そば用語辞典   < Mobile 辞典へ   < PC 辞典へ

むかしむかし物語
 
享保年間(1716〜36)成立とされるこの書にはいくつもの書名があるが、「八十翁昔物語」も別題名のひとつ。80歳になった著者・新見正朝が70年以上も昔のことを思い起こして慶長から延宝に至る(1596〜1680)までの江戸の風俗見聞を書き記したものである。これによると「寛文4年頃(1665)には、麺類を扱うほとんどの店の看板が「うどん蕎麦切り」だったと書かれている。」すなわち、うどんが主であったことを示している。これに対し、江戸の後期になると、天保8年(1837)起稿の「守貞謾稿」に、「上方ではうどん屋が主になってうどん屋で蕎麦も扱われ、江戸は蕎麦屋でうどんが売られるようになった。」とあり、天保14年(1844)の 随筆「用捨箱」の「温飩の看板」に「昔は温飩おこなはれて、温飩のかたはらに蕎麦きりを売る。今は蕎麦きり盛んになりて、其傍に温飩を売る。」すなわち、うどんとそばの立場は逆転しているのである。
 
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