3年間の時間講師という第二の人生が無事に終わり、息子の就職が決まり、娘の大学卒業を見届けたのちは、おいらの人生の再出発。もう何も遠慮はしないぞ、好きなことを好きなだけやってやってやりまくるぞ。車は念願のキャンピングカーにかえるぞ、日本国中旅から旅のスケッチ放浪人生するぞ。分け入っても分け入っても蒼い山・第二の放浪の詩人の種田山頭火するぞ。たった一度きりの人生、夢を追いつつもやりたいことは全てやるぞ。
滑りまくるそんなぞ、まってろよ俺の空・俺のゲレンデ・・・たおやかなお前の肌を一生感じ取って志賀の展望台に立ち続けてやる。
シャリシャリという車のチェーンの音に慣れずに寝付けなかった大学1年生、それがいつのまにかチェーンの音を聞かないと寝付けなくなっていた大学4年生。まさに信州・長野県はおいらの第二の古里。「美味しそうな林檎ですね」「一つ持っていき」、大きいのは自然だけでなく、そこに住む人々の心までが大きく温かい。そんなことを肌身に感じながら過ごした学生時代。残念ながら『信州大学に行けば』という、おいらの言葉は愚息の耳には届かなかったのが残念無念ではある。
いつかきっと俺を育てたあの孤高の山なみよ大自然よ、腐りきった下界・都会の人間の醜さ・卑しさにはあきあきしたぜ。俺はお前が限りなく大好きだぜ、本物の男が男でいられる場所、待ってろよ俺がお前を愛でてやる。お前は俺に足の裏で雪面を感じ取る人生、心で人を見つめる人生を教えさずけてくれた。その反面、いつも大胆かつ繊細に一歩、また一歩と慎重かつ大胆に歩む人生そのものを厳しく教えこんでくれた。お前となら全てを燃やしつくしても価値あることを俺は誰よりもよく知っている。信州大卒の山男だからな、いつか第二の古里のお前の胸懐に帰る宿命だったんだよな。
とりあえずの、出先『アトリエ志賀』を長野県千曲市のスナック『バーディー』におくことにする予定。
ここは俺の大のファンのママ(例の浅間山荘事件で撃たれた機動隊員が運び込まれた上田市の小林脳外科の元看護婦)の経営する店なんだよな。
今でも高校・大学の仲間達みんなで旅行やスキーのついでに必ず立ち寄る店なんだよな。ここのママは、看護学生時代には、毎晩のように俺たちの下宿に遊びにきては夜遅くまで話し込んでいたよな。誰も信じないだろけど、3年間毎晩のように遊びにきていても、何事も起こらない男と女の関係で俺はよくおじゃまむしとよんだりしていたっけ。
さて、まずは手始めにここでの小物販売をやらせてもらうことからアトリエ志賀の足がかりを築く予定なんだよな。他人と同じことをしていては夢の方から逃げていく、では夢をどうやって現実のものにかえていくか(教師一人の給料で・・・)がこの十年おいらの頭の上に重く重くのしかかっていたっけ。
漠然としていた夢の下絵がやっと完成し、少しずつ現実の色を帯びてきはじめた今が一番充実の時かな・・・。
人が心に思い浮かべないものは決して実現はしない・・・だよね。
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