バイオハザード6の二次小説を書いてます。
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触れたら最後
***

完全に意識を失った男の頭をそっと床に置いたエイダは、手の中の注射器をケースに仕舞った。
そんなに強い薬じゃない。丸24時間くらいは寝てるかもしれないけど、それ以外は特に支障はないはずだ。
エイダは立ち上がると、男の顔を見下ろした。
(調査通りの性格ね)
エイダは男に接触する際、この方法が一番確実だと踏んでいた。男は、自分では慎重で冷静なつもりかもしれないが、実は義理堅くて人情派だ。経歴を見ればすぐにわかる。きっと簡単に落ちると思った。
事実、落ちた。
普段であれば絶対に手を出さない橋をエイダのために渡った。
それで利用されるだけで終わってもきっと諦める。その見返りを執拗に要求しない。それはまるで――みたい。
少し前に触った手の温かみをふとした瞬間に思い出す。その度にエイダは苦笑いする。
2年前に会った時より更に精悍さを増した彼はエイダに対して軽口しか叩かない。そのくせカーラを――エイダだと思って庇っていた。カーラがやったことは彼にとって許さる範疇ではないはずなのに、カーラとエイダを別人だと知らないくせに、それでもシモンズからエイダを庇う。そういうところが――本当に全然変わっていない。
シェリー・バーキンを救うために合衆国のエージェントになったり、他人のためにどうしてそこまでできるのか。
彼がいかにエイダを信用しようとも、エイダは自分の思惑でしか動かない。それさえも承知の上で彼は庇うのだろう。
(きっと私がサナギから生まれたとしても、彼は構わないんじゃないかしら)
そう思うとおかしくて声に出して笑ってしまう。
エイダはもう一度、床に寝転がった男を見た。
本当は一度くらい寝てもよかった。その方がリスクが少ないし簡単だ。ハニートラップなんてもう数え切れないほどしてきたし、躊躇するほど若くもない。それでも、避けられるなら避けようと思うのは――

やっぱり数週間前に彼に会ったからかしらね…

彼とは手すら握ったことはない。男と仕事で簡単に寝られるエイダにとって、きっと彼とは仕事上でも手すら握れない。
それは頭の片隅で否定してもきっと意味を成さないくらい当たり前のことだ。
エイダにとって大事なのは目的を達成すること、であって、彼ではない。
彼ではないけれど、でもきっと――

触れたら最後。

触れたら最後、きっと放せない。だから絶対に触れない。

エイダは微笑むと、最後の一仕事をすべく、部屋を後にした。


***

「ハニガン」
ガジェットに向かってレオンは呼びかけた。
「レオン」
眼鏡をかけた知的そうな面差しの彼女とはもう何年越しの仲だろう。もちろん仕事の上で、だが。
結構本気で口説いたこともあるが、あっさり流された。特に浮いた噂があるわけではなかったが、レオンの方の噂が彼女の耳に入ったからだろう。
――来るもの拒まず、去る者追わず。
昔からこのスタンスは変わらない。いや、学生の頃はそうではなかった。結構長い間付き合った彼女がいたし、彼女から別れを告げられた時は恥も外聞も捨てて復縁を迫ったりもした。今から思うと本当に青かった。
そんなレオンを変えたのは――やはり彼女かもしれない。
学生の頃付き合った彼女じゃない。新人警官の時に出会った彼女のことだ。
15年も前の話になる。21歳だったレオンの前に現れた彼女は美しかった。
惚れっぽいのは今も昔も変わらない。それは自分で自覚している。だが――まさか15年も引きずるとは思わなかった。
15年の間、色んな女性と出会ったし、付き合ったりもした。結婚、という話が出たこともある。
でも、最後に必ず相手の女性は言うのだ。

――レオン、貴方は一体誰を見てるの?私じゃないでしょ?

そう言われてレオンは返す言葉がない。
自分がふとした拍子に思い出すのは綺麗な黒い髪をした細身で何を考えているのかわからない彼女だ。
誰かと甘い時間を過ごしていても、容赦なく脳裏に浮かぶその姿にレオンは何度苦笑したことか。
決して手に入らない女なのに――

「レオン、聞いてる?」
ハニガンの声がレオンの意識を引き戻す。
「ああ、聞いてる」
「例のサンプルは既に奴らの手に渡ってるわ。培養されれば被害は甚大よ。その前に食い止めないと」
例のサンプル、とは数週間前に起こったバイオテロ――Cウィルス拡散――の変異した新種ウィルスだ。
政府内にいた内通者が手引きしてCウィルスが盗まれたのがつい先日ことだった。それは研究用に既に変異しているサンプルだったらしく、培養の手段さえあれば簡単にバイオテロを引き起こせる。
「わかってる」
今回はアメリカ国内のことなので、B.O.W.との遭遇はなさそうだ。
「潜入先はマフィアまがいの組織よ。気を付けて」
ハニガンの声に一瞬緊張が走る。いつもと勝手が違うと言いたいのだろう。
「いつもと同じ仕事をするだけさ」
レオンは殊更軽く流すとガジェットを閉じた。
「さて、と…」
まずは相手との接触の手段だが、いつものように開けた場所に行くのではなく、今回は閉じた組織内に潜り込まねばならない。本来ならDSOからの支援の元、入念に潜入の糸口を探った上で派遣されるはずだったが、偵察という意味で先に送り込まれたらしい。
サンプルの培養自体は知識と技術と設備さえあれば簡単に出来る。奴らがそれらを揃えていたら早急に対処せねばなるまい。それをまずは調べるべきだな、とレオンは遠くに見える建物を見た。
車のトランクからライフルを出して、それを手に近くのビルへと入る。廃ビルのようで、人気もなく閑散としていた。もっとも、この場所自体が奥まった場所にあり、人っ子一人いないようだが。
5階まで一気に上がるとさすがに少し息が乱れる。
コンクリートがむき出しになった冷たい廊下を歩いて、目当てのビルが見える場所に陣取ってライフルを組み立てる。スコープを覗いて向かいのビルに視線を走らせる。窓は目隠しされているのか黒く艶光りしていて全く見えない。ビルの前や周りにも人はいない。
レオンはガジェットを取り出してハニガンを呼び出した。
「レオン?」
「ハニガン、衛星でビルの屋上を見てくれ。見張りはいるか?」
「OK、ちょっと待って――と、いるわ。西側と東側に一人ずつよ」
「サンキュ」
ということは、少なくとも中に何かあるんだろう。ただ、下に見張りがいないのは解せないな…
とにかく中に入らないことには始まらないか――
気づいた時には後頭部に冷たい感触がした。カチっと撃鉄を起こす音。聞き慣れた音だ。

「何をしている?」

レオンは舌打ちした。こんなに近づくまで気づかないなんて。部屋の扉は閉めておくべきだった。そうすれば少なくとも扉を開ける時の音で気づいただろうに。初歩的なミス過ぎて臍を噛みたくなった。

「可愛い女の子を探してるのさ」

前を向いたまま身体を起こして両手を挙げる。
「どこのモンだ?」
「通りすがりのモンだ」
言った途端に更に銃口を頭に押し付けられた。
「オイオイ、嘘じゃない」
「ライフルでビルを監視しながらか?全く説得力がないな?」
確かにな、とレオンは苦笑いした。
「立て。行くぞ」
襟を掴まれて立たされた。そのまま銃口を後頭部に突き付けられたまま前を歩かされた。
(とりあえずはこれで潜入できるか)
ただ敵の数もわからないまま潜入してどうにかなるか、という問題は残っているが。
後ろの男に連れられて、とりあえずはビルの中に入った。地下に連れて行かれ、ガランとした部屋へ入れられた。真ん中には椅子が置いてあって、何をする部屋なのかは一目瞭然だった。手錠をかけられ、床に転がされる。

「あら」

軽やかな声が聞こえてきてレオンは頭を上げた。聞き覚えのある声だった。
エージェントとしての経験がかろうじて表情を消すことに成功した。感情が表に出ない訓練を受けていた賜物だが、内心はギョッとした。辛うじて呼びかけた名前も飲み込む。違う名前を使っている可能性もあるからだ。

「捕まっちゃったの?ダメね」

子供に言い聞かせるような口調で言い放ったのは――彼女だった。

「ああ、全く面目ないよ」
「放してあげて。私の連れよ」
白衣を着たエイダは隣の男に言った。
「おいおい、隣のビルでライフル構えた連れか?」
レオンに銃を突き付けている男が鼻で笑った。エイダはそれに鼻で笑い返した。
「保険よ。こんな物騒なところへ来るのに単身丸腰で来るとでも?」
もっとも保険にもならなかったけどね、と付け加えられて、レオンは顔を顰めた。
「ホントに役立たずね、坊やは」
ヒールの音を響かせてレオンの前に立つと、エイダは膝をついて手を伸ばした。ひんやりと冷たい手が頬に触れた。
(確かにその通りだが、ちょっとひどくないか?)
白衣を羽織った下はスーツらしく、膝上のタイトスカートから伸びた足が艶めかしい。相変わらず艶のある黒髪にいつもはかけていない黒縁の眼鏡。聞かなくてもどんな素性でここに潜り込んだのかは明白だ。
「行くぞ」
エイダの隣にいた男が彼女を促す。
「あんまり乱暴にしないでね。役には立たなかったけど、私の恋人だから」
エイダはそう言ってレオンに顔を寄せてきた。目を瞠ったレオンにお構いなしに口を塞ぐと、さっと離れた。
「オイ、いい加減にしろ」
男の言葉にエイダは背を向けて、軽く手を挙げると腰を振って部屋を出て行った。銃を持った男も一緒に出て行く。
残ったレオンは後ろ手に手錠をかけられたまま放置された。

まったく――エイダは神出鬼没な上にびっくり箱だな。

レオンは先ほどの感触を思い出して、遥か昔にも一度キスしたな、と苦笑いした。
あの時はお互いが求め合ってのキスだったが、今のは――

レオンは舌の上で転がる感触に何とも言えない気分になった。口から出して床に吐き出したそれは、小さなピン。
理由がなければキスなどしない。そんな仲だとわかっているのに、触れた唇の柔らかさと温かさがレオンの中で何度も蘇る。
手に手繰り寄せたピンは確かにエイダの明確な意思だ。レオンを助けるという――だが、それだけではないのはもうわかっている。15年の付き合いの中で彼女が真実を語ったのはラクーンで別れる時だけだ。レオンを庇って瀕死の重傷を負った彼女の言葉は真実だった。
次に会ったのは7年後。ヨーロッパの片田舎で再会した彼女は相変わらずの美しさだったが、ラクーンで出会った頃の彼女ではなかった。ラクーンを生き延びてウェスカーの組織に入ったと風の便りで聞いた。聞いただけでどうしようもなかった。彼女はもう昔の彼女ではない、何度そう言い聞かせたか。だが――後にそれは二重スパイだったと判明した。わかった時のあの安堵感は今も鮮明に覚えている。
エイダという女は何を考えているのか、何をしようとしているのか、真実は全く見えてこない。それでも――

「And you're still going to protect this woman.」

数週間前に聞いたクリスの低い声が脳裏に蘇る。
エイダがネオアンブレラであのバイオテロを起こしている張本人だと言うクリスにレオンの答えは一片の迷いもなかった。

「I am.」

彼女がバイオテロを起こす側に回ったことはない。何が目的で何が真実なのか、レオンには全くわからないが、これだけは言える。

――エイダ・ウォンは悪人ではない。

なぜレオンを助けるのか、理由はわからない。都合のいい解釈をしそうになる気持ちはいつもテロ現場で会うエイダに混乱させられる。
手に入らないのはわかっている。それでも焦がれるのは――

カチリ。

手首で音がして手錠が回った。自由になった両手を回しながらドアに近づく。
エイダがピンを渡した理由はわかり切っている。決してレオンを助けるためだけではない。

――騒ぎを起こせ。

きっと彼女の今回の仕事はサンプル奪回なのだろう。彼女がいる、ということはサンプルもここにある。
レオンはポケットからガジェットを出して回線を繋ぐ。ハニガンに急いで状況を説明すると、応援を要請した。
その時、ドアの外から足音が聞こえてきて、レオンはドアの脇に張り付いた。銃はさすがに奪われている。

彼女はいつもレオンを利用する。彼女の目的が何なのか、何をしているのか、全てにおいて謎のままだが、態度は思わせぶりだ。だが、それに翻弄され続けている自分が別に嫌いではない。
いつか――いつか彼女は自分に本当のことを言ってくれる日は来るのか。

――それを待ってみるのも悪くはないな。

レオンは薄く笑うと開いたドアから覗く男の顔面に拳を打ち込んだ。


***

それからは混乱の連続だった。盛大に鳴る警報、響く銃声。倒した敵から奪った銃で応戦するも、敵の数が多すぎる。さすがにマズイか、と思い始めたところで応援が到着した。
DSOから要請を受けた特殊部隊が突入し、事態を収めた。相手の素性はこれからの調べで明らかになるだろう。政府内にいる内通者も。
サンプルも無事奪回でき、事件は幕を下ろした。
レオンはホッとしながらも腑に落ちなかった。

――エイダはなぜサンプルを取って行かなかったんだ?

彼女に限って同情心などあるはずはない。取らなかったのはきっと最初からサンプルを奪うのが目的ではなかったからだ。
特殊部隊が到着した時にはもちろん既に彼女の姿はなかった。当たり前だ。自分が銃撃戦で時間稼ぎをさせられていたのだから。それすらも彼女の計算の内だろう。

――では何が目的だったんだ?

ビルの前で事後処理にせわしなく動く人々を見ながらレオンは立っていた。
ポケットに突っ込んだガジェットが鳴って、レオンは片手で画面を呼び出す。

『陽動してくれてありがとう。お蔭で仕事がしやすかったわ。あれはご褒美だと思ってくれて結構よ。またね』

あれ、というのが先ほどのキスを指していると気付いて、レオンは溜息を吐いた。
確かにレアな出来事ではあったが、自分を囮に楽々逃げ出したのか、と思うとレオンは天を仰いだ。

「――Woman.」


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