ホームページ タイトル
本文へジャンプ
現代イギリスを見る眼

日本では、イギリスという国は、長く「近代化」「民主化」のお手本として考えられてきました。これは根拠のない見方ではありません。政治の上では、17世紀の名誉革命以後、イギリスでは立憲君主制という政治体制が創られました。他のヨーロッパ諸国でまだ君主が絶対的な権力をもつ政治体制が支配的だった時代に、限られた階層しか選挙権を持っていなかったとはいえ、国民から選ばれた議会が、君主をおさえて政治の実権を握りました。宗教や言論の自由も、当時のほかの国には例をみないほど幅広く認められました。経済的には、18世紀最後の四半世紀から19世紀初頭にかけて、イギリスは世界で最初の産業革を経験します。その結果、19世紀半ばにはイギリスは世界史上「最初の工業国家」(マサイアース教授の言葉)になりました。ヴィクトリア時代には、世界の工業製品の過半がイギリス一国で生産されました。経済力に裏打ちされた圧倒的な海軍力を背景に、イギリスは人類史上最大の帝国、大英帝国を建設します。大英帝国の版図は、世界の4分の1にまで達しました。『アラビアのロレンス』という映画で、イギリスの将校がアラブの族長に、「イギリスは小さな島だが、偉大な帝国を建設した」と言い放つシーンがあります。鼻持ちならない傲慢さですが、でも全くの法螺とはいえません。

しかし、歴史は単純な二分法ではなかなか割り切ることはできないものです。イギリスのいわゆる「近代化」「民主化」の歩みは、あらゆる矛盾と葛藤に満ちたものでした。政治についていえば、議会が権力を握ったといっても、古い君主の権限は残り、貴族も大きな力を持ち続けました。国民に平等な選挙権が与えられ、議会制民主主義とよべるようになるには、20世紀にいたる長い苦難に満ちた道のりが必要でした。貴族の構成する貴族院がもつ拒否権も、20世紀初頭になってようやく制限されたのでした。また宗教的な自由とはいっても、イギリスには国教会制度が厳然として存在し、19世紀までカソリックには、官吏になる道も大学の学位を取得する道もふさがれていました。確かに産業革命は、イギリスに繁栄をもたらしましたが、それはスラムに集められた膨大な労働者の過酷な低賃金と長時間労働によって支えられていました。七つの海の波を制した大英帝国は、イギリスの文明の果実を世界の隅々にまでもたらしましたが、同時にそれは、アイルランドのポテト飢饉やアヘン戦争などに象徴されるように、残忍な異民族支配の爪あとを地球のそこかしこに残しました。

こうした点を考えると、イギリスを「近代化」「民主化」のお手本として捉えているうだけでは十分ではありません。イギリスの歴史を、その内包する矛盾と葛藤を見据えて分析する必要があります。イギリスの歴史を紐解くと、そこには常に深い亀裂が走っていたことに気づきます。イギリスが階級社会であることはよく指摘されています。重要なことは、イギリスの階級は、単なる収入の違いではなく、文化的な違いでもあったことです。映画『マイフェアレデイ』が見事に描いているように、アクセントさえ階級によって明確に違っていました。宗教についても、同じキリスト教だとはいえ、深い宗派的な対立がありました。宗教改革以来、カソリックとプロテスタント、プロテスタントの中のイギリス国教会と非国教徒の対立が、イギリスの歴史を彩ってきたといっていいでしょう。映画『エリザベス』の冒頭のシーンで、カソリックの女王メアリーの下、ピューリタンの信者が十字架で火あぶりにされるシーンがでてきますが、宗教の自由はこの業火の中から獲得されていったのです。

 そしてイギリスは、鋭い民族的な対立に苦しんできました。もちろん地球全体に広がった大英帝国は、植民地の民族ナショナリズムによって引き裂かれる運命にありましたが、そもそもイギリス自体、ひとつの国ではなく、四つの国からなる連合国家(United Kingdom)であることをわすれてはいけません。連合王国という枠組みは、決して生易しいプロセスで生まれたものであはありませんでした。スコットランドとイングランドは、長年にわたって死闘を繰り広げてきました。18世紀初頭についにスコットランドとイングランドの合邦が行われますが、18世紀半ばまでスコットランドの独立をめざすジャコバイトは大規模な反乱を繰り返し、今もスコットランド国民党は、スコットランドの独立を掲げて強い勢力をもっています。アイルランドでは、つい最近まで流血の惨事が続いていました。

こうした複合的で重層的な矛盾と対立の中で苦しみ、時に血まみれになりながら、イギリスは、長い時間をかけて、自由民主主義の上に立つ議会制度を育て、福祉国家を建設し、帝国から脱皮してきたのでした。それは決して単線的な進歩発展などではなく、矛盾と対立、断絶と反動に満ちた屈折した道のりでした。しかしその苦闘の道のりと知恵からこそ、学ぶものがあるのではないか、と私は思っています、