へ ☆ 今はただ先輩が好き
今、好きで好きでもうどうしようもなくて、ずっとずっとその人のことばかり考えていて、何をしようにもふと浮かび、暇が出来ればどこからかやってきて、寧ろするべきことがあってもひょこっと現れるものだからまるで作業が手につかない、もう誰でもいいからこの状況をどうにかして欲しい、ご飯だって喉を通らないんだ! なんて状況で、晴れて告白して付き合うことができたとして。それでもいずれその人の嫌なところを見つけてしまって、それを正面から受け止めなければならない時がやってくる。
今の私がどれだけ先輩に心寄せていたとしても。
そんなことは分かっている。きっと何処かで、今はそうじゃないと思っていても、寧ろそれこそが彼の魅力でだからこそ彼が好きなんだと思っていても、先輩が恋愛に疎くまるでなってないと思ってしまう時が、それを一瞬でも嫌だと思ってしまう時がやって来る。
それは私がどれだけ足掻いても先輩が突然変わりでもしない限り、絶対。
そうじゃなくても、先輩はそれ以外のそういう要素を幾らでも持っている。ずっと先輩を見てきた私だからこそ幾らでも挙げられる。今はそれも先輩の魅力だなんて思っていても、全部全部まとめて嫌いになる時だって来るかもしれない。
もっとも、そんなものに現実味なんてないけれど。
今はただ先輩が好き。
だったらそれでいい。それだけでいい。
少しずつ先輩が嫌いになり始めても、それはまたその時に考えよう。
と ☆ いつでもおいで
「恋と愛、これって何が違うんだろうね?」
先輩が本から顔を上げて言った。
先輩はこの間とは違う本を読んでいる。今回もまた恋愛小説で面白いと薦められたものだそうだ。一体誰が勧めてくるんだろうか。
ともかく、まずは先輩の疑問だ。恋と愛は何が違うのか。
「よく言うのは、恋は一方的なこと、愛は双方向的なことだと。私は、恋は利己的、愛は利他的なことだと思っています」
先輩はこくこくと頷く。
「……そうか。なら、僕は君の力になるようにするよ」
私の、力になるように。
それは恋だろうか。それとも愛だろうか。
今の先輩にそれを訊いたところで的確な返答が返ってくるか怪しいけれど。
「それは、私のためですか?」
少し訊き方を変えてみる。
キザな人なら、"二人のためだ"なんて言うのだろうけど。それは自己満足と自己犠牲の間で揺れるどっちつかずな答えだと思う。
「そうだね。なるようにするというか、なりたいというか、なっておきたい?」
なりたいとなっておきたいでは、随分意味が違うような……。
「とにかく、そういうことだから。もし助けが必要だったら、いつでもおいで」
何だか、らしくない。また読んでいる本に影響されたりしているんだろうか。
ち ☆ いざこうなったところで何もできない
返答を待たずして再び本へと戻ってしまった先輩を眺める。
「……」
黙々と本を読む先輩の隣へ音を立てずに移動する。先輩はずっと本を見ていてそれに気がつく様子はなかった。先輩の隣に腰掛けて斜め後ろから先輩の読んでいる本を覗き込むも、この位置だと少し遠くて見えづらいので先輩に身を寄せる。
触れるか触れないかくらいの距離。それでも先輩は気づく様子がない。
私はただ小説の内容が気になるということに託(かこつ)けて先輩の隣にいた。
別に遠慮する必要なんてないのかもしれない。先輩は私の彼氏で、私は先輩の彼女で。そうでなくたって、これくらいのこと、わざわざ理由付けが必要だっただろうか。
先輩は静かに本を読み、私はその隣に佇(ただず)む。
未だ先輩に寄り掛かれないその身に、この間の勢いが懐かしかった。あのタイミングであんな風に割りきって先輩の彼女になる予定なんてなかったのに、ただ勢いだけで言ってしまった。でも、その後のことは何も自分について来なかった。デートだって疎いはずの先輩が企画したものだ。あれから私に何ができただろう。せいぜい二人で写真を撮ったくらい。
いざこうなったところで何もできないのが私。ただ、今隣にいる先輩にそっともたれかかることさえも。静けさが苦手なのかもしれない。そういう言い訳。
時間だけがゆっくりと流れていく。先輩は依然として私に気がつく様子はない。私はただその隣で先輩が本のページをめくるのを目で追うだけ。私は何をしているのだろう。どうして先輩の隣に座っているのだろう。まさか本当に先輩の読む本の中身が読みたかっただけなんだろうか。そうだとしても、先程からそんなものは全く頭に入ってきてはいなかった。
先輩が隣にいる、ただそれだけ。
この間のデートにしたって、碌に手もつないでいないし、それ以上のことなんて何もなかった。そんなもの。先輩は恐らくそういうことを知らないが、私は知っていながらできなかった。本のまま褒められたにしても、私がそんなことをできたわけじゃない。
先輩にとって、私は"彼女"でいいのだろうか。
り ☆ ぎゅっとぎゅっと抱きしめたい
ケータイのディスプレイに写る一枚の写真を眺める。ただそれだけでほわほわとした気分になって、一人ベッドの上でごろごろと転がる。
中に映る先輩は少し困ったような顔をしていて、私はその隣で自分たちに向かってケータイを構えていた。その表情は満面の笑顔だった。
思い出すだけでふわふわと高揚した気分になる。でも、先輩はどう思っているのだろう。果たして私とデートとやらをしてみて、楽しかったのだろうか。
私は元より先輩のことが好きだった。一緒にいて楽しかった。ずっとこうしたいと思っていた。
先輩は、恋愛というものが分からないという。そもそもの動機だってそうだ。デートも私と行きたかったのだとは限らないだろう。ただデートを体験してみたかったのだというだけかもしれない。果たしてそれが私である必要はあったのだろうか。私もそれでよかったのだろうか。
そんなこと、最初から分かっていたことだろう。
私にとって先輩は、先輩で、彼氏で、ずっと好きな人で。
だったら、先輩にとって私は、後輩で、彼女で、何なのだろう……。
先輩は先輩の範疇で彼氏足りえんとしているだろうし、これからもするだろう。そしてそれは私を先輩の彼女足らしめるだろう。でも、私は先輩にとっての好きな人になれるのだろうか。私は、先輩の彼女というだけでなく好きな人にもなれるのだろうか。
側にいれるだけで満足だなんて誰が言ったのだろう。彼女であっても好きな人だというわけではない、そんな歪んだ関係でいいと言えるのだろうか。
私は先輩の何であるのだろう。
私は先輩の何でありたいのだろう。
手に持つケータイのディスプレイを眺める。少し困ったような表情。この時先輩は何を思っていたのだろうか。
先輩に、逢いたい。ぎゅっとぎゅっと抱きしめたい。先輩は、こんな我侭な私を抱きしめ返してくれるだろうか。
ぬ ☆ もう少し勇気を出して
先輩は今日も本を読んでいた。最近ここで先輩に会うといつも本を読んでいる気がする。私が来れば挨拶はしてくれるけれど、またすぐに本へと戻ってゆく。先輩の読む小説はそれほどまでに面白いのだろうか。ただそれは先輩自身の本ではないから、私が借りることもできないのだけれど。
私は如何にも何気ない感じを装って先輩の隣へと腰を落ち着けた。とはいえこの部屋には私と先輩だけしかいない。別段この部活が二人っきりというわけではないけれど……。
先輩は私が隣に座ったのを一瞥して、再び本へと戻っていった。相変わらずである。
もし側にいれるだけで満足なら、きっとこれ以上を望んだりしないだろう。先輩がこんなに素っ気なくとも。
私は別に先輩にひどく構って欲しいというわけではないのだけれど、だからといってこのままでいいとは思っていなかった。嫌いになったりするわけじゃない、ただ何となく先輩を遠くに感じる。先輩が私の彼氏で私が先輩の彼女だという事実があるのだとしても。
先輩は誠実な人だから、きっと他の誰かがその間に割って入るようなことをよしとはしないだろう。だから私の元を離れて何処かへ行ってしまうようなことはないと思う。それでも、何処か遠くにいて。
本を読む先輩の横顔をじっと眺める。付き合うだなんて言う前は先輩のこんな近くにいることも、先輩とデートに行くことも、先輩をまじまじと眺めることも叶わなかった。
でも逆にいえばそれだけなのかもしれない。
未だに手さえ繋いだこともないのだから……。
もう少し勇気を出して。前へ進まないと、ずっとこんな調子のままに違いない。
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