流域調整室(NPO:2003設立〜2017解散清算結了)技術事務所 紹介サイト

 

木津川市鹿背山から、都市計画区域のため、使うときだけ屋根をつけることで建築基準法に対応していた 竹小屋 を、都市計画区域外の和束町石寺の用地(1953年の水害履歴地で、元農耕地を1985年から別荘地として開発された場所)の「田舎に合う竹材壁や水循環工法」の研究開発拠点である和束石寺の流域調整室実験用地解体移転し、排水路、給水・涵養井戸を整備し、電気を引きました。山腹斜面に山城特産柿渋用天王柿等の柿とビワを移植、カボチャや豆を斜面下、斜面保護としてクローバーを、水仙を用地境界に植えました。小規模地すべり地に、1m深地温調査で検出された水ミチや小屋の屋根に降った雨水を溜めて灌漑に利用し、勾配の緩い地すべり地のビオトープ田んぼにホタマン案山子を立て、涵養井戸への側溝に流入させる足踏み水車小屋を作りました。高台には、ビオトープシートを用いて沈殿槽だけ非浸透型にした土壌浄化トイレが完成し、菜種油の取れるナナシキブや、エゴマ、大根、土を軟らかくするラッキーソルガムを植え、竹粉砕物やトレンチによる土壌改良実験にも役立てています。イノシシが潜むほど笹が生い茂っていた向かいの土地の草刈をして側溝を起こして水抜きパイプを入れて安定させ、造成後1年半で傾いた用地入口の隣地擁壁上伐採と金網ワイヤーと水抜き穴延長網蓋で転倒防止を行い、1993年から1997年の間に2m以上の転回場(現在は果樹園として他の方が利用されています)直壁が崩れた箇所を金網で補強し笹をクローバー・ヘアリーベッチ・芝生等の植生にしています。

 NPO流域調整室は、資産のうち助成金で購入した流れ橋模型を気象予報士会京都部会にライフジャケットを、大阪天満橋のカヌー遊船に寄贈し、法人名資産解消しました。

 周辺用地は、購入前に2度も町役場を訪れ廃止されない町道が入っているから条件満たせば町道になるといわれて買い、購入後に町職員がここを転回場にすれば良いと位置指定した地権者も当初は町道化と砂防堰堤直下転回場の提供を快諾しつつも土地利用に悩みソーラー実験施設等検討中と言っておられましたのを、20172月に入口の橋改築予定を言われたが転回場までの道路は民民による買収で提供せよと言うので交渉し、2020年末やっと町職員が指示された転回場を裁判所調停で入手しました。バブル期の分譲地に水道も引けず住めなかった方々には地元相場で手放すのは辛いようでしたが、現状道路区画や擁壁修理すれば道路等の提供が少ない区画や地元民と交換済みの土地が入り組んでいる区画は整正を進め、売主不動産屋も私道の地目変更等や、分譲前には国土調査座標読取でしなくても木津法務局に分筆登記してもらえた河川や道路の境界確認にも協力して下さいましたが、石寺中黒12一帯の話がまとまるまで私道は持っておきたいようです。和束町は6000人だった人口が半減したとのことですが、関西本線など通勤が便利になって戻ってくる子供家族が住める家を敷地内に建てたところもあります。

用地入口の橋は、地元要望である橋渡った先をペット霊園やスケッチ工房等の近隣店舗や茶畑散策駐車場にするためのガードレール幅だけでも拡幅や嵩上で早く改築し、バブル期造成業者のもたらした境界・土地利用問題が全面解決できるようにして下さい。

当用地は、(過労死訴訟や預託金横流し事件でみられらように背後組織なしに運営維持に無理の多い)NPO組織形態から、「流域調整室技術事務所」に改組しました。12-5,6砂地農業の水循環や蓮池耐塩実験施設、12-10を果樹含む林地、河川沿い道路脇12-3,4は手前に各段1台駐車場で奥を畑にします。12-52台と併せて6台の近隣施設駐車場は橋を地元要望通りの拡幅嵩上で近隣複数店舗に使いやすくなり、耕作地を潰す必要もなくなります。独立24Vソーラーポンプは堰堤上の蓮池へ移動、山水も入れて、井筒にはフロートスイッチ付ポンプで電源引いて湛水するようにします。

 

 

 2007年カヌー川下り合宿の報告書

 

 2008年カヌーと水ミチ調べの報告書

 

 2009年流れ橋模型の流出実験と紹介 (1952年築造旧流れ橋模型)

 

 200912月〜木津川支川馬坂川橋脚での竹入モルタル・ツタ登攀実験

 

 

 201512月〜「敵に塩」ならぬ塩の情報交換〜天津近郊天日塩田視察

 

 

役員 NPO元理事(安東尚美、杉本弓代、石井康博)元監事(松村寛一郎)

事務所 京田辺市草内(国道307号線山城大橋西1kmマッサージ向南入)

0774-27-2772 FAX0774-68-0862 メールriver-basin * gaia.eonet.ne.jp

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