バイオハザード6の二次小説を書いてます。
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触れたら最後
首筋に息がかかるくらいの至近距離。
エイダはくすぐったいフリをして首を竦めて男の唇をブロックする。
「いいだろ?」
焦れて耳元で囁く相手に笑う。馬鹿にするでもなく、誘うでもない笑顔。でも嫌がってるわけじゃないのよ、という想いを少し上乗せして――見えるように。
「そんなに安い女に見える?」
唇に息がかかる距離で相手の目を見上げながら呟く。男もじっとこちらを見返す。
男はエイダと同じ年代で、先にした調査では手堅く小さくまとまった商売をしていると聞いた。油断なく光を放つ瞳にはその慎重な性格が窺える。細面の端正な顔立ちに顎には髭が綺麗に整えられていて、エイダは好みじゃないけど見てくれは悪くないわね、と頭の隅で考える。目の前の髭を見ながら脳裏にふと顔が浮かんだ。

(彼の髭はきっと正真正銘の無精ね)

思考が脇へ逸れる。数週間前に2年ぶりに会った彼には無精髭がだらしなく生えていた。エイダは身なりがだらしないのはあまり好きじゃないはずなのに、不思議と彼だとcuteに見える。特にあの時の――

いけない、今は仕事中。目の前の男に集中しないと――余計な雑念は取り払う。

エイダが意識を戻した時、男が天井を仰いで息を吐いた。
「わかったよ、何が望みだ?」
エイダから離れてソファに身体を投げ出すと、目の前の男は足を組んだ。
エイダは微笑んだ。
(お利口さんね。拷問は趣味じゃないけど色仕掛けで落ちなかったらそうするところだったわ)
そんな思いをおくびにも出さず、エイダは男の膝に腰かけて腕を首に回して、口を開いた。

「捜してほしい物があるの」


****

エイダの雇い主はその都度変わる。
仕事が舞い込むルートは分散させているが、信用できる筋からの依頼しか受けない。
自分のやっていることを考えると、どこで足元をすくわれるかわからないので、用心することに越したことはないし、用心する手間を惜しんでいてはきっと今頃生きてはいない。
人を騙すのがエイダの仕事で、今さらそれを偽る気はない。信用できるのは自分だけという信念も揺るぎない。仕事をするのに甘い感情は必要ない。他人に突かれる弱みもあれば仕事がしにくくなるから持たない。それ以前にエイダは自分に人を愛するという感情が欠落していると思っていた。天涯孤独で昔から一人で、それに疑問も寂しさも感じたことなどない。

でも――

エイダは自分を見つめる強い光を宿した瞳を脳裏に思い浮かべた。
初めてその瞳と出会ったのはもう15年も前になる。
その頃の自分は今思えば笑えるくらい強がっていたような気がする。仕事に対して真摯だと言えば聞こえはいいが、柔軟性に欠ける頑なさで視野が狭かった。ゾンビだらけのあの惨状の中を生き抜く知恵と銃の腕は身に着けていたが、精神的に強靭とはとてもじゃないが言い難かったように思う。だから――

だから、彼に惹かれたのかもしれない。

『エイダ』

不意に手にしたガジェットから声がして、雇い主と話し中だったことを思い出した。
(私も物思いに耽る年になったのかしらね…)
そう自嘲しながらエイダはいつもの笑みを唇に浮かべて意識を仕事に戻した。
「ミスター、お捜しの物はやっぱりあそこにあるらしいわ。問題は潜入の手段なんだけど、例の男にツテがあるらしいから、仲介してもらうわ」
『手段は選ばん。早急に処理しろ』
「All right. 2、3日中にはカタがつくと思うから、報酬の用意をしておいてちょうだい」
『わかった』
姿が消えた透明のガジェットを見ながらエイダは思った。この雇い主は余計なことは言わないから助かる。この世界でお喋りなのはあまりよい趣味じゃない。必要なこと以外は話さない、行動しない。それが優秀なスパイでいるための大原則であり、エイダの教訓だ。例外はない――いや、ないはずだった。

不意に記憶が巻き戻る。
9年前のヨーロッパ。ウェスカーの元で働いていた時のことだ。潜入した先で再会した彼は新人の警察官ではなく腕利きのエージェントに成長していた。7年という年月は彼を大きく変えていた。面差しから幼さが消え、相応の修羅場を潜ってきたであろう瞳をしていた。でも芯の部分では全く変わってなくて、それを目の当たりにしてエイダの心は大いに揺さぶられた。同時に思い知る。

――私はもうあの頃の自分じゃない。

7年という年月は大きい。その間にスパイとしての自分は成長した。いい意味でも悪い意味でも――感情の起伏などほとんどないはずだった。目的を遂行するためには、どんな犠牲も厭わない覚悟だ。それは今も昔も変わらない。そのためにエイダは全てを捨てた。自分の甘さも弱さも感情も――自分の名前さえ。
それなのに彼に関してだけ言えば――どんなに強い意志を持っていても身体が勝手に動く。放っておけない。その感情が何なのかはエイダは考えること自体を拒否する。答えを見つけてしまえば、自分が今まで犠牲にしたすべてが水の泡となる。それがわかっているから、彼とは関わらない方がいい。
それでも、あの正義感が強くて他人のために自分の人生を賭けることも厭わないお人好しの彼はエイダの前に現れる。それは決まって仕事中だ。他人を利用することに何の躊躇も感慨もないエイダにとって、彼も例外ではない。利用できるものはするし、これまでもしてきた――彼でも、だ。それはこれからも変わらない。

ただ――

エイダは先走ろうとする思考を閉じた。これ以上は考えない方がいい。そう判断して、エイダはガジェットを仕舞うと「もう一仕事しないとね」と呟くと、暗闇に溶けるように姿を消した。


***

男は仲介業を生業としていた。仲介する内容は色々だ。時には危ないモノも扱うが、基本は安全なラインを守っている。それでもたまに危ない物を扱う依頼が舞い込む――今回のように。
男の名はリック。慎重と言えば聞こえはいいが、臆病だと吹かす者もいるのをリック自身は知っていた。それでもリックは自分のこの性格のお蔭で闇取引を扱っても生き抜いてこられたと自負している。だから危ないと思えば即座に手を引く信条に変わりはない。ない、はずだった。

今回は人を仲介する仕事だった。基本的に扱うのは武器が圧倒的に多いが、人の場合も稀だがある。珍しいな、と思いつつ受けて接触してきたのがあの女だった。名前は聞いていない。仲介して終わりだから聞く必要もない――はずだった。
リックは目を閉じて女の姿を思い浮かべる。
スラリとした長身のスレンダーな身体。黒髪は艶を放っていて触りたくなるほど綺麗だった。何を考えているのか読めない表情にはいつも妖艶な笑みを浮かべている。只者ではない、と一目見てわかった。近づくと火傷する、と長年の勘が警鐘を鳴らした。にも関わらず、リックは女に誘われるままに彼女の手を取った。親しくなると彼女の頭の良さに舌を巻いた。女に溺れるほど馬鹿ではないつもりだし、この世界に入ってもう20年以上は経っている自分にとって、女の目的は読めないまでも色恋沙汰だけではないのはハッキリしている。それでも突き放せないのはもう籠絡されているからか。

「捜してほしい物があるの」

そう言った女の要求したモノは正直リックを竦ませた。
少し前に起こったバイオテロは記憶に新しい。一体そんなものをどうするのか、リックにはさっぱりわからない。
手に入れるツテがなければ一笑に付して終わりだったろう。しかし一縷のツテをたどればどうにかなるかもしれない、と思った瞬間には女の要求を呑んでいた。
危ない橋は渡らない、を信条にここまで築いてきた信用をたかが女一人のために失うのか、という心の声は女の妖艶な微笑みにかき消された。

ツテは自分にとって諸刃の剣となりうるものだった。昔に作った貸しを持ち出せば女を送り込むくらいはできるだろう。ただ、女がその後何をするのかは火を見るより明らかで、その女を手引きした自分にも火の粉は降りかかる。その火の粉はきっとリックを焼き尽くすだろう。そのくらい大きな相手だ。
迷いながらも電話に手を伸ばす。呼び出し音の後、相手が出たので名乗って取次ぎを頼む。

「久しぶりだな」
信頼、という言葉はこの世界では存在しない。それを骨の髄まで知っている男だ。リックからの突然の電話を不審に思わないわけがない。
「小耳に挟んだんだが――サンプルの培養に困ってるんだって?」
努めて冷静に声を出したつもりだったが、成功したかどうか自分ではわからない。相手が思案する間があって、その沈黙が永遠に続くかと思った頃――
「何で知ってる?」
「何を?サンプルの内容か?それとも――」
「全部だ」
リックは笑った。
「おい、俺を誰だと思ってる?情報屋だぜ?ネタ元を明かせるとでも?」
「必要なら明かしてもらうがな」
「必要ないね。アンタはサンプルの培養ができる人間を捜している。俺はそれを提供できる。それだけの話だ」
やはり沈黙があって、男はおもむろに聞いた。
「誰だ?」
「元製薬会社の科学者だ。詳細な経歴がいるなら送るが?」
「…送ってもらおう」
リックは相手にわからないように息を吐いた。緊張のあまり握った拳に汗をかいていたことに気づく。
「俺はお前に借りがある。だから信用しよう。だが――」
相手の声音は変わらない。だがかかるプレッシャーが数倍になった気がした。
「わかってる」
かろうじて男の言葉を引き継いだリックは静かに受話器を置いた。汗がこめかみから流れる。目を閉じて汗を拭おうとした時――不意に後ろから手が伸びてきた。
「すごい汗ね」
驚くと同時に振り向いた。いつもの笑顔で立っていたのはあの女だった。
「そんなに怖い相手なの?」
手にしたタオルでリックの額をそっと拭った。鼻腔をくすぐるいつもの匂い。媚薬でも入ってるのか、リックは眩暈を覚えた。力を入れれば簡単に折れそうな手首を掴む。
「約束は果たしたぞ」
至近距離で手を掴んだまま呟くと、女は顔色ひとつ変えずに首を傾げた。
「そうね。じゃあ私もひとつ約束するわ」
掴んだ手首が手品のように翻った。目の前にいた女が消えたと思った瞬間、自分の腕を後ろに捻じり上げられていた。
後ろから耳元で女の鈴を転がすような楽しげな声が聞こえてきた。
「あなたが心配しているようなことにはならないわ。私はサンプルを奪うためにあそこへ行くんじゃないの。だから」
リックは少しでも抵抗すれば腕を容赦なく折るであろう角度で固定されたまま、女の言葉を待った。それ以外になす術はなかった。

――あなたが危ない目に遭うことはないわ。

そう聞こえた瞬間、耳元を掠めた吐息と共に首筋にチクリと痛みが走った。それが何か理解した途端、視界がぼやけて膝が崩れる。

畜生、最初からこういうつもりだったんだな、と薄れる意識の中で悪態をついてはみたものの、自分でもわかってはいた。この女は決して自分の手には落ちない。
それでもリックは蜃気楼を掴むように手を伸ばした。いいように使われるだけと――利用されるだけとわかっていてもなお。最後に見た女の顔にいつもの妖艶な笑みはなかった。困ったような、申し訳ないような表情が浮かんでいて、リックは引きずり込まれる闇に呑まれる刹那、それでもお前のためならいいか、と思った。


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