An Account of  OKINAWA Trip

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PartU〜沖縄の風景

沖縄といえば代表的な樹木がある。
「ガジュマル」だ。
枝をいびつに張り、その枝の途中から豪快に木根を垂れ下げる。
木根はやがて地表に到達し地中に侵入し、また新たな幹となる。
亜熱帯らしい生命力の強さにしばし感動する。

「寒緋桜」の美しさは想像以上だった。
ある山などは一帯が緋色に染まっていた。
黒アゲハが蜜を吸っている。
ここはもう、春なのだ。

「シーサー」も無視できない。
無視できないどころか、向こうから視線の範囲に、無理やり飛び込んでくる。
右を向いても左を見ても、屋根といわず門柱といわず、シーサーだらけだ。
シーサーといえば昭和40年代の「ゴジラ対メカゴジラ」に
「キングシーサー」なる怪獣が出ていたっけ。あれは、弱かった…
それはともかく。
神社だけにいる狛犬に非常に似てはいるが、シーサーは民家や集落を守っている
狛犬と同様雌雄があり、阿形吽形の二体で一対である。

シーサー同様よく見かけたのは「石敢當」
魔よけのお守りらしく、民家の塀の辻々にあたる部分の下部に、よくある。
沖縄の魔物(まじむん)は角を曲がるのが苦手で、ひたすら直進してくる。
道の真正面に家があると魔物がまっすぐに入ってきてしまうので、この魔除けを掲げ、侵入を防ぐ。
直進してきた魔物は、この魔除けで敢えて石に当り砕けてしまう、と伝えられているらしい。


沖縄の古城は、本土のそれとは違う。明らかに中国風である。
ちなみに城と書いて「グスク」と読む。
沖縄がまだ「琉球王国」であったころ、本島は三つの勢力に分かれて争っていた。
結局室町時代ごろに首里城を有する尚氏の一族が江戸期の島津家の侵入まで沖縄全島を支配する。
王家は存続していたものの、「琉球藩」として維新を迎える。
明治政府により王権は剥奪されたものの、琉球の精神の象徴ともいうべき城は
庶民の祈りの場として近年まで、沖縄に住む人々の心のよりどころであった。
再建作業の進む、コンクリートの匂いのする首里城の規模には驚かされた。
しかし、石垣のみ残る今帰仁(なきじん)城に、風情を感じるのは僕だけではあるまい。
首里城にしても米軍との沖縄戦まではかなりの建物が残っていたそうであるが…


道を歩くと不意に傍らの藪の中や山の斜面に作られた墓が目に入る。
家型と亀の甲羅のような「亀甲墓」がある。
特に亀甲墓は母胎を意味し、死者は子宮に入ることによりいつの日にか再生する、と信じられていたそうだ。
墓は一応その家のものであるが、直系の者しか先祖と同じ墓には入ることはできないと言う。
近年ではしかし、その墓に入ることを嫌う世代が増えている、と言う。


そういえば。
ゲートアヴェニュー(嘉手納基地近くの通り)の居酒屋のマスターが言っていた。
「最近の若い子は沖縄弁がまったくしゃべれない。テレビのせいでしょうかねぇ…」
その分関西弁がやたら通じたりもするのだが。
沖縄も、確実に変わりつつあるのだ。


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