恋する哲学(仮)-3

る ☆ 自分で何ができたんだろう
「その、背中に柔らかいものが当たってるんだけど……」
先輩はたどたどしく私に言う。
私はそれに対してさも自信あり気にこう言うのだ。
「当たってるんじゃなくて、当ててるんです!」
……なんて、展開には到底なりそうにない(そもそも自信ありげに言うほどない)。
仮にそうしたとして、じゃあ先輩はどんな反応をするのだろう。もっとも、未だ先輩に触れられさえしないのだけれど。
隣に座っている先輩を眺めながらそんなことを思う。
不埒なこと考える暇があったのなら少しは精進すればいいのに、なんて。
ここしばらくこうして先輩の隣に座って先輩を眺めている日が続いている気がする。先輩だって私がずっとこうしていることに気がついているだろうけれど、彼は相変わらず本を読んでいるだけだった。
何かきっかけがあれば、なんて思ってしまうのは駄目なのだろうか。
でも、思い起こせば告白したのだって──そもそもあれが告白と呼べる代物であるのかということもあるが、先輩がああして言い出さなければこうはなっていなかったんじゃないだろうか。
私は──、私は自分で何ができたんだろう。
"その後のことは何も自分について来なかった"
そんなことを言ったけれど、そもそも私はただ流れに任せて言っただけ。その後どころかそもそも何も自分については来なかった。
こんな私がただきっかけを待つだけなら、結局何もできなくなってしまう気がする。
こうして先輩と付き合うなんてことになったのも運が良かっただけなのだ。

を ☆ 少しずつだとしても、着実に
少しずつ、少しずつ身体を先輩の方へ傾いでみる。ただ一瞬ふわっとした感覚があって、それから柔らかにもたれる。
私は先輩がどんな反応をするのか、それが怖くて前ばかり見ていた。
もしかしたら震えていたかもしれない。自覚があったわけではなく、何となくそんな気がしていた。そうなんじゃないかなと思っていた。
少しだけ、少しだけ身体に先輩の体重がかかる。それだけで、先輩は本を読む手を止めなかったし、何も言わなかった。それでも、細(ささ)やかな返事が嬉しかった。
自分にさえ聞こえるか聞こえないかくらいの息を吐いて、私はその感覚に身を任せてみる。まだ二枚ほどの布地を通した距離がある。それでもこうして先輩に触れていることが心地よかった。
誰かに体重を預けている、そのこと自体も安心感があるのだけれど、その相手がこの先輩。まだドキドキが止まらないけれど、それでもほっと安心できた。
ただこれだけのこと、それに何日かかっていたのだろう。
じゃあ、手と手をつなぐのは?
そう自分に問いかけてみる。できるような気もするし、できないような気もする。ここにいる時の先輩はずっと本を読んでいるから、先輩の手に触れる機会なんてないなんて。そんな言い訳が頭で巡る。
こうできても結局及び腰なら何も変わらない。
ふと本と一緒に視界に映る先輩の手を眺めてみる。私のよりも大きい手、太い指、綺麗に切られた爪。この華奢な手より頼りになりそうだった。
その手に触れるのはいつになるだろう。少しずつだとしても、着実に。
それでも、意外と早く来るかもしれない、なんて……。

わ ☆ 言ってよかったな
私は、何故かそれが夢なんだと分かっていた。それは覚醒夢というらしい。
夢の中で私は先輩と二人っきりだった。現実でだって、部室じゃよく先輩と二人っきりだけど。でもそんないつ誰かがやってきてもおかしくないような場所よりも、もっとはっきりと先輩と二人きりになれる場所。
そこが具体的にどこなのかは分からない。
ただ、ここが確かに先輩と二人だけなのだと言うことだけは分かっていた。
私と先輩は部屋の中の丸いテーブルを囲んで二人で座っていて、その隣には水色のベッドがあって、窓には水玉のカーテンが掛かっていた。
願わくば、そこが先輩の部屋だったらいいなって。
さほど大きくないテーブルの上には透明なコップが二つ、人数分。橙色に輝くそれはオレンジジュースだろうか。それ以外には何も乗っていなかった。
先輩は普段の乏しい表情なんていざ知らず、嬉々として私に話しかける。
私もそれに喜んで応える。もっとも何を話しているのかはたんと分からないけれど。
しばらくして先輩はふと思い出したかのように立ち上がって廊下の方へと出ていってしまった。
私は手持ち無沙汰になって部屋を眺める。
ベッドの脇には本棚があって隙間なく本が入っていた。どんな本が入っていたのか分からないけれど、それが恋愛小説だということだけは分かった。
先輩もそうやって私との付き合いを考えていてくれたんだなあって。
あの時、勢いだけだけど、言ってよかったな、なんて。

か ☆ 逃げてばかりじゃ、駄目だから
「──ちゃん、─希ちゃん……」
そんな声がして、すうっと意識が降りてくる感覚があった。それと共に肩に何かがあるのを感じて、夢現(うつ)つ手を伸ばす。
触れたそれは柔らかいのにごつごつとしていて、私の手より幾分か大きかった。意識が少しずつ鮮明になって、それが手だと分かる。
そして目の前には先輩! それに気づいて反射的に手を離してしまう。つまるところ図らずも先輩の手に触れてしまったということなのか……。
「そろそろ帰ろうと思うんだけど、夏希ちゃんはどうする?」
鞄を肩に掛けた先輩は手を戻して、座る私の隣で中腰になっている。
私は先輩の手に触れた感覚が思い起こされて先輩の問いに対する思考が覚束ない。
「えっと、その……」
戸惑う私に先輩は首を傾げる。
「とりあえず、今は何時ですか?」
先輩の告げた時間はもういつもなら帰っているような時間だった。いつもなら……、いつもなら先輩と一緒に帰って何を話せばいいか悩ましいから、先輩が帰る時間よりも先に用事があると言って帰っていた。
じゃあ今日先輩がいつも私が帰る時間に起こさなかったのは、私がそうしていたことを見抜いていたということなんだろうか。それとも、単に起こそうという考えが浮かばなかっただけなんだろうか。
「私も一緒に帰ります」
とにかく、このまま、逃げてばかりじゃ、駄目だから。

よ ☆ その事実が深く突き刺さる
帰り道を先輩と二人で歩く。こうして先輩と並んで歩いたのはあのデート以来だろうか。デートの時は寄るお店があったからそれなりに話題もあった。だけども、こうして二人で歩いているときはどうだろう。何か話題があるだろうか……。
それに二人同じ部活にいるといっても部活動はあってないようなものだ。特に最近の私は先輩を見てばかりでまるで体を為していない。先輩に会うために来ているような気もするし……。そのくせ、大して話してもいないし、話す内容も定まらないとは、何か履き違えている気もする。
隣を歩く先輩は特に話題を振ってくる気配はない。先輩は優しいけれど、私に特に強い関心があるというわけでもない気がする。先輩の本位でこうして付き合っているわけでもないし……。
ああ、自分で言っていて何だかその事実が深く突き刺さる。こういう関係である以上、私が先輩を動かすしかないのだ。
「先輩は休みの日は何をして過ごしているんですか?」
先輩と会うのは平日だけ。それも部室のみ。そこで先輩はずっと本を読んでいる。
友人から恋愛小説を借りる前は先輩はずっと推理小説や歴史小説を読んでいた。私は詳しくない、というより全く読まないジャンルだ。
「えっと、本読んでたり──」
これは普段と一緒だ。先輩は本当に本が好きなんだなあ。
「映画見に行ったり──」
映画か。私も時々行くけれど、先輩はベタベタの恋愛ものなんて観そうにない。今度誘ってみてみようかな、なんて。
「料理したりかな?」
「なんと、料理!」
先輩が料理だって! ちょっと、先輩が料理しているところとか想像できないんだけど。
「あ、うん……。たまにお菓子とか作るくらいだけど」
料理。料理かぁ。先輩が料理。先輩が料理、なんて。先輩が料理♪
それは是非とも食べてみたい!

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