林照寺は、親鸞聖人を開祖とし、西本願寺(京都市)を本山とする浄土真宗本願寺派のお寺です。
由来によると、親鸞聖人がご存命の鎌倉時代には寺院が建立されておりましたが、正式に「林照寺」という寺号をいただいたのは、寛永17年(1640年)であります。
以来、滋賀県高島市新旭町にて代々継がれているお寺であります。
大字饗庭字岡にあって、本尊は阿弥陀如来である。寺伝によれば、親鸞が諸国巡化の途中、当地の一民家に宿をとったことが縁となり、その後信者等が一寺を創立して、光輝山林照寺と言っていた。
年が変わり星移って、戦乱の時代となり、兵威によって叡山三千坊の一つに加えられ天台宗となったが、天正元年(一五七三)、兵火により寺録・堂宇ことごとく焼失した。その後再建されないまま過ぎたが、そのころ浅井長政の家臣、三田村左衛門尉光貞がこの地に流寓して、旧主長政の仇討ちの機会をねらっていた。
同一〇年織田信長が、明智光秀に本能寺において殺されたことを聞いて、光貞は、自分の願望が成就したので、もはや塵世の慾を捨てるべきであると思い、即日薙髪して仏門に帰し、天正一四年(一五八六)堂宇を再興した。
第三代宗智の代になって、もとの本願寺に復するとともに、堂宇が狭あいであったので現本堂を建立した。時に元禄二年(一六八九)三月四日であった。
以上 『新旭町誌』(昭和六十年)より記述
開 基 | 釋 宗 順 | 寛永11年(1634年)寂 |
第 2 代 | 釋 宗 覺 | 寶永2年(1705年)寂 |
第 3 代 | 釋 宗 智 | 元禄2年(1689年)寂 |
第 4 代 | 釋 宗 澤 | 寛保3年(1743年)寂 |
第 5 代 | 釋 了 澤 | 明和2年(1765年)寂 |
第 6 代 | 釋 宗 敬 | 安永3年(1774年)寂 |
第 7 代 | 釋 宗 惠 | 文化元年(1804年)寂 |
第 8 代 | 釋 宗 受 | 文政3年(1820年)寂 |
第 9 代 | 釋 宗 廓 | 安政6年(1859年)寂 |
第10代 | 釋 宗 岳 | 明治8年(1875年)寂 |
第11代 | 釋 智 龍 | 大正10年(1921年)寂 |
第12代 | 釋 宗 隆 | 昭和37年(1962年)寂 |
第13代 | 釋 正 樹 | 平成27年(2015年)寂 |
第14代 | 釋 正 英 | 現住職 |