風を信じて
風を信じて
〜命、賭ける時〜
第一章 風を宿した者として
1
「時は来た! 白き風が吹き、紅き大地を埋め尽くす。風は今、我と共にある!」
……言ってて恥ずかしくなるくらいの台詞。
これを素面で言えたあの人に、改めて尊敬の念を送る。
「忘れるな。我々は風とともに生きてきた! 風の大地は、風の民と共に生きることを望んでいる」
胸が痛む。
大丈夫、これは兵士たちを騙している罪悪感から来るものだ。
「風を信じよ。風は今、私たちを守って下さっている。そう……風は常に私達と共にある!」
城のテラスの下の広場では、兵士たちが声を上げている。
そう、彼らは私について来てくれた者達だ。そして今、再び戦おうとしてくれている。
「……フュリー、下がりなさい。それ以上は、体に負担をかけることになりますよ」
「わかっています。ですが、もう少しだけ彼らに姿を見せていたいのです」
いや、見せなければならない。
彼らが私についてきてくれる限り、私は彼らの前から逃げるわけにはいかないから。
「今、貴方が倒れることが許されると思って? 後は私たちが引き受けます」
「……はい、ラーナ様」
仕方のないことなのかもしれない。
私に残された命は、あと僅かなのだから。
こうして立っている間にも、キリキリと痛む胸は、先程の痛みが嘘をついたことへの罪悪感からくるものでは
ないことを教えてくれる。
「まだ、いけるわ」
既にラーナ様はいない。
テラスに出て、兵士たちを鼓舞しているのだろう。
続いて聞こえて来る兵士の声が、それを教えてくれている。
「ラーナ様に御負担はかけられない。今は私が、シレジア王妃なのだから」
誰の視線も受けない所へ行くまで、我慢しよう。
この胸の痛みは、誰にも気付かれてはいけないのだ。
2
自室にいると、遠慮がちなノックの音がした。
「どうぞ」
「失礼します、母上」
セティ、私の可愛い息子。
「……出陣の準備が整いましたので、その御報告に」
「そう。これで、ようやくあの人にも顔向けできると言うものだわ」
「父上は、必ずお戻りになるでしょう。せめて、それを待ってからでも」
そう言いつつ、セティの表情が歪む。
セティもわかっているのだろう。この機を逃すことが、どれほど致命的な判断ミスなのかを。
「この機を逃すことはできません。それこそ、レヴィン様に会わせる顔がない……」
「でしたら、せめて前線への出陣はお控え下さいッ」
「……それは無理よ。今のシレジアに、ペガサス隊を率いることの出来る武将はいません」
そうなのだ。
もう、あの頃の天馬騎士団ではない。
姉様を失い、パメラを失った天馬騎士団は、グランベルの侵攻により更に、有能な武将を失っていた。
「残り少ない天馬騎士団を無駄にしない為にも、私が前線に立たないと。これは、自惚れではない筈です」
「それはわかります。母上の仰ることが正しいということも。それでもッ」
愛しい。
その聡明な頭脳も、緑色の美しい髪も、その澄んだ瞳も。
全部、あの人と私が望み、育てたもの。
「全軍の指揮官は、勝つことを考えなければなりません。特に、今度の戦いでは」
我ながら卑怯だと思う。
レヴィン様でさえ落とすことの出来た微笑を、まだ若い息子に見せるのだから。
「……フュリー隊長、天馬騎士団を頼みます」
そんな悲しそうな顔をしないで。
まだ、死ぬと決まったわけではないもの。
「大丈夫よ。レヴィン様が帰って来るまで、私はきっと生きてみせるから」
「はい、母上」
セティの笑顔。
どこかで見たことがあると思ったら、鏡に映った最近の私の微笑。
「さ、先に行きなさい。すぐに行くわ」
「わかりました」
礼をした後のセティの動作は、何かを吹っ切っているようだった。
……いいえ、そう見たかっただけなのかもね。
それでも、着慣れた鎧をつけ、愛用の槍を手にした瞬間に、私の戦士としての意識は覚醒する。
「レヴィン様、必ず、生きて戻ります」
準備を終えて、サイドテーブルの上に飾ってある家族の肖像画に目をやる。
セティが笑い、フィーがあの人の肩に乗り、あの人が私の肩を抱いている。
ふと思い出した過去に苦笑して、槍を軽く振る。
「まだ、やれるわ。見ていて、みんな。天馬騎士団の誇りは、天馬の風は、未だ消えはしないわ」
3
言い争いの声が聞こえる。
三人とも、私のよく知っている人。そして、愛しい人。
「マーニャ、フュリーを自分の部隊に引き抜くって、本気なのッ」
「えぇ。悪い?」
「悪いッ。あの子は私の所に来るのよ」
「パメラ、貴方、昨年の首席を自分の部隊に入れておいて、よくもそんなことを」
「何よ、今年の首席をあげるって言ってるでしょ」
「フュリーも次席よ。それに私、首席を入れたの、四年前だし」
「狙ってたわね。とにかく、フュリーは渡さないわ」
……姉様とパメラ姉様の言い争いに混じって、レヴィン様の声もする。
「二人とも、王子の親衛隊に入れるつもりはないのかい?」
レヴィン様、本気ですか?
だけど、嬉しい気持ちは隠さなきゃいけない。
「王子の直属にさせたら、王子がフュリーを食べるじゃないですか」
「ヴッ」
妙な声がした。
多分、パメラ姉様がレヴィン様の腹部に肘撃ちを入れたんだろう。
「そ、そんなことはしないぞ。ちゃんと、フュリーの了承を取ってだな」
「ダメです。大体、妹を自分の隊に引き抜くのに、何の障害があるとでも?」
「フュリーを育てたのがマーニャで、率いるのは別の人でしょ」
「嫌よ。手塩にかけて育てたんだから」
「だから、面倒の起きないように俺の部下に……」
「絶対に駄目ですッ」
さすがのレヴィン様も、この二人にはかなわない。
ラーナ様にさえ力ずくで反抗するレヴィン様も、二人の姉様にはかたなしだ。
そろそろ、助けに行こう。
「……おはようございます、レヴィン様、姉様、パメラ様」
「おはよう、フュリー」
「そこで手を握らないッ」
挨拶代わりに近寄ろうとしたレヴィン様は、パメラ姉様によって取り押さえられた。
床に押えつけられて、その上には姉様が腰をかける。
最近の、よく見られる連携プレイだ。
「あの、レヴィン様が……」
「いいのよ。私たちのフュリーを奪おうなんて、十年早い」
しきりに頷く姉様の下で、レヴィン様がもがくのをやめた。
きっと、魔力を蓄えているのだろう。
「そうですか。あ、それよりも姉様、私、配属が決まりました」
「そう、それは良かったわね。で、何処に?」
「はい。ラーナ様の近衛兵士隊に配属されることになりました」
本当のこと。
でも、それだけで姉様たちの顔色が変わった。
「ラーナ様の、か。奪い返せるかしらね……」
「お見通しね。争奪戦から景品を奪い取るようなものだわ」
小声で囁きあう姉様たちの下で、遂にレヴィン様が動いた。
「切り裂け、烈風の風よ!」
魔力を受けた風が姉様たちを襲う。
でも、襲っただけで、レヴィン様の立場がいっそう悪くなっただけ。
服を切り裂かれた姉様たちの顔が修羅に移行する。
「マーニャ、王子はどうやら私たちの裸を見たいそうよ」
「そうみたいね。たっぷりと見せてあげましょうか」
「ま、待った! 謝るッ」
可哀想なレヴィン様。
でも、怒った姉様たちは誰にも止められない。
今回はラーナ様でも無理だろう。
「王子、本日は戦闘訓練から開始してもらいます」
「み、水は嫌だ! 俺、こんな寒い中で泳ぎたくないッ」
「大丈夫です。私たちもお供致しますから」
「い、嫌だッ。フュリー、何とかしてッ」
すいません。黙って手を振らせていただきます。
いつかきっと、貴方様をお側でお守り致しますから、その時にでも復讐して下さい。
「じゃあね、フュリー」
王子を引き摺ってゆく二人の姉様を見送る。
いつまでもこんな時間が過ぎればいいと思いながら。
4
「フュリー隊長、敵影、確認しました!」
感傷は消えた。
今、なすべきことをしなければならない。
「戦闘隊形に移れ」
「ハッ」
自分の周囲を固める天馬騎士団の動きを見て、自分の能力の低さを思い知る。
かつての天馬騎士団とは比べ物にならない。
遅い。
あまりにも遅い。
「私が先頭に出る。アウロラ、お願いね」
「はい」
かつていた私の副官は、グランベルの侵攻時に戦死した。
フュリー隊の生き残りは、天馬の扱いに一番長けていたアウロラだけ。
それでも、いないよりはマシだ。
彼女に全体の指揮を取らせ、私は一兵士へと戻る覚悟を決めた。
「我等天馬騎士団、風の王の命により、その命、貰い受ける!」
天馬を急降下させ、細身の槍の切っ先で、鎧の隙間から頚動脈を切断。
返す槍で首を跳ね上げ、血飛沫の中で正面の敵の顔面を貫く。
天馬の上昇とともに手槍を構え、背後から狙っていた敵に投げ、そして貫く。
「我こそは風を宿しきシレジア王妃、フュリーなる! この命、奪えるものなら奪うがよいッ」
まさか、平野を悠然と進軍するとは思っていなかったのだろう。
敵の部隊に弓隊はいない。
「空翔ける天馬に、その様な鈍い動きでしとめられると思うなッ」
「隊長に続け!」
次々と降下してくる天馬騎士に、敵の陣形が崩れる。
技量的には以前に劣っているものの、決して弱くはない。
ここまでの戦いを生き残った者、数年に何人か現れる天性の持ち主。そう、決して弱くはないのだ。
「……風は無形。望めば味方となり、軽んじれば敵対する」
銀の槍に持ち替え、手当たり次第重装備の敵を殺していく。
このシレジアに重装備はいらない。
戦争とは、機動性と汎用性。
それを証明するのがこのシレジアなのだから。
「レヴィン様、貴方の風はまだ、私に吹いているようですね」
命の鼓動を感じられるから。
まだ仲間が見えるから。
戦い続けます。
明日の風を感じる為に。
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