た ☆ 共通の趣味って何だろう
先輩は趣味で料理をするらしい。私は時々家のお手伝いをするくらいしかしない。
先輩はお菓子を作るらしい。私は専ら食べる専門だ。甘いものは美味しい。美味しいものは幸せなのだから。それが先輩の作るものだとしたら、それは嗜好品というより至高品だと思う。さすがに言いすぎだろうか。
ふと思い起こしてみるに、私が先輩から休日に料理をすると聞いて一人盛り上がっている最中、先輩は苦笑いしていたような気がする(気がすると言うのもその時先輩のことをちゃんと見ていなかったからだ)。少し騒ぎすぎただろうか。しかしそれくらい魅力的な話だったのだ。
それにしても、意外と喋ろうと思えば喋れるんじゃないだろうか。要は、何を話題にすればいいのかということだろう。同じ趣味があるなら掘り下げていけばいいし、なければ探せばいいのだ。
……とは言ったものの、先輩と私の共通の趣味って何だろう。
例えば部活。部活といっても、あの部活は名ばかりで言うような活動もしていない。暇なときに集まってうだうだとする部活である。一応名前は付いているけど……。
例えば映画。先輩は休日に映画を見に行くと言っていた。私も映画は時々見る。でも小説でだって読んだことのなかった先輩がラブロマンスなんて見るとは思えない。やはり二人で映画を見に行くのが得策だと思う。今度は私から言い出して。
例えば小説。先輩と私の本の趣味は合わない。ただ、私が持っている本を薦めてみるのもいいかもしれない。今は友人から借りているらしいが。
……差し当たってすぐに使える話題というのもないような気がする。これ以外に先輩と何か共通項があるのだろうか。
れ ☆ 今ここで躊躇した自分がずっとこのままなくらいなら
そんなことをお風呂に入りながらぼんやりと考えていた。湯船に一つ浮かぶ黄色いあひるを何となしに拾い上げてそっと手を離すと、あひるは一度湯船に沈んでまたぷかっと浮かんでくる。そんなことを何度か繰り返して溜息をつく。
まずは映画に誘おう。それから後のことを決めればいい。
思い立ったが吉日! 次の休みの先輩の予定を訊こう!
そう思ってお風呂からガバッと立ち上がると、ふらふらと目眩がした。
不覚……。
お風呂から上がって自室へと向かう。ベッドの上に無造作に置かれたケータイを拾って開ける。その待受には先輩との写真がある。眺め遠く愛おしくなる。
それよりも。
一呼吸をし、新規メールを開いて思いつくままに書いてみる。
『来週の日曜日、時間ありますか?』
あまりに明瞭簡潔。前置きとかあったほうがいいのだろうか……。
『こんばんは。(中略)また先輩の作ったお菓子とか食べてみたいです。ところで来週の日曜日、お暇ですか?』
こう書くと先輩は日曜日にお菓子を持って来てくれそうである。それはそれでいいのかもしれないけれど、あくまでメインは映画を観に行くことだ。
『こんばんは。(中略)今度一緒にお菓子を作りましょう。 ところで来週の日曜日、二人で映画を観にいきませんか?』
いっそ包み隠さず、ストレートに。
少しだけ悩んで、いつか自分から誘わなければならないと思い直す。文面がどうこうとか、断られたらどうこうとか、そんなことより。今ここで躊躇した自分がずっとこのままなくらいなら、いますぐ電波に乗って行ってしまえばいい。
そ ☆ それでも一度くらい言って欲しいかなって
「うわぁ、綺麗な夜景……」
視界一面にまぶゆいばかりに広がる夜景を眺めて言う。白、赤、青、黄色の明かり。ビルの屋上には灯りが瞬いていた。
「夜景も綺麗だけど、きみの方がずっと綺麗だよ……」
顔を寄せて耳元で囁く。言うが早いか瞬く間にその頬が赤くなってゆく。
余りにくさいセリフ。それでも一度くらい言って欲しいかなって。先輩がそんなことを言うとはとても思えないけれど。頼んだところでそれっぽく言ってくれるだろうか。
両手で肩を抱えて、そっと寄せる。近づく顔。狭まる距離。きゅっと結んだ唇は緊張しているせいだろうか。すっと吸い込まれるように触れて、優しく引いてゆく。
緩やかに暗転して、タイアップの音楽が流れる。それがそんな場面に合うのかどうかは大した問題でもないらしい。情熱的な、感動的な音楽が流れてさえいれば。
流れるスタッフロールに立ち始める人が出る。先輩は動く様子もないようなので、私も倣って前を眺めていた。
特別泣けるような話でもなかったけれど、後味は悪くない。これは先輩の目にはどう写ったんだろう。
訊いたところによると先輩はやはり恋愛ものは見たことがないらしい。つまりパニック映画の最後にあるようなものではなく、初の純粋な恋愛主題の映画ということだ。
恋愛の映画やドラマ、小説は情緒的、刹那的なことが多いけれど、実際の恋愛はそれほど満ちてもいないだろう。時には参考になることもあるだろうけど、それでもそれは描かれた話、人の妄想、人の理想でしかない。
先輩は、先輩は……。そこから何かを得たりするんだろうか。そうして私にどうしてくれるんだろうか。
つ ☆ 私の手は相変わらず繋がれないまま
映画館を後にして二人で街の雑踏を抜ける。私の手は相変わらず繋がれないまま。手を伸ばして先輩の手を掴もうとするも上手くいかない。
先輩は私の隣を歩いていて、二人でさっきの映画の感想を交わす。微妙な距離を保ったまま。
先輩はこうした映画を初めて見た感想を話している。小説で読むよりも動きが直接伝わってきて臨場感があるとか、音楽があるから場の雰囲気が盛り上がるとか。どうもこの映画の原作の小説を読んだことがあるらしい。それはこの間読んでいた本だろうか、それともその更に前に読んでいた本だろうか。でも、それは映画の種類に関係がない気がする。どんな映画だって動かない小説より、音のしない小説より、臨場感があるのは当たり前のことだろう。
何となく先輩が遠く感じる。この映画を見て、先輩は感動したり切なくなったりしないのだろうか。会いたくなったり、ぎゅっと抱きしめたくなったり、しないのだろうか。
私は。隣にいる先輩に酷く縋(すが)りつきたいような、隣にいる先輩が酷く自分とは違うような、相反する気持ちを抱えたまま先輩の隣を歩いていた。
手はもう先輩を掴まえて側にいて欲しいような素振りは見せなかった。どうしても遠かった。届きたい、でも、届かない、届きたくないような。
先輩はあの立ち位置が良かったとか、あの場面はどうやって撮ったのだろうかとか、あの時の仕草が、表情が、涙が良かったとか。確かにそれはそうだけれど、そんなことじゃない。もっと……、もっと、感じることがあったんじゃないだろうか。
「先輩、ごめんなさいっ……」
言葉は自然と口をついて出てきた。
言い終わっていたかどうかさえ分からない。私は何処に向かっているのか分からないまま、走り出していた。先輩の呼ぶ声がする。それが聞けるだけ、まだいいかなって……。だけどもう、こんな顔なんて見せられなかった。
ね ☆ ごめんなさい。
気がつくと私は自室のベッドの上にいた。どうやらあのまま家に帰りここで寝てしまっていたらしい。そんなことなんて何も覚えていなかった。
徐(おもむろ)にベッドから立ち上がり、部屋にある鏡の前に立つ。まったく見るからに酷い有様だった。髪はぼさぼさ、目はパンダ、服も着崩すのにも程がある。
どうしたらこんなことに……。
とりあえず部屋着に着替えることにする。服を着るついでにベッドの上に放り出されていたケータイを拾い上げる。光るランプは着信があったことを知らせていた。開けると、電話が二件、メールが一件。今はちょっと話す気にもメールを見る気にもなれない。でもこうして連絡をとろうとしてくれていることには安心する。
先輩には少し待ってもらうことにして、このパンダ目をどうにかしよう。部屋を出て階段を降り洗面所へ向かう。正面には相変わらず酷い顔。呼び止められて戻らなくてよかったと思う。こんな状態はとても見せられない。
それにしても、どうしてあんなことになったんだろう。先輩がそういう人だということは分かっていたことだったのに。もしかして私は、先輩が恋愛ものの映画を見て何か変わると思っていたのだろうか。それくらいで先輩が変わるのなら何の苦労もしないだろうに。
化粧を落として自室へと戻る。大分気分も冴えてきた。今度こそ返事をしよう。ケータイを手にとって開ける。電話は二件、その間は半時間ほど。メールは……、後の電話から一時間くらい。思いのほか長いこと寝ていたらしい。
メールを選ぶ。そして、開く。
『今日はごめん。一度ちゃんと話がしたいから、明日部室へ来てくれませんか?』
……本当は、謝らなければならないのは私なのに。どうして先輩に謝らせてしまっているのだろう。
『私こそ、ごめんなさい』
……ごめんなさい。今、明日確かに部室へ行くとは約束できないから。どんな顔をして合えばいいのか、分からないから。 |