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| 二八の時 | 
| 十六文のそばを二八(ニハチ)としゃれた九九説は、それ自体に説得力があって理解しやすいが、十六文というのは江戸の後期の7・80年間だけであった。それ以前の六文とか八文の中で出現してきた言葉の説明にはなり得ないことは二八の語源で説明した。もともと二と八(の積)で十六を表している例などはそれ以前からあって、太平記(1368〜75)に「二八の春の比(ころ)より・・・」などとあり、とくに女性の年齢・十六才の異称として使われてきた言葉である。 | 
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