中国文化が日本文化を誕生させた

小  論  集


はじめに

 正直言って、自分が25歳頃にまとめねばならないと思った考えを、この年になってやっと、ごく初歩的にまとめ上げられることが出来たような気分である。自分のこの問題での基本的な考え方は、以下の5点につきる。
  1. 近代以前の日本の伝統文化と言えるものの大部分が中国に起源している。
  2. それは、日本というものが最初からあって、それが中国文化を取捨選択したのではなく、中国文化の列島への流入によって、列島の諸要素の凝縮がはじめて可能となり、日本文化と言えるものが誕生したのである。
  3. それは最初、「都」の貴族だけのもの、いわば「点」のようなものであったのが、戦国時代を契機に全国に広がった。
  4. 中国も、漢民族という巨大民族は戦国から秦漢にかけて形成されたものであり、それまでの中国は現在の55の少数民族を彷彿させるような「南方」系、「北方」系、様々な民族要素が存在していた。それが戦国から秦漢にかけて統合されだし、統合されなかったものは少数民族として残った。それらは山間部に残されたり、辺境に移動し、当然、現代の国境線を越えての移動もあった。
  5. 日本の中に残る「南方」的、あるいは「北方」的要素というものは、元々、現在の南方(北方)のものというよりも、元は中国本土にあった可能性があり、特に「南方」系要素に関しては、直接渡海して(あるいは朝鮮半島を経由して)列島に渡来した可能性が大きい。

 まだまだ深めていかねばならない問題も多いが、思いつき始めてようやく20年にして、やっと初歩的に文章化できたような感じである。
2007年1月13日 

収録論文一覧


 中国文化が日本文化を誕生させた

 
日本と中国との文化的共通性について

 
日本語の数の数え方について

あ と が き



東アジアの北方系言語と南方系言語、及び両者の混合による漢語の形成

概 要 一 覧


中国文化が日本文化を誕生させた 約7000字
 「改正」教育基本法は、我が国の伝統と文の尊重を規定しているが、我が国の伝統と文化は決して「我が国」だけではぐくまれたものではない。中国、韓国・朝鮮はじめアジア近隣諸地域との長期にわたる交流の中で、はじめて形成されたものである。特に、中国文化の問題は単なる影響にとどまらず、中国文化の流入によって、はじめて日本文化が形成されたと言えるのである。つまり、中国文化無くして、そもそも「日本」自体が存在し得なかったのである。


日本と中国との文化的共通性について 約6500字 
 言語が異質であるから、日中の文化が異質であるなどと言うのは、いわゆる「現代の神話」である。そもそも、言語語族区分というものは、文明や文化の問題とは何ら関係のない問題である。
また、日本語だけでなく、朝鮮語もベトナム語も、「孤立した系統不明言語」であるし、日本の中の「南方」「北方」要素と称されるものも、元々中国本土にあった要素が、民族間の興亡の中で、四散した結果、南(北)に移動したり、海を渡って東に移動したりした結果なのではないか。どちらにしろ、そのような「南方」的、「北方」的要素を日本文化というものに凝集したのは、中国文化の力があってこそである。

日本語の数の数え方
(「大和言葉」とはどういうものか?) 約8000字
 漢字・漢語伝来以前の「大和言葉」には、20(はた)より上の数を示す言葉はない。「モモ・チ・ヨロズ」が100・1000・10000の意味を持つに至ったのも、それらの語が「百・千・万」という漢字の翻訳語(訓読み)として採用されたからであり、数を示す言葉だけでなく、「大和言葉」(和語)と称されるものの多くは、漢字・漢語の翻訳語(訓読み)として採用される中で、再編・形成されていったものであり、更に言えば、日本語自体、元からそんな言語があったのではなく、漢字・漢語の翻訳作業の中で編成・体系化され、形成されていったものである。

あとがき 約3500字
 古い原稿を整理していると、かつての『私的東アジア世界』HPに載せなかった習作が出てきた。新ページ開設当初、、これに手を加えて、「東アジア世界史論・はじめに」と題して掲載したのだが、これは本小論集の「あとがき」にするのがふさわしいと思い、追加することにした。