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怪しい地名研究パートE

各パートの「まとめ」

著者:「1

 

 これまでの方法論についての要約

以上で、因子分析に用いられた、47都道府県の緯度・経度、および中期縄文遺跡分布状況を表す指標と、出現率において明確に相関する(±0.4以上)「ネ」「テ」「サワ」「ヌマ」などの1-2文字列包含地名の多くを紹介し、考察を加えた。

該当地名の出現数と出現率の測定は10年ほど前(当時はこのような調査の展開を予測していなかったので正確な日時は不明)の郵政省HPからダウンロードした郵便番号表に拠った。

そこには、約12万件の郵便番号(ZIP)に対応する都道府県欄、市や郡などを表す広域地名欄、さらに町や村などを表す詳細地名欄に具体的な地名が示されていた。そして、漢字で表記されたものと、カタカナで表記されたものが併記されていた。

該当地名のカウントは、このうちカタカナ表記の広域地名欄と詳細地名欄の中に記述されているカタカナ文字列の中に、例えば調べたい「サワ」や「ヌマ」や「テ」地名が含まれるか否かによってがカウントされた。

広域地名欄に該当地名文字列が含まれる場合は、下位に複数の詳細地名欄記述の異なるZIPを含むので複数の該当地名がカウントされることになる。例えば「サワ」地名の場合「イワミサワシ(岩見沢市)」は下位に115の異なる詳細地名欄を含むので、繰り返し、115回カウントされる。

なお使用したZIPカタカナ表記部のテキストに濁音や半濁音を含む場合は全て清音に直し、「市、村、町、郡、区」に対応する「シ、マチ」などは「*」に置き換え、編集しなおしたものを使用した。小さい「ッ」や「ョ」は元々すべて「ツ」や「ヨ」で表されており、無区別のテキストであった。

これらの該当地名が47都道府県別にカウントされた。また該当地名出現は各都道府県のZIP総数で除して算出した。

 

都道府県別の地名の偏在状況は主として、各変量(測定値)の順位の一致度を示す順位相関係数を算出することによって示した。たとえば「サワ」と「ヌマ」地名の出現数の相関を計算する場合では「サワ」地名と「ヌマ」地名の出現数の多い順に都道府県に順位が与えられ、順位の一致度で-1.00+1.00までの相関値が与えられる。数値の順序性のみを利用した相関係数である。

 

また場合によっては、47都道府県を一定の基準で分割して観察対象地名の偏在のない場合の理論的な出現数と実際の出現数の差異から偏在を検討することもあった

例えば愛知・岐阜・福井県までを東日本、西を西日本に分割した場合。東日本の総ZIP数は68718件、西日本は49673件なので、全ての「サワ」包含ZIP数地名4539件は、理論的には6871849673の比率に比例配分されるはずであるが、実際は東日本に9割を越す4275件もの「サワ」地名が出現し、西日本は264件のみである。このような理論値と実測値の乖離はカイ自乗値と呼ばれている。特定のカイ自乗値が偶然に生じる確率分布はカイ自乗分布として知られており、この分布に基づいて行われる推計学的検定をカイ自乗検定という。「サワ」地名の場合のようなカイ自乗値が偶然に生じる確率はほぼ0である。

 

パート@の要約

北海道の多くの「ない」や「べつ」の付く地名が「川」を表すアイヌ語起源の地名であることは、ほぼ確定的である。また隣接する東北地方北部の「ない」地名もアイヌ語起源であろうとされている。

パート@では47都道府県それぞれの「ナイ」「ヘツ」文字列を含むZIP地名がカウントされた。その結果「ナイ」を含む地名の各県総ZIP数に対する出現率は、北海道、青森県、秋田県、岩手県と続き、その他の都道府県の大多数は1%以下であるのに対して、格段に高い5.42.7%であった。

ただし秋田県-岩手県以南でも1%を越す幾つかの府県が認められた。特に大分県は北海道に次ぐ4.7%の高い値が示された。京都府、山口県は2.6%と1.7%であった。

また「ヘツ」を含む地名は北海道で16.6%の高い出現率を示すものの、他は、東北全県を含めて、唯一、「ナイ」地名の場合と同じく、大分県を除き、どの都道府県も1%以下の出現率しか示さなかった。大分県の出現率は6.8%もあった。またしても、北海道から遠く離れた大分県が注目に値する出現率を示した事は驚きであった。

「ヘツ」包含地名が「ナイ」地名のように東北地方での偏在を示さないのは、アイヌ語「pet」の末尾子音「t」音が聞き落とされたためではないかと考え、「へ」一字のみを含む地名を都道府県別にカウントした。その結果「ヘ」包含地名の分布は下のリンクで表示される図で示されるように、極めて「ナイ」地名分布と似た分布図状況を示すことがわかった。左が「へ」包含地名、右が「ナイ」包含地名である。

「ナイ」および「ヘ」包含地名の都道府県別分布

本州の「ナイ」包含地名の具体的地名は「やない」が多く、また「さんない」や「さない」等も多いので、「やない」は、アイヌ語の「やんけ」が「上がる」の意味であることや、日本語単語「矢」や「屋」「山」などの「や」を含む単語の、意味の共通点からの類推から「上がる川」。「さんない」は列島北部にあることが多く、アイヌ語の「さんけ」は「下がる」の意味であることから「下がる川」ではないかと解釈した。

 

パートAの要約

カタカナ表示のZIP地名に含まれる特定文字列を都道府県別にカウントすることによって、日本全国の地名の地理的偏在を客観的に示す方法が拓けたと考え、パートAでは、47都道府県の位置を示す緯度・経度値等と出現率が相関する文字列(カタカナ表記の1-2文字列の範囲で)にはどのようなものであるかを検討した。なお都道府県の緯度・経度は各都道府県の中央官庁のある場所とした。

具体的には、50音の全ての可能な1-2文字列について各都道府県別に出現数がカウントされ、各都道府県の総ZIP数で除した出現率に変換した後、緯度、経度などとの相関値が計算された。

多数の緯度・経度と「正」相関する地名文字列が検出された。

緯度とは「サワ」「ヌマ」「カヌ」「カネ」「テ」「テヤ」「ヌ」「ツミ」「オマ」「ワ」、経度においても相関値の高い文字列は緯度の場合と重複する文字列が多く、「サワ」「ヌマ」「カヌ」「テ」「ヌ」「ワ」「テヤ」「カネ」「ンテ」「ナサ」「ニツ」「ソヤ」「オヌ」「エモ」「トサ」「テン」「オマ」などを筆頭に(これらは0.830.54であり、このような値が偶然に生じる確率は1万回に1回程度にしか生じない値である)、各80個以上の0.4を越す相関(p<0.0053)文字列が検出された。大多数は「正」方向の相関で、これらの具体的地名は東日本に偏る地名であった。

一方、西日本に偏る地名(即ち負相関)では−0.5を越す相関値を示す文字列は「イケ」のみであり、−0.4以上の相関値を示す文字列は「タニ」「リエ」「タケ」「ウツ」「クマ」「ウノ」「ウ」「エミ」「ンチ」のみであった。

上記東日本偏在の文字列を含む具体的地名は「沢」を含む地名、「沼」を含む地名、「岩手」「山手」など「手」を含む地名、「堤(つつみ)」を含む地名、「カネ」を「金」や「兼」で表記する地名、「大間」や「大曲」などの地名、「根」を含む地名、「輪」や「和」で「ワ」が表記される地名である。

「沢」地名も「ワ」が含まれており「ワ」包含地名にカウントされる。同じように、多くは「川」や「河」で表記される「カワ」地名も0.4以上の相関値のリストに入らないが、緯度や経度と、それぞれ0.290.37の確実な相関値を示す。「川」の付く地名も、気づく人は少ないだろうが、東日本に偏在している。「川向(かわむかい)」「沢向」の「ワム」地名も0.4以上の相関値を示す。

「ヌ」一字も「×沼」地名が「ヌ」を含むことが貢献して東日本偏在地名リスト上位にランクされる地名となっている。また「オヌ」は「大沼」「魚沼」「大貫(おおぬき)」などであり、この場合も「沼」を含む地名が目立つ。

 

「ンテ」は「しんでん」と読む「×新田」地名である。「ニツ」は漢字で同じく「新田」と書いて「にっ」と読む地名や「日光」「仁手(にって)」「日平(にっぺい)」「新川(にっかわ)」などがある。

また「テン」は同じく「しんでん」と読む「新田」地名が東日本に偏在するためである。他に「テン」該当地名は「弁天」と表記される地名が東日本沿岸部にやや多い。

「ソヤ」は「細谷(ほそや)」である。同じ「細谷」でも西日本では「ほそたに」と読む場合が多い。

また高知県の旧国名は「トサ」であり「土佐××」という地名は広域地名欄に記述されることが多いため、高知県の出現率がトップではあるが、全国の「トサ」包含地名を見ると「戸沢」「戸崎」など東日本で多く、全国で見れば「トサ」包含ZIP出現率順位はむしろ東日本の都道府県で高い。

また「ワ」とともに「ネ」も緯度と0.52、経度とでは0.49の高い相関値を示した。「ネ」は「金」を含む地名以外、「根」という漢字で表されることが極めて多い地名である。「ワ」包含地名のうち「輪」を含む地名と「根」を含む地名の都道府県分布の比較が行われた。ともに関東・北陸の中緯度地方に多いが、互いに隣県同士で分布を分かち合っている傾向が指摘された。

 

その他「蛇」や「蛭」という字で表記される「ヘヒ」「ヒル」地名なども東日本偏在を示す地名文字列であることが示された。

なおパート@で検討された「ナイ」「ヘツ」「ヘ」文字列地名出現率は、北海道と東北3県で圧倒的に出現数が多いにも拘らず、西日本でも結構「柳井」「院内」「別所」など「ナイ」「ヘツ」地名が多い府県が有り、出現率順位で見た順位相関係数では、「正」相関値を示すが、意味のあると断定できる範囲の相関値リストには入っていない。

 

パートBの要約

パートAでは、緯度や経度と相関を示す多数の文字列のうち、高い相関値を示す文字列を含む具体的地名の分布状況などが検討された。この作業の中で、これらの地名の多くが、緯度・経度と高い相関値を示すとはいえ、多くは、最も高緯度の北海道や東北で最も強い分布を示すというわけではなく、東日本地域に入ると急に出現率が増えるという分布状況であることがわかった。このような分布状況は東日本の縄文文化圏を想起させる。

そこで、パートBでは「大系日本の歴史、1日本人の誕生、佐原眞、1987、小学館」巻末付表の中期縄文遺跡(4-5000年前)分布表から読み取った都道府県別遺跡数および遺跡密度順位と相関する地名文字列をパートAと同じ方法で抽出した。なお遺跡密度で見た場合、遺跡分布は東京を中心とする関東平野を取り囲む県で最も値が大きく、遺跡数で見た場合、面積が大きい北海道や茨城県、長野県が大きい。

得られた遺跡分布と相関する地名文字列はパートAで得られた文字列群と良く似たものであった。

パートAと同じように0.4以上の相関値を示す文字列を含む具体的な地名の意味の解釈を行った。また語源にまで遡って順次考察を加えていった。

 

「ヌマ」地名は緯度や経度との相関値より高い値が示され、「サワ」地名と同等か、それ以上の中期縄文遺跡分布都道府県での偏在を示した。一方「イケ」を含む地名は、著しく、非縄文地域の西日本に偏在する。東日本には「水沼」や「蓮沼」という地名が存在し、これは「池」や「蓮池」に相応するものではないかと考えた。すなわち「池」と言う単語は中期縄文時代には殆ど使われていないか、存在しなかったのではないかと考えた。

 

「アス」包含地名出現率は緯度や経度などとより遺跡分布密度との相関で見たほうが大幅に相関値は上昇する。「アス」地名のうち最も強く遺跡分布や緯度などとの相関に寄与している地名は「東」とかいて「あずま」と読む地名が最も多かった。その他、様々の漢字で表記される「あすみ」「あすか」「あずき」などがある。「あずま」は「吾妻」と言う解釈が行われているが「あ/すま」と区切ると「あす」文字列が1単語として成り立たなくなってしまうので「あずま」=「あづま」説はこじつけではないかとした(ただし現在では「あ」も「す」も「ま」も1音節でそれぞれの意味を持っていると考えており、「あす」も「すま」も「あま」も2語が連結した1語としてありうると考えている。「あ//ま」と区切って理解しうる語であると考えている)

 

「トリ」包含地名の具体的地名の多くは「鳥」「取」「緑」の漢字表記で表される地名であった。これら三種類の漢字で表記されたZIP地名をそれぞれ区分して、それらの都道府県別出現率と遺跡分布との相関を追加計算したところ「鳥」を含む地名とは殆ど無相関であった。「取」「緑(みどり)」包含地名が中期縄文遺跡分布と相関していた。「取」で表される「とり」包含地名は漢字義どおり「取る」の意味と解釈した。「緑」の場合は「実取り」の意味ではないかとした。「緑」という色名も「実取り」が由来ではないかとも考えた。

 

遺跡分布と0.4以上の相関値(p<0.005)を示す文字列にコア・コス・コネ・コワ・コテがあり。0.3p<0.04)以上にまで範囲を広げればコサ・コタ・コテ・コマ・コヤも遺跡分布相関文字列の範囲に入ってくる。

おびただしい「こ」で始まる遺跡分布相関地名文字列がある。具体的該当地名の検討に加え、現在日本語で使われる「こする」「こたえる」「こねる」などの語の語頭の「こ」、アイヌ語の「kor=持つ」、親に引っ付いて生活する「子」の意味を重ねて考え、これらの「コ」は「密接した」、場合によっては「包含された」のような意味に解釈した。現在「小(こ)杉」「小(こ)山」などの「こ」は、しばしば「小」で表されるが、元来「子」で表す方が適当な意味ではなかったか、などと考察した。

 

緯度などとより、中期縄文遺跡分布との相関が高い文字列に「アオ」がある。具体的には「青木」「青田」「青沼」「青柳」の地名が挙げられる。また「粟生(あおう)」も「青」を使用しない「アオ」地名である。

「青森」という地名は江戸時代前期に「青い森」という意味で名づけらられたと言う説が有力ではあるが、青森県では「青森」以外に「青樹」「青女子(あおなご)」「青山」「青葉」など、他の「アオ」包含地名出現率が高い県であり、「青い森」説に疑念をもった。

 

「ソリ」も中期縄文遺跡分布との相関の方が高い文字列である。「反(そり)町」「加曾利」「剃金」「雪車(そり)町」「下折(そそり)」などの地名が「平地から反りあがった場所」の意味と地理院2.5万分の1地形図を照らし合わせることによって解釈した。「そ」は「背く」の「そ」である。「橇」は先が反っていることから派生した単語ではないかとした。更に「剃る」は橇の滑る様子からの派生語、「そそり立つ」「そそる」も「反り」の派生語とした。

「粗末」は「末席から離反したこと」、「粗粗」は「外れた、更に外れた事」なのでこれらの「そ」も「背く」の「そ」と同源と思っている。また「こ」が「密接」と解釈したので「そ/こ」は「離反した密接したところ」と言う意味になる。「そこ」「あそこ」も「そ」の家族語と思っている。また「ここ」「どこ」も「こ」を通じての家族語である。「ど」は「戸」「門」の意味(後述)と解釈していて「入り口に密接した場所」の意味と捉えている。

 

「ハシ」の多くは「橋」の漢字で表される地名であり、地名では極めて普通に存在する。夥しく存在する「橋」包含地名出現率は密度変数とは0.59、出現数とでは0.46の明確な遺跡分布との相関値を示す。

「端」「葉」「歯」の同音異義語があるが、同義の部分も指摘できる。即ち全て「末端」の意味を含む。「橋」「箸」はこれら一語に「し」が付加された語であるとし、「し」は重要な機能を果たす何らかの部分とした。橋も箸も陸地や身体の末端にあり対岸や食物との間を繫ぐ役割を果たす物である。対岸に歩いて渡るには橋を通る他なく、集落が形成されるのは自然の成り行きである。

 

「フシ」包含地名は「富士」「藤」で表される地名が多く、しかも、「富士」と「藤」地名出現率が相関するので「フシ」地名は「藤」の意味ではないかとした。

 

「ユク」地名は「新宿」「今宿」など「宿」を音読みした地名である。宿場制度が取り入れられたのは江戸時代であり、まして中期縄文時代には漢字もなく「宿(しゅく)」包含地名が何故中期縄文遺跡分布都道府県に偏るのか奇異に見えるかもしれない。これは、元は「やど」と呼ばれていた地名が、後世、ことごとく音読みに直されて呼ばれるようになったためではないかと考えた。縄文時代人口分布は東日本に偏り、早くから、道路網や宿が東日本に偏在したことは容易に想像できる。同じように、「××しんでん」と読む「××新田」地名の東日本偏在も、元は「にいだ」や「にった」と呼ばれていた場所の音読み化した地名によるものと言及した。

「やど」の語源については、「や」はアイヌ語の「上がる −下がる」を意味する「やん−さん」の「やん」の意味、「と」は「門」や「戸」の意味と考え「上がる入り口」とした。

 

パートCの要約

パートCではパートBとは反対に、中期縄文遺跡分布と負の相関関係を示す文字列地名を考察した。すなわち中期縄文遺跡分布の希薄な府県(西日本)に偏って出現する地名の意味解釈と関連する語彙の解釈などを行った。

 

「谷」と書いて「や」と読む地名と「たに」と読む地名の東西日本分布差はよく知られている。遺跡分布相関でも−0.6程度の、負相関の内では最も高い相関値が計算された。両地名の都道府県別出現率分布を比較した図を見ると「たに」分布は日本海側では西日本領域を少し超えた新潟県から始まり九州にまで連なる。また福井県で太平洋側に南下し、本州を縦断して香川県を除く四国に全県に強い分布域がある。一方「や」地名は東日本といっても、関東平野とその周辺都県に最も強い分布が見られる。

福井県勝山市、足羽郡、南条郡の詳細地名欄には、なんと約20%の「たに」を含む地名が記載されている。「たに」分布の中心部のように見える。

沖縄県では「北谷(ちゃたん)」「谷茶(たんちゃ)」「読谷(よみたん)」など「谷」を「たん」と読む地名が多い。これらを「たに」地名としてカウントすると、遠く離れた沖縄県も「たに」地名出現率の強い県であるといえる。

なお後に岐阜県、福井県、石川県の接するあたりでもZIP地名ではないが「谷」を「たん」と読む地名が少なからずあることに気づいた

 

「サレ」包含ZIP地名は7箇所に過ぎず、全て西日本である。「佐連」「佐礼」「小砂」など難読である。国語辞書を引くと、唯一音が該当するのは「暴れ頭(されこうべ)」「暴れ貝(されがい)」の「され」であり、この「され」の意味ではないかと考えた。

 

「リエ」包含の具体的地名は「入江」「堀江」「有家(ありえ)」などが多いが、これらを区別して遺跡分布との相関値を計算したところ、特に高い相関値を示すものはなく-0.05-0.27程度の負相関ではあるが、有意な相関と言えるほどのものはなく、それぞれの「リエ」包含地名が貢献して西日本の偏在を支えていることがわかった。

「入江」「堀江」も「江」を含むので、「江」を含み「え」と読む地名を選び出して、別途、遺跡分布との相関値を見たところ、遺跡密度と-0.38、遺跡数と-0.33という0.4には達しないが、明確に相関があるといえる程度の値が算出された。「リエ」包含地名の相関は本質的には「江」と表記される部分に負っているところが大きいと思われる。

「リエ」地名の西日本での偏在は中期縄文時代以後、人口希薄な西日本に沿岸部から侵入してきた人々によってもたらされた事によるものと単純に考えた。しかし東日本の各都道府県には海のない内陸県が多く、「江」が少ないのは当たり前なので、このことが中期縄文遺跡分布と相関を示す原因になっているのではないかとも指摘した。

 

「ソエ」は「山添」「川添」「野添」などが具体的な地名で「添」で表記される地名が大多数で、一部「沿」「副」で表す地名もある。漢字義どおり「山に添う」等と理解して差し支えないと思われる。また動詞が地名に使われたと理解される地名が、縄文地名では「大曲(曲り)」「緑(実取り)」「安住(吾住み)」等「i」で終わる活用形が多いのに対して、「添い」でなく「添え」=「e」で終わるのが注目された。

 

「フリ」は「振」で表されることが極めて多い。「飯降(いぶり)」「以布理(いぶり)」「一雨(いちふり)」など難読地名も散見される。大きなものが降ると、震え、振動する点、「フリ」地名が山の中腹から裾野にかけてのやや開けたところに多いところから、山人が縄文時代以後、天下り、力を振るった場所ではないかと夢想した。天下りに似た事件は西日本各地にあったのではないか。「降る」「振る」「震う」も同源ではないかと指摘した。

 

「ヒス」の西日本偏在は「恵比寿」「夷」「戎」「蛭子」など多様な漢字で表される「えびす」地名の西日本偏在による。

内陸部に位置する京都市に著しく多く、近畿地方のみならず四国、中国地方の沿岸部に多い。舟に乗ってくる異邦人のイメージが強いことから、京の都が成立した以後出現した言葉と考え、風貌が明らかに異なる異邦人を指す流行言葉ではなかったかと推理した。語源については「漬ず」というのを見つけた。「水に浸(ひた)す」とあり、水に浸すと物は水圧で変形するので風貌が明らかに異なる人々に、接頭語の「え」を付け、「え-ひし」「え-みし」「え-びす」などと呼んだのではないかとした。「の実」やその形、「歪(ひず)む」も関連語ではないかとした。

その後インターネットmsn辞書(三省堂提供「大辞林 第二版」より)では「近世初頭頃まで「ひつ」と清音」と載っているのに気づいた。「え-ひつ」ではこの解釈は分が悪くなる。「づ」と「ず」の書き分けは「むづ(ず)?かしい」。また「え」は考えもなく「かわいい」と書いたが、辞書によると「上」の意味が適当ではないかと思う。すなわち「表面(外貌)の形が異なった人」である。また「えぞ」の「そ」は「ソリ」のところで「背く」の「そ」としたので「上(遠く)のほうで背く者」のような意味ではないか。

 

「ムタ」地名はほぼ九州のみに出現する。多くは「牟田」である。インターネット上の幾つかのHPでは「むた」は湿地帯であると指摘されている。

瑪瑙の古代語探求http://kyoto.cool.ne.jp/kanta727/menou2.htmの中に記述されている「にた」−>「ぬた」−>「むた」に変化したという説を採用して、中期縄文時代には「にった」と呼ばれていたような場所を表す言葉が、九州方面に時間をかけて伝わり、「むた」地名が成立したと考えた。

 

「ウノ」分布は緯度との本州中緯度に分布が最も濃い遺跡分布密度とより緯度との相関が最も強く−0.5に近い値が示される。北に行くほど「ウノ」包含地名の出現率は小さくなっていく。

これは「漢語」または「漢語風」の語の漢字音読み単語を含む地名が西日本で多いことによる。また漢語単語に別の語が連なるような場合「×の×」のように「の」が使われることが多いためである。漢字音読み単語の含まれる文章の中の漢字単語の末尾の音を50音別に数えると「坊」「堂」「郷」など、圧倒的に「う」で終わる語が多いことはすぐに証明されるであろう。

仏教や漢字という大陸文化の影響は大陸から近く、その影響が明確に現れるのは弥生時代以後、西日本に於いてのことであるので、この分布は容易に納得できる。

また、「ウノ」分布は漢字音読み地名にの影響によることが判ったが「ノ」の部分は「ウノ」地名の西日本偏在に寄与しているのかを調べるために地名の中に「ノ」や「之」で表される地名の緯度などとの相関が計算された。また同じように使われる「×ヶ×」や「×が×」地名出現率と地理的偏在も検討された。その結果「之」包含地名の出現率は緯度と−0.29(p<0.048)、京都からの距離との相関値では−0.32(p<0.028)であり。「ノ」の部分も「ウノ」の西日本偏在に幾分寄与している。

一方、もう一つの所有格を示す助詞「ヶ」包含地名では、明確な遺跡分布との「正相関(0.460.33)」が示され「×ヶ×」地名の縄文色が明らかになった。

 

その他「町」「丁」「条」(以上現在の行政区画表示名の『町・丁・条』を除く)「長」「領」「行」「荘」「城」「上」「場」「庄」「昭」「匠」「明(みょう)」「京」「陽」「丈」「勝」「洋」などの音読み漢字を使う地名のため、「ヨウ」文字列を含む地名が縄文遺跡分布と負の出現率を示す。すなわち非縄文地域の西日本に偏在する。

 

「ウ」を含む地名でありながら東日本に明確に偏在する地名が一つだけある。「ウル」包含地名である。具体的には「漆沢」など「うるし」を含む地名の東日本偏在による。「漆」の使用開始が縄文時代中期に遡れる証左と解釈されると同時に、「漆」塗装の光沢が水に濡れた美しい状態を思わせるので「潤(うるう)」や「麗(うるわ)しい」は家族語ではないかとした。

 

「ウツ」地名の西日本偏在は、「こうづ」地名による。「こうづ」は「高津」「神津」「上津」「国府津」「光津」など多様な漢字が使われ、漢字表記段階で意味が忘れられていたと思われる。

茎が空洞の、万葉集にも歌われる木を空木/卯木(うつぎ)」というところから、「うつ」を「空(から)の」「空(うつ)ろな」という意味に解した。「こ」は既に解釈済みで「密接した」「含んだ」というように解したので、元は「こ/うつ」と区切り「空き地を含んだ場所」という意味ではないかとした。

物を移動すると空になることから「移す」の語源ではないかと想像した。塵ひとつない状態は「美しい」ので「うつくし」も関連する語ではないかとした。

後に述べるように「く」は「統合された」という意味を含んでいると解釈したので、今では「うつし」は「空の部分が統合された状態と考えている

西日本偏在の理由は、人口希薄な中期縄文期以後、住む土地を求めて、西日本への探査活動が活発化したためではないかとした。

なお「こうつ」以外の「ウツ」包含地名は「宇都宮」「宇津木」なども該当する。

 

「サタ」包含地名の具体的地名は「浅田」「麻田」「佐田」など「田」で終わることが多い。このような地名のみを選び出して相関値を計算しなおした場合、遺跡分布密度とは−0.41、遺跡数とは−0.36の相関値を得た。「貞光」や「佐多」などの「田」含まない「サタ」地名の場合では−0.26、−0.20であった。2.5万分1地形図を見たり、「サタ」地名の「田」包含地名の多さから考えて、「サタ」は「狭田」、即ち「狭い田」の意味とした。

また、「田」を含む地名のうち「竹田」「池田」も中期縄文遺跡分布と負相関を示すことが「ケタ」包含地名の中期縄文遺跡分布との負相関を支えていることがわかった。

「さだ」「いけだ」「たけだ」地名が非縄文地域の西日本に偏在するのは、西から稲作が伝わり、弥生時代以降始まった歴史経過の反映と解釈されるかもしれない。

しかしこの解釈は大いに疑わしい。

すなわち「竹田」「池田」「佐田」の西日本偏在は例外で、全ての漢字の「田」を含む地名の出現率は、計算したところ、むしろ中期縄文時代遺跡分布と0.3程度の確実な「正」相関を示すのである。「『田』を含む地名は中期縄文遺跡の多い都道府県に多いとはいえ、『竹田』『池田』『狭田』は例外的に西日本に多い」というべきである。

稲作はなかったかもしれないが、湿地帯を利用した農業は縄文中期からすでに始まっていたのではないかと考えた。そして後の時代、西日本では湿地帯のみならず山の斜面や、川のないところでも稲が作られるようになった反映と考えた。縄文関連地名文字列を眺めていると、金属や仏教が未だ日本に入っていないにもかかわらず「かね」や「てら」やなどの文字綴りがある。水田を表す「た」も同じケースである。

 

大多数が「国」という漢字で表される「クニ」包含地名は、沖縄県から鹿児島・宮崎・大分・熊本県の南九州にかけて、連続して出現する傾向がある。そして小規模であはあるが、広域地名欄に記載される「国」包含地名も多い。このため「クニ」包含地名出現率は西日本に偏る。なお、一方において、「国」地名は北部九州ではそれほど多くはなく、対照的である。

「国」という言葉は極めて重要なので別の観点からやや詳しく検討した。すなわち、「クニ」文字列の都道府県別出現率と相関のある地名文字列はどのような文字列であるかが調べられた。

その結果、中期縄文遺跡地域に多い「沢」や「手」の地名との高い「負」相関が示されたのは予想通りであったが、同じく中期縄文遺跡分布と相関する「根」包含地名の出現率とは相関が見られなかった。それどころか「舟引(ふねびき)」「中曽根東」「羽根東」「兼久」など「根」の意味を含むと思われる「ね」の後に「ひ」が連なる「ネヒ」文字列が0.48もの「正」相関を示した。「×根」は集落の意味で使われる文字列のように理解している。「国」とは規模が違うが、共同体を示す言葉である点が共通する。

一方、沖縄方言では母音「え」が「い」に、「お」が「う」に変化することが知られている。「に」は「ね」に対応し、「く」は「こ」となる。「くに」は「こね」であった可能性があると考えた。「箱根」「彦根」など「こね」文字列包含地名はすぐに思いつくことができる。「こ」は「密接した」と解釈しているので「こね」とは密接した「根」である。即ち相互関係の密接した集落連合の意味である。「国」という言葉は沖縄で成立して「統合された」というような意味が付加されて再上陸した言葉ではないかとした。

「こ」が九州南部・沖縄で「く」に変化したと考えるなら、西日本に強く分布する「熊本」や「熊野」「球磨」などの地名も「こま(駒など)」地名の変化したものと理解できる可能性がある。また「串(くし)」を含む地名と「越(こし)」地名も同源と解釈しうる可能性が浮かんでくる。

 

パートD(前半)の要約

これまでに見い出した±0.4以上の相関値を示す都道府県位置指標および遺跡分布と相関する地名文字列とアイヌ語地名文字列「ナイ」「ヘツ」「ヘ」を加えた170種の文字列を含む都道府県別ZIP地名出現率間の相互相関値を用いて、主成分法による因子分析を行った。

パートDでは見つかった主因子、すなわち、東日本―西日本ないしは縄文地名―非縄文地名因子負荷量を参照しながら、まだこれまでに取り上げられていない文字列を中心に解釈を続けた。

 

「奈良県奈良市」は西日本であるにもかかわらず「ナラ」地名の主因子負荷量は0.500であり縄文地名に属する。

「なら」の語源が、地名ルーツ辞典の古事記を参照した「踏み平(なら)す」からのものとの説を受け入れ、「均す」「並ぶ」のみならず「慣れる」「習う」「倣う」、「どんぐり」の「成る」木の「楢」も家族語ではないかとした。

「ナラ」と発音類似の「アラ」も0.547の第1因子負荷量を示した。「アラ」の多くは「荒」や「新」を使い表記されていて、漢字義どおり「新しい」「荒(粗)い」の意味ではないかとした。「なら」が「慣れ」「均され」「こなれた」という意味とするなら、「あら」は「なら」に対立する語ではないかとした。「なら」は「否(いな)あら」ではないかとした。

 

「イス」文字列の第一因子負荷量は0.465で東高西低が明らかである。「イス」包含地名のうち三分の二以上が「イスミ」地名であり、しばしば「泉」や「和泉(いずみ)」の漢字で表される。新たに計算したところ、3文字列「イスミ」包含地名出現率分布は中期縄文遺跡分布と0.5程度の相関があった。和泉の国が奈良と同じく近畿にあるにもかかわらず「いずみ」地名が東日本に多いのは注目される。

「いずみ」は千葉県の「夷隅市(現いすみ市)」の漢字表記を受け入れ「夷(い)の住むところ」と考えた。

「い」とは「アイヌ」系の民族を表す言葉であり、「すみ」は「住み」と考えた。大阪と奈良県境の「いこま(生駒)」は「『い』との境」とした。すなわち「ま」は「間」で、「こ」は「密接した」「含んだ」の意味と解釈済みなので、「こま」は「人の住まない緩衝地帯を含む場所」との意味で捉えた。「和泉」には奈良や京都の住人が後に「えびす」とよぶ異形の人々が住んでいたのだろう。

「巣」「住む」「澄む」「隅」などの語は「活動を休止した状況」の意味を含むので、共通の起源を持つ語と考えた。

 

次に、「いずみ」地名の一つとして大阪府南部沿岸の泉州地区の一角の地名構成をやや詳しく取り上げた。

岸和田市の南端の春木町は春木川河口である。春木川沿いの内陸に向かって左側が「春木(はるき)町」右側が「下野(しもの)町」であり、アイヌ語の「左-右」の「はらき-しもん」に対応するのではないかとした。また近辺には「磯上(いそのかみ)」という地名もあり、「いそ」はアイヌ磯の「いそ」すなわち「豊漁」を意味するので、これもアイヌ語関連地名ではないかとした。

近辺には「春木泉(いずみ)町」、春木町に隣接して山手に「沼町」「荒木町」「森町」「加守」「藤井町」など第一因子負荷量が高い「あら」「ぬま」「もり」「ふし」など文字列を含む町名が、互いに隣接して出現している。

春木のある岸和田市の南は縄文遺跡の典型である「貝塚」という名を持つ市、貝塚市がある。北側の泉大津市には「曾根(そね)町」があり「そ」は「背く(そむく)」の「そ」、あるいは「平面から離反した」「反り」の「そ」であり、「根(ね)」は「ね」の人々の集落であるとするならば「そね」とは「ね」から離反した集落と地名解釈した。

「奈良」の葛城山脈を越える、隣の大阪府南部沿岸の泉州地区地名もまた縄文中期まで遡ることができるのではないか。

 

「諏訪」と書く「スワ」地名は全国にあるが長野県「諏訪市」「諏訪郡」を筆頭に東日本に偏在する。第一因子負荷量は.473である。また福井県の広域地名「足羽(あすわ)」も「すわ」文字列を含んでいる。「諏訪」も「足羽」も現代語からの解釈は難しい。

「いずみ」の「すみ」は「巣」や「住み」と解釈したので「すわ」の「す」は「巣」と解釈した。「さわ(沢)」「かわ(川)」「いわ(岩)」など「わ」を含む地名分布は中期縄文遺跡分布と相関するので、「わ」とは「わ」の人々の集落を意味する言葉ではないかと考えた。「住む人々の沢山いる輪」の意味と考えた。その他「ニワ」「アワ」などの付く地名も少なからず全国に存在するが、これらの「ワ」の部分も同類ではないかとした。

 

「モカ」「モヌ」「モオ」「モヒ」「モエ」「モヨ」の多数「モ×」文字列包含地名が中期縄文遺跡分布と相関している。該当する地名を検討したところ、具体的地名として「下(しも×」が多いことがわかった。そこで「下」と書いて「しも」と読む地名出現率と、現代では対にになる「上」と書いて「かみ」と読む地名を選び出し遺跡分布や緯度経度との相関を再計算した。また対照として「東・西」と書いて「ひがし・にし」と読む地名出現率との相関値も計算した。「ひがし・にし」とも遺跡分布や緯度・経度指標と全く無相関であったが、「かみ」「しも」とも、低いが有意な相関値が計算された。夥しい「モ×」地名の第一因子負荷量の高さは「しも×」地名の東日本偏在(縄文地域偏在)が寄与している。

また「モ×」地名のうち「モカ」地名の「しもかわ」と対になると考える「かみかわ」という地名や、「モヌ」地名のうち「しもぬま」や「かみぬま」地名との同様の分析を行ったところ、明確な(0.4を越える)遺跡分布等との相関値が算出された。「ヌマ(沼)」も「カワ(川・河)」も極めて第一因子負荷量の高い文字列であり、この結果は当然とも思えるが、「かみかわ」や「かみぬま」に比べて「しもかわ」や「しもぬま」の方が強い東日本偏在性を示す相関値が得られた事が注目された。

いずれにしろ、「しもかわ-かみかわ」「しもぬま-かみぬま」はきわめて古くからあり、「かみ-しも」という語の起源も中期縄文語以前に遡りうると考える。

「しも」の語源に関して、「し」は「橋」や「箸」の語源解釈で示したように「何らかの特定機能を果たす物・者」と解釈し、「も」このような「し」の「面」の意味と考えた。上(かみ)を支える沢山の者を「しも」とした。

このような観点から「しも」の対立語は「か」でなく「か」ではなかったかと考えた。「加茂川」や「鴨川」のように、「かも」を含む地名は沢山ある。なお「かみ」の「か」は「傘」や「髪」「神」「上」「噛む」「被る」などの意味の共通部から、多くの人々が指摘するように「上部」「かぶさる」と言う意味である。

しかし「カモカワ」を含む地名の東日本の偏在は確認できなかった。むしろ、「カモカワ」は「カワ」文字列を含む地名であるにもかかわらず、遺跡密度とは−0.113、遺跡数とは−0.115の殆ど無相関に近いが負の相関値(僅かに西日本偏在)が算出された。

「かみ」の「み」は、中期縄文時代に「面(も)」という価値観の中立的な言葉に代えて、価値の高い「実」や「身」という言葉に置き換えて新造され、中期縄文時代の中核地域で流行したためではないかとした。

「モエ」は「しもかわ」「しもぬま」の例と同じく、「川」「沼」の部分が「江」に置き換わった「下江」の東日本偏在が寄与して第一因子負荷量を高めている。「入江」地名の西日本偏在が先に指摘され、「江」という言葉や地名は中期縄文時代より後に発生した言葉と考えたが、「江」という言葉自体は中期縄文時代より存在したのではないかと軌道修正した。

また「下江」以外に「ともえ(巴、友江)」も目立つ。「『戸』がある『面』(=とも)『江』」であろうか。

「草木が萌える」の「萌」を使った「モエ」該当地名も東日本に明確に偏在する。特に北海道に著しく多い。アイヌ語地名ではなく、上記「江」地名と解釈できる可能性があるのではないか。

「モヨ」該当地名の中では「下(しも)」の後に「米(よね)」の付く地名のみが東日本偏在していた。「ヨ」の部分の解釈として「ヨツ」や「ヨモ」文字列包含地名が同じく東日本偏在が明らかであり、これらの具体的地名が数詞「よ(四)」と解釈される可能性が高く、数字「4」は周囲を前後左右の4方向で捉えたことから生まれた言葉ではないかという考えた。すなわち「よこ(横)」の意味ではないかと考えた。「よ(四)」「よ(避・除)ける」「よそ(他所)」「よもぎ(蓬)」「よ(世、夜、代)」「よむ(読む)」などの単語は皆、家族単語ではないかとした。

「モオ」文字列の「オ」の部分は「下太田(しもおおた)」「下大久保」「下小川」「下小沢」のように「お(小)」、「お」が重ねられた「おお(大)」で表記される地名が圧倒的に多い。「お」は漢字の意味から解釈すると「ちいさい」の意味と考えられているが、原意は「小さくない」の意味ではないかとした。「小さくない」ことが重ねられてこそ「大きい」という意味が成立する。

「尾」や「尻尾」は「必ずしも小さいものではない」。「お」と読む「小」は「尾」が語源ではないか。「小」は「こ」とも読むが「こ」は親と密接した存在である「子」からの言葉とし、「お」と「こ」は、語源から区別すべきであるとした。

「モヒ」包含の具体的地名は「しもひら(下平)」が多数を占め、「下平」包含地名出現率の中期縄文遺跡密度との相関値の高さから第一因子負荷量に最も大きく貢献していることがわかった。一方「『しも』の付かない『ひら』」を含めて相関値を計算したところ、逆に西日本に多いことを示す有意な「負」の相関値が示された。「崖」を示すアイヌ語「ヒラ」地名起源説があるが、日本語「ひら」地名の中には今一つの「ひら」地名がある可能性を示唆するものと考えた。

 

「リン」「モン」文字列も第一因子負荷量の高い文字列である。漢字表記を見ると「門」「林」で表記されていることが多い。漢字流入が西から始まり、漢字音読み地名が西日本に濃厚であることが既に指摘されたが、これに反して「門」や「林」を音読みする「モン」や「リン」地名は北に行くほど多い。

アイヌ語地名と解釈されている「も(しずかな)」+「べつ(かわ)」が「もべつ」と発音される例や、「十文字」が「じゅうもじ」ではなく「じゅうもじ」と発音される例をあげ、「大門」「水門」「紋別」「明倫」「五輪沢」などは漢字流入の影響を反映する地名と考えるより、東北地方の古い時代の発音特徴を反映することによるものと解釈した。

次に「りん」と読む「林」包含地名と「もん」と読む「門」包含地名のやや込み入った地名解釈が行われた。

「門」については、日本語に「門」の意味として理解しうる「もん」という言葉があったのではないかとした。すなわち「しも」のところで述べた「も」=「面」である。そして「ん」の発音好きのため「もん」と発音されていた。当然、漢字表記には「門」が自然に充てられた。「おおもん」「みずもん」は訛った日本語である。

当時「門」を表す今ひとつの言葉があった。「と(戸)」である。今ひとつの可能性は、「水門」は「みずと、みと」「大門」は「おおと」と言っていたという可能性である。そして「門」という漢字が使われ始めると、「戸」は、より意味の限定的な「門」の意味と解釈され、躊躇なく「すいもん」や「だいもん」など音読みによる読み替えが行われるようになったのではないか。

「×エ門」という人の名前に起因する「エモ」文字列地名は明確に東日本に多い。人名に使われる「門」も元来、「家」を表す「戸」ではなかったかと思っている

「りん」は「わ」という集落や共同体をあらわす言葉に「輪」という漢字があてられたためだと思う。この場合も、北日本人の「ん」好きも手伝い、音読み「りん」が行われるようになったのではないか。つまり「五厘沢」の元の発音は「こわさわ」である。「コワ」地名文字列の第一因子負荷量は高い。

 

全国に存在する地名の漢字表記による発音の混乱とも言うべき変化の最たるものは「かわち」「こうち」「かわうち」と不安定な読み方をされる「河(川)内」であると考えた。アイヌ語「川」を表す「nay(ない)」を含む地名の「nay」の部分が「内」と表記されたのち、「うち」と訓読み化されたものではないかと考えた。すなわち「か-ない」が「かわうち」に変化したのではないかと考えた。証拠を集めるべく、関東平野、濃尾平野、大阪平野の「河(川)内」」と「内」が「ない」と読まれた場合に想定される「か-ない(金井)」地名の所在地が調べられた。驚くべきことに「河(川)内」「金井(かない)」はこれら沖積平野の内陸側の縁を取り囲むように連続している出現していることがわかった。「河内」は「内」が訓読み化し、「金井」は「ない」の発音がそのまま残される代りに別漢字が充てられたものと解釈した。「かない」も「かわち」も元は「かない」であった。「か」は「上(かみ)」と考えるなら、「上川」の意味である。「上川」なら全国にある。アイヌ語地域に「上川盆地」があり、西日本各地に「河内」や「金井」がある。「神奈川」も意味は同じである。「高知(こうち)」も同類と考えられる。

香川(かがわ)も同じ意味であろう。「こうち」の場合「粉河(こかわ)」も対応する。「こうち」と「かわち」と読む場合では同じ「河内」という表記でありながら、元は意味が異なっていたかもしれない。「こ」は「密接した」なので、「川に密接した場所」の意味かもしれない。

北日本では音読み化、中部日本と西日本では訓読み化が行われたのであるが、これは当時の言語の発音上の特性を反映しているのかもしれない。「はるな」など「な」で終わる地名がたくさんあるが、「nay」の「y」の脱落変化した地名と解釈しうる「な」地名もかなりあるのではないかと思っている。

 

静岡や静内など、「シス」を含む地名の第一因子負荷量は遺跡数との相関値のみが0.4を越す。北海道に多い。「シス」包含地名は沖積平野が形成される以前の海岸線付近にあることが多く、この点、先の「河内・金井」に似ている。ただし「河内」と異なり、内陸部にも認められ、且つ東日本偏在性が明らかである。

「しす」とは「『し』の『巣』」ではないかと解釈した。「し」とは「×根」という集落を残した海洋民のことである。丸木舟を操る「航海士」「漁師」のことである。

しずおか」県には「い」がある。「いず」とは「いずみ」地名でふれた「い」の人々の「巣」である。北海道の「しす」包含地名は石狩平野が形成される前、日本列島を北上し、石狩湾と石狩川を遡り探索活動を行った「し」の人々の痕跡ではないか。

 

「ラス」の第一因子負荷量は0.414で「シス」と同程度であった。「ラス」包含地名121件のうち89件は「カラス」によるものであった。しかし「カラス」包含地名のみでは遺跡分布や経度などとの相関値は0.22程度でしかなく、「シラス」「シラスナ」「ヒラス」など他の「ラス」地名が合わさって「ラス」文字列地名の東日本の明確な偏在を支えている。「アラ」「ナラ」「ライ」など、その他「ラ」を含む東日本偏在地名文字列も多数認められるため、「ラ」一字の意味を考察した。

そして、「ラ」は「われら」「ぼくら」の「ら(等)」ではないかとした。複数を表す接尾語ではないかとした。

「からす」は「上(か)の人々()の巣(住む所)」とした。「しらす」は「『し』等の巣」とした。

 

上記「ラ」包含地名の中の「ライ」文字列も見られる。「あらい」や「ひらい」「しらい」「ほうらい」「×あらい(洗)」などが具体的な該当地名で、これら個々の地名の出現分布との相関値を計算したところ「あらい」地名は極めて高い中期縄文遺跡分布との相関値を示すことがわかった。

「あらい」は「新井・新居・荒井・荒居」であらわされているが、「吾(あ)等(ら)居(い)」即ち「われわれが居るところ」という意味であろう。アイヌ語辞書には「a=@私、私たち・・・」と出ている。

なお東日本からもっとも離れた沖縄県は「新城(あらぐすく)」「新川」「新里」など「あら」地名出現率の高い県である。

 

「あらい」の「い」は「居」とすると、「『い』の住む『いずみ』」という地名の「い」と同音になってしまう。二通りの「い」があったことになる。異なる言語が混合したためか、あるいは、当時「い」という発音に似た今ひとつの「い」(例えば「い」と「え」の中間音)があり、区別されて使われていたためかもしれない。

 

「ライ」地名の中にはあまり東西分布が明白でない「ひらい」がある。「らい」の部分が「あらい」の「らい」であるなら、「ひ」とは何か。「ひね沢庵」「ひねくれる」「姫」「ひまご(曾孫)」などから「ひ」は「日が経過して変化した(者・物)」という意味に解した。「ひね」とは「経年変化した根」である。

「ひらい」は「『あらい』の次世代の人々の居るところ」ではなかったか。「ひら(平)たい」も家族語であろう。「ひら」=「崖」の「ひら」地名以外、もう一つの「ひら」地名がある。日本語の「ひ」には、この「ひ」以外に「日」や「火」があるが,これは複数言語の複合のためと考えた。

今では「火」は別にして、経年変化したという意味の「ひ」は「日」から派生した語であろうと考えている。

 

第一因子負荷量が0.525の「マイ」文字列を含む具体的地名は「今井」「舞鶴」「鶴舞」「米原」「駒井」「二枚田」など極めて多種類にわたり、「今井(い-)」などの漢字の区切りかたと一致しない「マイ」地名も多い。「今井」「今池」、漢字「米」「舞」「枚」を含む地名など分類しなおし、それぞれ出現率と遺跡分布や緯度・経度との相関値を計算したところ「今泉」「あまいけ(天・尼・雨池)」「生井」などが遺跡分布や緯度・経度と有意な相関値を示した。その他、有意な水準には達しないものの、殆どが0.10.2程度の「正」値を示し、種々の不統一な漢字表記の「マイ」包含地名が「まい」地名の東高西低を支えている。漢字で表記される時代では、すでに「まい」の意味は全く忘れ去られていたのだろう。そして「まい」地名の偏在のみが残った。

「まい」は「間居」と解釈した。大きな集落間のスペースに点々と存在する民家が「間居」であろう。

「こ/まい(駒井)」は「間居」を含んだ(「こ」=含んだ)スペースであろうか。「つるまい(鶴舞)」は蔓(つる)のように「間居」が連なる場所であろうか。

母音「い」と「え」はよく混同される。北海道の「まつまえ(松前)」は「まとうま」であったとされる。大きな集落の手に「間居」があるので、「まえ(前)」という語の語源は「まい」ではないのかという可能性を指摘した。明らかに後世になってできた「×駅前」「×寺前」を除いてカウントすると「『前』と書く『まえ』」地名もまた「遺跡数」や「経度」と確実な「正相関」を示す。

 

「トネ」文字列の主因子負荷量は0.277に過ぎず、東日本に偏在するというより、中緯度の関東周辺都県でもっとも出現率が高く、中期縄文遺跡密度とのみ0.4以上の相関値を示す。いうまでもなく利根川流域に広く認められる「利根」地名によるものである。東京都の「とねり(舍人)」も含めると関東全都県に複数個の「とね」地名が認められる。

このような点から、「とね」は、小さな「利根」と呼ばれる地域名から広域化した地名というより、利根川を中心とした広汎な地域を指す「とね」があったのではないかと思われる。

「と」は個々の住居であり、住居の「扉」である。「ね」は「根」であるが、素直に「基盤」や「村」の意味と理解できる。「利根」は太平洋岸から日本列島に入いる主要な入り口、すなわち「戸根」あるいは「門根」と解釈した。

今から6000年前、最も温暖化した時代では関東平野なく利根川は二つの大きな島に挟まれた狭く長い海峡であった。正にゲートである。

付近には「×根」地名が格段に多く、丸木舟によって日本列島に到着した人々の主要な入り口であったと思われる。大阪府の刀根山もまた大阪平野が形成される以前は海に浮かぶ島々の一つと思われる。長崎県の戸根川河口も地図で見ると明確に狭い陸地が両側から迫った入り口であったことを認識することができる。

「根」地名のみならず「戸」と書いて「と」と読む地名も関東地方の中緯度地帯に多い。西日本では「門」と書いて「と」と読むことが多い。「鳴門」のように。

「利根」は「戸根」であったであろう。

 

「ニラ」文字列包含地名出現率分布は前記「トネ」と似ている。中緯度、関東地方で多い。また第2因子負荷量の高い点も「トネ」の場合と似ている。野菜「韮」は古いとはいえ外来植物であり、伝来は少なくとも弥生時代以降であろう。この点、「にら」地名が中期縄文遺跡分布と相関することは説明がつかない。

「韮」はよく似た「野蒜」ではないかというHP上で見つけた説を採用して「野蒜」のことを指していたのではないかとした。「にら」の「に」は「新田」の音読み化前の発音であった「にった・にいだ・にた」の「にっ・にい・に」の部分の「湿った」という意味、「ら」は「等」であり、「湿った場所に生えるもの」あるいは「みずみずしいもの」と解した。

「にら(韮)」の同義語に「ひる(蒜)」「ねぎ(葱)」がある。同音異義語ならぬ「異音同義語」が存在する。そしてこの3種の語の文字列包含地名出現率は共に東日本偏在性が証明されている。東日本には3種の言葉を使用する人々が居たのではないか。

「ひる」は中期縄文時代の気象・地理的環境、他の同音異義語を考慮して、何らかの意味で「干る」と関連する語、「ねぎ」は「根木」すなわち、「根が茎のような植物」と解釈した。

当時は「茎」や「枝」あるいは「木」と「草」などの区別はまだ行われず、植物の、地面から飛び出た部分を全て「き」という人々がいたのではないかと指摘した。

太平洋を北上する人々にとって「きた(北)」は目指す「木」の「田」がある方向である。「木」は植物であり、「田」は植物を育むところである。なお「南」は漢字で書くとすれば「御波」でなかろうか。「み」は「尊いもの」を表す接頭語、「な」は「鳴る」、「み」は「水」ではないか。淡い可能性である。

上記「ねぎ」「にら」「ひる」の異音同義語の太平洋岸中緯度地方を中心とした偏在は、異なる言語を用いる3グループが、同時代の互いに近い地域に存在したのではないかと疑わせる。

 

パートD(後半)の要約

主因子負荷量0.542の「ツテ」包含地名の出現分布は、東京都を除く関東地方に強い。特に小さい「ッ」で表される「ッテ」はその傾向が強い。埼玉県は「上仁手」「下仁手」「幸手」があり、「幸手」は広域欄記載地名である。

「にって」は「にった」「にいだ」の解釈から「湿地」、「手」は「山手」「上手」の「手」で「手で指し示す方向」で「湿地帯」、「さって」は「さっぽろ(札幌)」の一般的地名解釈から「乾いた場所」と解釈した。「て」「さっ」「にっ」も現在アイヌ語に対応すると思われる語が見られる点に注意が払われた。また東日本には詰まる音を表す「っ」を含む地名が多い点から、当時の東日本では子音で終わる語が豊富にあったのではないかと指摘した

「ねぎ」「にら」「ひる」の異音同義語の存在から、関東平野周辺部の言語の異なる3グループの存在の可能性を考えたが、これに呼応するように日本語数詞「3」の「み」で始まる三郷(みさと)市、富里(とみさと)市など「みさと」地名が群馬・埼玉・千葉県に豊富に存在する。房総半島西側の東京都、神奈川県と極めて対照的である。

 

数詞関連地名が注目されたので、「三」以外の数を表す「一」から「十」までの漢字を含むZIP地名が約12万件のZIPの中にそれぞれ何件あるかを調べた。

結果、「三」および「八」を含む地名が異様に多いことが確認された。

そしてこれらの地名は西日本に偏ることが示された。特に「八」包含地名の偏在は著しい。

「三輪」と「美和」、「三根」と「美祢」、「三野」と「美濃」など、発音が「み」で始まる地名にはしばしば「美」や「御」の代りに数字「三」が使われる対応地名が多い。「『3』は縁起が良い数なので」というが、何故「3」が良い数なのか。関東地方のこれら3グループの民族集団の協調、共同作業の成果が背景にあるのではないかと考察した。

更に、ここまでの地名解釈と重ねあわせ、日本語数詞の「ひ・ふ・み・・・・こ・と」の語源解釈を試みた。「日(ひ)」、「海(ふ)」、「身(み)あるいは陸地」、「よこに(よ)」、「居る(い)」、「胸(む)」、「鳴り(な))」、「目標物に接近し(や)」、「密接して(こ)」、「門(と)」に至るとした。

日本語数詞は、上記数詞解釈の意味内容、植物の「根」が原意と思われる「すね」「むね」「ほね」など「ね」を含む身体部位語が日本語に複数あること、関東地方に多くの「×根」地名が見られること、などを考え合わせると、太平洋から関東地方に進入した海洋民の人々の言葉ではないかと考えた。

 

「さっ」の小さい「っ」が聞き落とされると「さま」と表記されるだろう。また強調されると「さつ」と表記されるだろう。例えば、九州「薩摩(さつま)」、北海道「様似(さまに)」という地名が該当する。

もしも「さつま」と「さま」包含地名の意味の共通性と地域的共存性が明らかにされるなら、日本列島には、「っ」の発音を使う人々と、使い慣れない人々の、少なくとも2種類の人々が居た可能性が高い。

 

「サマ」文字列は0.465の中程度の第一因子負荷量を示す。「浅間」「狭間」「風間」「座間」などの具体的地名があるが、「アサマ」「ハサマ」「カサマ」を含む3文字列包含地名出現分布は新たに計算した結果、それぞれ、遺跡分布などと有意な相関値が算出された。ただし「座間」や「座間味」など「サマ」が語頭にくる「サマ×」地名の場合の相関値は殆ど無相関であった。

一方「サツマ」3文字列の該当地名一覧を眺めると、南九州に「薩摩」があり、対極の位置にある北海道に「札前」が見られ、同時に千葉県に「佐津間」があるというように分散しており、明らかに東西分布における偏在は認められない。

しかし、「サマ」と「サツマ」文字列包含ZIP出現率分布は無相関とはいえなかった。すなわち都道府県別「サツマ」包含地名出現率と全ての「サマ」包含地名の出現率相関は0.269の「微かに相関あり」と言える程度の値が計算され、「サマ」地名の中でも「ハサマ」地名のみを選び出して計算すると0.378(p<0.009)の明確な相関値が示された。

「サツマ」と「座間味」や「座間」の「サマ×」地名間の相関値は0に近い値であり、相関値で見る限り、これら2地名の共存性は否定されるように見えるが、両地名の都道府県別分布を重ねあわせると、両文字列包含地名が同時に出現している都道府県は少ないものの(したがって相関値に反映されない)、隣接都道府県同士で出現を分け合っていて、出現のない都道府県が囲んでいるという分布状況であった。都道府県よりもう少し大きい範囲を区分して考えれば、「サツマ」と「サマ×」包含地名の地域的共存性が伺える状況であった。

つまり「さま」あるいは「さつま」と表記される地名は、同じ意味を表していたと思われる。「さ」「さつ」は「さっ」で、「乾いた」という意味であろう。「ま」は「間」で、即ち「乾いたスペース」であろう。

 

東北地方「モリ」包含地名出現率の高さが反映して「森・盛・杜」などの漢字で表記される「モリ」地名出現率は緯度との相関が高い。これらの地名は漢字が示すとおり、木の茂った森の意味と解釈した。

見晴らしのよい、低い植物が広がる台地のなかで背の高い樹木が繁茂して盛り上がった場所が「もり」であっただろうとした。

すなわち「もり」は「面(も)」から分離した部分で、後置された「り」は前に置かれた言葉の破綻部を示す言葉ではないかとした。「もり」は「面が破綻して面とは呼べない区別される部分」である。このように考えると「銛」「守(もり)」「漏(もり)」も意味が共通していて、家族語ではないかと考えた。「はり(針)」「とり(取り、鳥)」「くり(栗、庫裏、繰り)」などの「り」の付く言葉も「端の破綻部」「『く』=『統合したもの』からの分離部」「土(トイ)からの分離部」という意味で解釈可能である。これらの文字列地名は、皆、東日本に偏在している。

動詞の語尾に「り」をつければ一定の動きや状態を分離して名詞化が行われる。語尾に「り」が付き、動詞が名詞化した単語は無数にある。動詞の活用形の変化を探る手がかりになるかもしれない。

このような観点から、動詞に「り」の付いた連用形地名と対になると思われる、動詞の原型である「終止形」「連体形」地名を選び出し、遺跡分布や緯度・経度との相関値が調べられた。動詞の原型地名が先ず用いられて、やがて連用形地名が普通に行われるようになったのではないかと考えたからである。従って、原型地名もまた、東に偏在しなければならない。しかし結果は明解なものではなかった。

結果を考察する中で、「軽井沢」や「遠軽」「津軽」の「カル」は意味不明であるが、東西分布偏在が明確な文字列であり、これに対して獲物を「狩る」、作物を「刈る」の連用形を思わせる「かり」文字列を包含する地名も東日本に多いところから「軽」で表記される地名は「狩る」の意味ではないかと指摘した。

また、少数の、「外丸」、「乙丸」等の「とまる」地名は、中期縄文時代の辺境沿岸部と思われる地域に集中する「とまり(多くは『泊』で表記)」地名と共存して出現するところから、「泊まる」の意味ではないかと考察した。

動詞原型地名は動詞活用の歴史的経過を示す地名というより、動詞活用に慣れない人々(母国語でない人々)の「誤使用」によるものと解釈した。

 

次に第2因子次元に目が向けられ、この軸に沿って因子負荷量の高い地名文字列を含む地名解釈が行われた。特に、ここまで触れられなかった地名文字列を重点的に取り上げた。

東日本に偏在する地名文字列群において、第2因子負荷量が高い地名文字列は、「正」方向では「ニサ」「ヨネ」等で、具体的には「蟹沢」「鬼沢」「米沢」「米田」などである。特に「沢」の付く地名が多い。

「負」方向では「奈根」「利根」「彦根」など、「×根」の付く地名が上位に並んでいる。また「緑」や「水戸」の「ミト」文字列も負方向に負荷量の高い文字列である。

また西日本偏在が明確な地名文字列では「竹田」「池田」等の「ケタ」と、「谷」で表記される事の多い「タニ」文字列のみが−0.33程度の負荷量を示した。「負」方向に−0.3を越す文字列は存在しない。

「沢」「谷」「池」が内陸部に多い土地形状示す語であり、「×根」地名が関東地方太平洋沿岸に分布の中心を示すことから、第2因子軸は「内陸―沿岸」、あるいは、「『ね』語−『わ』+『い』語」の対立軸ではないかと考えた。この点を考慮しつつ、残りの因子分析に採用された地名文字列についての考察が続けられた。

 

2因子負荷量が「正」方向に高い「ニサ」該当の具体的地名は「×にざわ」と発音される地名である。「に」「にっ」はすでに「湿った(土地)」と解釈している。つまり「湿地の沢」ということになる。「さわ」の付く地名は東北内陸部に多い。正に「ね」言語と対立する「わ」ないしは「い」言語の地名と思われるが、「さわ」は更に「さ」+「わ」に区切ることが出来、「さ」は「狭」の意味の「ね」の言葉で、「わ」は「わ」の人々の「共同体」をあらわす言葉であり、「さわ」は「ね」+「わ」語の混合単語ではないかと主張した。

 

「ニサ」地名のうち「×ニサワ」ではなく「×ニサキ」となる地名もかなりに上る。「崎」は普通海上に飛び出た部分であり、内陸とはいえない地名のように見えるが、「×ニサキ」該当地名をみると、殆どが海上ではなく、内陸盆地や沖積平野の山手の縁から平地部に突き出た部分であった。

「さき」の「さ」は「さわ」の場合と同じく「狭」、「き」は、陸地を「木」に見立てて「木の先端の細い部分」という意味だろう。「根」「葉」「木」とも植物の構成部であり、これは「ね」の人々の言葉であろう。「×ニサキ」の場合、「ニ」の部分はともあれ、「さ」も「き」も「ね」の人々の言葉であろう。現在に残る地名命名時の「ね」言語の影響力の強さを窺わせる。なお「サキ」地名の東西分布差は全く見られない。

 

水上に長く突き出た「崎(さき)」は「岬(み・さき)」であるが、「ミサキ」3文字列を含む地名分布がやや詳しく検討された。「ミサキ」を含む地名は数多いが中には「美咲」「三咲」地名がある。これらの地名は「崎」や「岬」で表記されないのも当然で、今では岬の形状が想像できないほど変化して、内陸部に位置している。しかしながら、水浸し状態から徐々に水が引き始め、盆地湖が至る所に存在して、沖積平野が未だ完成される以前の中期縄文時代にまで遡れば、これらは、水上に突き出た岬であっただろうと考えても不思議はない。

「さき」「みさき」地名の東西日本の偏在は認められないものの、上記の点を考慮すれば「さき」という言葉は、中期縄文時代にはあったのだろう。そして、当時人口希薄な西日本にも、地名として同程度に存在した可能性すらある。

 

北海道から九州にまで分布する「崎」や「岬」で表記されない「みさき」地名近辺を観察すると、しばしば密接して「あさひ」地名が存在していることがわかった。「あさひ」は「朝日」「旭」ではなく、水が引いて出現した岬の傍らに出来た「吾狭(些)干」すなわち「吾が些かの干上がった土地」と解釈した。そして「あさひ」地名の出現は明白に東日本に偏在することがわかった。特にアイヌ語地名地域の北海道の出現の多さに注目した。「旭川」は縄文時代にまで遡れる地名であるとした。

その他、「岬」「崎」で表示されない「みさき」地名の近辺の内陸盆地や海岸線から相当遠い沖積平野が開始するあたりに、「島」「浜」「舟」「崎」「塩」などの海を連想させる地名が共存する傾向を指摘した。

加えて「あたご」「みどり」を加えた地名セットが、上川盆地・甲府盆地の縁の部分、石狩平野・大阪平野・関東平野の最深部付近に出現している。日本全国の水が引き始めた平地部に、このような地名セットをもたらした大きな勢力が存在した事を示唆している。

 

「へ」「る」地名に関して、これらに含まれる「ひ」は「あさひ」の「ひ」と同じ「干」の意味と解した。

 

「ヨネ」文字列の第2因子負荷量は「ニサ」に次いで高く、0.451である。「与根」「清音」「豊根」もあるが、多くは「米田」「米山」など「米」で表される地名である。東日本に分布が濃く、沖積平野形成初期の奥まったところに多いところから、縄文時代に遡れる地名であろう。

2因子負荷量の高さは、東日本の沖積平野を超えた内陸盆地部の分布が濃い事による。これは先の「ニサ」地名と同様である。

また新潟県を中心とする日本海沿岸沖積平野部にも強い分布がうかがえる

 

このような分布状況から、関東地方の利根地域から日本列島に進入、拡散していった海洋民グループがいて、「ヨネ」包含地名を遺した、という想定のもとに具体的な拡散ルートを検討した。

 

<房総半島を北上したケース>。

第一は仙台湾から仙北平野(当時は海と思う)に入り、現在の登米市を超え北上川沿いに北上するコースである。北上川沿いは北上盆地であるが、海進最盛期は盆地湖であったかもしれない。

 

第二は仙台湾に至る前、阿武隈川河口をさかのぼり、途中、白石川合流点で分岐して米沢盆地に至るルートである。米沢盆地からは裏日本に向けて最上川が出ている。下れば新潟平野に着く。米沢盆地付近には白川盆地、会津盆地が並んでいる。ともに盆地内に「米」地名を含む。

 

<関東地方からそのまま利根川をさかのぼった場合>

現在の房総半島や東京湾の多島海に到着した人々は当時の島々に若干の「米」地名を遺す。更に利根川(海峡)をさかのぼり群馬県・栃木県境付近に「伊勢崎市境米岡」「太田市米沢」、支流「渡良瀬川」沿いに「佐野市米山南町」がみられる。

 

<関東地方から太平洋岸を西にたどった場合>

第一に、伊豆半島を越え、田子の浦付近の富士市富士川河口より甲府盆地に至り、盆地西側から流入する釜無川に沿って諏訪湖南岸の上諏訪に至るルートである。

「フシ」包含地名解釈の中で「富士」は「藤」と解釈したが、数詞解釈の中で、「ふ」は「海」の意味とし、「し」は特定の役割を果たす単一の構成物と解釈したので「富士山」の「ふじ」は、今では「海の重要な役割を果たすもの」すなわち「海上から重要な目印となる山」という「ね」の人々の言葉ではないかと思っている。「藤」も「藤蔓の用途が海で役にたつもの」の意味かもしれない。本文の中で「愛宕(あたご)」の「たご」は「田子」の漢字表記から「農民」の意味としたが、筆者の近所に「蛸地蔵(たこじぞう)」という変わった地名がある。「蛸」に関わる由来伝承もあるが「田子地蔵」の意味かもしれない。蛸地蔵は私鉄南海本線の駅名でもあるが、もっと南には「淡輪(たんのわ)」という駅がある。「田の輪」であろうか。

 

第二に、更に西に浜松市天竜川河口にまで舟を進め天竜川を北上して伊那谷に至るルートである。

富士川、天竜川ルートともに長野県諏訪湖に達する。県歌に四っつの平と歌われる盆地は河川で結ばれている。そして長野県から、裏日本に向かって、いくつかの河川が流出している。特に千曲川−信濃川水系は長野県と新潟県を結ぶ重要な交通路であったであろう。

 

太平洋岸を北にたどり、阿武隈川をさかのぼり、米沢盆地から最上川を下るルートとは入り口は遠く離れているが、日本列島本州は「』」に曲がっていて、結局、このルートでも沖積平野が形成されつつある新潟県に到着する。

新潟県を中心とする裏日本の日本海沿岸の「ヨネ(米)」地名分布は、「ね」の人々が日本列島中央部の山岳地帯を越して、横断を果たした事跡のように見える。そして、人々は再び丸木船を利用して日本海沿岸の探索を再開する。

 

なお、最初に挙げた北上盆地からの北上コースを「米」地名をたどって延長すると、岩手県北端の岩手町、米代川、五所川原市、北海道の松前町、奥尻島、石狩平野や上川盆地に至るルートまで延長されるように思われる。

 

上記のような「ね」の人々の拡散ルートが正しいとすれば、「よね」の「ね」は千葉県に分布の著しい「×根」の「ね」と同じ意味ではないか。そして「よ」が「四(よ)」「よける」の「よ」で「横(よこ)」の意味とすると「よね」は「よこの根」、すなわち「横、脇の村」、あるいは「村の脇、横」という意味ではないだろうか。

「ね」の人々の村である「根」の横は「い」や「わ」の集落であったかもしれない。あるいは「根」の横には、形成途上の沖積平野や盆地には湿地帯が広がっていただろう。

都道府県の「よね」包含地名出現分布や中期縄文時代遺跡分布、および、現在の都道府県別水稲栽培状況などの相関値を計算した。おどろくべき事に、中期縄文時代に米栽培はまだ行われていないにもかかわらず、現在の米の収穫量や作付面積は「よね」地名分布、縄文遺跡分布と強い相関を示すことがわかった。また東日本の米生産の優位性を示す相関値が示された。

従って、「よね」地名に「米」の漢字が充てられたのは無理からぬ事かもしれない。しかし、漢字流入も、稲作も、ずっと後の時代のことであり、西からもたらされたというのが常識である。

この矛盾を解決するためには常識を覆す新しい仮説を必要とする。

 

すなわち「いね」「いも」「まめ」類の栽培作物は太平洋岸から進入した「ね」の人々によって、すでに、中期縄文時代にもたらされていたのではないか。そして、水が引き始めた湿地帯で、人手の点で勝る「い」の人々による農耕が始まったのではないかと。

 

「いも」の「い」も、「いね」の「い」も、農耕に取り組んだ「い」の人々の意味ではないかとした。「いね」は「い」の人々が栽培する「根」であり、「いも」の「も」は芋類の食感が舌に当たらない「均一なひろがり」すなわち「面(も)」であるといえるところから、「『い』の人が作る食感が口いっぱいに広がるスムースな作物」というような意味ではないかとした。また「さき」「あさひ」地名に随伴して出現することの多く、且つ東日本に偏在をする「みどり」地名は、豆類の収穫を意味する「実取り」ではないかとした。ただし「みどり」は、普通、湿地帯ではない、やや離れた、高いところにある。

「いも」は里芋、山芋のたぐい、すなわちタロ芋、ヤム芋である。山芋は里芋の対立語として造語されたとの見解が一般的であるが、筆者はヤムが山芋に変化したものと信じている。

米を潰し、米粒が舌に当たらなくしたものが「もち」であるが、この「も」も「いも」の「も」と共通しているのではないか。

「まめ」は、「ま」すなわち「間=スペース」に生える「芽」であろうか。

 

上記「米」地名の内陸盆地の分布状況を調べていて、海から遠いにもかかわらず「塩」を含む地名が執拗に出現する傾向に気づいた。特に長野県のすべての盆地と甲府盆地内には必ず「塩」地名が含まれている。

 

「シオ」を含む地名の出現率は0.4には達しないものの、遺跡数と0.28、遺跡密度と0.35の5%水準の有意な相関値を示しており、この分布傾向は中期縄文時代にまでさかのぼる可能性がある。

「しお」は水系を辿って内陸部を探査する「ね」の人々の丸木船キャラバンの後尾に位置する「し」、すなわち「『ね」の構成員=『し』の『尾』」ではないかとした。「しお」の役割は、交易や携行品としての「塩」を管理する役割を担っていたのではないかと想像を逞しくした。あるいは現地に残り、駐在員の役割を果たすこともあり、地名として残ったのではないかとした。

「し」が地名に残るなら「しなの(信濃)」「しの」は「『し』の「野」」「『し』野」かもしれない。旧国名で見ると「『み』の国(美濃)」「『し』の国(信濃)」「『け』の国(毛国)」が内陸に連続していることになる。偶然とは思えない。

また「野」が「領域」という意味に拡大した後、所有格を示す助詞の「の」が生まれ、「その時計はスイスのだ」で「その時計はスイス製だ」というような使われ方をするのと同様に「『し』の」が「『し』の物」という意味で使用されるようになったのではないかと論じた。「『し』の物」は「しなもの」という言葉を連想させる。更に「しながわ」は日本にいくつかある。

 

一語化した「しの」を含む地名として「しの、の、め」が全国で27ZIPある。「東雲」と枕詞で表記されている。北海道にも九州にもあり、東西日本の偏在もなく、枕詞という文学的表現形式で記述される地名でもあり、常識的にはとても縄文時代にまで遡れる地名とは思えない。

しかし大阪平野最深部を越した奈良盆地内の大和高田市の東雲町の所在地と隣接地名から、弥生以前にまでさかのぼる地名の可能性を指摘した。

東日本の内陸盆地のみならず、奈良盆地にも多くの「いそ」「ふね」「おき」など海洋を思わせる地名が散在する。「くじら(櫛羅)」さえ居る。そして大和高田市東雲町は大阪平野との境である生駒・葛城山脈からやや下った葛城市の東に隣接する、どちらかというと盆地の底に近い地点にまで広がる地域である。更に東に隣接して橿原市がある。北側は広陵町、三宅町、田原本町という盆地の最も低い部分である。

東雲町に隣り合って「我が些かの干(あさひ)」と解釈される「旭北」「旭南町」があり、更に「塩町」がある。大和高田市東雲町は、或とき、水が引きかけた盆地湖の畔にあったのだろう。このような景観を考えるなら、「しののめ」呼称の成立は弥生時代以後では遅すぎると思う。

なお、全国の27ある「しののめ」地名の12箇所に「あさひ」地名が隣接!(近くにあるのではない)している。この地名セットは決して偶然ではない。

「東雲」は「篠竹で編んだ明かり取りの目から漏れる東の空の雲に映る薄明かり」で「明く」にかかる枕詞とされているが、この「怪しい研究」では「しの」とは「東からきた信濃人または信濃の物産」の「目」、すなわち「センター」とした。「しの」は「東から舟によってもたらされた物産や人々」「くも」は「同一種の物や者の集団」の意味に解した。すなわち「東の雲」の「しの、の、め」である。

同じように、「あすか」の「あ」は「吾」、「す」は「住む」の語源となった「巣」、「か」は「かみ」で、意味は「我が巣の上(かみ)」で、当時は大阪平野(大阪湾)に繋がる奈良湖畔で、上空にはカモメが乱舞していたのだろう。「飛ぶ鳥」の「あ、すか」である。

「あす」の部分は「吾巣」ではなく「明日」と解釈するかもしれない。これは「あさひ」の「あさ」を「朝」と解釈すのとよく似ている。「あさひ」の語源解釈で述べたように、これは異言語間の誤解に基づくものであると思う。

「春の日」の「かすが」は間違いで、「張る干」の「かすが」と解釈した。すなわち「かすが」は「かみ」の「巣」の「かみ」であり、「集落の上の更に上」には、水辺の「干」の延長線上から「張り出した人の住まない部分」すなわち「すか」があったのであろう。「張る干」の「か、すか」である。「はる」や、その連用形「はり」を含む地名はいくつもある。

奈良盆地のこれらの枕詞地名を成立させるには、奈良盆地が大きな湖であった必要がある。

 

第二因子は「ね」対「わ」+「い」語の対立を示す軸と最初に解釈したが、内陸部地名も「ね」言語で解釈可能な地名が多く、むしろ「ね」の人々の日本列島への拡散経路を示す「入り口地名」−「到達地地名」の軸と解釈するのが適当と思う。

東日本の中でも最も緯度の低い千葉県沿岸から日本列島に舟で入った「ね」の人々は、水系を辿り、「い」や「わ」の人々と出会い(あるいは求めながら)、形成途上にある沖積平野や内陸盆地に拡散していった。そして、主として「ね」の人々の単語によって、東日本のみならず、西日本各地に、今では意味不明ながらも、骨格地名ともいうべき、あるいは基本名字ともいうべき単語を遺した。

 

 

パートF「結論−日本の起源」に つづく