足の指の間が痒くなる心意気
2002年9月28日(土) 「空気を縛る」 |
パソコンの前に小型のテレビを置いて、脇には電話。テレビを見ながら更新したりチャットにいそしんだりしていると、わんこから電話が掛かってくる。 左肩に受話器を挟み、両手でキーを叩きながら左目でモニター、右目でテレビを見つつ、わんこと会話する。と言ってもそんな聖徳太子みたいなマネが出来るわけもなく、全てが中途半端に終わる。チャットの話題には乗り遅れる、更新した文章は支離滅裂、テレビは何やってたか覚えてない、わんことの会話は成り立たない。 わんことつきあってこの10月でもう5年目。以前の蜜のような時期を過ぎ、互いがだんだんと空気のような存在になってきて、以前に比べるとより適度な距離を保っている感じがする。そのぶん互いのことがよく見えてきた、とでも言うのだろうか。密着していなくても、互いのことが判るようになったのだろうか? それぞれのやりたいことや、それぞれの友人のつきあいなどに費やすことのできる時間が増えてきたような気がする。それでも時間の許す限り一緒にいたいとは、相変わらず思うのだが。 つきあい始めた頃は電話の時間はホントにそれだけに集中していた。一人の部屋で身振り手振りを交えつつ、必死になって受話器の向こうのわんこに語りかけていた。わんこの息づかいの一つ一つも聞き逃すまい、と耳をそばだてていたものだ。 だが、いつまでもそんなのが続けられるわけがない。毎日小一時間も電話してたら話すことだってだんだん無くなってくる。燃え上がる炎が大きければ、それだけ早く燃え尽きるモノだ。知らず知らず、不必要なところではエネルギーをセーブしてきたのだろう。なんといってもこれから数十年は(今度こそは)おつき合いを願わなければならないわんこだから、いつもいつも轟々と燃え上がっていたならば、まず持たない。心も、カラダも、ナニも持たない。 今更言うまでもないが、ふだん空気を意識はしてなくても、それが無ければ息が詰まって死んでしまう。互いにとって互いが空気のような存在であることが理想ならば、空気を縛ることは決して出来ないモノだ、と言うことを全身で理解しなければならないだろう。 互いを理解し、認め、許してこそ、そういう関係を築くことができるのだ。 だから多少電話がお留守でも、許して欲しいわけだな。うん。 |
片言隻句 声聞けば 満足してすぐ 眠くなり 夢で叱られ 汗かき起床 志さま 受話器を持って つい舟を漕ぐ 3太郎 |