宇宙空間で君とドライブを

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  番外編「彼と解ける誤解とメールアドレス」  

 リゼが日本語に不慣れなように、裕也も英語に慣れていない。そろそろコンピュータの通訳ソフトを頼るべきかもしれない。リゼと裕也の間には、常に言葉の壁が立ちはだかっている。
「俺は悲しい。なぜなら朝乃は、俺の姉だからだ」
 裕也のセリフに、リゼは首をかしげた。
「朝乃は、あなたの恋人でしょう? あなたが病気で寝こんだときに、おかゆやうどんを作ってくれた優しい女性」
 裕也は、まゆをひそめる。
「Yes?」
 あいまいに肯定した。彼はアメリカ軍にいたとき、体調を崩すたびに、朝乃の作ったものが食べたいと言った。リゼの用意したチキンスープを食べて吐いたこともある。
「あなたのお姉さんはわがままな人と、あなたは言っていたわ」
 これも軍にいたときに、裕也がそう話していた。俺の姉は身勝手だ、しかし大切な人だと言っていた。だから裕也は姉を人質に取られて、アメリカ軍に拘束され続けた。なので朝乃と裕也の姉が、同一人物であるはずがない。
「Yes.」
 裕也は少し考えてから、今度は自信まんまんに答えた。それからリゼに懇願する。
「でも朝乃を嫌わないでほしい。実は彼女は、いい女の子なんだ」
「無理よ。朝乃は、あなたの恋人だもの」
 リゼは悲しい気持ちで、首を振った。裕也は、けげんな顔をする。
「恋人?」
「恋人よ。スイートハート、ガールフレンド、スペシャル」
 単語が聞きとれなかったらしい裕也に対して、リゼは同じ意味の言葉を列挙した。裕也の黒色の瞳が見開いていく。顔が、幽霊のように白くなった。
「Nooooooo!」
 裕也はリゼの両肩をつかんで、さけんだ。彼の過剰な反応に、リゼは驚く。裕也は、日本語と英語でまくしたてた。
「なぜそんな、かんちがいを? Look at me. Same face! 朝乃はsisterだ。Sister! ずっとsweet heartだと思っていたのか? ミンヤンさんはこのことに気づいて、リゼと話せと……。We are twins. ふ・た・ご!」
 彼はパニックになっている。何を言っているのか、ほとんど聞き取れない。
「落ちついて、裕也」
 リゼは彼をなだめようとした。シュークリームの箱は裕也の手から離れて、所在なさげに中空に浮かんでいる。こういうときでも、彼は自由自在に超能力を使う。裕也はリゼの肩をつかんだままで、うつむいて長く息を吐いた。
「朝乃は俺の姉だ。リゼは、朝乃の顔を見るべきだ。それが、すべてだ」
 ゆっくりと英語でしゃべってから、リゼを抱き寄せる。ともに瞬間移動するつもりだ。リゼは彼にしがみついた。落とし穴に落ちたみたいな浮遊感。リゼは裕也と飛ぶことには慣れている。光の速さで、リゼは朝乃の家にいた。
 朝乃は裕也と同じ顔で、びっくりしていた。しかも彼女は、家族と食事中だった。リゼの突然の訪問は迷惑だっただろう。
(私はメールで、もっと謝った方がいいかしら? でも、あまりくどくど謝罪するのも……。それに瞬間移動で朝乃の家につっこんだのは、私ではなく裕也だし)
 リゼは右手で、短くなった自分の髪のさきをつまむ。少しでも好感度の上がるメールを、朝乃に送りたいのに。するとドアの開く音がして、弟のクリスが部屋に入ってきた。
 彼は十六才で、十九才のリゼより三つ年下だ。リゼと同じ青い目をして、髪も同じ金髪だ。朝乃と裕也ほどではないが、リゼとクリスは似ている。
「パパの部屋のパソコンで、何をやっているの?」
 クリスは目を丸くしていた。
「そのパソコンは、僕のゲーミングPCでもあるのだけど」
 オンラインゲームをしたいから、パソコンを譲ってほしいらしい。
「裕也がアドレスを教えてくれたから、朝乃にメールを書いているの」
 リゼは答える。よって、高性能のパソコンを使う必要はない。だが、なんとなくいい文章が浮かびそうなので、リゼは父親の立派なデスクトップコンピュータを使用している。
「あれ? 本当にアドレスを送ってきたの?」
 クリスは驚く。それから考えこんだ。
「あれだけリゼが騒げば、裕也も折れるか。それに彼は結局のところ、リゼのわがままを聞くよね」
 さきほどリゼは裕也の瞬間移動で、朝乃の家から自分の家のリビングへ戻った。クリスは、突然、部屋に現れた裕也とリゼに仰天した。彼はそもそも、リゼの不在に気づいていなかったそうだ。
「一言ぐらい連絡してから、テレポートしてきてよ! 僕の新しい電話番号もメールアドレスも昨日、教えたよね?」
 クリスは裕也に訴えた。常識的な主張だった。そしてクリスは昨日、裕也に自分の連絡先を押しつけていた。リゼは裕也をかばうことにした。
「裕也にとって、メールするのは瞬間移動するより面倒なのよ。彼は一瞬で、どこへでも飛べるから」
 メールより瞬間移動の方が楽とは、すごい話だ。しかし実際、裕也はそうだ。彼はテレポーテーションで、ぱっとリゼに会いに来る。それはアメリカ軍にいたときから、そうだった。
 リゼも一応、瞬間移動ができる。調子がよくて、さらに小さな物体ならば、魔法みたいに移動させれる。めったにないが、この上なく調子がよいときならば、自分の体も移動できる。数ミリメートルぐらいしか動かないが。
「だからって、いきなり来られたら迷惑だし。こっちの身になって考えてよ」
 クリスは顔をしかめる。ふと見ると、裕也がこっそりとリゼとクリスから離れていっている。これは勝手に瞬間移動して消えるつもりだ。裕也は、そのパターンが多い。
「待って!」
 リゼは追いかけて、彼の腕をつかんだ。これで裕也はひとりで瞬間移動しづらくなる。イーストサイドに亡命してからのリゼは、――裕也と離ればなれになったリゼは、いつも必死に彼を引き留める。
 次に会う約束はできた。彼がミンヤンの家に隠れ住んでいることも知っている。実質、裕也の保護者になっているホセとも、メールで連絡を取り合っている。
 裕也の今のメールアドレスも、ホセから教わった。一度、メールを送ったが、返事は来なかった。とにかく、リゼはもっと裕也と会って話したいのだ。彼の姉の朝乃とも。
「朝乃のメールアドレスを教えて!」
 とっさに出てきたお願いだったが、なかなかに名案だった。
「私は朝乃と、もっと話したい。彼女もきっと、そう思っているわ」
 裕也は困ったように、目を泳がせた。これは、強く押せばいける。リゼはそう思って、がんがんにせまった。早口の英語だったので、彼は半分くらい聞き取れなかっただろう。
 裕也は、朝乃にメールアドレスの件をたずねると言って、瞬間移動で消えた。リゼはそこまで期待せず、クリスと遅めの昼食を取った。食べながら、弟にことのてんまつを教える。そして食後、朝乃のアドレスが裕也から送られていたことに気づいたのだ。
「ともかく、裕也に恋人がいるのが誤解でよかったね。僕は最初から、リゼのかんちがいかなぁと思っていたけれど」
 クリスは、知ったかぶりを発動させた。彼は昨日まで、「裕也は不誠実だ」と怒っていた。弟は背後から、リゼの書いているメールをのぞきこむ。
「朝乃にメールを送るより、パパとママに『裕也に本命の恋人はいなかった』と連絡しなよ。ふたりとも、すごくリゼを心配している。特にパパは、裕也の不実さに腹を立てているから」
 これに関しては、弟の言うとおりだ。リゼは両親に心配ばかりかけている。アメリカ軍にいたとき、リゼが戦場へ行くたびに両親は心を痛めた。結果的にリゼが軍にいたのは一年と数か月程度だったが、その間、父母は生きた心地がしなかっただろう。
 裕也との不安定な関係も、彼らの心を痛めた。裕也が強引にリゼを押し倒したこともあれば、リゼが彼を誘惑して無理やり抱かせたこともあった。たがいに性的同意などなかった。避妊をしなかったときもある。リゼはずっと月経不順で、今もそうだ。
 いつ望まぬ妊娠をしてもおかしくない状況だった。よってリゼは、母親には相談していた。父と弟には言いづらかった。だがふたりとも、ある程度は察していると思う。
 その一方で、裕也は何度もリゼの命を救ったので、両親はそのたびに彼にお礼を言った。けれど、裕也と話す両親の手がかすかに震えているのを、リゼは見ていた。
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