「くそぼっこ」
ホーム 上へ 季節はちょうど境目である

 

 先日知人が貸してくれた文庫本「青春デンデケデケデケ」(芦原すなお)は私の故郷香川県を舞台にしていて、時代は昭和40年代前半、ベンチャーズなどに代表されるエレキギターのバンドが若者の視線の先にあった時代である。ほぼ私の年代と重なる。千里山の教会の塔

 本の裏表紙を見ると“1965年の春休み、ラジオから流れるベンチャーズのギターがぼくを変えた。やっぱりロックでなけらいかん―四国の田舎町の高校生たちがくりひろげる抱腹絶倒…”とあり、「こら、おもっしょげなわ」(これは面白そうだ)と思い、一息で読んでしまった。映画監督の大林宣彦さんが解説を書かれていたので、映画化されていることを知り、ついでにビデオを借りてきてこれも見た。

 少し驚いたのは主人公が学校近くの「神戸屋」という楽器店のショウウインドウに飾られているエレキギターとアンプを飽きずに眺めている様子であり、私の「いい歳になったということ」の自分と同じだったことである。つまりあの当時の高校生というものはそんなものだったのだろうと思う。現に私たちの高校でも音楽のセンスのあるものは彼らと同じように文化祭で演奏や歌を披露していて、私をうらやましがらせたものである。もっとも私たちの頃には少しずつフォークソングのグループが増えてきたり、グループサウンズなどという今から思えば少し気恥ずかしい分野も私たち高校生には充分魅力のあるものとして受け入れられ始めていた。

 ところで私がこの本を一気に読んでしまった理由は二つある。同世代の高校時代を描いたもので、それ故にひととき私自身も高校時代に逆戻りできたということ、そしてもう一つはやはり大林監督も仰るように「讃岐弁」である。これが標準語で書かれていたら、この小説は死んでしまったのではないかと思う。讃岐弁で書かれたために登場人物にも存在感があったと思う。

 

讃岐弁は先頃の讃岐うどんブームのきっかけとなった「恐るべきさぬきうどん」でも大活躍している。私たちはそれぞれ青春期までを過ごした土地の言葉には自然愛着を持ち、私のように故郷を離れて35年も過ぎてしまったようなものにとってコテコテの方言というものはアルバムをめくって遠い昔のことを思い出させてくれるものである。

 逆に藤沢周平氏の小説には一切方言が出てこないのではなかろうか。先年映画化され話題になった「たそがれ清兵衛」も数ある氏の作品の一つである。氏の作品はたいていの場合北国のとある小藩とあるだけで具体的な地名も記されていないのだが、氏の出身地山形県鶴岡市がその舞台であろうというのが定説のようである。そして映画では真田弘之、宮沢りえがしっとりとした東北弁を使って、原作をより味わい深いものにしてくれたのではないかとさえ私には思えた。方言とはいいものである。

  私のHPのお師匠さんはご夫婦ともども鹿児島出身の人で、そのブログにもたまに薩摩言葉がチラホラすることがある。ご夫婦の間では薩摩言葉が飛び交っている様子が伺える。なんだか外国で暮らす日本人夫婦を連想して笑えてくる(Yさんスミマセン)。「青春デンデケデケデケ」を読み、讃岐弁が美しく思えてきた…とは正直思わないが、強い郷愁を覚えたことだけは事実である。私の妻が同郷であれば、まわりを気にせずに讃岐弁で喋ったかもしれない。

 

 「うどん食べたけん、腹おきたな」

 (うどんを食べたから、お腹が満腹になったね)

 「ふがわるいけん、やめてつか」

 (格好悪いから、やめてください)。

 「ほっこげなことゆうたら、いかんがな」

 (馬鹿なことをいうなよ)。

 「やっぱり、くそぼっこじゃわ」

 (やはり、この亭主は大馬鹿!)。

 なんだかわけの分からない話になってきたので、このへんでおしまいにするが、最後の「くそぼっこ」は母が私によく言った言葉である。

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