老子">老子 講談社学術文庫 1278 金谷治 講談社 ISBN:9784061592780 ASIN:4061592785 

無欲のすすめ

天下皆知美之爲美。斯惡已 老子 道編 2章 p20

天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。
故有無相生。難易相成。長短相較。高下相傾。音聲相和。前後相隨。

比較することで、優劣が生まれる。

 天下皆知美之爲美。斯惡已 有無相生

行不言之教 老子 道編 2章 p20

聖人は言葉で表せない教えを行う

道が万物の元であるならば、それは言葉よりも先にあったものだという事なのかもしれない

 行不言之教

使民心不乱 老子 道編 3章 p23



人民に何が欲しいかを見とられなければ、人民の心は乱れない。

 不見欲心

「」 金谷治 at 老子 p24



 競争社会

道は万物の根源 老子 道編 4章 p26

道冲、而用之又不盈。淵兮似萬物之宗。
挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵

あたごやまたぬき による解説

ここで語られている事を解りやすく説明すると「空席がある」という言葉の意味を考える場合を想定しよう。
たとえば、この「空席がある」の空席を「上野発の夜行列車の空席」とする。
やがて、東北新幹線が青森まで開通したとしよう。
すると、これまで必要不可欠で脚光を浴びていた「上野発の夜行列車」が価値を失う。
これがこの部分の「和光同塵」だったのである。
これは、どの産業のどの製品もそうなのである。
地デジ化すると、アナログテレビ自体はあなたの家から無くなる訳ではないのだが、価値は低くなる。
これがこの部分の「和光同塵」だったのだ。
そして、いつかリニアが引かれることになれば、東北新幹線だって同じ目に遭うのである。
これが「道冲、而用之又不盈。淵乎似萬物之宗」なのである。この競争は、どこまでも尽きないのである。
銃が発明されて、刀の切れ味が重要でなくなったように。
石に文字を削って書いていたのが、墨を使って紙に書くようになり、活版印刷が発明され、そして電子書籍に。
ビデオテープからDVD、そしてBlu-rayへ。
紙テープからフロッピー、USBメモリ、そしてSDカードへ。

 道の作用

天地不仁 老子 道編 5章 p29

天地不仁、以萬物爲芻狗。

天地は仁ならず。すべてのものを、生み出しながら棄ててゆく。

 天地不仁

多言數窮 老子 道編 5章 p29

多言數窮。不如守冲。

状況は刻々と移り行くので、過去の発言が自分の足かせになることもあるだろう。言わないに如かず、である。

 多言數窮

無私 老子 道編 7章 p33

天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。
是以聖人 (中略) 非以其無私邪。故能成其私。

天は長生きで、地は悠久である。
天地が長く久しくいられるのは、それらが自分は生きたいと思ってないから、長生き出来るのである。
是をもって、聖人は無私であるからゆえに、私を成し遂げるのではないか。

 無為自然

上善如水 老子 道編 8章 p35

上善如水。
水善利万物、而不争。処衆人之所悪。故幾於道。
居善地、心善淵、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。
夫唯不争、故無尤。

最上の善は、水に似ている。
水は万物の助けとなり、しかも争わない。人の好まざる所にいる。故に、道に似ている。
住むには地面の上が善く、心は淵のように深いのが善く、与えるには仁が善く、信頼出来ることを言うのが善く、正しくするには道筋をつけるのが善く、事を行うには有能であるのが善く、動く場合は時にかなっていることが善い。
水はただ争わないので過ちがない。

 上善如水

与善仁 老子 道編 8章 p35

与善仁

与えるには仁が善い

 上善如水

言善信 老子 道編 8章 p35

言善信

信頼出来ることを言うのが善い

 上善如水

事善能 老子 道編 8章 p35

事善能

事を行うには有能であるのが善い

 上善如水

動善時 老子 道編 8章 p35

動善時

動く場合は時にかなっていることが善い

 上善如水

玄徳 老子 道編 10章 p40

載營魄抱一、能無離乎。
專氣致柔、能孾児乎。
滌除玄覽、能無疵乎。
愛民治國、能無以知乎。
天門開闔、能爲雌乎。
明白四達、能無以爲乎。
生之、畜之。生而不有、爲而不恃、長而不宰。
是謂玄徳。

 玄徳

寵辱は驚くが若し 老子 道編 13章 p49

寵辱若驚。貴大患若身。
何謂寵辱若驚。寵爲上、辱爲下。得之若驚、失之若驚。是謂寵辱若驚。
何謂貴大患若身。吾所以有大患者、爲吾有身。及吾無身、吾有何患。

寵愛を受けるか、恥辱を受けるか、を心配し驚くさまは、まるで、自分の身にある大きな病のように貴ぶためだ。
寵愛を上とし、恥辱を下として、これを得ては驚き、失っても驚く。これを寵辱は驚くが若しという。
大患があるのは身があるからなので、自分の身に危害が及ばないのに、どうして患いがあるとするのか?

 天下皆知美之爲美。斯惡已

功成事遂、百姓皆謂我自然 老子 道編 17章 p65



事が成し遂げられた時、みんな「我々は自然にそうなったのだ」と言うであろう

 萬物將自化 功成事遂、百姓皆謂我自然

 老子 道編 25章 p90

有物混成、先天地生。寂兮寥兮。獨立而不改、周行而不殆。可以爲天下母。吾不知其名。字之曰道。強爲之名曰大。大曰逝。逝曰遠。遠曰反。

「有」とは、物が混じりあって成り立っているもので、天地よりも先に生じていると考えられる。
おぼろげで、実体はつかめないが、独立していて改変されることはなく、あまねく行きわたって、とどまることはない。
なので、これは天下の母である
吾はその名前を知らないので、「道」と字をあてたように、強いてこれに字をあてれば、「大」である。
「大」とは「逝」である。「逝」とは「遠」である。「遠」は「反」である。

 

道とは「無」の作用である 老子 道編 37章 p123

道常無爲、而無不爲

道は常に「無」の作用によるもので、しかも為せないものなど無い

 

侯王若能守之、萬物將自化 老子 道編 37章 p123

侯王が若し能く「無為」を守れば、万物はまさに自ら変わってゆく

「無為」によって万物を支配できる。

 萬物將自化

下士聞道、大笑之 老子 道編 40章 p136

下士聞道、大笑之。不笑不足以爲道。

人に話した時に、笑われるようなことでなければ「道」ではない。

 下士聞道、大笑之

「反」とは 老子 徳編 41章 p139

反者道之動。弱者道之用。
天下萬物生於有、有生於無。

「反」は「道」を動かすものであり、「弱」は「道」を利用する方法である。
天下の万物は「有」より生じ、「有」は「無」から生じる。

 

物事の優先順位 老子 徳編 44章 p145

名與身孰親。身與貨孰多。得與亡孰病。

名誉と我が身はどちらを愛すべきか。
我が身の安全と貨幣ではどちらがまさるか。
ものを得るのと失うとのでは、どちらを病むべきか。

 足るを知る

止まるを知る 老子 徳編 44章 p145

是故甚愛必大費。多藏必厚亡。
知足不辱、知止不殆、可以長久。

ものをおしむと必ず大きな出費がかかり、多く貯め込むと必ず失うものが多くなる。
足るを知れば屈辱を受けず、とどまることを知れば危険にさらされず、これをもって長生き出来る。

 足るを知る 変わる 故物或損之而益、或益之而損

聖人常無心 老子 徳編 40章 p156

聖人常無心、以百姓心爲心

聖人は偏った物の見方をしない。みんなの物の見方を受け入れる。

 無為自然

不善者吾亦善之、徳善 老子 徳編 40章 p156

善者吾善之、不善者吾亦善之、徳善
信者吾信之、不信者吾亦信之、徳信

「善」とされている者を「善」とするが、「善」ではないとされている者にも「善」とする。そうすると「善」を得る。
信頼出来る者を信じ、信用出来ない者も信じると、信じあえるようになる。

 萬物將自化 不善者吾亦善之、徳善

大国は下流である 老子 徳編 51章 p187

大国者下流、天下之交、天下之牝、牝常以静勝牡
以静為下。故大国以下小国、則取小国。小国以下大国、則取大国。
故或下以取、或下而取
大国不過欲兼畜人、小国不過欲入事人
夫両者各得其所欲、大者宜為下

大国はいわば川の下流であり、天下の集まる所、天下の「牝」である。牝はじっとしているだけ常にでオスに勝つ。
静かにしているだけで、へりくだっていることになるのだ。
だから大国は小国にへりくだることで小国と取引ができる。小国が大国にへりくだることで大国と取引ができる。
大国は、小国の人を小国の代わりに養いたいと思っているだけに過ぎず、小国は大国に取り入って仕えたいと思っているに過ぎない。
その両者の望むところを得るには、大国がへりくだるのがよろしい。

 隣国と交わる道

知不知上 老子 徳編 71章 p215

知不知上
不知知病

知っていても知らないとするのが良い。知らずして知っていると思うのは良くないことである。

 無知の知



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