そのかたわらで、暇を見つけては日本各地の旅行にあけくれたり、浅間山のスケッチや油絵の制作などを行って余暇を過ごす。
大学卒業後は、4年間の建設会社勤務につき、現場監督として主に連続地中壁工法の技師として関西を飛びまわる毎日を過ごし、着工前の騒音測定等を行っては京都府の工事課などへの事前交渉などをこなし、男だけの世界で忙殺される日々をおくり、数々のデイトを没にした。
大阪駅前ビル建設の事故責任をおって自殺した上司をみて、考えるところあり教職の道に転進する。教職に転じてのちは、面白い理科実験授業の創造に日々埋没し、『青少年のための科学の祭典』では、モーターで作る綿菓子製造機のお店を出展したり、生物クラブの指導員として動植物の鑑定などにたずさわる。
蛍の人工飼育やキベリハムシの飼育は、自分への課題として長年に渡って調べたものである。
兵庫の昆虫かるたの制作委員として写真や編集にもたずさわるなどした。
定年を前に趣味の一つとして新たにステンドグラスという創造の世界を付け加えることができたのは幸いである。
いつか、イタリアへガラスの入手をはかる旅に出られる日がくるのが楽しみである。現在は再雇用の1年目を小学校に勤務する。
60過ぎればリチャード・ギアを目標に日々肉体改造にとりくみ、定年に合わせて腹筋がわれるまでになり、娘に笑われるロマンスグレーの一応紳士である。
現役の時から5時から男に徹し、魚釣り、テニス、スキーなどよく仕事もしたが、遊びは更に上をいく。
最近は、ゴルフのまねごとを始め、できるはずのない右手にいつも豆をこさえ、顔も洗えぬ右肘痛に悩まされる日々を送る。
ラケットも握れぬ右手でも体力維持のため、感性の衰えをボディラインに出さないための孤独で無駄な努力を欠 かすことなく、いつも明日にそなえている毎日である。
(平成23年8月3日)
|