安産・子授けの最古の霊刹

    

奈良市柴屋町(帯解本町)にある真言宗の寺院で
宝寿山龍象寺(りゅうぞうじ)と号する。
寺伝によると、第四十五代聖武天皇の勅願所として
天平二年(730)行基菩薩が創建、自ら彫刻の地蔵菩薩
を安置し本尊とした。以来歴代皇族勅願所として、また
一般民衆の安産、子授けの「帯解子安地蔵尊」と尊崇
されてきた。広大寺(光台寺)の奥の院にあたる。
  《寺歴詳述》もう少し詳しくご覧になりたい方はこちら  


       当寺の中興祖は江戸期の名僧百拙禅師です。
         《百拙禅師関連》


       当寺には享保年間に一乗院宮(皇室出家門跡)から拝領した
       『龍象資聖禅寺』の大きな扁額があり、傍らに名僧百拙禅師の
       木札が掛かっています。記録からみると、当寺は特にこの頃から
       皇室関係の安産を盛んに祈念しています。


       3.5尺  ×  2.5尺

                  この扁額は松平定信の著わした『集古十種』の
                  中に収録されている。なおこの六文字中の資聖
                  とは、極めて格式のある禅寺に付される称号で
                  ある。

             『   一乗院宮 寄付御額
               帯解子安地蔵宝前
       
                 宝寿山 龍象寺 現住 百拙  』    






    【 位牌 】

右は 當山開基 大祖 行基菩薩

左は 當山中興 百拙和尚大禅師


地図に見る龍象寺
『日本図誌大系』(2011年発行。山口恵一郎編集。朝倉書店。)に、
次に記す「奈良県大和国郡山地図(昭和22年8月30日発行。地理調査所)」あり。
この地図に「帯解地蔵」と記載がある位置は駅の位置からみて龍象寺の位置。


また、上掲書籍収載の 明治41年測の「郡山・天理」の地図の帯解地蔵卍位置や、
昭和24年の「郡山・天理」の地図中も同じく帯解地蔵の記載位置は龍象寺を指している。
当寺本尊の名に因んで帯解地蔵の名で人々から親しく呼ばれていた当時が思われる。

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