできるのがいいなって。

ゐ ☆ 少しずつ前へ進んでいけたなら
その日、時間はいつもよりずっと早くずっとゆっくりと流れていった。
あの日、私が先輩に"彼女役"を提案した日よりもずっと。
これまで、私は先輩の隣にただいるだけで、先輩は私の隣にただいるだけで、それ以上の何かができたわけでもなく、ただ一人満たされたような気分に浸っているだけで、先輩はそんな私に付き合っていただけ。
先輩がどう思っているのかをおいたまま、ただ私だけがデートの場で盛り上がり、写真につけてもただ先輩を戸惑わせてしまっただけ。
私があの時ちゃんと好きだって伝えていれば。
先輩だって無為に私と過ごすこともなかったんじゃないかって。
今更そんなことをとやかく言ったところであの日を取り戻すことなんてできないのだけれど。
一難遭っても私がちゃんと先輩に想いを告げた今、もうあんなことにはならないさせないとこの胸に誓う。
先輩だって分からないとは言うものの、もうどうして私がそんなことをしたのか、そこはかとなく気づいてくれると思う。そうじゃなければ私が気づかせてあげるだけ。それはおこがましいことかもしれないけれど。
でもそうやって少しずつ前へ進んでいけたなら。
そんなことを前にも言ったような気がするけれど、改めて。

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