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怪しい地名研究 パート@書籍版発刊しました HOMEに紹介しています

 

 

怪しい地名研究パートF

結論―「日本」の起源

著者:「1

日本の国名

日本の国名は「わ」であり、「やまと」、であり、今では、「にほん」 又は「にっぽん」である。「じぱんぐ」「じゃぱん」は「にっぽん」が訛った国名であろう。漢字で表記すると、「倭」「和」「大和(やまと)」「日本」、そして「Zipang」「Japan」である。

一般単語ならともかく、国名となると、これらの語が偶然によって割り振られた音によって成立した語とは到底思えない。

 

「怪しい地名解釈」の中で、「さわ」「かわ」地名が東日本に強く偏在し、また共同体の意味と解釈しうる「わ(輪・沢・川・岩 など)」のつく地名も東日本に多い事から(すなわち縄文語)、元は「かわ・さわ」は地形を表した言葉ではなく、共同体を意味する言葉と考えた。「さわ」は「小さな村」「大きくはないが些かの村」。しばしば、「さわ」は支流にあるので、「かわ」は「上の村」である。

海外で出身地を聞かれると、悉く「『×わ』から来た」と答えるので、中国人が「わ」の国と呼ぶようになったのではないかとした。

 

「みと」は中期縄文遺跡分布と相関し、第2因子負荷量の高い地名文字列であった。「水の門(と)」であり、太平洋側から到着した「ね」の人々の丸木船を迎え入れた「門(と)」とした。

また、海岸を越え、やや標高の高い、なだらかな部分、すなわち「野(の)」に住む人々の集落が「『さ』(些or狭)『と』(門)」であった。

そして「やまと」は、「さと」の中にあるところの、山岳地帯を生活圏にする「わ(村)」の入り口である。奈良盆地でいえば、西には大阪湾があるので、反対側の紀伊半島や本州中央部内陸山岳部に連なる東縁にあったであろう。

すなわち「やまと」は、海・里・山の人々の「こね」を持つので、自らを枕詞風に「大きな『わ』」の「大和(やまと)」といったのであろう。

 

「日新」「新田(にった)」など語尾はいろいろであるが、語頭が「ニッ」で始まる地名は縄文地帯の東日本に明白に偏在する。「にっぽん」「にほん」の「ニッ」あるいは小さな「ッ」が脱落した「ニ」は「湿地帯」「しめった」と解釈した。

「ほん」の部分は未解釈であるが、これは「稲穂」の「ほ」であろう。中期縄文語、特に北日本の語彙には「ん」が付加される傾向があることを本文で指摘した。「ほ」に「ん」が付加されたのが「日本」の「本」の部分であろう。「き」「は」「め」「ね」等、植物に関連するひらがな一字語を含む地名が多い事は、「ほ」が「穂」であるという解釈を力づけてくれる。「ほ」は海洋民の道具である丸木船に取り付けられる「帆」とも解釈される。異義語ではなく、語源を一にする家族語である。風を孕んだ、高々と聳える「帆」は「穂」と同じように、我々に力を与える。また「ほまれ」の「ほ」でもある。「にっぽん」は「稲作が行われた湿地帯に、豊かに実った、水面に突き出た稲穂、穀物の穂」という意味であろう。あるいは時代を遡れば「ひえ」の穂であったかもしれない。 ほぼ同義と思われる表現に「瑞(水?)穂の国、日本」がある。

そして「にっ(湿地)」に音で対応する漢字「日」を見つけ、「本」を見つける。美しい誤解を通じて、東の(日の)国、日の本の「日本」という国号ができあがる。

 

「ほんだ」という極めて平凡な、地名・名字がある。元は「ん」が付かない「ほた(穂田)」ではなかったか。

地名に「揖保・伊保」「三保・美穂・美保」、「阿保」など末尾に「ほ」が付く地名がある。もちろん「日本」を除く「ニホ」包含地名も少ないとはいえない(仁保、二本松、二本木など)。

「ミホ」「ニホ」はともあれ、「アホ」や「イボ」が地名に相応しいとは思えない。これらの「ほ」も「日本(にっん、にん)」の「ほ」と共通の意味を持つものと思う。なお「ニホ」包含地名出現率は緯度との相関値で0.29を示し、低いが5%水準で有意な相関を示す。すなわち、北(東)日本に偏在する。

 

日本人の起源

中期縄文時代までの日本列島の地名を遺した人々には少なくとも2種類の人々が居たように思われる。一つは中緯度の縄文遺跡密集地帯というより、以北の内陸部川沿いに分布の濃い「×沢」地名を遺した人々であり、今ひとつは、主として、現在の茨城、千葉県境の利根川流域の、当時は海水域に浮かぶ島々間の海峡を通って丸木船によって進入してきた人々であった。彼らは「×根」という地名を遺した。

本研究では、前者を「わ」の人々、後者を「ね」の人々と呼んできた。

 

「沢」地名の、明確な東日本偏在を考えると、「わ」の人々は氷河期には陸続きであったサハリンから徒歩で南下してきた人々だと考えた。

 

一方「ね」の人々は到着地に止まらず、関東平野形成以前の関東地方から沿岸に沿って、北に、人口希薄の西に、あるいは、利根海・川をさかのぼりそのまま突き進んだと考えた。

そして川筋を辿り日本列島山岳部を越して形成期の新潟平野に達する。分布中心部が西日本に近いだけに、「ね」の遺した地名文字列と緯度・経度・遺跡分布との相関は希薄になる。また西日本にも、すでに縄文時代から拡散したため、「ね」の人々の遺した地名の東日本偏在傾向は薄くなる。

 

アイヌ語の「川」を表す「ない」「べつ」地名は、本州に存在しても北部東北地方に限られるとされるが、何の予断も持たずに機械的に都道府県別「ナイ」「ヘツ」包含地名出現率の緯度・経度との相関値を計算すると意味のある相関関係を示さない。

「ナイ」「ヘツ」地名は北日本に偏在するのではなく、九州、関西、関東地方にもあり、日本列島各地に広く散在している。非アイヌ語地域の「ない」「へつ」地名は、具体的には「さんない」「やない」「いんない」「べっしょ」「べついん」「ふない」「しょうない」「かない」等である。

また、「さつ」や「さ」を含む「さつま」や「ざま」の「さ」がアイヌ語の「乾いた」を意味する物と考え、更に、「ない」の漢字表記された「内」を訓読み化した「かわち、こうち」地名もアイヌ語関連地名と考えた。これら地名の偏在を検討したが、これも東西日本の偏在は認められなかった。これらアイヌ語関連地名が中期縄文遺跡分布と相関関係を示さないので、単純に考えれば、人口分布が均一化した弥生時代以降の成立地名とも考えられるが、これら地名を地図に重ねあわせると、ほぼすべてが現在の沖積平野や盆地の中央部になく、形成される以前の水際と思われるところに存在するところから、遺跡分布とは相関を示さないものの、中期縄文以前にまで遡れる可能性がある地名と考えた。

 

地名には「こまい」「かない」「さくらい」「とりい」など末尾が「い」で終わる地名が多い。また「『い』が『住むところ』」と解釈できる「いずみ」という地名も全国にある。

これらの地名を遺した人々を「い」の人と呼んだ。

「い」の人々の拡散経路は、当初「わ」の人々と同じ氷河期時代の北からの徒歩による物であり、当時比較的低地の沿岸部を通路として拡散したのではないかと考え、「ね」の人々と最初に出会ったのが「い」の人々であったため、西日本への拡散は、極めて早期に、舟に同乗して拡散したためだと考えた。

 

しかし、縄文時代草創期を含む旧石器時代の都道府県別遺跡分布状況を見ると、既に関東地方や長崎県などの九州の一部で集中地域が見られることから(「日本列島における旧石器時代遺跡数」大竹憲昭:2008日本旧石器学会シンポジウム予稿集)、今では、「い」の人々は元々日本各地に散在していたと考えている。

*氷河期に陸化していた瀬戸内海に海水が流入したのは温暖化がすすむ過程(1.5万年から6千年前)の事件であろう。瀬戸内地方の海中に没したと部分には旧石器時代の住居址が残っているだろう。

 

「一万年の旅路」

今から1万年以前、縄文時代に先んじる氷河時代の終わりまでは、サハリンにも、朝鮮半島との間にも陸橋(あるいは陸橋に近い物)があった。

 

1万年前より少し前、沈みかけのベーリング海峡にあった陸橋を通って、北米大陸に渡り、拡散したイロコイ族の口承史を綴った「一万年の旅路」(ポーラ・アンダーウッド;星川淳訳、翔泳社1998、原題:The Walking People-A Native American Oral HistoryPaula Underwood)は、半円形に連なった島々が対岸にあるユーラシア大陸東縁の沿岸部に住む一族が、大地震・津波に見舞われ、定住地を移そうとするところから始まる。

 

記述から察するに、十数年〜数十年の間にアラスカから、ロッキー山脈の東側(内陸側)を南下した後、渡ってきた太平洋の方向である西に進み、ロッキー山脈を横切り、現在のワシントン州とオレゴン州の境をなすコロンビア川河口付近に達する。そして第一の定住地とする。北米大陸ではあるが、出発地と大まかにいえば、同じ緯度付近(高緯度温帯地域)の沿岸部であろう。

 

この中で注目すべきは以下の諸点である。

.出発の地点については、注釈の中で、著者はシベリア本土北部か朝鮮半島の付け根、訳者星川は更に南の当時陸化していた黄海の或る地点の可能性も指摘している。朝鮮半島付け根であれば、対岸の島々は日本列島と思われる。当時、これらの島々を一周して戻ってくる人々がいたことが記述されている。

.地震後、噂の「海辺の渡」と呼ばれるアラスカに続くベーリング海陸橋に向かったが、多くの別の民族集団に会った

.北米大陸を南下する途中でも、希にマンモスハンターとおぼしき先住者等に会った。

.驚くべき事に、北米大陸太平洋岸河口(北緯45度)付近で舟によって太平洋側から到着した海洋民の村に遭遇した。彼らにとって舟は初めて見るものであり、この興味も手伝い、やや離れたところに、海洋民の許可を得て最初の定住地を設営する。

更に驚くべき事に、しばらくして、海洋民の村に、同じく舟によって到着した別グループを目撃する。両グループは、ある程度、言語が通じるようでありながら、互いに見知らぬ集団であった。やがて、第一グループの拒絶的態度により、新しい「水を渡る民」の集団はユーラシア大陸方向にあると思われる出発地を目指して去っていく。第2グループとの親しい関わりの中で、通過儀礼として、彼らは太平洋周りを行うという習慣があることを知る。

 

上記が1万年以前の出来事であり、「ユーラシア大陸から太平洋に拡散していった海洋民、ラピタ人の活動が5000年前とされるのでギャップがある」。このことを指摘した上で、星川は脚注で、 既に1万年前ぐらいから太平洋を回遊するという前駆的活動があったのではないかと見ている(脚注p164-168)。

 

地球温暖化影響に関して陸地の氷の溶解による海面の上昇を憂慮する議論が多いが、むしろ高緯度地方の地殻に対する圧力の開放の低緯度地域の島々の地盤低下への影響を懸念すべきではないかと思う。全く専門外であるが最近の低緯度地域の大規模地震頻発を聞くたびにもたげる疑念である。

また氷河期終焉に伴うこのような影響に加えて、大海の島々への波風の浸食作用も1万年もの時間を考えれば相当なものであっただろう。

1万年前にはフィリッピン海プレート東縁に並ぶ房総半島から南に続く島々の間は今では広いが、もっと太い明瞭な列島であったかもしれない。またアリューシャン列島や千島列島についても同じことが言える。(09/10/10追加)

 

筆者は年代を遡るほど年代特定の信頼度が薄くなるという統計学的見地から遠い昔の5000年ぐらいの差異は、あり得る物と考え、星川の仮説を支持したい。また記述内容の整合性から、この物語を信じたい。

 

1万年ほど前に狭い陸橋を足で歩き大陸間を移動した人々と、大洋を舟で移動した人々が居て出会った。この調査で注目した中期縄文時代は4-5000年前であるが、縄文時代は1万年ほど前から始まる。

 

「日本列島のGm血液遺伝子」

松本秀雄(1992:日本人は何処から来たか−血液遺伝子から解く:日本放送出版協会)、は世界各地の地域別、先住民族と特定される民族別のGm血液型の各タイプの出現率を示している。松本は各民族のこの血液型出現率比がシベリアバイカル湖周辺に住む人々、特にブリヤート人の構成比と極めて類似しているところから、日本人のルーツはアムール川からサハリンを経てやってきたバイカル湖周辺の人々であると述べている。

 

この書の中で以下の点に注意を払いたい

南方起源が明確なafb1b3と表記され、口絵図中赤色で表記されたタイプの出現率である。日本列島に隣接する東南アジアから、日本より更に高い緯度にあるバイカル湖付近に至るまで、赤色で表示される南方系遺伝子は漸減している。一方、海を隔てたためか、日本列島各地の住民集団の赤色遺伝子の出現率はこれら大陸内部の同緯度集団よりも極度に低い。むしろ赤色遺伝子出現頻度が更に低い北シベリアや北米大陸の人々(Native American)の出現比に類似するといってもよいほどである。

この結果は、日本人南方起源説を否定する明快で明解な証拠と言えるかもしれない。すなわち日本人に見られる低頻度の赤色遺伝子出現率はユーラシア大陸との往来が容易になった時代以後に、細々と流入した遺伝子に過ぎないと考えるのが妥当かもしれない。


しかし「ルーツ」の定義にも関わるが、日本人に見られる低頻度の赤色遺伝子の流入は、決して新しい物ではなく、遺伝子以外の物や文化(言語、栽培植物、舟など。その中に土器を含むなら縄文時代そのものといっても過言ではない)は古く、日本人の根=基盤(ルーツ)になっていると思われる。


同書の中に日本各地28カ所で集めたGm遺伝子タイプの出現率を示す表が載っている(p.105 表5:日本人におけるGm遺伝子の分布)。赤色遺伝子が低い順に並べると、石垣島、与那国島、アイヌ(日高)、奄美大島、佐渡、静内、那覇、神島、秋田(マタギ)、長崎の順で、南方起源遺伝子の出現率の低い地域は明確に沖縄、北海道に偏る。

高い地域は、埼玉、茨城、群馬、栃木、千葉県は計測されていないが、ほとんどが本州である。特に沖縄列島のすぐ南の台湾の人々の極めて高い赤色遺伝子の出現率に比較して、地理的に連続する石垣島、与那国島では日本列島中最低の出現率が示されていて、台湾の先住民族のそれと出現勾配が分断されている。このことは著者も指摘している。

「怪しい地名研究」で明らかになった第2因子地名分布を併せて考慮すると、赤色遺伝子が南の、大陸に近い島々や大陸から入ってきたのではなく、日本の中央玄関である関東地方から入り、最後に日本国内のルートを通って、もっとも遠い沖縄や北海道にもたらされたと考える方が合理的だと思う。これに対してバイカル湖周辺の赤色遺伝子は大陸内部で南から漸減しており、北海道より緯度の高いバイカル湖周辺の民族に於いて、ようやく日本人並みの出現率になっている。つまり日本より緯度の高いバイカル湖周辺の赤色遺伝子は陸路で運ばれ、日本列島のそれは海路によるもののように見える。

一方、Gm遺伝子タイプのモンゴロイドに見られる北方型は同書でab3st,ag,axgであるとされ、口絵では順に黄、青、緑色で塗り分けられている。アフリカを出た人類はユーラシア大陸を東へたどり、最終到着地のアメリカ大陸への人類の拡散は、唯一、極北の氷河期ベーリング海にあった陸橋を通路にして行われたといわれる。そしてアラスカから南下し、南米の南端にまで達したといわれている。南に行くほど早期(古く)に北米大陸に達したグループと考えられる。青、緑で表示されるagaxg型の出現はすでにヨーロッパのサンプルで認められ、アメリカ大陸のサンプルでは、ほぼ、このagaxg型のみで構成される。残りの黄色のab3st出現率は先述したバイカル湖周辺の経度から始まりアメリカ大陸に渡ると急激に低下し、南アメリカ原住民ではほぼ青、緑タイプのみの構成となっている。

このことから, 黄色のab3stは人類がバイカル湖周辺に達して以後に出現した新しいタイプであると考えられる。黄色遺伝子を持つ人々は東進し、日本列島に至る。また、一部は「東の北」に進路をとり、最後にアメリカ大陸に渡った人々といえる。

「怪しい地名研究」では青色に目を向けたい。同書の中でも指摘しているが、沖縄宮古と日高地方のアイヌという日本列島南北両極集団のみが、他の集団に比べてagタイプ出現比が高いという点である。日本列島両端に、南方起源の赤色遺伝子出現率が低く、且つ、古くから存在した青色遺伝子出現率の高い集団が存在する。この傾向を強調すればアメリカ原住民や極北の人々の出現比に近くなる。

 

ただし、アメリカ大陸のサンプルにすら極めて低いが赤色遺伝子が含まれる事に留意しておきたい。そして、アメリカ大陸では南に行くほど出現率の低下が著しい。

 

そして地名分布では明確に東日本に明白な形で偏在する地名が認められた。明らかに北から南下して、中期縄文時代には、彼ら単独では、せいぜい近畿地方にまでしか達しなかった人々である。今ひとつは東日本偏在であるとはいえ、全国に散在する傾向を持つ地名である。この地名の起源の一つは、中緯度地方太平洋沿岸から入り、足の速い移動手段を操る、南方系の「ね」の人々によるものである。

今ひとつは「さま」や「さつま」「にって」や「にった」「にいだ」、それらが音読み化した「しんでん」、あるいはアイヌ語の「川」を意味する「ない」を含む地名を遺した人々、すなわち「い」の人々の単語を含む地名である。当初アイヌ語地名が北海道、北部東北地方に限局するところから北日本偏在を予想したが「ない」や「べつ」文字列が必ずしも緯度などと相関しないことなどから、全国に、もともと散在したと考えるほうが良いという結論に至った地名群である。

 

すなわち中期縄文時代には遺伝子からいえば、更に2種類の北方系集団がいた。先の東日本偏在が明確な地名を遺した「わ」の人々と、既に氷河期から居た「い」の人々である。

いずれも新しく出現した黄色遺伝子を含む集団であるが、「い」の人々の方が古く、青色遺伝子出現率は高かった。最終氷河期には北東シベリアを含めて、日本海を広く取り囲む形で活動していたのではないか。このような分布を可能にするのは、彼らが舟を持たないとするなら、朝鮮半島にも、宗谷海峡にも陸橋があった氷河期まで遡らなければならない。縄文時代が始まる前から「い」の人々は日本列島にいたのではないか。

そして、氷河期が完全に終結する直前、北からは「わ」の人々が、太平洋沿岸からは南方型遺伝子を持つ「ね」の人々が入ってくる。「ね」人々の進入は、丸木船で、長期にわたり、少人数で。「わ」の人々は陸路で。その上、北の陸橋は沈んでしまうので、凝集力の強い、ある程度まとまった人数の集団が短期間で入ってきたと言えるかもしれない。

 

なおネイティブアメリカンの起源の研究の現状は「アメリカの起源−人類の遙かな旅路」(1990:ブライアン・M・フェイガン;河合信和訳、どうぶつ社、原題The peopling of Ancient American;Brain M.Fagan)に詳しく、参考にした。

 

「古事記−別天つ神五柱」

古事記の冒頭は天地開闢を綴った文章である。まず高天(たかま)の原に、「天之御中主(あめのみなかぬし)」、「高御産巣日(たかみむすび)」、「神産巣日(かみむすび)」の3神が現れ、やや遅れて、まだ国が水に浮かぶ油のような、そしてクラゲのように漂っている状態の時に、「宇摩志阿斯訶備比古遲(うましあしかびひこじ)」、「天之常立(あめのとこたち)」の2神が生まれたという記述で始まっている。

もっとも古い時代の部分であり、全くのフィクションととらえる方が常識的かもしれない。しかし「怪しい地名研究」を続けるうちに案外事実を反映しているかもしれないと思うようになった。

注目点が2つある。一つは最初に現れた3神と次に出現した2神の数と名前である。今ひとつは国土の原初の状況に関する記述である。

 

この冒頭の記述は天地がまだ分かれていない時代の状況であろう。氷河期の終焉にともない降雨量が増え、日本列島は海水面の上昇に曝される。ピーク時には雨が降り続き、天も地も境目のないような豪雨があっただろう。

河川は常に氾濫が繰り返され、内陸部、沢、川沿いでは崖崩れが多発して、険しい山は削られ、谷は埋められていっただろう。上から崩れ落ちた土は天から降ったものと思ったかもしれない。内陸部の凹んだ部分には水がたまり、広い盆地湖ができる。

比較的安全で安定していたのは高地にある高天の原であっただろう。

ここに中心となる「あめのみなかぬし」が現れる。次に現れた2神の名前はどちらも「かみ」「たかみ」、すなわち「上」「高み」という高低を表す語、区切り方を「か/み」「たか/み」と区切れば「見る」の連用形としても理解しうる部分に「むすび」という語が連結した名前の「かみ」が現れる。「むすび」を「結び」の意味と解釈すると、これも動詞の連用形である。「あすみ」地名を「あ/すみ(住み)」と解釈すべきか「あす/み(見)」と区切るべきかと悩んだのと同じ語法が用いられている。

これら3神は高天の原の「あめのみなかぬし」を中心に水平方向に並ぶ神々である。

繰り返すが、このうち「たかみむすび」、「かみむすび」は「たかみ」であろうが、「かみ」であろうが、垂直方向の位置関係を意味する語である。「かみ」「たかみ」と「むすぶ(結ぶ)」神、あるいは「かみ」「たかみ」の立場から「むすぶ」神であろうか。高天の原より低い場所には、これらの神々を代表者とする種類が異なる人々がいたのではないか。

この3神が「わ」「ね」「い」の人々の代表者を意味するならば筆者にとっては都合がよい。

なお、「あめのなかぬし」の神にも同じ位置に「み」が含まれる。本文でも指摘したように「み」「三」を含む地名は極めて多い。

 

次の「宇摩志阿斯訶備比古遲(うましあしかびひこじ)」、「天之常立(あめのとこたち)」の2神の現れたのは縄文海進がピークを迎え、再度、ジグザグを繰り返しながら海の水が引いていった「国稚(くにわか)き」時代の事であろう。内陸から運ばれた土砂によって沖積平野が形成されはじめ、降雨量も元に戻り始めるので、盆地湖の底が見え始める。このような変化は急速なものであっただろう。内陸からもたらされた大量の土砂が水面から顔を出すと思えば海面上昇等により再び没する。盆地湖の場合は、自然ダムが決壊し、たまった水が流出して、底の地面が現れたかと思うと、再び水がたまり始めて見えなくなる。あるいは一時的に堆積した土砂は流され、別の場所に顔を出す。至る所にこのような現象が起こったとすれば、この様を「脂の如くして、海月なす漂えるとき」と表現したのではないか。リアルな記述である。

このような異変が繰り返され、沖積平野や盆地湖から盆地が形成されていく。そして、いち早くこれらの低地に沢山の人々が住み始め、植物栽培を行い始める。「葦牙(あしかび)のごとく萌え騰がる物」から「うましあしかびひこじ」の神が生まれ、次に「あめのとこたち」が生じたとしている。2神はこれらの人々を代表する神でなかったか。

岩波文庫の「古事記」(倉野憲司校注1996;57刷)の脚注には「あしかび」は「葦の芽」と出ている。そして「神の名を神格化して成長力を現した物」と説明している。葦は湿地に生える植物であり、新しく形成された低地の神として相応しい。

 

「怪しい地名研究」のターゲット地名は中期縄文時代地名であった。2神が現れた時代に重なっている。地名解釈のなかで行った解釈を機械的に当てはめれば「あしかび」の「かび」は「上の干」となり、「葦の生えているところの上(かみ)の干(ひ)」ということになる。「ひこ」は「干」の家族語で「日が経過した」と解釈し、「こ」は「密接した」の派生の意味で「子」の意味である。名前の最後に付けられる「彦」の意味であろう。この解釈は本文で既に指摘している。つなげれば「葦の生えているところの上(かみ)の干(ひ)の幾世代か後の子」ということになる。「葦の芽」でなくても、干潟は日に日に広くなり、子孫は繁栄していっただろう。「あし」も「あ」+「し」に分けうると思うが、すでに「葦」の意味で一語化していたと思う。

高地に住む人から見れば低地の湿地帯は足下なので、「あしかび」は「足下に生えた黴」のほうが良いのかもしれない。この場合「黴」という単語がじめじめした地の表面(上)を覆う干からびたもの(か+ひ)という意味で派生している必要がある(09/11/24

 

「とこたち」の場合は、「と」は「門」、「こ」は「密接した、子」、「た」は「たて」の「た」であり「垂直方向」や植物が縦に成長するところから「田」の意味としたので「戸の密接の田」の神であろうか。すなわち「田んぼの入り口に立つ神」「農作地帯の入り口の神」あるいは「戸」は「とね」地名を残した「ね」の人々の入り口である海からの「入り口」かもしれない。

 

これら2神名の最後の音について気になることがある。

「あしかびひこ」「とこた」の最後の音も元は同じ音であった可能性がある。すなわち同じ意味であった可能性がある。筆者のみならず、多くの日本人は「じ」と「ぢ」を音で区別できない。「じ」は「ち」でなかったか。「ち」は未解釈であるが、身体語がひらがな一字で表されることが多いので「血」、下地、地合などに使われる「地」(「ち」は音読みであるそうだが)の意味、すなわち「性質」のような意味ではないかと思う。

これら2神を代表とするグループは「わ」や「い」や、南からやってきた「ね」の人々の混合集団であり、湿地帯での植物栽培を通じて一体化する。そして「かすが」や「あさひ」や「みどり」「あたご」「たご」地名、内陸の盆地であれば「ふね」や「しお」「おき」「しま」等の海洋を連想させる地名を残す一大勢力になり、足の速い舟に乗って日本列島各地に散らばっていった。「とこたち」は農民として新しい土地で居続け、「あしかび」はこれら新しい集落を結ぶネットワーカーとして活躍し続ける。

 

高天原の場所

ZIP表の中から「タカマ」を含む地名を検索すると236件のZIPがヒットするが、大多数は「高松市×」の「高松(たかまつ)」であり、それ以外、数件の「高丸」「高増」「高牧」などの「高天原」と無関係と思われる地名を除くと以下の6ZIPが残る。

 

3140005

カシマ

タカマカハラ

茨城県

鹿嶋市

高天原

4360117

カケカワ

ハタカマ

静岡県

掛川市

幡鎌

4650081

ナコヤシメイトウ

タカマ

愛知県

名古屋市名東区

高間町

6308238

ナラ

タカマイチ

奈良県

奈良市

高天市町

6308241

ナラ

タカマ

奈良県

奈良市

高天町

6392336

コセ

タカマ

奈良県

御所市

高天

この中に「たかまのはら」があるとすれば、「古事記」冒頭に記述される「たかまのはら」は、「314-0005茨木県鹿島市高天原」が最も可能性が高いと思っている。ただし、「高間原」を海進時、海退時を通して常に陸上にあった部分と解釈すれば、日本列島の居住不能な高地、水害、がけ崩れのおそれのある地域を除くすべての場所が高間原として該当する。

 

日本語の起源

「地名は縄文時代にまでさかのぼれるか?」どころか、どれも縄文時代の地理的・言語的状況にまで遡らなくては理解できないのではないかとすら思われる。多くは難読地名ではなく、ありふれた地名である。

 

しかし少なくとも、45000年も以前に使われ始めた地名が、語頭音ならまだしも、「×わ」や「×い」や「×ね」のように末尾音までが変化せずに維持し続ける物であろうか。

この理由は集落を表す最後のひらがな文字列が固有名詞ではなく集落の特性を表す重要な普通名詞であったからではないだろうか。しばしば末尾以前の固有名詞部は人が勝手に付けたものにすぎない。末尾音こそ、集落の基本的、包括的特性をあらわすという重要な役割を担ったのではないか。他人に集落名を言うとき、しばしば末尾音が大事な事が多い。今では地名システムの構造化が進んでいて、「×市」「×郡」「×村」「×町」などが階層を示す重要な意味を持つ。以前は「字×」、「×里」なども同様な役割を持っていた。

中期縄文時代では「×わ」や「×い」や「×ね」がこれに相応する語である。「怪しい研究」では「わ・い・ね」をその集落構成員の人種の違いと捉えた。末尾にこの音を付加することによって、それを聞いた人々は様々の事を想像する手がかりを得る。住むところは山か、里(=古い意味での「野」)か、海か。顔立ちは?友好的か否か、生業は?何を喜ぶか、生活様式は?等々。固有名詞部に比べて末尾音は極めて重要である。

「麗子」が麗しい人だとは限らない。聞く人にとって重要なのは、「麗」よりも、末尾の「子」の方である。「子(こ)」は、それを聞いて、ほぼ確実にその人物が女性であろうと想像できる役割を担う。固有名詞の末尾音とはそう言う物と思う。

 

最初の音は印象が強く、維持され続けるのは納得できる。中程は時代経過とともに変化するかもしれない。しかし最後の音は、固有名詞においては、何が何でも維持されなければならない部分であろうと思う。

 

末尾が維持される傾向は現在の地名においても例証することができる。「市」「町」「村」「郡」は、明治以降に固有名詞部に付加された普通名詞部である。それ以前は「村」「町」などに加え「里」「郡(こおり)」「国」なども同じような意味合いで使われていただろう。理屈でいえば、以前の普通名詞部は削除して、新しく「市」や「町」や「村」に置き換えるべきであるが、以前の末尾普通名詞部を残したまま固有名詞化した地名が多数ZIPに認められる。下の表はそれらの一覧である。

 

「×村市」冒頭「東京都羽村市」は元々「は」ではなかろうか。域内には「羽」と書いて「はね」と読む地名が残っている。そこに「『ね』の人の村」を意味する「ね」が付き「はね」になり、「むら」という言葉が一般化してからは、「古くさく、田舎くさい『ね』」がとれ「むら」に置き換わり「はむら」になる。ただし「市」への昇格時には「村」を残したまま「羽村(はむら)市」になっている。「杵島郡大町町(おおまちちょう)」等、「町」が重なる、奇異な感じを与える地名も、この範疇に入る地名である。「大村市」「大町町」「大里町」は普通名詞部を取り除けば「おお」である。「小津(づ)」が「泉-大津()」に変化した例があるので、固有名詞部はどれも「お」一字の地名となる。

 

×町市

 

 

福島県

町市

北原など63ZIP

新潟県

十日町市

赤倉など127ZIP

長野県

大町市

大町など4ZIP

×村市

 

 

東京都

村(はむら)市

羽(はね)、羽加美(はねかみ)、羽中、羽東、羽西など14ZIP

高知県 

村市

中村(岩崎町)、中村(桂山暖地)、中村(大用寺)など100ZIP

長崎県

村市

東大村など82ZIP

×村町

 

 

北海道

美唄市

村町、中村町中央、中村町北、中村町

青森県

西津軽郡鰺ヶ沢町

中村町

岩手県

一関市

田村町

福島県

郡山市

田村町×25ZIP

福島県

伊達郡保原町

中村町

茨城県

土浦市

田村町

栃木県

栃木市

田村町

群馬県

佐波郡玉村町

南玉(なんぎょく)など25ZIP

埼玉県

秩父市

中村町

東京都

新宿区

市谷本村町

神奈川県

横浜市南区

中村町

神奈川県

横浜市旭区

本村町

神奈川県

横浜市緑区

大村町

神奈川県

横浜市瀬谷区

竹村町

神奈川県

厚木市

田村町

新潟県

新潟市

関屋本村町

富山県

富山市

水橋中村町

石川県

金沢市

中村町

石川県

金沢市

松村町

福井県

福井市

大村町

福井県

鯖江市

田村町

山梨県

甲府市

中村町

岐阜県

大垣市

津村

岐阜県

大垣市

室村

岐阜県

岩村町

岩村など3ZIP

静岡県

静岡市

中村町

愛知県

中村区

下中村町

愛知県

中村区

中村町

愛知県

中村区

元中村町

愛知県

昭和区

神村

愛知県

守山区

川村

愛知県

豊橋市

飯村町×2ZIP

愛知県

豊橋市

大村町

愛知県

豊橋市

松村町

愛知県

豊橋市

牟呂中村町

愛知県

岡崎市

中村町

愛知県

半田市

中村町

愛知県

西尾市

柿村町

愛知県

西尾市

新村町

愛知県

稲沢市

今村町

愛知県

田原市

芦村町

三重県

四日市市

江村町

三重県

四日市市

中村町

三重県

四日市市

西村町

三重県

四日市市

山村町

三重県

伊勢市

津村町

三重県

伊勢市

中村町

三重県

伊勢市

野村町

三重県

松阪市

井村町

三重県

松阪市

下村町

三重県

松阪市

田村町

三重県

松阪市

殿村町

三重県

松阪市

野村町

三重県

鈴鹿市

野村町

三重県

尾鷲市

中村町

三重県

亀山市

田村町

三重県

亀山市

野村町

三重県

鳥羽市

浦村町

三重県

久居市

中村町

三重県

久居市

野村町

滋賀県

大津市

葛川中村町

滋賀県

大津市

葛川坊村町

滋賀県

長浜市

田村町

滋賀県

近江八幡市

中村町

滋賀県

近江八幡市

野村町

滋賀県

八日市市

野村町

滋賀県

草津市

穴村町

滋賀県

守山市

阿村町

京都府

京都市上京区

中村町

京都府

京都市左京区

大原野村町

京都府

京都市東山区

竹村町

京都府

京都市右京区

梅津中村町

京都府

京都市伏見区

深草山村町

京都府

京都市西京区

上桂北村町

大阪府

堺市

中村町

大阪府

高槻市

梶原中村町

大阪府

茨木市

中村町

大阪府

八尾市

柏村町

兵庫県

西脇市

野村町

兵庫県

三田市

寺村町

兵庫県

加西市

市村町

兵庫県

加西市

大村町

兵庫県

多可郡中町

中村町

奈良県

奈良市

北村町

島根県

浜田市

内村町(十文字原)

島根県

浜田市

内村町(その他)

島根県

浜田市

西村町

島根県

益田市

隅村町

島根県

益田市

種村町

島根県

平田市

島村町

広島県

福山市

神村町

広島県

福山市

東村町

広島県

庄原市

本村町

山口県

下関市

彦島本村町

山口県

防府市

岡村町

山口県

光市

中村町

徳島県

阿南市

福村町

香川県

高松市

小村(おもれ)町

香川県

高松市

田村町

香川県

丸亀市

田村町

香川県

善通寺市

中村町(丁目)

香川県

善通寺市

中村町(その他)

愛媛県

松山市

小村(こむら)町

長崎県

大村市

今村町

熊本県

八代市

大村町

宮崎県

宮崎市

吉村町

鹿児島県

鹿児島市

有村町

鹿児島県

川内市

中村町

×町町

 

 

栃木県

宇都宮市

下反町町

愛知県

一宮市

千秋町町屋

滋賀県

守山市

二町町

京都府

京都市伏見区

桃山町町並

佐賀県

杵島郡大町町

大町(大町)、福母(ふくも)の2ZIP

長崎県

北松浦郡鹿町町

鹿町免など××免17ZIP

×里市

 

 

千葉県

里市

大和(おおわ)など15ZIP

×里村

 

 

岩手県

下閉伊郡新里村

刈屋など5ZIP

茨城県

新治郡玉里村

上玉里、下玉里など19ZIP

新潟県

中魚沼郡中里村

貝野など4ZIP

新潟県

中頸城郡清里村

青柳など28ZIP

長野県

上水内郡鬼無里村

鬼無里など3ZIP

三重県

安芸郡美里村

三郷(みさと)など12ZIP

鹿児島県

薩摩郡里村

沖縄県

島尻郡大里村

大里など7ZIP

×里町

 

 

北海道

赤平市

西豊里町、東豊里町

北海道

深川市

広里町(1〜5丁目)

北海道

斜里郡清里町

青葉など13ZIP

青森県

むつ市

美里町

青森県

西津軽郡鰺ケ沢町

種里町

青森県

北津軽郡中里町

中里など17ZIP

宮城県

登米郡豊里町

後沢田など90ZIP

秋田県

山本郡藤里町

藤琴など5ZIP

山形県

酒田市

北里町

栃木県

宇都宮市

新里町

群馬県

前橋市

亀里町

群馬県

高崎市

東中里町

埼玉県

草加市

新里町

埼玉県

大里郡大里町

相上など19ZIP

埼玉県

北埼玉郡川里町

赤城など9ZIP

千葉県

山武郡大網白里町

池田など45ZIP

東京都

新宿区

中里町

東京都

八王子市

廿里町

神奈川県

横浜市中区

本牧大里町

神奈川県

横浜市南区

中里町

神奈川県

横浜市南区

前里町

神奈川県

横浜市磯子区

上中里町

石川県

金沢市

花里町

石川県

小松市

上八里町

石川県

小松市

下八里町

石川県

輪島市

里町

石川県

松任市

美里町

福井県

大野市

美里町

山梨県

甲府市

大里町

長野県

長野市

里町下氷鉋

長野県

長野市

里町田牧

長野県

長野市

里町中央

長野県

長野市

里町中氷鉋

岐阜県

岐阜市

村里町

岐阜県

大垣市

静里町

岐阜県

高山市

花里町

岐阜県

関市

春里町

岐阜県

土岐市

鶴里町柿野

岐阜県

土岐市

鶴里町細野

静岡県

浜松市

中里町

愛知県

名古屋市千種区

春里町

愛知県

名古屋市西区

歌里町

愛知県

名古屋市西区

清里町

愛知県

名古屋市昭和区

山里町

愛知県

名古屋市中川区

東かの里町

愛知県

名古屋市南区

鶴里町

愛知県

名古屋市名東区

西里町

愛知県

名古屋市名東区

藤里町

愛知県

瀬戸市

宮里町

愛知県

津島市

藤里町

愛知県

安城市

里町

愛知県

知多市

岡田美里町

三重県

四日市市

大里町

三重県

四日市市

中里町

三重県

四日市市

美里町

三重県

伊勢市

藤里町

三重県

桑名市

里町

三重県

尾鷲市

三木里町

三重県

熊野市

二木島里町

滋賀県

彦根市

稲里町

滋賀県

長浜市

十里町

滋賀県

守山市

十二里町

京都府

京都市上京区

下山里町

京都府

京都市上京区

山里町

京都府

京都市伏見区

石田内里町

京都府

京都市伏見区

醍醐南里町

京都府

京都市西京区

大原野西竹の里町

京都府

京都市西京区

大原野東竹の里町

京都府

京都市西京区

桂野里町

京都府

綾部市

里町

京都府

綾部市

豊里町

大阪府

高槻市

登美の里町

大阪府

高槻市

藤の里町

大阪府

寝屋川市

豊里町

大阪府

河内長野市

下里町

大阪府

大東市

明美の里町

大阪府

大東市

北楠の里町

大阪府

大東市

中楠の里町

大阪府

大東市

西楠の里町

大阪府

大東市

南楠の里町

大阪府

門真市

野里町

大阪府

藤井寺市

小山藤の里町

兵庫県

神戸市北区

中里町

兵庫県

宝塚市

今里町

奈良県

奈良市

生琉里(ふるさと)町

奈良県

大和高田市

中今里町

奈良県

大和高田市

南今里町

奈良県

生駒市

有里町

和歌山県

和歌山市

東小二里(こにり)町

和歌山県

海草郡美里町

赤木など40ZIP

広島県

竹原市

田万里町

山口県

下関市

吉見里町

山口県

下松市

美里町

香川県

高松市

今里町

福岡県

大牟田市

三里町

長崎県

長崎市

江里町

長崎県

長崎市

中里町

長崎県

佐世保市

中里町

長崎県

諫早市

西里町

長崎県

諫早市

松里町

長崎県

大村市

大里町

長崎県

大村市

中里町

熊本県

宇土市

古保里(こおさと)町

鹿児島県

鹿児島市

玉里町

鹿児島県

鹿児島市

古里町

鹿児島県

川内市

宮里町

鹿児島県

鹿屋市

野里町

鹿児島県

鹿屋市

花里町

鹿児島県

鹿屋市

古里町

鹿児島県

名瀬市

久里町

鹿児島県

名瀬市

浜里町

 

なお、縄文地名と思われる具体的地名を検索する中で、「ね」「わ」「い」以外、「お」「し」「て」「き」「た」「つ」「て」「と」「の」「ま」「ら」「や」なども末尾音になることが多く、これらも「現代の語彙では直接解釈できない集落の基本特性」を意味する語ではないかと思う。本文で具体的地名を挙げ解釈した。

 

これまでに取り上げた多くの地名が縄文言語を色濃く反映していると考えるなら、我々が日常使う現在日本語と大層異なっている印象がある。理由の一つは取り上げた単語が地名という限られた範囲の単語であるからかもしれない。

 

しかし、このような限界はあるにしろ、縄文地域地名リストを眺めると、現代日本語と異なる点を指摘しうるように思える。

 

第一は、50音一字一音節が意味を持つと思われる単語を連ねることで縄文地名ができあがっていると思われる点である。

 

しかし言語学のシロウトとはいえ、60年あまり日本語を使い続けた筆者としては、今の日本語は2文字列単語が圧倒的に多く、基本の単語の長さは2音節(あるいはそれ以上)と思っている。多くの日本人は今昔を問わず事物を仮名一文字で済ますのに、なにか欲求不満を感じるようである。

先に、地名末尾の普通名詞部を取り除いて考えると、「羽村市」は「は」、「大村市」「大町町」「大里町」は「お」、「泉大津」も「お」一字で表されていた可能性を指摘した。しかしこれでは収まりが悪いためであろうか、普通名詞部を含め長くして固有名詞化する。あるいは同一音を繰り返して二字(50音の)地名にする。

すぐ前に掲げた地名リストには多くの「里」「里町」がある。「里」も「町」も現在の意味では普通名詞としての意識が強い。この普通名詞部を取り除けば、一文字どころか固有名詞部はなくなってしまう。

もとは「戸」や「門」を意味する「と」一字の地名であったのではないか。一字を嫌って、尊大でもなく卑下するものでもない、「些かの」という意味の、さしさわりのない「さ」をくっつけて(「い」の人なら「さっ」変じての「さ」と理解するであろう)「さと」としたのではないか。この場合、反対に、固有名詞から二文字(50音の)の「里(さと)」いう普通名詞が生じた例となる。

 

なお、「あざ(字)××」の「あ」は、他の地名で夥しく出現する「吾」の意味ではないか。「ざ」は元々濁らない「さ」で、これも「些」の「さ」であり、「吾が些かの×」という意味であろう。この場合は前綴りが慣用的に使われるようになって「あざ(字)」という集落であることを示す普通名詞が生じたのであろう。「あさひ」は最もこの原型に近い地名であろうか。怪しい解釈である。

また先の「里」に「あ」が付く「あさと」を含む地名はZIP表では9ケ所あり、以下のとおりである。

 

0393312  ヒカシツカル*ヒラナイ      アサトコロ    青森県    東津軽郡平内町        浅所   

6711342  イホ*ミツ            アサトミ     兵庫県    揖保郡御津町          朝臣    

8940773  ナセ               アサト      鹿児島県  名瀬市                朝戸   

8916213  オオシマ*キカイ         オオアサト    鹿児島県  大島郡喜界町          大朝戸 

8919304  オオシマ*ヨロン         アサト      鹿児島県  大島郡与論町          朝戸   

9020067  ナハ               アサト      沖縄県    那覇市                安里   

9012407  ナカカミ*ナカクスク       アサト      沖縄県    中頭郡中城村          安里    

9010514  シマシリ*クシカミ        アサト      沖縄県    島尻郡具志頭村        安里   

 

「朝×」「浅×」「麻×」などという漢字の意味から理解が難しい「あさ×」地名も夥しく存在する。例えば、江万別市「大麻泉町、大麻扇町、大麻沢町 等」は「大字・泉」「大字・扇」などと表記されても違和感がない。また「あさ×」地名は、現代では、広域地名欄に記載されることの多い地名である。

地名表記で「村・町・市」などは後ろに付加されるのが普通であるのに反して、唯一、前に付けられる「字(あざ)」という言葉の起源を知りたいものである。

 

「吾些×」から特定の場所の目印を示す普通名詞「あざ」が生じたとすれば、「痣(あざ)」も「字(あざ)」から生じた家族語ではなかろうか。一方は皮膚、後者は大地に刻まれた「些かの印」である。紙に刻まれた印は「もじ」であるが、「あざ」に「字」が充てられた所以と思う。また「あざやか」も家族の可能性がある。

 

横綱「朝青龍」は「吾が些かの昇り竜」と解釈すべきか。親方朝潮も「朝」で始まる。高砂部屋の関取には定冠詞?「朝」がつく(10/2/10))

なお「郡(こおり)」と「氷」は家族語ではないかと思う。これまでの解釈に従えば「こ」は「密接した」と解釈したので「互いに密接した」+「滓(おり)」ではないか。すなわち「氷」は「水分中の固形成分が集まり固体化した物」と考えたのではないか。

「おり」の「お」については、「尾」「小さくないもの」と解釈し、「り」は「分離部」と解釈したので「水の中の無視できない水分以外の小さい成分が纏まり固体化したもの」と考えたのではないか。「郡」は「小さい集落集団の纏まり」という意味で共通する。

動詞「下りる・降りる」、「凍る」も家族語ではないか。また「お」の取れた「凝る」「凝り」も同様の発想の家族語でないか。(09/10/5追加)

県(あがた)は「吾+潟」か(10/2/15追記)

 

「あかひら」「あかみね」などしばしば「赤」で表記する「あか×」地名は関東地方にぽっかり穴を開け、北日本、九州・沖縄地方偏在傾向を示して多数認められる。これらの「あか」も「あさ」と同じように「あ(吾が)」+「か(上の)」という慣用句として地名に広がったものではないか。ただし「あざ」とは違い「あか」は地域を現す普通名詞にはならなかった。「垢田」「阿嘉」「阿寒」等で表記される意味不明地名が多数存在するところからヒントを得た解釈である。今日「赤」や「明かり」「明るい」の意味で理解される「あか」とは異言語起源ではないか。(09/10/10追加)

「あか」包含地名(aka.lzh).

 

「あさひ」地名が東日本に偏在するにもかかわらず、1009件の「あさひ」を除く「あさ×」地名は、愛知、岐阜、福井県までの東日本においては249件にすぎず、残り760件は西日本で、西日本に偏在する傾向がある。滋賀、兵庫、広島県が多い。ただし東日本の北海道、埼玉、神奈川、長野県なども少ないとはいえない。

具体的な「あさ×」地名は下のリンクをクリックすればよい。各都道府県の緯度・経度・中期縄文遺跡密度・同実数との相関値は順に−0.28、−0.27、−0.16、−0.16であった。西日本偏在の数値とはいえ、あまり明確なものではない。

 

「あさひ」を除く「あさ×地名」(asa.lzh)

 

それはさておき、「田辺」「中辺路」「辺戸岬」など「へ」の付く沢山の地名がある。「岸辺」「海辺」「窓辺」という普通名詞もある。「へ」は漢字の意味から察すると「あたり」「周辺」の意味であろう。「中心から最も離れた部分」である。「縁(り)」の意味でもあろう。語頭に「へ」が付く普通名詞もたくさんある。先に挙げた「へり(縁)」「へい(塀)」「へたる」「へさき」などがある。「へ」は「本体の最も先」という意味をも含んでいるように思われる。しかし現在では、「へり」という意味で「へ」一文字単語が使われることはない。単独の「へ」というと、「屁」か、助詞の「〜へ」しか思い浮かべることができない。「へ」に「り」を付けて(「へり」)、やっと単独の普通名詞として説明に値する単語となる。

「は」も同じである。「は(端)」というだけでは上品すぎて物足りない。「し」一字加えて「はし(端)」と言ったり、「はた」といった方がすっきりする。単語を2文字化(50音の)して、気持ちの収まりが付く。

また「お」一字地名を嫌って「おお」となるのは、意味の強調というより、発音の安定化を意図した結果という要素もあるのではないか。「お」は「尾」で「小さくない」と解したが、一音節では正に「屁」のようである。

 

今の日本語は全て母音で終わる50音の組み合わせ単語で成り立っている(表記上は)。実際、ZIP住所は漢字または仮名で表記されている。しかし少なくとも、中期縄文遺跡相関地名が出現する時代までには、子音で終わる音節があったのではないかと疑わせる地名が含まれることが、第二点である。

「ざま」「さまに」「はざま」「かざま」「あさま」のような「さま」包含地名は東日本に偏在する。このうち「さ」はアイヌ語地名にしばしば現れる「sat」で「t」音が脱落したと考えた

「にった」「にっしん」の「にっ」が「に」「にい」に変化したと思われるのも同じ例であろう

アイヌ語地名の典型である川を表す「×pet」「×nay」起源地名が、「べつ」「ない」地名と、語尾「t」や「y」のとれた「×べ(へ)」や「×な」地名に変化して日本全国に残存している可能性がある。

 

第三点は、多数の「ん」を含む地名が東日本偏在地名リストに含まれている点である。

このうち「新田」と漢字表記された後「しんでん」と読まれるようになったと解釈した「んて」「てん」以外にも、「もん」「んめ」「りん」「んほ」「んよ」包含地名など多数の「ん」包含地名が存在する。具体的な地名は「もん」該当地名では「十文字・紋別・門前・×ヱ門」。「んめ」は「神明・本梅(ほんめい)・金名(きんめい)」「伯林台・五林・五輪沢・臨港」、「んほ」では「仙北・三本木・千本松・新保」、「んよ」は「南陽・山陽・尾肝要・剣吉・三女子(さんよし)」などである。

東日本偏在の明白な「新田」地名に大きく依存する「んて」「てん」包含地名を除いても、中期縄文遺跡分布との相関というより、緯度の高い地方で目立つ傾向がある。

 

一方、西日本に偏在する「ん」のつく地名は「んち」のみであり、具体的には「×番町(ばんちょう)」「×本町」「×新地」「×軒町」がほぼ全てであり、これらは、漢字の意味から考えて、明確に漢語風地名と理解すべき新しい地名である。一方、東日本の漢字音読み地名の多くは漢字の意味からの理解が困難であることが多い。

 

司馬遼太郎は徳川正宗との対談集の中で(日本語と日本人・司馬遼太郎対談集 読売新聞社、1978)大阪弁の単語終わりが、「めえ(目)」「てえ(手)」のように過度に母音を強調する傾向があるのに反して、東日本の言葉では、実際には子音で終わって発音されている例があるのではないかと指摘している。これに対して徳川はこの傾向を認めつつも、西日本でも子音終わりで発音される傾向のある地域と例をあげ、子音終わり傾向のまだら模様の分布状況を指摘している。

 

母音は気道から口に吐き出され声帯を震わせ発声され、子音は気道からの空気を要しない声帯以外の部分によって生じる音である。また「ん」は口から吐き出される代わりに鼻に抜けて生じる音で、鼻母音と呼ばれる。

 

東北地方は寒いので口を大きく開かず発音されるので、聞き取りにくい子音や、鼻にぬける音が多くなるという説明を一度ならず聞いたことがある。また極めて類似するフランス語、イタリア語の対比において、南に位置するイタリア語の単語が明確に母音で終わるのに対して、北のフランスではそうではなく、更に鼻に抜ける微妙な鼻母音が目立ち、50音に慣れた日本人には難しいとよく言われる。

 

筆者は「寒気が口に入らないため」という点を含めて、子音終わり(あるいは子音連続)や「ん」の発音は、発声時に、肺の暖かい空気できるだけ排出しないための寒冷環境における適応的な行動(排気した空気分だけ寒冷外気から吸い込まなければならず体温は失われる)であり、言語習慣として固定したものではないかと思っている。すなわち発語時排気量は少なくて済む効用がある。ただし、子音は慣れぬ者には聞き取り難い。また寒いところでは、何より無口でいることが好ましい。

あるいは人の気配を感じさせてはいけない(声を立ててはいけない)狩猟に依存する北方民族の生活環境に対して、常に波の音が背景にある中でコミュニケーションしなければならない南の海洋民の生活環境に対する適応行動の差異として理解される側面もあるかもしれない。

考えてみれば音声以外の自然環境において存在する音は濁(半)音で表記することが多いのではないか。「ざーざー」「ぼこぼこ」「ざー」「どぼん」「ざぶん」「ずぶずぶ」「ぴちゃぴちゃ」など。人間の喋る言葉であることを区別できるためには清音であることが望ましい。反対に「しー」や「しーん」の清音擬音は音のない状態を表す。

 

したがって、子音や鼻母音の多いのは、形成時においては北の言語。母音終わりは南の言語の特徴ではないかと思っている。

 

徳川の精密な観察である日本列島における「子音終わり」、「斑状分布」は、異なる言語を話す民族集団の縄文時代における移動のために生じたものではないか。

 

異言語間の発音のやり取りを考えるなら、母音を冗長に入れるほうが聞き取り易さでは勝り、間違いない。ただし寒冷地では母音の種類が増える傾向もあるのではないか。同じ努力で異なる意味を持つ単語を増やすことが出来る。効率的である。ただし混同が生じやすい。

 

東日本偏在地名リストを見て気になるその他の点は、文法に関連する以下の諸事項である。

まず、「あ」ではじまる「あす」「あら」包含地名があり、これらは「吾」の意味と解釈された。また三文字地名の「あさひ」も強く北(東)日本に偏在する。「あさひ」は「我が些かの干」と解釈した。

当時は「吾が×」「我々の×」など、ことさらに訳すより、英語の「my×」とか「our×」のような感覚で、ことさらの意識なく、慣用的に自らの生活圏内の場所を示すために使われていたのだろう。

 

さらに名詞の後に付加される複数形を示す語が在ったのではないかと思わせる地名がリストに含まれる。すなわち現在の日本語では主として「人」の複数形を示す「われ等」など、限定的な名詞に付加される「×ら」である。「あい」「しさわ」「てさわ」「かすやま」などの地名が該当する。

 

「泊」「島泊」など「とまり」3文字列を含むZIP地名が関東地方から見て辺境な地域に設定された舟の停泊場所に与えられた地名であり、中期縄文時代には関東地方から遠く離れた人口希薄な東北や北海道に偏在していたので、中期縄文期遺跡分布との「負」相関値を示すのではないかと推理した。

「とまり」は非縄文地帯沿岸部に偏在するが、「かり」「はり」などを包含する、動詞連用形が名詞化した地名が東日本偏在地名リストに挙がっている。

また、一方においては「とまる」「かる」「はる」などの動詞の原型(終止形)と思われる地名も少数存在する。現在の文法では許されるものではない。「乙丸」「山軽」「三春」などの漢字表記から考えるなら不自然で奇妙な地名である。

考察の中で、これらの地名は動詞の活用に慣れぬ集団の動詞地名発生時における誤使用によるものではないかと考えた。

すなわち、日本語の特徴の一つは動詞が活用する点であるが、当時の日本列島には動詞活用に慣れない人々がいて、地名の成立時のこれらの人々の影響力の強さを示唆していると考えた。


以上の諸点を考慮すると、現在日本語が、単一の言語から変化して今日に至ったとは到底考えられない。

「あ、い、う、え、お」の母音で終わる、かな文字1字が表す音の組み合わせで日本語が成り立っているという側面は「ね」系統の。修飾する単語を次々に連続して新しい語を形成していくやり方は「い」の人々の作法。動詞を活用させ、助詞を用いて文章を紡ぐ日本語文法の基本的構造は「わ」のひとびとの要素であるように思われる。

単語では植物や身体の部分を表す「ね」や「は」は、「ね」の人の単語。形成されつつあった沖積平野や盆地で精力的に農耕に取り組み始めたところの「い」の人々は、「さっ(さ)×」や「にっ(に)×」の語彙を、高地で狩猟を行っていた人々は狩猟グループを示す「わ」という単語をもたらした。また「わ」や「い」のひとびとは「あいうえお」以外の母音や子音終わり単語、凡そ日本語らしからぬ「ぱ」や「ぴ」の破裂音を普通に使用していたのではないか。

 

現在の日本語はこれら3種類の人々の言語の混合によって成り立っている。これらの言語が混合され統一されていくのは、縄文海進が収束し、大地から水が引いていき、そこ(沖積平野や盆地)に人が集まり、農耕が行われ始めた中期縄文時代以降、弥生時代開始以前にかけてであろう。

 

参考までに下に、本HPで解釈した501字の怪しい縄文地名語辞書を示す

怪しい縄文地名語辞書

50

意味

家族単語(原則として二音節以内単語例)

A吾、我々B?在る

足、顎、吾子、有り、跡、後(あと)、あの(thatの意味)、あれ、天(あま)、空(あき・あく)

@居る事、5、居、「い」の人の居る場所、 A「い」の人の自称、

稲、芋、池(注5)、石、岩、息、今、飯、家、楽し・強・赤」など形容詞の語尾、犬(「い」+「ぬ(の)」すなわち「<い>+<のもの>」)、「い」自身は「犬」を別単語で表したであろう。

同様に「いのしし」は「<い>の人たちの、食用としての肉」。あるいは「<い>の獅子」。

あいぬ(「あ」=「私」+「い」+「のもの」)、

居る(「いる」は「継続して存在する」、「在る」は単に「存在する」)

@? B海 (もとは「ふ」で頭頭子音fが脱落したもの)

畝、浮(うき)、上、

包む物、重なる物、A餌

枝、襟、笑み、(うえ=海に重なる物)、智恵、声、枝、稗(干を覆うもの)家(「い」の人々を覆うもの)、蝦夷(えぞ)

尾、小さくないもの、引っ張るもの、大切なもの、御 

塩、汐、潮、冲、丘、オス(雄)、下(お)る(注4)、折る、居(お)る、奥、おお(大きい、多いなどの)、親(小さくない+目標物)

大阪湾沿岸南海電鉄本線、やや山側を併走する南海高野線、JR阪和線沿いには、尾崎、男里(おのさと)、-川、岡田、-浦、忠岡(ただおか)、尾生(おぶ)、王子(おうじorおおじ)、泉大津、尾井、鳳、船尾、長尾、三国ヶ丘そして当時湿地帯又は海の下であった堺市街地部分を跳び越し、住吉大社あたり南東に丘の形状を確認しがたい清水ケ丘、難読地名の遠里小野(おりおの:注4)、上町台地を西側から駆け上がる「大阪(坂)」と「お」の付く地名が並ぶ「お」地名連続地帯である。また尾崎から沿岸部を更に南下すると小さな河川「大川」があり「大川峠」があり「大谷」がある。まさに大阪湾沿岸は「お」の国

参考までに大川・大谷の次に上例「おかだ」ならぬのない漁港「かだ(加太)」がある。また、隣県和歌山(わかやま)は元は「かやま」であったとされる(地名ルーツ辞典)

上、山人の共通生活領域、 助詞「×ケ×」、北方(南からの侵入者にとっては(北が上)

神、粕、柿、糧、黴、傘、噛む、勝、狩、仮、借り、駆り、刈り、殻,潟、漢、韓、加羅、唐、伽耶(かや)

香、か?(例えば「神、仏」)、か(細い)、

木、植物全般、重要な集落(×木:木材調達可能な村か?)

岸、北、葱、敵、先、崎、茎、ねき(傍)、際

統合されたもの

刳る(り)、繰る(り)、組(くみ)、栗、国、糞、茎、隈、雲

@毛、気(気配など)A?B?

けつ(尻)、こけ(苔)、刷毛、髭、けもの(毛の生えたもの)

@A?密接したもの、含まれたもの、子、小さいもの、9

此処、擦る、凝る、其処、此処、米(こめ)、腰、混む、高麗(こま)、狛(こま)、此の、孫(ま+こ)

@いささか、狭、A乾いた B下る

差す、先、崎、里、下げ、さ(せてもらうの「さ」)

何らかの単一機能を果たす物・人、「ね」の人、「師」「士」「氏(し)」、「ね」の構成員

尻、足、葦、腰、串、星、島、石、飯(めし)、城、代、白

巣、活動の休止した状態・領域

住む、棲む、澄む、隅、炭、楠、糟、脛(すね)、水(「わ」「ね」「い」どの人々であれ「水」のあるほとりでなければ住めないので「3種族の巣」の意味か。あるいは「尊いものの巣」=「美・御巣」か)

競る、瀬戸、勢子、関、咳

背から離反した物・者、背いたもの

其処、其れ、反る、傍(そば)、空、他所(よそ)、袖、そつ(「卒がない」の)、粗末、粗々、楚々、糞、外、染(そ)む、磯,其の、沿う、蝦夷(えぞ)

植物が成長する場所、田

立、縦、滝、竹、丈、畑、北、性質(たち)、高(たか=田の上)、谷(注6

血、背景となる基本的性質、基盤、千(ち)

土地、土、位置、意地、谷地、道、筋、恥

塵(ちり:地から離れたもの)、性質の意味の「たち」(田+地)

漢字「地」流入後意味が拡大、混合?---->土地、下地、地合

津、舟が停泊する場所・村、海人の共通生活圏領域、助詞「×ツ×」

次、着く、尽き、付く、就く(突く、衝くは別語源)

木津、大津などの「つ」の他 高月・高槻、三次(みつぎ)、厚木などの地名に含まれる「つき」の「つ」は「津」の意味。摂津の「つ」も。「背津」の意か。

枕詞表記「つきねふ」「山城」は「津//=湊がある/立派な/村」の「海(ふ)」の「山城」と思う。

「キネ」は第一因子負荷量が高く縄文色が強い。ZIPに「津木根」はないが、岐阜県「木根」、茨城県「駒木根」がある。東日本に偏在して多量に存在する「関根」も「きね」で終わる地名である。他に「あきね」「しきね」などがある。(注1参照)

また「つきね」の前綴り「つき」については、「上津木」「下津木」「東津木」「西津木」のほか「宇津木」など多くの「つき」包含ZIPがある

前後入れ替えた枕詞「あきつしま」も無関係ではないかもしれない。

「山城」は背後の山側の部分(糊しろ、飲みなどの余裕部、予備部の意味(注2)、英語で言えばマージン)。当時木津(きづ)川終端付近平地部は海(?)水がたたえられ、京都側山城から見た対岸に岬(枚方・八幡市など)が見える海に近い景観であったのだろう(注3)。

手、手で指し示す方向

果て、素手、袖、伝手、派手、敵、手間、寺、縦

@入り口、戸(住居)、門、10 A土(トィ)

音、里、外、基、元、下(もと)、目途、人、反吐、ほと、的(まと)、苫(とま)、井戸、跡、床、所、何処(どこ)A鳥

@音を発すること、名、名高い場所・村、7 A川(nay)B助詞「の」の変化したもの、not

砂、鼻、花、雛、波、否(いな)、無い、泣く、鳴る、名(な)

A湿地帯 (しばしば「にっ」も同意味)、土

埴、国、谷(注6)、庭、丹生、西、煮る、韮

「に」「の」の変化音

ヌタ、沼(注5)、塗る、の(助詞)、×のもの

植物の土に隠された硬い重要な部分=根、「ね」人の村、ベース、基盤

屋根、脛、骨、胸、棟、捏(こ)ね、練る、峰、米(よね)、稲、羽、船、金、値、寝る、寝間、猫(「ね」の人の村の「付属物」=「子」)。序に「ねずみ」は「根/住み」か?

@?A山裾の比較的なだらかな場所、野(沖積平野や盆地中央部を除く)、里の人々の共通生活圏領域、助詞「の」「〜のもの」

Aそ(園)、×の×、其の、此の

端、葉、歯、派

端(はし)、橋、箸、嘴、畑、果て、埴、箱、浜、張る、墓、花、食(は)み、恥、原、派手、跳ね、羽、場(ば)、幅

日(ひ)、日を重ねて変化したもの、干潟、1

昼、姫、平(ひら)、人、暇、菱、鄙、簸(ひ)る、ひね(ひねる・くれの)、昼、引(退・低)く、カビ、錆び、髭、久(ひさ)、ひまご、ひかり

海、2

船、深(ふか)、節、福、蓋、降る、振る、風呂、福

富士(太平洋側の航海士から見ると目印になる物=「海」の「し」、本文では「藤」説を記述)

はぶ(土生・波浮=端の海)、ふけ(深日・福家=海の気配のするとこ)

@先頭方向 A川

縁(へり)、壁(かべ)、臍、反吐、下手(へた:先の方の、手の行き届かない田)、野菜などのヘタ、〜へ

帆、穂、聳える物・者

日本、ほと、堀、星、掘り、彫り、細(ほそ:太い穂に背く)、干す、骨、頬、褒め

 

 

 

人達の活動がみられない領域、スペース、間

山、的、駒(地名の)、隈、島、沼、浜隈、駒、妻、暇、独楽、今、天(あま)、手間、暇、毬、孫(間+子)

@身、実、本体、3、美しく尊いもの A/B

海、神、波、幹、右(右は「身木」左は「日垂り」と解釈)、道(御・美+地)

胸、本体の中ほどにある骨組みで形成される部分、6

むね(胸、棟、旨)、虫、向く

眼、芽、目、発展の核となる中心部

米、飯(めし)、雨、溜め、爪、豆、嫁、メス(雌)

均一な一定の広がり、面、喪、藻

百(もも)、友、芋(いも)、下(しも)、四方(よも)、元・基・本・素(もと)、蜘蛛、雲

目標、上陸(接近)目標対象・場所、矢、八方向、多数方向、8

槍、遣る、屋根、山、焼く、親、伽耶(地名)

湯、温かい水

粥、白湯、汁(つゆ)、

周囲(左右前後でとらえた個々の方向)、夜、世、4

寄る、撚る、依る、避く、他所(よそ)、嫁、良い、米(よね)

人や物の複数を表す末尾語

韮、倉、空、法螺、平(ひら)、荒・新・粗(あら)、寺、空、殻、唐・漢・韓(すべてからと読む=すべて「北方の人々」--->「遠くの人々」--->「外国人」)

分離・破綻部、動詞連用形活用語尾

栗、尻、鳥、針、森、毬、掘・振・張などの活用語尾、塵(千もの分離したもの)

本体の縁の纏まった終端部分、動詞終止形活用語尾

唇(くちひる)の「ひる」の部分、春、蛭、蒜、丸、昼、夜(よる)、汁、知・掘・降・張など動詞語尾

 

複数構造部分からなるもの。一揃い、炉、艪、

室、風呂、城、代、広、諸々の「もろ」、白(色のつかない空白・予備部一式の色)、色(居るもの一揃い)、黒

B我々、私、わし、輪、「わ」の共同体、和・倭

沢、川、岩、庭、粟、泡、際、永久(とわ)、阿波・安房・諏訪(地名)、割る、枠、分け

?「ね」語に於いては「お」「を」は区別なし?

 

B北日本に偏在した冗長な訛の音

ぼ、ニッポ

意味、家族語ともに、本文で指摘した以外のものも追加している。@は「ね」Aは「い」Bは「わ」起源と思うもの 

但し数字なしは「ね」

2009/10/11追加:思いついた単語を順次追加予定。 

 

1google maphttp://maps.google.co.jp/)の検索欄に「木根」を入れて検索すると日本の「木根」以外、中華人民共和国に広西チワン族自治区梧州蒼梧県木根、重慶市武隆県木根郷、広東省肇慶市懐集県木根、広西チワン族自治区玉林市博白県木根、広東省雲浮市郁南県木根、広西チワン族自治区懐集市藤県木根があることが偶然わかった。すべて南部の狭い範囲に偏在している。発音は全く異なると思うが興味深い。(2010/2/10

 

2 「のりしろ」、「のみしろ」の「しろ」に関連して、「うしろ(後ろ)」の「しろ」も同様の意味を含んでいると思う。「う」は語頭fがサイレント化した「ふ」すなわち「海」の意味と解釈した。すなわち「海」+「しろ」で「海の余裕部・予備部」。すなわち海洋民側、または里にすむ人々から見た山地部分の形容句であったものが一般化したのだろう。また「城」も意味の上から家族語と思う2010/2/19追加)

 

3国土交通省土地調査課のHP内近畿地方内のリンクを辿ると京都府や大阪府、奈良県等の土地分類図が閲覧できる。地図中濃い緑で塗られた三角州性低地の部分を取り去ると、この景観が再現できるであろう。その他、此の地図を見ながら、本研究で取り上げた様々の地名の位置を確認する作業は、地名解釈の新しい視点を提供するであろう(2010/3/15追加)

 

4:南海高野線大和川鉄橋を挟んで遠里小野(の)という2個も「お」を含む難読地名がある。「お」が本文「パートDつづき『塩とは何か』」で触れた「尾」の意味、「り」を「分離部」とすると「おり」は「し」の人々の末尾部の人である「お」から分離した人の「おの(小野)」すなわち「小さくない野」の意味ではないか。「遠里小野」は「浅香山」という海進時にも終始水上にあったと思われる標高10m超の小高い場所に接している(2010/6/16追加)

 

5:「沼」「池」は極めて明瞭に対照的に東西日本偏在傾向を示し、「沼」地名は東日本、「池」地名は西日本に偏在する。従って前者は中期縄文以前、後者は中期縄文以後の地名であろう。「沼」は「泥水の多い濁った水域」、池は「泥水ではない澄んだ水がたたえられた水域」と筆者は素朴に定義している。しかし、しばしば、「池」どころか「湖」と言ってもよいような「×沼」が存在しているので悩んでいる。

この両単語の異なる時代背景を考慮すれば、より本質的な意味の区別に近づけるのではないか。

すなわち中期縄文時代は今から4-5000年前。すなわち縄文海進のピーク(6000年前)を過ぎて1000年ほど経過した時点から始まる。中期縄文時代以前では内陸部の川筋周辺の水溜り部は、降雨量が増え続けたと考えられるので、がけ崩れや自然ダムの決壊によって一時的に水上に地面が顕れることはあっても長期(降雨量増加期)にわたって湿地帯であり続けただろう。このような場所が「沼」である。すなわち「境界の不明瞭な水がなくなることのない場所」すなわち、「『ぬ』+『ま(間)』」である。近辺に居住場所を確保しようとすれば土を積み上げるしかない。降雨量が減少モードに転じるまで、報われることが少ない、しかし中止することができない作業であったろう。海進ピークを過ぎてもこの作業は続いたであろう。「堤」を包含する地名は東日本に偏っている。東日本に大規模水田が偏在する理由のひとつであろう。

一方「池」が使用され始めたのは降雨量が減少に転じ始めて3000年も経過して以後である。このころになると湿地は更に海岸部に移動して、比較的高地のなだらかな部分、すなわち「野」に住む人であれば、逆に水不足に悩み始める。不明瞭な水域境界は自然に明確になりはじめ、周辺の低い部分から、更に低地の海岸部に向って水が漏れ始める。今度は逆に水を確保し農業用水を確保するため、湿地部人工的操作が必要となる。このような水溜り(あるいは水溜め)が「いけ」であったろう。わざわざ「ため池」という必要はない。水田耕作が西日本から始まったとういう通説に反して、大規模水田が少なく、「さだ」地名=「狭い田」が西日本に偏在する理由であろう。

上記縄文地名辞書に従うと「い」は「い」の人たちであり、「け」は「毛」や「気配」の意味である。「池」とは「『い』の『毛』」である。水域の境界線の明瞭な「飲料」や「農業」のために使用しうる量と質をたたえた水瓶である。「いね」「いも」「いのしし」「いぬ」「いい」などと共に「生かす」、「活かす」、「生きる」、「息」も無関係な語ではないかもしれない(2010/6/26追加)

 

6西日本偏在が明確な「×谷」の「たに」は植物の育つ場所、すなわち「た(田)」+「に」すなわち湿地帯を表す「にっ」または「に」であり、元は峡谷を示す言葉ではなかったのではないか。我々は「田」と聞くと、沖積平野や大きな盆地の「田」を第一に思い浮かべるが、本文で指摘した西日本で多い「狭い田」すなわち「さだ」はしばしば山間を流れる川の川幅が広くなったところに見られる。元は湿地帯であったのだろうが、今では小規模な水田の記号が記されている。鋭い崖に挟まれた清流の流れる人の住まない場所ではなく、小規模な農作物を生産する場所があり、小規模集落が並ぶ場所が「谷」の意味するところであったのではないか。

本文で、「谷」を含む地名が福井県以西に多いことを指摘した。またZIP地名ではないが、福井県や東に接する富山、岐阜県に「谷」と書いて「たん」「だん」と読む地名の存在を指摘した。福井県の西に位置する「たんば(丹波)」「たんご」の「たん」は「田」または「谷」の意味ではないか。(2010/7/15

 

最終更新2010/07/23

 

日本の「こうくり」「しらぎ」「くだら」「やまたい」そして「やまと」類似地名

最後に海外との関連から日本地名を一瞥しておきたい。

日本国内の地名には同じ地名や良く似た地名があることがわかった。むしろ固有名詞とはいえ、複数の同一地名が存在する事のほうが普通である。

そこで最後に、日本列島の外にも目を向け、朝鮮半島3国時代の「高句麗」「新羅」「百済」という地名が現在日本に存在するかを調べてみた。

また邪馬台国論争は尽きそうもないが、「やまたい」という我々の感覚からすると珍しい地名が現代郵便番号地名リストに載っているかどうかを調べてみた。「『邪馬台』は『やまと』と読む」という見解は「やまと」が奈良県のみならず全国に存在するので、我々一般人には最も受け入れやすい説のように思われる。「やまたい」地名とともに「やまと」地名の分布状況も確認しておきたい。


「高句麗」は「コグリョ」、「新羅」は「シルラ」、「百済」は「ペクチェ」と発音される(世界の鉄道http://tetsudou.imajinsha.co.jp/index.html内「民族情報」リンク)。一方、日本語では「こうくり」「しらぎ」「くだら」と読んでいる。このうち、「くだら」は全く発音が異なるので倭人独自の呼び方の可能性が高い。

日本語では過度に母音が挿入され、一方小さい「ョ」は聞き落とされる可能性があるので「こうくり」と発音されるようになったと考えるなら「こくり」と聞こえることもあったのではないか。

「シルラ」と「しらぎ」の語頭音「し」は共通であり、また「新羅」の前身は「辰韓(しんかん)」で、同様に「し」である。また日・韓とも「ら(ラ)」が含まれ、日本語では「ル」が脱落して、日本地名で多用される「き」(しばしば「×木」)が最後に付加された発音になっている。

そこで「こくり」「しらき」「くたら」、加えて中国文献に記載される「やまたい」ないしは「やまと」文字列包含地名を日本国郵便番号地名の中からリストアップした。

 

下のリンクはそれらの該当地名リストである。またリストには韓国に在ったと想定され、確実に日本語風読みと思われる「みまな(任那)」と「みま」包含地名のリストも含まれる。

 

koukuri.lzh(68Kb)日本の「こうくり」「しらぎ」「くだら」「やまたい」そして「やまと」類似地名

 

「こくり」包含地名の多くは「小栗」であり、少ないが「国領(こくりょう:韓国語の発音に近い?)」の漢字で表記される地名を含んでいる。また東京、神奈川の「愛宕グリーン(あたごグリーン)ヒル」ズZIPは各階に割り振られたビル地名で、考察の対象から除外すべきである。

「小栗」と書いて「おぐり」と読む地名は「こくり」よりも多いかもしれないが、「お」と「こ」は区別されるべきと既に考えたので、これはリストに含まれてない。「こくり」地名には「山」が付加された「小栗山」という地名が目立つ。

 

「しらき」包含地名は「白木」と表記される場合が殆どで、東日本で3箇所のみ「白菊(しらきく)」という地名が存在する。都道府県別リストを見ただけで西日本偏在が窺われる。

ZIP地名では、「くたら」は奈良盆地中央部あたりの「北葛城郡広陵町百済」1件のみである。ただし国土地理院地図閲覧サービスで「百済」を検索すると大阪府に「JR百済駅」「百済川」「百済寺跡」があり、広陵町百済を含めて、いずれも中期縄文時代には水面下またはそれに近いと思われるところである。

熊本県八代市には百済木川が山中で球磨川に合流する川として存在する。また「百済」と書き「ひゃくさい」と読む地名も滋賀県に認められる。山口県では「くたなべ」、静岡県では「五百済」と書いて「いおずみ」と読む地名がある。

静岡県「五百済」を除いて「百済」はすべて西日本である。

 

なお日本では「くだら」地名は極めて少ないが、「くた」(983件)ないしは「たら」包含地名は極めて多く、前者では「いくた・とくだ・おくだ・つくだ・ふくだ」等々、いくらでも思いつくであろう。また対馬には厳原町久田、岡山県には久田上原、久田下原があり「クダ」という単語が嘗て単独で存在したことを示唆する。

また後綴り「たら」地名は341件あり、三重県の度会(わたらい)、佐賀県太良町、長崎県多良見、熊本県久多良木(きゅうたらき)、多良木、沖縄県多良間などが該当する。東・西日本に区切ってカウントすると(東京、神奈川のビル地名、しんじゅくだいいち、パークタワー、オークタワー、マークタワーを排除の要)いずれの文字列包含地名も西日本の出現率が高いが、明確に偏在しているとはいえない。

「くた」、「たら」包含地名リストはここ(kuta.lzh

「くだら」は「く=まとまった・統合された」+「た=田」+「ら=複数を示す等」の意味、すなわち「統合された田が沢山ある場所」と思う。

枕詞風に解釈すれば、小さな個人所有の沢山の田の統合を済ませた田が沢山あるところの、すなわち「面倒な手続きを回もませた=百済(ひゃくさい)」の「くだら」ではないか。

なお沖縄、南九州に中心部を持ち西日本に偏在する「()」の語源は東日本偏在の「ね」が訛って生じたのではないかと述べたが、「だら」ならぬ「だら」包含ZIP地名は、岐阜県長良川上流に「向小駄良(むかいこだら)」がある。2語にまたがる「こ・たら」と解釈するのが適当かもしれないが、京都市伏見区に「醍醐陀羅谷(だいご・だらたに)」がある。

「く田(くた)」こそ、今でいう稲を作る水田を意味する「田」の事ではないか。10/01/13追記

 

「任那(みまな)」を連想させる「みま」包含地名は、該当地名リストを見ると、多数の「××南町(みなみ・まち)」や「××上町(かみ・まち)」の別単語にまたがる(あるいは「と思われる」)「×み・ま×」地名に埋もれてしまっている。しかしこれ等を除くと、岡山県美作(みまさか)町、徳島県美馬(みま)郡、愛媛県北宇和郡三間(みま)町の広域欄記載地名があり、高知県高岡郡葉山村三間川(みまのかわ)があり、奈良市水間(みま)町がある。西日本に偏在するといってもよいのではないか。

語末に「な」のつく日本地名は多く、これまで「高名な村」あるいは、アイヌ語地名「×ナイ」の末尾子音「y」の脱落した音と解釈した、

また、「三」が語頭につく地名は日本では異常に多いことを既に指摘し、「み」は「わ」「い」「ね」3種類の人々のことではないかとした。そして後にはこれ等3種族の協力の成果によって「み」が「尊い」を意味する接頭語を派生したのではないかと述べた。

「任(にん)」は「任す」の意味であり、「那(な)」は上記「村」を表す「な」を音で当てた漢字表記とすると、枕詞風に解釈すれば「にんな(任那)」の「みまな」とは

<「任された村」の「三間名」>、すなわち<「委任された村」である「3種族の領域(=ま)からなる名高い村」>というような意味ではないか。 あるいは「みまな」が「三」の意味が忘れられ「御」や「美」の意味で使われるようになった時代に成立した地名だとすると「美間名」の意味と解釈されるかもしれない。日本地名「美馬」も「美作」も「美」が使われている。(2010/2/27更新)

 

 

下に「こくり」「しらき」包含ZIP地名の都道府県分布と中期縄文遺跡分布、緯度・経度の順位相関値を示す。

 

「こくり」「しらき」都道府県別ZIP出現数と都道府県別中期縄文遺跡分布および緯度・経度との順位相関値(n=47

 

遺跡分布密度

遺跡数

緯度

経度

「こくり」

 

0.1190

n.s

0.2189

n.s

0.3014

0.0395

0.2387

n.s

「しらき」

 

0.2645

0.0723

0.2589

0.0789

0.3776

(0.0089)

0.3545

(0.0144)

()は無相関確率p n.sはp>0.1で有意水準に達しない

「こくり」「しらき」都道府県別ZIP出現率と都道府県別中期縄文遺跡分布および緯度・経度との順位相関値(n=47)

 

遺跡分布密度

遺跡数

緯度

経度

「こくり」%

 

0.1022

n.s

0.1967

n.s

0.2833

(0.0536)

0.2217

n.s

「しらき」%

 

.3110

(0.0333)

0.3004

(0.0402)

0.4168

(0.0035)

0.3958

(0.0058)

()は無相関確率p n.sはp>0.1

 

上の表をみると「こくり」は、どの指標においても東(北)日本偏在を示す正相関が、一方「しらき」は西日本偏在を意味する負相関が示される。特に「しらき」の偏在は明確である。「こくり」は緯度との相関値で最も高く、東日本というよりも北日本に偏在するという方が実態に近い。

これらの地名分布が朝鮮半島3国地名の位置関係と平行していることは極めて興味深い。日本でも「こくり」は北、「しらぎ」「くだら」(その他「くだら」と読まない「百済」地名を含めても)は日本列島南半分に偏在する。

 

「邪馬台国」を連想させる「やまたい」包含ZIP地名は85件あるが、多くは「城山台」「桃山台」など「台」が末尾につく地名で、「台」の前につく「城山」「桃山」などの部分については、必ずしも宅地開発業者が勝手につけた名前とは思わないが、多くの高台に造成された新興住宅地の「××台」を見るにつけ、「邪馬台国」の「やまたい」とは無縁の地名と感じる。これらの「×山台」を除くと10件が残るに過ぎない。このうち大阪府枚方市山田×地名は明確に「山田/市場」のように区切って解釈される地名であるので、除くと、残りは以下5件のみである。

 

0392633  カミキタ*トウホク   ワヤマタイラ         青森県    上北郡東北町    和山平

9694152  ヤマ*ヤマト      ウエノヤマタイラ       福島県    耶麻郡山都町    上ノ山平

4120029  コテンハ        コウヤマタイラ        静岡県    御殿場市        神山平

5960102  キシワタ        ヤマタイナカ         大阪府    岸和田市        山直中町

7990112  カワノエ        キンセイチヨウヤマタイ    愛媛県    川之江市        金生町山田井

 

いずれも平地に接する高台にあり、どれも規模の小さな集落である。

 

また福島県の「うえのやまだいら」は「耶麻郡山都町」に含まれていて「大和の邪馬台国」という連想を掻き立てる。他の耶麻郡周辺地名が「怪しい地名研究」では縄文地名としてしばしば登場している。

 

「やまと」地名は北海道から鹿児島県まで、全国的に出現する(550ZIP)。但し最も緯度の高い北海道では多数の「やまと」地名が存在する一方、最も南の沖縄県では出現がない。なお東日本で6/24(都道県中、25)、西日本では8/23(府県中、35)で出現がなく、東日本で出現率が高い。

「大和」がビッグネームのため、明治以降の移住や町村合併などにより新設された場合もかなりあるかもしれないが(例えば東大和市)、これらに考慮を払わず都道府県別「やまと」分布と緯度や経度などとの相関を計算したところ以下のようであった。

 

「やまと」都道府県別ZIP出現数・率と都道府県別中期縄文遺跡分布および緯度・経度との順位相関値(n=47)

 

遺跡分布密度

遺跡数

緯度

経度

「やまと」

 

0.2545

n.s

0.2412

n.s

0.0674

(n.s)

0.1450

n.s

「やまと」%

0.1799

(n.s)

0.1491

(n.s)

0.0161

(n.s)

0.0539

(n.s)

()は無相関確率p n.sはp>0.1

 

奈良市の「なら」が西日本を代表する地名のように受け止められながらも、分県別「なら」地名分布が東日本に偏るのと同じような傾向を指摘しうる。すなわち奈良県には「大和高田市」「大和郡山市」という広域地名が存在し、「やまと」文字列包含ZIP出現率はトップであるとはいえ、広く全国的に認められる。それどころか有意な相関値ではないが、遺跡分布や緯度・経度とほぼ全て「正」相関を示し、むしろ東日本に優勢である。これらの事実は「なら」「やまと」地名を遺した勢力が北から日本列島を南下した勢力によるものである事を示唆するように思われる。

 

ともあれ、「やまたい」と呼ばれる地名は確かに現在日本に少数存在するかもしれないが、集落規模も小さく、「魏志倭人伝」の「邪馬台国」とは思えない。奈良県の「やまと」かどうかはわからないが「邪馬台国」は「や・ま・と・の・く・に」であろう。

 

「おわり(2009/8/24)」

 

謝辞

長い間忍耐強く飽きずに読んでいただきました皆様方ありがとうございました。

今読み返すとき、誤字脱字のみならず、筆者の知識不足、幼稚な思いつきや誤解もとづく記述など沢山書き直すべき点があり恥ずかしく、反省しております。特に最初の頃、中ほど、後半は記述形式も異なっており、統一がとれていません。HP上の追加訂正はひとまず措き、今後は「パート@」から順に、新しい気分で書き直し、より良いものに近づけたいと思っています。

2010/07/26

 

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