宇宙空間で君とドライブを

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  番外編「君はまだ子どもで、僕は大人だけど不安ばかりが先立つ」  

 運命の再会を果たしたのに、ドルーアとジャニスは手を取り合えなかった。ふたりは何度も衝突し、憎しみ合った。
 その一方で、ドルーアはジャニスを愛していた。常に別の恋人、――遊び相手の女性がいたにもかかわらず、心のどこかにジャニスがいた。そしてジャニスもそうだと思っていた。彼女にも絶えず恋人がいたが、ドルーアはジャニスからの視線を感じていた。
「ドルーア・コリントはどんな女性でも口説くが、ジャニスだけは避ける」
 ドルーアは周囲から、そんな風に笑われていた。ドルーアとジャニスの付き合いは、長く深い。共通の知り合いや友人も多い。いつからかは分からない、ジャニスは、Sランクの超能力者で戦争の停止を訴える千里眼のミンヤンと親交を持つようになった。
 ジャニスは歌手活動をやめた。いっときは消息さえもつかめなくなり、ドルーアはひどく心配した。しかし数年後、ジャニスは芸能界に復帰し、平和を訴える歌を歌い始めた。
 ドルーアに対する態度も、柔らかいものに変わった。そして去年、チャリティーコンサートで、ドルーアはジャニスと共演した。
「また君の声に合わせて、ピアノを弾ける日が来るとは思わなかった」
 ふたりはほほ笑みを交わしあった。ドルーアは女遊びをやめた。翠からのアドバイスもあったので、一時的な恋人を作らなくなった。
 ドルーアは、ジャニスが心を開くときを待った。彼女がドルーアの過去の過ち、――おろかな浮気を許してくれる日を。そしてジャニス自身が犯した罪に折り合いをつける日を。
 ジャニスは五年以上、戦意高揚歌を歌っていた。彼女の歌だけが原因ではないが、戦争はどんどんと激しさを増し、大勢の人が死んだ。ジャニスの自責の念を思うと、ドルーアは胸が苦しい。時代に流された自分を、ジャニスはどれほど悔いているのか。
 ドルーアはすでに二十八才で、ジャニスは三十才を超えていた。彼女は手紙という危険な手を使って、ドルーアに愛を望んだ。ドルーアは、ジャニスの差し出した手を取ろうとした。けれど朝乃の泣き顔がちらついて、ドルーアは自分の手をひっこめた。
「あなたがジャニスと結婚すれば、きっと朝乃ちゃんは泣くでしょう。でも数か月後には立ち直っている。そして、素敵な恋人ができている可能性もあるわ」
 翠はドルーアにそう言った。苦い言葉だった。朝乃とドルーアは出会ったばかりだ。出会ってまだ十日にも満たない。
 さらに朝乃の恋は、幼くかわいらしいものだ。「私はあなたに恋をしています」と顔に書いてあるだけだ。ベッドに誘ってきたり、言質を取ってきたり、将来の話をしてきたりするわけではない。
 だから朝乃が泣くとは言っても、しょせんはいっときだけのことだ。対してドルーアはどれだけ長い間、ジャニスにこだわり続けたのか。
「僕も君と同じ意見だ。だが、それでも朝乃を手放したくない」
 言ったとたん、身を引きさくような痛みが走った。翠も悲しげに顔をゆがめる。ドルーアは痛みに顔をしかめながら、ジャニスに電子メールを送った。
 ――君より大切な人ができた。僕がプライベートで、君の手を取ることはない。友人として、君の幸せを願っている。
 きっと一生、この選択を後悔する。ドルーアほど計画性のない人間はいないだろう。ジャニスはドルーアに失望したにちがいない。あんな手紙を送り、最大限の譲歩を示したのに、ドルーアはジャニスの期待にこたえなかった。
 それともドルーアは、ジャニスをまた傷つけたのかもしれない。白人女性と浮気をしたときのように。ドルーアからの返事を読んで、ジャニスは深く悲しんでいるのかもしれない。
(けれど誰を傷つけても、朝乃だけは守りたい。それだけは譲れない)
 彼女は、ドルーアにとって聖域だった。朝乃は今、ドルーアを信頼して安らかに眠っている。信士の家で彼女は、ドルーアが朝乃を守れないことはないとニューヨークに断言した。ドルーアは、ひそかにうれしかった。
 彼女は真実、天使だと感じる。朝乃のことを思うとき、ドルーアの心はあたたかくなる。彼女がいれば、ドルーアは強く優しくなれる。ジャニスとは思い描けなかった幸福な未来が想像できる。ドルーアはきっと、いい夫に、そしていい父親になれる。
 だが、さっきは思った以上に嫉妬してしまった。朝乃の頭をなでながら、ドルーアは思い返す。朝乃と一郎が親しげに会話しているのを見た瞬間、ドルーアは本気でかちんと来た。
「朝乃は僕にほれている。そして僕は、彼女を手放すつもりはない」
 そんな言葉が、口をついて出そうだった。しかしドルーアは自制した。ドルーアは大人で、一郎はまだ大学生、――子どもだったからだ。子どもに対して、先述のような大人げないせりふは言えない。それに、朝乃が彼にひかれているようにも見えなかった。
 なのにタクシーに乗り、朝乃とふたりきりになったとたん、ドルーアは彼女の肩を強引に抱き寄せた。独占欲からだった。
「僕から離れるな」
 と言いたかった。恋愛には、異性愛、同性愛、両性愛など、いろいろな形がある。一生、恋をしない、性的な興奮を覚えない人たちもいる。ただ一番、数が多いのは、同世代の異性に恋するパターンだろう。
 ドルーアはそのパターンだ。朝乃も、そうだと思う。功や翠、ドルーアがこだわり続けたジャニスも、そうだろう。けれど朝乃は今、十一才も年上のドルーアに恋をしている。彼女にとって、不自然な恋愛をしているのだ。
 いつか朝乃はこの不自然な状態から脱して、自分と同世代の男性と手を取り合うのかもしれない。そういった不安が、ドルーアにはあった。だから余計に、朝乃と楽しく話していた一郎に嫉妬したのだ。
(情けない。ただこれからさき、こういう機会は増えるだろう)
 朝乃は月に来たばかりで、彼女の人間関係はせまい。ドルーアの目の届く範囲に限られている。だがいつまでも、このままではいられない。
 それこそ学校に通うなり、アルバイトとしてレストランで働くなりしたら、一気に朝乃の交友範囲は広がる。朝乃に想いを寄せる人間も、デートに誘う人間も出てくるだろう。朝乃の目には、ドルーアが色あせて見えるのかもしれない。
 朝乃には自立した大人になってほしいと、ドルーアは願っている。したがって、朝乃の交友関係が広がることは歓迎している。けれど彼女の世界が広がることは、ドルーアにとっては恐怖でもあった。朝乃がほかの男性に目移りするのではないかと、気が気ではない。
「僕は君のために、あのジャニスを捨てたんだ。君はそのことを理解してくれ」
 そんなかっこ悪いせりふが出てきそうだった。実際には、そのような恩着せがましい言葉は口にできないが。朝乃には、はやく大人になってほしいと思う。子どもの朝乃に、ドルーアは手を出せない。功と翠が怒り狂うだろうし、道徳上、許されない。
 それから、シスコンをこじらせている裕也の反応が予想できない。直視したくない現実だが、朝乃のブラコンぶりもひどい。さっさとブラコンから卒業して、ドルーアの恋人か妻になってほしい。
 その一方で、朝乃にはまだ子どもでいてほしいとも思う。ずっとこのまま、自分のひざの上で眠っていてほしい。無垢な天使のままで。自分の矛盾した気持ちに、ドルーアは苦笑した。
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