<一年B組担任、数学科、矢沢詠子のその日>

 私は、生徒達に混じって学校に向かって歩いていた。
 ウチのクラスの生徒達を途中で追い抜く。もちろん私はにっこりと「おはよう」の挨拶をする。
 彼らの三分の一は元気に挨拶を返してくれるし、もう三分の一は眠そうな顔で、そして残りはつまらなそうな顔で、私に挨拶を返す。
 今日は思いの外ぼんやりとした感じの挨拶が多かった気がする。少し派手目な装いにしてみたのだが、彼らには刺激が強かったのかもしれない。そんなことを考えながら、私は校門をくぐった。
「おはようございます」
 行き交う教職員達とももちろん挨拶を交わす。当然女ばかりだ。この学校は去年まで女子高だったのだ。したがって、理事長を始め教職員は全員女性である。男子生徒がいるのも一年生のクラスだけで、上級生は全員女生徒だ。しかし・・・
 せっかくこの学校に来たのだから、男の子たちも少しは女性として生きることの素晴らしさを理解したほうが良いのかもしれない。そして私は、今日も一時間目のドアを開ける。
「皆さん・・・おはようございます!」
 私の挨拶で、一時間目の授業が始まる。私は、いつものように説明をしながら黒板に向かって問題を書いていた。一応教室内は静かで、授業をよく聞いているように見える。しかし、中には不真面目なものもいる。
 私は視線はその、一時間目から机にもたれてすやすや眠っている生徒のところで止まった。話しによれば常習犯らしい。この際、少し意地悪してやってもいいかな、と思いながら、私は彼を指名することにした。
「じゃあ・・・この問題を・・・山田君!」
 私は彼の名を呼んだ。山田君は、それでも机にもたれたまま眠っている。クラスの他の連中は、クスクスと笑い出した。 「おい・・・山田・・・」  山田君の後ろの席に座っている中谷君が、山田君の椅子を突つく。
「・・・ハイ!!・・・」
 彼は慌てて立ち上がった。座っていた椅子が、後ろの中谷君の机にあたって大きな音をたてる。
 ハハハハハ、クラスのみんなが一斉に笑い出した。
「山田君・・・また居眠りをしていたの?」
 思わず私まで呆れた声を上げてしまった。彼は、頭を掻きながら笑ってごまかしている。
「うーん・・・困ったわねえ・・・補習をするから、放課後に職員室に来てね」
 この際、彼には少しあるべき姿を指導したほうがよさそうだ。他のまじめな生徒たちのため、私は彼にそう言って授業を続行することにした。


 放課後、私が職員室で待っていると、言いつけどおり補習の山田君がやってきた。
「それじゃあ、始めましょうか?」
 私は、教室に行くと数学の補習を始めた。しかし彼はあまりまじめに補習を受けてはいないようだ。時々、私の胸元や脚の方に視線が動く。やはり高校一年生ぐらいだと女性というものに興味津々な年頃なのだろうか・・・
 ま、せっかくこの学校に来たのだから、女性の良さをわかってもいい。というより彼も聖母様に女性のすばらしさを教えていただくといいのだ。
「こら・・・どこを見ているの?」
 私は、山田君の鼻をつんとつついてやった。
「すいません・・・」
 窓の外は、すっかり暗くなっている。
「山田君も・・・女の子だったら、こんな風になるわよ」
 思わず口に出してしまった。でも山田君は、居眠りをすること以外は大人しい、かわいげのある生徒だった。女の子になったら、さぞ可愛いに違いない。
「じゃ、補習はこれで終わり・・・山田君、行くわよ」
 時間を見て、私は補習を切り上げることにした。彼の男の子の時間もこれでおしまい。
「え、どこにですか?」
「付いて来ればわかるわ」
 私は、状況をよくわかっていない山田君に席を立つように促した。彼は今ひとつ納得のいかなそうな顔で付いてくる。でも、私がいったとおりすぐにわかることだ。
 不意に彼は立ち止まった。
「どうしたの?」
「いえ・・・この先は礼拝堂ですよね?」
 彼は、おずおずと言った。
「そうよ。それがなにか?」
「礼拝堂は男子禁制じゃ・・・」
「いいのよ・・・山田君も礼拝堂でお祈りをして帰ってね」
「え、でも」
 本当に問題ないのだ。入るときはともかく、出るときには女の子なのだから。
 私は彼の手をしっかりと握った。彼の頬が一瞬赤くなる。可愛い。
「気にしないの。山田君も、これから素敵な人生が送れるわ!」
 私はにっこり微笑みかけながらながら彼の手を引いて礼拝堂に入った。
 中では、すでに大勢の生徒たちがお祈りをしている。
「先生、これは・・・・」
 山田君は、自分のなすべき事を理解できていないようだ。彼の目の前で、何人もの男の子たちが、聖母様の御慈愛で乙女に生まれ変わろうとしている。彼も彼らと同じ道を歩まねばならない。それが、この学校に入学した彼にとって最善の道なのだ。
 しかし、呆然としている彼には、私の導きが必要なようだ。
「ひざまずいて、祈りなさい・・・」
 彼は、まだよくわかっていないようだったが、私の声に従って床に膝をつくと両手を合わせた。彼の祈りの声を聞き届けたのか、すぐに聖母様の臍の緒が伸びてきて、山田君の臍に繋がる。
「なんだ!こりゃ!!」
 彼は、未だに理解できない顔で彼と聖母像を繋ぐ臍の緒を見つめていた。
「それは、聖母様の臍の緒よ・・・聖母様の愛が伝わってくるでしょう・・・あなたも、みんなと同じように生まれ変わるの」
 私の言葉を聞いて山田君は一瞬驚いた顔をした。何も恐れることはないのだ。お祈りの時間が終わる頃には、彼も素敵な乙女に生まれ変わっている。彼の新しい人生が始まるのを見届けて、私も聖母様に祈りを捧げることにした。


 お祈りの時間は終わった。傍らに、山田さんが、相変わらずぼうっとした感じで立っている。しかし、決定的に違うのは、山田さんは女子生徒に生まれ変わったということだ。しばらくすれば、私の記憶からも彼女が男子生徒だったことは消え去るだろう。思った通り、ショートカットの可愛らしい女の子だ。
「それじゃあ・・・気を付けて帰るのよ」
 男の子の時と同じように理解できないという顔で自分の姿を眺めている彼女に、私はニッコリと微笑みかけて言った。すぐに迷いはなくなる。彼女の記憶からも、彼女が男の子であった記憶も、すぐに消え去るのだから・・・すべては、聖母様の思し召しのとおり・・・


<一年B組:中谷 光彦>   <一年B組:高橋 佳一>   <一年B組:山田 明夫>

<翌 日>