宇宙空間で君とドライブを

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  8−4  

 功とドルーアが一度追い払ったおかげで、朝乃のもとにマスコミは来ていない。だが近所の人たちはそれとなく、朝乃が裕也の姉と分かっているようだ。裕也と朝乃は、顔が似ている。そもそも同じ名字だ。
「髪を切るなら、もっと場所を選んだ方がいい。ドルーアと君は悪目立ちしていた。美容院にも迷惑だっただろう」
 ニューヨークは、きつい調子で言う。彼の言うとおりだと、朝乃は落ちこんだ。ドルーアがやってきて、ショッピングモールも美容院も大騒ぎだった。彼は「写真は撮らないで」と周囲の人たちに言っていたが、隠し撮りは防げるものではない。
「君の言うことは一理ある。けれど君の正論より重要なものが、朝乃にはあった。そして僕は、彼女の考えを支持した」
 ドルーアは反論した。ニューヨークの表情が、ますます険のあるものになる。しかし朝乃は、ドルーアに向かって言った。
「いえ、私が軽率でした。もっといろいろ考えるべきでした」
 このレストランの中では、誰もドルーアをじろじろと見ない。盗撮もしない。ひとりの客としてもてなす。個室に案内してくれた男性も、朝乃たちがもめ出したころに、すっといなくなった。
 レストランのほかの客たちとも、二、三人ほどすれちがったが、彼らもまた騒がなかった。朝乃はドルーアと行動するならば、こういった店を選ぶべきだったのだ。最初にドルーアに言われたとおり、彼のよく利用する美容院に行くべきだった。
 だが、そのような店を選んだ場合、朝乃には支払えなかっただろう。いつもどおり、ドルーアに甘えることになった。
 もしくは、今日行った美容院には朝乃ひとりで行くべきだった。付き添いの大人が必要だとしても、功か翠に頼むべきだった。そうすれば、誰からも注目されなかった。結局、朝乃は考えが足りなかったのだ。
「ごめんなさい、ドルーアさん」
 朝乃は謝罪した。ドルーアは困った顔になる。すると個室のドアが、内側から開いた。ひとりのおじいさんが顔を出す。スーツ姿で、ネクタイをしていた。彼はニューヨークに対して、心配そうに英語で問いかけた。
「何をもめているんだ?」
 おそらく彼は、ニューヨークとドルーアの祖父の弘だろう。
「もめていないよ」
 ニューヨークは気まずそうに答えた。弘は困ったように、朝乃たち三人を見る。
「こういう状態をもめていると言うんだ。これ以上、廊下で立ち話をするのはやめなさい。悪目立ちするし、ほかのお客さんにも迷惑だ」
 彼の言うことは正しかった。ニューヨークははじて、ほおを赤くする。そしてさっと部屋の中に入った。ドルーアはなぐさめるように、朝乃の頭をなでた。それから、さきに部屋に入るように促す。朝乃は部屋に足を踏み入れた。
 個室には、ニューヨークと弘と、ドルーアの祖母のサランがいた。彼女は車いすに座っている。優しそうなおばあさんだった。ドルーアが入室してドアを閉めると、弘が朝乃にほほ笑みかけてきた。
「初めまして。私は、ドルーアの祖父の斉藤(さいとう)弘」
 日本語であいさつする。朝乃も笑顔を作って、あいさつを返した。
「初めまして、村越朝乃と申します」
 この人が浮舟20のヒロか、と少しミーハーな気持ちになる。朝乃は昨日、浮舟20のドキュメンタリー番組を功と観た。功は熱心に解説して、彼が本当に浮舟20にあこがれていることがよく分かった。今日は功のために、弘の写真を撮らなければならない。
「君に会えてうれしいよ。しかし私は『ドルーアの祖父』とは名ばかりで、彼と会うのは九年ぶりだ」
 弘はちらっとドルーアの方を見てから、わざとらしいため息をついた。テレビ番組の中で弘は若かったが、今、目の前にいる彼はおじいさんだ。ただ若いころの面影は残っている。
「おとといも三日前も電話で話したじゃないか。昨日だって、メールでやり取りしたし」
 ドルーアは居心地悪そうに、ぶつぶつと言う。弘は孫を、じとーっとした目で見た後で無視した。また朝乃に話しかける。
「聞いておくれ、お嬢さん。彼は約十年間も、『今、浮舟で暮らしています』の便りさえ寄こさなかった。なんという薄情さ。恩知らず。私は、かわいい孫の出ている映画もドラマもほとんど全部、観ているのだが」
「観なくていいよ。まったくもって観る必要はない」
 弘のせりふを食い気味に、ドルーアは強く言った。弘は少し驚く。
「今すぐ視聴をやめてくれ」
 ドルーアは苦虫をかみつぶしている。心底、観てほしくないらしい。そんなに嫌なのか、と朝乃は反応に困る。弘は愉快そうに、くっくっくと笑った。
「ニューヨークもニューヨークで、ある日いきなり、スーツケースを転がして家にやってきた。しかも『留学生用の寮が嫌になったから、この家で暮らしたい』と言う。私とサランは、彼が浮舟の大学に留学していることすら知らなかったのに」
 今度はニューヨークが、肩身をせまくする番だった。
「留学に関しては、母さんが話していると思っていたんだよ」
 彼は英語で、小声で言い訳をする。弘はニューヨークのせりふも無視した。そして大仰に嘆く。
「ふたりとも普段は全然、連絡してこないくせに、ある日突然、現れる。私の心臓はいくつあっても足りない」
 孫ふたりは、弘に頭が上がらないようだった。ドルーアもニューヨークも、口をへの字にしている。兄弟らしい、似たしぐさだった。ちょっとかわいく感じるが、笑ってはいけないのだろう。
「けれど今日は、来てくれてうれしいわ、ドルーア。毎日、いそがしいのではないの?」
 サランがするりと言葉をはさんで、ドルーアにほほ笑みかける。こちらは英語だ。さっきから英語と日本語が入り乱れている。ドルーアは車いすの前でひざまずいた。祖母と目線を合わせてほほ笑む。
「僕は人気者の大スターだから、予定はぎゅうぎゅうに詰まっているよ。でもサランのためならば、いくらでも時間は作る。ただ弘は相変わらず、説教ばかりで耳が痛いな。あの頑固じじいは」
 すると弘は、片手で乱暴にドルーアの頭をつかむ。
「図体ばかりでかくなって。お前こそ変わらないな!」
「痛い。弘、本当に痛いって!」
 ドルーアは上から押さえこまれて、弱々しく抵抗する。
「ちょっとはマシな人間になったのか? 朝食は抜くな。夜更かしばかりするな。脱いだ服を洗濯かごに入れられるようになったのか?」
「自分で洗濯しているさ。当たり前だろ」
 ドルーアは尻もちをついてしまう。弘は楽しげに笑った。彼は、ひさしぶりに孫に会えてうれしいのだろう。はしゃいでいるのだ。
 朝乃はドルーアを、うらやましく思った。朝乃と裕也の祖父母は、父方も母方もすでになくなっている。サランが朝乃にほほ笑みかけてきた。
「初めまして、朝乃さん。私はシン・サラン。ドルーアの祖母です」
 きれいな日本語だった。朝乃も腰を降ろして、彼女と視線を合わせる。そしてほほ笑んだ。
「初めまして、村越朝乃と申します。いつもドルーアさんには、お世話になっています」
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