そば用語辞典   < Mobile 辞典へ   < PC 辞典へ

焼畑
焼畑は日本の古くからの伝統的な農耕法で、山間僻地の多い日本の農業にとっては貴重な耕作地であった。地域や地形さらには山の高低や日照条件などによって「春焼き」と「夏焼き」に分けられる場合が多く、焼いた初年目にはそれに適した作物を蒔き、2年目、3年目もそれぞれに適した作物に変えながらおおよそ4年から5年くらいを一区切りとして終える。その後は再び草木のはえるままに放置して自然の山に戻し、地力の回復した10年、20年後再び焼畑として用いるのが一般的である。
 
  [PC掲載ページ]  yaki 

  [Mobileのページ]  yaki


  
焼畑の作物  焼畑とソバ
焼畑の代表的な作物をみると穀類(ソバ・アワ・ヒエ・トウキビ)、豆類(大豆・小豆)、根菜(里芋・カライモ・大根・カブ・コンニャク)、さらにミツマタ(和紙の原料)などの多種にわたる。特に、一年目の作物に比較的ソバが多く見受けられるのは特徴的といえる。ソバを蒔くときに、熊本県菊池地方では「灰は熱いうちに種子をおろせ」、中国地方の「竹やぶを焼いた後は灰の熱が冷めないうちに蒔け」、この他にも「ソバは灰が熱くてはぜるうちに蒔け」などという言い伝えが残っている。
 
  [PC掲載ページ]  yaki 

  [Mobileのページ]  yaki


  
焼畑面積
わが国の農業は水田と畑作のみが重視され、全国の山間各地で行われた焼畑についてほとんど語り伝えられてこなかった。しかし山間僻地に囲まれた日本の焼畑は、近世以前には24万ヘクタールを超えていたともいわれている。その後、明治30年(1897)に森林法が制定され、植林への転換による焼畑地の林地化と新たな火入れの制限が直接の引き金となって、明治・大正時代にかけて衰退の一途をたどり、昭和20年(1945)台には5〜6万ヘクタールまでになって昭和30年頃にほとんど姿を消してしまった。 この時代これと並行して、わが国のソバ作付け面積も減少の一途をたどっている。
 
  [PC掲載ページ]  men  yaki 

  [Mobileのページ]   men   yaki