宇宙空間で君とドライブを

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  番外編「おろかなまちがいとコミュ力の低い彼」  

「そうよね。アメリカから逃げられて、よかった」
 リゼは、ひとりごとのように答えた。クリスは背後で黙っている。今はイーストサイドに亡命できて、両親の心配事は減った。
 リゼ自身も、だいぶ心の平安を取り戻している。リゼはカウンセラーに定期的に通っていた。日曜日の朝は、家族で教会に行くこともある。次の火曜日には月経不順改善のため、婦人科を受診するつもりだ。
 リゼは裕也のことは忘れて、現状で満足すべきだった。けれど、まだ彼のことが好きだった。
 裕也はリゼを見捨てて、姉だけを連れてアメリカ軍から逃げることはできた。だがそうはせず、リゼと家族をさきに逃がした。リゼたちがイーストサイドに来れたのは、裕也の自己犠牲のおかげだった。
「手伝ってほしい。俺と一緒に、すべてを燃やそう」
 だから裕也が突然、リゼの部屋に現れて、姉の日本脱出を手伝ってほしいと言ったとき、リゼはすぐに「何でもする!」と返事した。
 リゼと裕也は瞬間移動で飛んで、リゼは、裕也がひとり暮らしをしていたマンションの部屋を大いに燃やした。火だねなど要らない。リゼは発火能力者だ。次は、アメリカの複数の宇宙港を、小火(ぼや)になる程度に燃やした。
 その後、リゼはいったん家に帰った。家族には内緒にしていた。リゼがイーストサイドにいる間に、裕也は姉を中立の月面都市に逃がした。すべてが順調だった。リゼは裕也に連れられて、今度は日本の宇宙港を燃やした。ところが力加減を失敗して、炎を出し過ぎた。
 そもそも裕也みたいに、自由自在に力を扱える超能力者はまれだ。そしてリゼは特に、力にむらがあるタイプだった。調子が悪いときは、ろうそくに火すらつかない。逆に興奮したときは、あたり一面が火の海になる。危険としか言えない能力だ。
「この港、防火設備が働かない!」
 リゼは煙にむせながら、裕也に訴えた。鹿児島宇宙港は、手抜き工事だったのかメンテナンスをさぼったのか分からないが、防火扉や火災用スプリンクラーなどが作動しなかった。火はまたたく間に広がり、その勢いにリゼは恐怖した。
 しかし消防士たちがやってきたので、裕也とリゼは安心して逃げた。次に東京宇宙港にも火をつけたが、これまた火災報知機やスプリンクラーなどが働かない。消防士たちも来ない。
「ニュースでは、テロリストが火をつけてもすぐに消えると言っていたのに!」
 裕也はろうばいしながらも激怒して、日本語でさけんだ。炎は熱く、制御できない。熱風がほおを焼く。無力なリゼは、ただ裕也にしがみついた。彼はリゼを、イーストサイドの家まで送った。そして自身は秘密裏に消火活動を手伝うために、宇宙港に戻ろうとした。
「危険よ。裕也もやけどをしている。手当てをしなくちゃ」
 リゼは引きとめた。だが裕也は「俺の責任だから」と言い、瞬間移動で飛んでいった。リゼは両親に泣きついて、自分と裕也のやったことを全部話した。
「あなたたちはなぜ、こんなバカなことをしたの!?」
 リゼのやけどの手当てをしながら、父母は泣き怒った。長かった髪は燃えて、ばっさりと切るはめになった。
「日本とアメリカを混乱させて、姉を日本から脱出させる。そのために、いろいろな場所に火をつける」
 裕也はリゼに、そう説明した。けれど本当は、リゼも裕也も火をつけたかっただけかもしれない。自分たちを兵士として利用し続けた、アメリカと日本に対する恨みと怒りで。
 アメリカの軍用宇宙港をうまく燃やして、港のスタッフや軍人たちを大騒ぎさせたときは、腹の底から愉快になって笑ったのだから。
「やった! ざまぁみろ」
 ホワイトハウスにも火をつけてやろうか、とさえ思えた。完全に浮ついて、気が大きくなっていた。何も冷静に考えられなかった。リゼはものおもいに沈んで、うつむいた。それから顔を上げて、父と母にメールを書く。
 裕也には恋人がいなかったこと、彼の姉の朝乃に会ったこと、ふたりを家に招待したことなどを書いて送った。
 送信後に振りかえると、クリスはまだ同じ部屋にいた。つまらなさそうな顔をして、壁にもたれて立っている。パソコンでゲームをしたくて、待っているのではない。弟はリゼを心配しているのだ。
「裕也が持ってきたシュークリームを、インターネットで調べた。中国で人気のある洋菓子店のものだったよ」
「なぜ、わざわざ調べたの?」
 リゼは、多少の非難をこめて聞いた。もらったものを調べるなんて失礼だ。クリスは悪びれない。
「裕也がリゼをどう思っているのか、分かりづらい。とりあえず変なものではないし、適当に買ったものでもないと思う。値段も高い目だった」
 クリスは裕也に対して、態度が厳しい。父親もそうだ。それは過去のリゼと裕也の関係を考えると、仕方のないことだった。もちろんふたりとも、リゼを戦場で何度も助け、亡命までさせてくれた裕也に感謝はしているが。
 裕也の方も、クリスたちが苦手なようだ。アメリカにいたときも、イーストサイドに亡命してからも、裕也はクリスたちに対して腰が引けている。
「あの陰気な裕也がデパートでおしゃれな菓子を買うなんて、想像できないけれど」
 クリスは首をすくめる。裕也は謝罪しながら、シュークリームを渡してきた。いまいち彼の真意が分からない。裕也はいつも気難しくて、理解できない。だが、
「裕也は、お姉さんの朝乃がいると、だいぶ表情が明るく豊かになるの。よくしゃべってもくれる」
 これを認めると、さびしい気持ちになる。しかし今日、朝乃が恋人という誤解が解けたのは、裕也がアメリカ軍にいたときより、ずっと多く話すようになったからだ。つまり朝乃のおかげである。クリスは、考えるような表情になった。
「それは、やっぱり家族だから?」
「うん。裕也にとって朝乃は、唯一無二の家族よね。彼は、戦争で両親をなくしているから」
 リゼが入ることのできない、血縁の輪。裕也は姉をわがままと言っていたが、あの善良で穏やかな女性のどこが身勝手なのか。
 裕也は世界で一番、特別な超能力者だ。アメリカ軍にいたとき、彼さえいれば、どれだけ劣勢でも戦争に勝てると言われていた。そして、それは事実だった。裕也は、アメリカの戦略兵器でもあった。
 けれど彼は瞬間移動で、どこへでも行ける。裕也を縛ることはできない。しかし彼は朝乃を人質に取られたために、アメリカ軍に拘束され続けた。朝乃だけが、裕也を引き留めることができるのだ。
「世界で一番、特別な超能力者の、世界で一番、大切な人」
 リゼがつぶやくと、クリスは何とも言えない顔をした。昨日、裕也はクララたちと、リゼの家にやってきた。クララたちの亡命の手助けをするためで、リゼに会いに来たわけではない。
 それでもリゼは裕也のために寿司を作り、彼を待っていた。リゼにとって裕也は命の恩人で、彼をもてなすのは当然だった。だが実際に裕也と会うと、驚いてわが目を疑った。
 彼の顔つきが、別人のように明るくなっていたのだ。髪もすっきりと短くなっていた。裕也の方も、リゼの髪が短くなっていることにびっくりしていた。しかし彼は事情を察し、何も言わなかった。
「なぜ髪を切ったの? ずっと伸ばしていたのに」
 リゼは黙っていられず、たずねた。こちらに気を使って、同じタイミングで散髪したのか? でも、そんな風には思えない。裕也はしぶしぶ英語で答えた。
「俺は朝乃と会った。朝乃と翠が、俺の髪を切る。翠は、翠は……? 彼女は、親切な女性である」
 恋人の朝乃と再会できたから、裕也は明るくなったのだ。リゼはそう思って、ショックを受けた。真実は、裕也は姉と会っただけだったが。また、唐突に名前が出てきたなぞの女、――翠は、朝乃の義母で既婚者で妊婦でもあった。
 リゼは、自分のかんちがいがはずかしい。とにかく朝乃はそんなぐらい、裕也にとって影響力のある人物なのだ。
「もちろん私にとっても、家族は世界で一番、大切よ」
 リゼは言い訳するように、クリスに言った。リゼと裕也は、話す言葉や文化や宗教がちがっても、同じ価値観を持っている。枝葉は異なっても、根っこの部分は同一なのだ。
「それは分かっている。もしかして朝乃に嫉妬している?」
 クリスは心配そうだった。リゼは考えた後で、首を振る。
「朝乃は、すごくいい人よ。私の話を聞いてくれるし、ていねいに話してくれるし、瞬間移動でぱっと消えたりしないし」
 クリスは苦笑した。
「裕也のコミュニケーションがひどすぎるせいで、朝乃がすばらしい人格者に思える」
 リゼは、うっと言葉につまった。裕也は話を聞かないし、ほとんど何も話さないし、すぐに瞬間移動で逃げる。あんな風に気軽にぽんぽん飛べるのは、世界中を探しても裕也だけだが。
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