An Account of  OKINAWA Trip

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PartV〜沖縄の光と影

沖縄を語るとき避けることが出来ないもの…
それは「基地と戦争」である。

第二次大戦の沖縄地上戦があって、日本本土決戦は避けられた部分が少なくない。
米軍基地が沖縄に集中してるので、本土には基地が少なくて済んでいる。

この2点を忘れてはいけないのだ、ということを現実として刻み込んでくれた今回の旅は
それだけでも有益であった。


「ひめゆりの塔」「平和の礎」
これらのモニュメントの指し示すものを我々は決して見失ってはいけない。
しかし、外敵によってこの国のカタチすら失われることを、
この十万を超える犠牲者たちが望んでいたとは思えない。

  恥しめを受けぬ前に死ね
  手りゅうだんを下さい
  鎌や鍬でカミソリでやれ
  親は子を夫は妻を
  若ものはとしよりを
  エメラルドの海は紅に
  集団自決は手を下さない虐殺である

                  (丸木位里・俊「沖縄戦の図」添え書きより)


僕は決して反戦論者ではない。
日本だって日本人だって戦うときには戦わなければならない、と思っている。
自分もそのときは、国や郷土や先祖の思い。
そして家族、愛する人たちを守るため銃を取るだろう。取らざるを得ないだろう。

しかしそこには現実感がないのも事実だ。
沖縄には実にたくさんの基地がある。
戦争では武器を持つものからまず叩かれる、という不文律がある。
そうなると、やはりオキナワが再び本土に住む我々の犠牲になる可能性も否定できない。
いや、そうなってしまうだろう。

反面、基地によって生活を成り立たせている人たちも少なくない。
これも事実だ。
基地があっても困る。なくても困る。
先祖からの土地を基地に強制収用されている者、基地によって食いつなぐ者、基地の騒音に怯える者…

オキナワの青い海は、我々が再び訪れるのを
今と変わらぬ色で待ってくれているだろうか…
そして、その青さを守るのは…誰なんだろうか…


      ざわわ ざわわ ざわわ
      広い さとうきび畑は
      ざわわ ざわわ ざわわ
      風が 通りぬけるだけ
    今日も みわたすかぎりに
    緑の波が うねる
    夏の ひざしの中で

      ざわわ ざわわ ざわわ
      広い さとうきび畑は
      ざわわ ざわわ ざわわ
      風が 通りぬけるだけ
    むかし 海の向こうから
    いくさが やってきた
    夏の ひざしの中で

      ざわわ ざわわ ざわわ
      広い さとうきび畑は
      ざわわ ざわわ ざわわ
      風が 通りぬけるだけ
    あの日 鉄の雨にうたれ
    父は死んでいった
    夏の ひざしの中で

…(中略)
     ざわわ ざわわ ざわわ
     忘れられない 悲しみが
     ざわわ ざわわ ざわわ
     波のように 押しよせる
   風よ 悲しみの歌を
   海に 返してほしい
   夏の ひざしの中で


     ざわわ ざわわ ざわわ
     風に 涙はかわいても
     ざわわ ざわわ ざわわ
     この悲しみは 消えない

                 (「さとうきび畑」詞・曲:寺島尚彦/うた:森山良子)



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