足の指の間が痒くなる心意気

2002年8月31日(土) 「親孝行」

 そろそろ三十路も半ばに差し掛かろうというのに、我が親には不孝の積み重ねばかり。その不孝がになって見えやすいのは、どうしても金のことばかりになってしまうが、本当は違う。

 親は未来永劫自分の親であり続け、そして子は子であり続ける。妻や夫はいつかはそうでなくなるときも来るが、それに比べて、親は親、子は子。このつながりは死んでも切れない。いくら嫌いであろうとも、いくら憎んでも、いくら離れていても。

 ほとんどの親は子に無償の愛を注ぐ、はずである。ただただ子の幸せを願い、ひたすらに愛を注ぎ込む。しかし不器用な親の愛ほど、しばしばその愛は金のカタチを借りて表される。

 時には愛の量が過剰にすぎるキライもあり、その圧倒的物量に方向を見失っている子の姿も見かける。またその逆のパターンも最近では特に目立つ。金のある親はその金で愛を買い、金のない親もまた、何故か金で愛を買おうとする。金のカタチで購われた愛には、多かれ少なかれカタチでの答えが求められる。答えられないもどかしさ、しかし求められる答え。だからこそ親子の間に、本来なら生じ得ないはずの、憎しみや苛立ち、そして腹立たしさが生まれてくるのだろう。

 しかし、例え金にカタチを変えてしまった愛であっても、親のその愛は子の幸せを願って注がれる一心不乱のモノだ。子がそれに報いるためには、やはり幸せになることが一番の答えなのだ。

 親のために幸せになるのではない。自分のために幸せになるのだ。誰かのために、と気負ってしまってはその気負いに潰されてしまうだろう。

 親から受けた愛は、やがて生まれるであろう我が子に返していこう。そして我が子へ与えた愛も、その子どもへと受け継がれていけばいい。その愛の継承を絶やさぬことが、親への恩返しであり、親孝行なのだ。

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片言隻句

幸せは 金で買えると 思う人

主、主たらずば 臣、臣たらず
志さま


買ってもせいぜい 一夜限りよ  3太郎
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