恋する哲学(仮)-1

い ☆ 実践あるのみ
「恋愛って、何だろうね」
ぽつりと零した先輩の言葉に、私は思わず顔をあげた。
見れば先輩の手元には一冊の本がある。先輩はそれをじっと見つめていた。
「また、どうして急にそんなことを?」
想像はつく。多分その本で描かれていたのだろう。
先輩は私の声に反応してこちらを向く。その目付きは見るからに真剣だった。
「この本はいわゆる恋愛小説で面白いと薦められて読んでいるのだけれど、普段恋愛小説なんて読まないし、産まれてこの方、したこともないからどうしたものかな、と」
先輩は斯く言う。過去に恋愛などしたことはないと。つまるところ、それは今彼女などいないわけで片想いをしているわけでもないということだった。
それは果たして喜んでいいのだろうか。
「その、あれですよ、分からないのならしてみればいいんです!」
私は斯く言う。実践あるのみだと。
……完全な見切り発車だった。
先輩は勢いで立ち上がった私を見上げて、
「そうは言われても。片想いとかいうものをしているわけでもないし、そもそも誰に──」
「私です! 私が先輩の彼女になります!」

ろ ☆ 理由なんて考えても仕方がない
そんなこんなで先輩は私の彼氏になった。
これは何とも情けない話だった。ずっと告白できないツケを先輩の彼女役という形で片付けてしまった。とはいえ、分からないという先輩に正面から告白したところで成功するとは思えなかった。今ここでこんな形でしか先輩の隣にいれないような気がしていたのだった。
私はパイプ椅子に座り直して、晴れて彼氏になった先輩を眺める。
先輩はあれからずっとさっきの本の続きを読んでいる。私はまだどきどきしているけれど、これではどうも実感が沸かなかった。
「ところで、彼氏というのは、何だと思う?」
ふと先輩が本から目を離して言う。それを私に訊いちゃうのか……。ほんと、どうしてこの人を好きになったんだろう。理由なんて考えても仕方がないことだけど。
さて、彼氏というのは何なのか、について。
「そういう質問を私にしないことだと思います」
「……そうか」
言って先輩は再び本へと目を落とした。心なしかさっきよりも元気が無い気がする。
突っぱねすぎたかもしれない。とりあえず、先輩は分からないどころかそういう常識にも疎いということを肝に銘じておくことにする。

は ☆ 興味深くはある
今更ながら、ここは部活棟の一角で、今この部屋にいるのは私と先輩だけだった。
これ見よがしにあんなことを言ったはいいものの、先輩はあれからずっと本を読んでいる。ブックカバーが掛かっているのでどんな本を読んでいるのか分からないけれども、少なくともそれが恋愛小説で、それなりに面白いものだということくらいしか分からない。
恋愛小説で面白いものといえば普通駆け引きがあったり勘違いがあったり三角関係があったりするものだと思うのだけど、恋愛が分からないという先輩にとってそれは没頭するくらい面白いものだろうか。
「先輩、それって面白いんですか?」
沈黙に耐えられず訊いてみる。
「今までに恋愛小説なんて読んだことないから何とも言えないけど、興味深くはあるよ」
興味はあるらしい。これはこれで公算があると見ていいのだろうか。
「とりあえず、このデートというものをしてみたいのだけれど」
先輩は特に恥ずかしがることもなくそう言った。もちろんデートできるのは嬉しいけれど、それはそれで冷める誘い方だ。
「それで先輩は何処か行きたい場所があるんですか?」
「ああ、そうだね、まずはショッピングかな」
意外と普通だった。無難なところではあるだろう。
「ちょうど買いに行きたいものもあるし……」
って、ついで!? ついでなの!?

に ☆ 素直に嬉しい
次の日曜日、私と先輩は近所のショッピングモールへと来ていた。
私は取っておきの服と自信のあるメイクをしてその場に望んだ。この間のやりとりを見ていれば分かる、だからといって先輩はそれに気がついて褒めてくれるなんてことはないだろうと思っていた。
ところが、先輩は私の変化に気がついたらしい。
「そういえば今日は普段見ないような服を着ているね」
本音を言えばお世辞でも褒めて欲しいところだけども、まああの先輩だからこんなものだろうと思っていた。それでも気づいて貰えたのは素直に嬉しい。
「今日はいつもにも増して綺麗だね」
これはびっくりして顔から火を噴くかと思った。普段だってそんなこと言わないのにそれがいつもにも増して、だなんて。きっと私は顔を真っ赤にしていただろう、先輩の方を向いていられなかった。こう言うということは普段も綺麗だと思われているということだろう。歯の浮くような台詞、お世辞だとしても嬉しくないはずがなかった。
ああ先輩もそんなことを言うようになったんだなあっていうのも嬉しくなって、それからずっと気分は跳ねたままだった。もちろん先輩とこうしていれるのだから当然嬉しいのだけれど!
こうして初デートは無事に終わった、ような気になっていた。
あとで分かったことだけれども先輩はデートのハウツー本を読んでいたらしい。それをあっさりと言われてしまった。言っちゃう辺りさすが先輩と言う他ない。だって嘘はつけないからとは先輩談。そして私もあまりにも単純だった。ハウツー本に嬉しくなっちゃうだなんて。でもそれは私とああしてデートするに当たってそういう本を読もうとしてのことだろう。何処か抜けているけど、愛らしいのだ、先輩は。

ほ ☆ 少しずつ
翌日の月曜日。先輩は今日も部活棟に来ていた。
中へ入ると私を一瞥して挨拶をしたあと、また本へと視線を落とした。見た限りまだあの本を読んでいるようだ。
私は先週までの先輩の左手の席ではなく敢えて先輩の左隣に座ってみた。先輩は視界に入ったのかちらりと私を見てまた本へと戻っていく。
これが恋人との関係かといわれるとそうじゃないだろう。
でも少しずつでいい。少しずつ先輩との距離を縮められたら。
今はただこうして隣に座れていればいい。いや、ちょっともたれかかったりしてもいい、かな?
そんなことを思いながら本を読む先輩の横顔を眺める。本に対する真摯な眼差し。それが私にも向けられればなあって。まだ先輩にそんなことを求めるのは早いかもしれないけど。
いつか、きっと。

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