宇宙空間で君とドライブを
番外編「君は宝石の原石で、僕はおろかな子どもだった」
ふと気づくと、ドルーアに肩を抱かれて、朝乃は眠っていた。タクシーの車内で、ドルーアは苦笑する。自分の過去話はつまらなかったらしい。いや、単に疲れただけか。朝乃はドルーアと信士とともに市庁舎へ行き、その後、信士の家で長居した。
信士から家に来ないかと誘われたとき、ドルーアの脳裏にはニューヨークの姿が浮かんだ。信士の息子の一郎が、ニューヨークの友人なのだ。
だが前回、ドルーアが信士の家に行ったとき、ニューヨークも一郎も現れなかった。だからドルーアは、家に行くことを気軽に決めた。しかしドルーアの楽観的な予想は外れて、ニューヨークはやってきた。
(まさかあんなにも、大きくなっているなんて……。僕より背が高いじゃないか)
ドルーアはため息をつく。ドルーアの覚えているニューヨークは、十才程度の子どもだった。一緒にバスケットボールやサッカーをして、結構、仲がよかった。
浮舟に留学する前も、ドルーアはニューヨークとよく遊んだ。そのときの彼はほんの五才くらいで、ドルーアになついていた。ドルーアは家のプールで、彼にバタ足を根気よく教えた。
それが、あのように反抗的になるとは。ドルーアはうんざりとする。弟の顔には、はっきりと「あなたが嫌いだ」と書かれていた。嫌われても構わないとは思うものの、ドルーアは意外に意気消沈していた。
ドルーアは、昔、ニューヨークにしたように、朝乃の頭をなでた。ほおにキスをして、彼女の頭を自分のひざの上に置く。ジャケットを脱いで、朝乃が寒くないように体にかけた。
「朝乃にキスしないでくれ。彼女にとって、キスは恋人同士でするものだ」
前に、功からこのようなことを言われた。朝乃が月にやってきた日の夜のことだ。麻酔銃で撃たれた朝乃は、病室でこんこんと眠っていた。
ただドルーアは、功の言葉を守るつもりはなかった。なぜなら朝乃は、キスを嫌がっていないのだ。加えてドルーアも、友人の範囲をきちんと守っている。
朝乃には、絶対に嫌われたくない。だからドルーアは、彼女が嫌がることはしない。もしも彼女に嫌われたら、生きていけない。
いや、別に死ぬわけではないが、一生、立ち直れないだろう。そんなぐらい、ドルーアの中で朝乃の存在は大きかった。そして彼女のために、ドルーアが捨てた存在も。
「あなたは彼女と一緒に、和平を訴えてくれる存在です」
二日前、裕也がジャニスからの手紙を持ってきた。手紙には、あなたを愛している、あなたと恋人同士になるのに何の条件も要らない、私にとってあなたこそ唯一無二の宝石だと書かれていた。
ジャニスは芸能人で、さらに知名度も高い。ゴシップ記事もよく書かれる。ドルーアもそうだ。よってドルーアたちは基本的に、自分の気持ちを話さない。心情を吐露するときは、人も場所も選ぶ。自分の言葉が、記録されないようにも気を配る。
したがって、恋情を手紙に書いて送るというリスキーなことはしない。もし、この手紙が悪意のある誰かの手に渡ったら、どうするのか? ドルーアはぞっとした。ジャニスの尊厳を守るために、今すぐこの手紙を燃やして、誰の目にも触れないようにしたかった。
「これが僕の気持ちさ。君がバーのステージに立っているにも関わらず、君の歌を聴かずに酒を飲む客たちに、見せびらかせばいい。私はこれだけ愛されて求められている、私は輝く宝石の原石だと」
もう十年以上も前のことだ。ドルーアはジャニスに手紙を渡した。その当時、ドルーアの故郷のヌールでは、古典的な方法で愛を伝えるのが若者たちの間ではやっていた。ドルーアはそのはやりに乗って、上質の封筒と便せんと万年筆を買い、ラブレターを書いたのだ。
そして、どれだけ懸命に歌っても注目されない、プロになれないと歯がみしていたジャニスを励ました。だが彼女は手紙を喜ばなかった。まゆをひそめて、不審者を見るような目でドルーアを見た。
「ヌールで紙の手紙がはやっている? あなたは、金持ち国家ヌールの子だったの?」
ジャニスの反応に、ドルーアは微妙に心が傷ついた。けれど本当は、ジャニスは手紙がうれしかったのかもしれない。今も、あの手紙は彼女の手もとにあるのかもしれない。
だから今回、ジャニスは手書きの手紙というリスクの高い手段を選んだ。ドルーアからのラブレターに、返事を送ったのだ。ジャニスへの想いが、色鮮やかにドルーアの心中によみがえる。彼女からの手紙は、ドルーアを簡単に過去に戻した。
「私は必ず、歌手として成功するわ。どんなことをしてでも」
ジャニスは野心を持ち、翡翠の瞳はぎらぎらと燃えていた。はたから見て危うく感じるほどに、はい上がろうとする気力に満ちていた。特権階級ばかりが住むヌールには、彼女のような人はいなかった。ドルーアは一目で彼女にひかれ、夢中になった。
ドルーアはジャニスを口説いた。言いよるだけでは飽き足らず、彼女と一緒にステージに立つようにもなった。幸いにして、ドルーアはピアノが弾けた。バックコーラスも、適当にやってみれば、なんとかなった。
ドルーアはジャニスにくっついて、バーでもレストランでもライブハウスでも歌った。彼女とともに歌手になろうとも考えた。星間戦争が始まる三年前のことだった。
「ピアノ伴奏だけではつまらないだろ? 僕は君のために、ギターも練習中さ。僕ほど、君を助ける人間はいない」
ドルーアはジャニスに、買ったばかりのアコースティックギターを見せた。
「こんな値段の高いものを、親からの小遣いでぽんと買うことができる。あなたは本当に、おぼっちゃまね」
ジャニスはあきれていた。軽蔑もしていたのかもしれない。彼女はアルバイトで日銭を稼ぎながら、歌手になるという夢を追いかけていたのだ。くわしくは教えてもらえなかったが、父親はいないと話していた。
対してドルーアは両親とも健在で、金を稼いだこともなかった。ジャニスより三つも年下で、何かと幼かった。ふたりは別世界の住民だった。
けれどジャニスは、ドルーアがそばにいることを許した。何度もベッドで抱き合った。ドルーアもジャニスも、まだ十代の若者だった。だが結局、半年程度でドルーアたちは破局した。ドルーアが浮気をしたせいだ。
「もう二度と、私の前に現れないで」
ジャニスは怒り、プライドの高い彼女なのに涙も見せた。ドルーアはこれ以上はなく、ジャニスを傷つけたのだ。おろかな過去の自分を、殺してやりたいと思う。
ドルーアとジャニスの道は別れた。もともと、ふたりはちがう世界に住んでいた。これからさき彼女と会うことはないだろう。
しかし五年後、映画「チャレンジャーズ」がヒットして、ドルーアは予想外に芸能界に入った。そして、歌手として成功しているジャニスと再会した。彼女は、星間戦争を美しく飾り立てる『戦の歌姫』になっていた。
「月面都市が国家として認められてから、百年以上がたった。けれど今でも、『月は地球に従うべきだ、月面国家が宇宙軍を持つことは許されない』と考える地球人たちが大勢いるわ」
戦争反対とさけぶドルーアに対して、ジャニスは、けっして避けられない戦いと主張した。
「地球の権力者たちは、火星だけではなく、月面都市群をも手に入れようとしている。月の富をこれ以上、地球に搾取されてはならない。月の独立を守るために、地球と戦うべきよ!」
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