「傘かしげ」という言葉があるそうだ。狭い路地などで傘をさした人同士がすれ違う際に、互いの傘がぶつからないように自分の傘を外側に避ける仕草のことである。人が首をかしげる様に似ていることが言葉の由来かもしれないが、相手に対する配慮がしぐさに出る、うつくしい行為だと思う。「江戸しぐさ」として受け継がれてきたというが、傘を外側に避けねば相手の傘に当たることは普通わかるはずであろう。ことさら「江戸しぐさ」というまでもないのではとも思うが、実際に傘をかしげてくれる人はそう多くはない。それだけに現代人の他人に対する配慮のなさが感じられて心寂しくなり、それこそ首を傾げたくなること度々である。
そう思うことは何もめずらしい事ではないのかもしれない。先日、妻の買い物に同行したときのこと。隣のレジで精算をすませたおばあさんが買い物籠用のカートをもういらないとばかりに隅の方に突き放した。誰にも当たらなかったが、えっ?と思った。どうするつもりかと思ってみていると、あとは知らぬ顔である。カートが止まったところはATMのすぐそば。しばらくすると出金する人の列ができ、列はカートのところでねじれた。スーパーを出ると、駐輪場があり、歩道がある。その歩道の半分以上をふさぐ形で止めた自転車が1台ある。避けて通らざるをえない。避けて通る。しばらく行くと、横断歩道で待つ親子がいる。子供はまだ二〜三歳であろう。その横を平気で赤信号を無視して渡る人数人。子供はどう理解すればよいのだろう。いちいち気にしていては身が持たない。気にならなくなるということが現代を生きていくためには必要な能力のようである。
だからこそ、一冊何百円かの文庫本の中で、いい話しに出くわしたときなどは思いがけず、こころが洗われたようにすがすがしい気持ちになる。数年前「送付案内」でご紹介した山本周五郎さんの「雨あがる」はそんな本のひとつである。現実がそうであるか否かは別にして、いやそうでないからこそ作者は人の心の優しさを描きたかったのではないか。つかの間の現実逃避といわれるかもしれないが、現代にはとてもいそうにない好人物たちの振る舞いに癒される。名作が生き残る理由はそういうところにもあるのかも知れない。
休憩時間にときおり文庫本を楽しむ私の事務机は道に面して置かれている。夏の間は窓を開けているので、すだれ越しに道行く人たちの姿が見える。そしてときおり学校帰りの子供たちが向かいのRクン、斜め向かいのRiクンに声をかける。Riクン、Rクンも彼らに応える。「Riクン!」「ワンワン」「Rクン!」「わんわん」。犬も子供たちも邪気がない。彼らがうらやましくなる。ただRクンもRiクンも犬なので、「傘かしげ」はできないようである。
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