ただしいしし。ぷろじぇくと







 今、城下町では年に一度の祭りが盛大に行われている。大通りの両脇には露店が並び、それが血盟城や眞王廟まで延々と続いていた。大きな布を道端に広げ野菜や果物を売る店や、飲食物を扱う店も多数並び、大通りを歩く間に色んな食べ物や飲み物の混じり合った匂いが漂っている。本格的な工芸品や高価な舶来の布や宝石を扱う露店まであり、農民や商人や貴族という身分に関わらず、大人から子供までこの祭りを楽しんでいた。

「にぎわってるなぁ…」

 短い言葉の中にも、祭りの活気に浮き立つ様子が伺える。いつもと違う賑わいを見せる通りを歩いている間、陛下はきょろきょろともの珍しそうに左右に建つ屋台を覗き込み、祭りの喧騒の中で声を張り上げて客を呼び込む売子と時折立ち止まって気軽に談笑していらっしゃる。
 やがて陛下と共に辿り着いたのは噴水のある広場で、そこはいくつもの露店が立ち並び盛大な賑わいを見せていた。その中の一軒へ迷わず足を向けられる陛下に慌てて付いていく。普段は店舗を構えた呑屋だが、祭りの間だけ特別に店の前に椅子と卓を並べ、注文用の長机を出して屋台のように営業しているようだ。

「ここ、料理も酒も美味いんだよ、値段も良心的だしな」

 何時の間にこのような場所に通われていたんだろう…?
 俺の疑問は顔に出ていたのか、唖然とした俺を覗き込みながら、陛下は悪戯に成功した子供のようにニヤリと笑った。

「たまに、ね」

 そう言ってくるりと踵を返し、陛下自ら買い物客の列に並ぼうとなさる。俺は慌ててお傍に駆け寄った。

「俺が…!」
「いいからいいから、席取っといて」
「いや、しかし…」
「しつこい!俺だって小遣いぐらい貰ってるからさ」

 そういう意味ではないのだけれど…。
 しかし、楽しげな陛下のご様子に今だけはと、陛下に勧められるまま一番近くの卓の前に立ち待機する。当然、何かあった時にすぐに対応出来る様に周りを警戒しつつ、だ。

「適当に頼むからな!」
「はい、ありがとうございます!」

 陛下に気遣われるのを申し訳なく思いながらも、そんなことを気にするでもなく列の最後尾に付くお姿を見つめていると、周りの音に負けないように大きな声で交わされる陛下と店主との遣り取りが自然と耳に入ってきた。

「こんばんは!」
「こりゃフーリさんじゃないかい、いらっしゃい!今日は祭り見物かい?」
「うん、そう」

 そこでこの店の店主はおや、っという表情で首を傾げた。

「カクさんだっけ、いつものお連れの男前は?」
「知らない、あんなやつ」

 不機嫌そうに言い捨てられた言葉に、なんだい喧嘩でもしたのかい、と店主は陽気に笑う。どうやら本当に馴染みの店らしいと思われる会話に苦笑が浮かぶ。確かに、迷い無くこの店まで辿り着いた陛下だ。しかしどうやらいつもは閣下とお二人の時に来られているらしいことに少し胸を撫で下ろす。それと同時に今のこの状況に疑問は湧くのだが、そんな俺の困惑を他所に、二人の親しげな会話は続く。

「それよりおやっさん、発泡酒を2つと棒付き腸詰の盛り合わせね。それと、ゴロゴロキノコの香辛料炒め」
「はいよ!すぐに出来るからちょっと待っとくれ」

 慣れた様子で注文を告げる陛下に、店主は人の良い笑みを返し、威勢のよい大声で配膳係の店員に注文を告げる。長机の横に火を起こし湯気の立つ鍋や釜を置いてあるので、ある程度の料理は直ぐに出せるようだ。それでも料理が整うまでの間を埋めるように、店主は馴染みの客に話しかける。

「フーリさんは、もう祭りは堪能したのかい?」
「いや、まだこれからだよ。まずは腹ごしらえってね」
「それでうちを?そりゃありがたいね。今回の祭りも盛況だよ、年々人出も増えてワシらも大忙しだ」
「嬉しい悲鳴ってやつ?」
「お蔭様でな。人間の国からも色んな商人が来て露店を出してるし、曲芸師やら手品師やらも沢山来てる。昼には仮装をした曲芸団の行列が大通りを練り歩いて、うちの孫たちなんかそりゃあ大騒ぎだよ」
「そりゃ楽しそうだね」
「ああ、ずっと笑ってた。そんな孫たちを見れるのは、本当に幸せなことだよ」

 言葉通り幸せに満ちた笑みを浮かべた店主の視線は、自然と血盟城に注がれる。

「みんなが戦や飢饉に怯える事無く、家族が揃って笑って祭り見物ができる、こんな平和な時代がくるなんてねぇ…。それもこれも血盟城におわす魔王陛下のお蔭だ。人間たちの国と争うんじゃなく平和を望み、色んな国との交易を盛んにしてこの国は今まで以上に豊かになった。その上『王は民の為にある』って、ワシら下々の者の生活に役立つ事を第一にその富を惜しまず使って下さる。本当にありがたいこった。ワシはそんな魔王陛下の民で幸せだと思うよ」

 その魔王陛下が、目の前で自分の店の料理が出来上がるのを待っているとも知らずに、店主は感慨に耽り、穏やかな笑みを浮かべながら語る。そんな店主の様子に、陛下は少し落ち着かないご様子で微笑まれている。

「その曲芸師とか手品師って、今からでも見れる?」

 殊更大きな声で話題を変えた陛下に、店主が気付く事は無い。

「ああ、一晩中どこかでやってるよ」
「そうか、じゃあ後で探してみよう」
「そうすると良いよ。多分、夜は西の広場の方に居るはずだ」
「ありがとう、後で行ってみるよ」
「それがいい。はい、お待ちどうさま!気をつけて運んどくれよ」

 慣れた手つきで金を払った陛下は店主の気遣いに笑顔で礼を言い、出来上がった料理の乗った盆を両手で持ってこちらを振り返った。

「お待たせ!」
「申し訳ございません!」

 慌てて受け取ろうとした俺を目だけで制し、陛下は自ら運んだ盆を卓に置くと、がたつく木の椅子にどかりと腰を下ろした。

「いいから、いいから!さっきは迷惑掛けたしな」

 俺が頭を下げると陛下はそう言って、自分の横を指し示し俺にも座るように促される。それに素直に従うと、すぐに酒盃が手渡された。とりあえず乾杯!と無理やり杯を合わされて飲め、と促される。

「くぅ〜〜〜〜っ美味い!」
 
 よく冷えたその発砲酒は、柔らかな香りと共に喉をするりと滑り落ちて確かに美味い。遠慮せず食えよ、と棒付き腸詰も手渡され、ご自分も豪快にそれを口に運ぶ陛下のご様子は、色付き眼鏡も相俟って、この国の頂点に立つ人物であるようにはとても見えない。
 そこではっと今の状況を思い出し、陛下の勢いに危うく流されそうになっている自分に気付いた。陛下の奢りで暢気に飲み食いなんてしている場合じゃない。漸く我に返った俺は慌てて口の中の物を飲み込み、さっきから気になっていた疑問を口にした。

「ここでは『フーリ』と名乗ってらっしゃるんですか?」
「そう。『渋谷有利 原宿不利』の『フーリ』。もう『ミツエモン』はかなりバレてきちゃってるからね」

 周りに気付かれないように小声で答えられた陛下は、微苦笑と共に肩を竦められる。お忍びも年季が入ってくるとご苦労が多いようだ。
 しかし今はそれをお気の毒に思っている場合ではない。このままでは陛下の勢いで全て有耶無耶にされてしまう。俺は改めてさっき中断してしまった大事な質問を続ける事にした。

「閣下は今、確かご不在でしたね?」

 どの閣下か、は言わずもがなだ。陛下は酒を一口含み、ほんの少し不機嫌そうに口を尖らせた。

「うん、カヴァルケードに行ってる」
「では、グリエ殿は?」
「グリエちゃんは、今どのへんかなぁ…。ひょっとしたらカヴァルケードで合流してるかもね。まあどっちにしろ近々帰ってくると思うよ。ああそう言えば、グリエちゃんが会いたがってたよ」
「そうですか、それはありがたいお言葉です」

 思い出した懐かしい笑顔に、自然と唇が弧を描く。
 しかし何度も言うように、このまま流される訳にはいかない。なぜなら今のこの状況は、臣下としては全くもって歓迎できない事態だからだ。
 
「お二人がいらっしゃらないなら尚更、近くに侍る護衛が少なくても四、五人は同行していると思うのですが、どこに待機しているんでしょうか…?」
「ああ……………」

 僅かな望みを掛けた俺の質問にも、陛下は今は色を変えた髪を指先でちょいちょいと掻きながら、色眼鏡越しの視線をすっと逸らされる。

「俺が非番でなければ、間違いなくその任が回ってきていたと思いますが…?」
「ああ………、そーだろーねぇ………」

 言い忘れていたが、俺は君主を警衛する君主直属の軍人である近衛兵だ。幼い頃から憧れ、敬愛して止まない陛下のお傍近くで御身を護るこの職に就けたことを俺は誇りに思っている。
 そんな俺の個人的感慨はさておき、そんな近衛兵にも皆平等に祭りが楽しめるようにと、祭りの期間内でもちゃんと交代で休みをとるようにと仰られたのは陛下ご自身だ。そのお言葉にありがたく従い、交代で一日ずつ休めるようにした結果、今日俺を含めた数人が非番になった。それでも充分に陛下の護衛が出来るだけの兵は城内に残って居るので、今この方をお守りする体勢を保つことに問題はないはずだ。しかし今、陛下の周りを護っているはずのその気配が全く感じられないのだ。
 お忍びで目立つ事を嫌がる陛下に、通常四、五名は少し距離を置いて目立たぬように同行し、その他にもグリエ殿の様に隠密に警護する術を見に付けている兵も同数ほど付いている。つまり延べ十名近くが同行しているはずなのだが(本当はこれでも少ないぐらいだ)、今は同行しているどころか隠れて警護している気配もないのだ。
 一国の主が城下の祭りに一人の護衛もなく現れるなんて有り得ない話だ。

「まさか、お一人だとかおっしゃいませんよねぇ…?」
「いやぁ〜〜、ははははは」

 答えを求めるべく陛下を窺うが、目の前の貴人は美味いなぁこれ、こっちも美味い、などと心なしか棒読み状態で独りごち、あからさまに視線を外される。

「へぃ、フーリ様………………?」
「そのまさかかなぁ〜〜〜なんて、ね…………ははははは」
「………………」
「ゴメン、撒いてきた!」

 笑えない俺のひきつった顔と沈黙に耐えられなくなったのか、陛下は顔の前でぱんと勢い良く両手を合わせ頭を下げられる。
 その時俺を襲ったのは紛れもない虚脱感だった。俺は今日一番の長い溜息を吐き出し、顔半分を手で覆って項垂れた。畏れ多い陛下の目一杯の謝罪の姿勢も、今の俺に向けられても困るとしか言いようがない。

「へぃ、いえ、フーリ様、ご自分のお立場をご理解頂けてますよねぇ…?」

 愚痴っぽい口調になるのは仕方ないと思う。陛下は色眼鏡を少し下げ、俺の方を見ながら美眉をくにゃりと曲げられた。
 
「まあねぇ…、長いことこの仕事やってるからねぇ……。護られる必要性もわかってるし、ニクラスやザシャ達には悪い事したとは思ってはいるんだけどな…」

 ちゃんと一人一人の名前を覚えて下さっている事は大変光栄だとは思うのだが、陛下に撒かれた気の毒な同僚の顔が思い浮かび複雑な心境だ。彼らは今頃、真っ青な顔で色んな場所を駆けずり回っていることだろう。

「そう思って頂いてるのであれば、尚更ご自愛頂かなければ困ります。確かに、治安が良いこの国で、城下はかなり安全な場所だと言っても過言ではないと思います。しかし今は祭りの最中なだけに、浮かれて何を仕出かすか分からない酔客や、人混みを見越して良からぬ事を企む輩が必ず出没します。現に先程はその酔客に絡まれていた訳ですし…」
「俺一人で何とかしたじゃん」
「はい、鮮やかなお手並みでした」
「だろ?」
「その後に衛兵に見つかりそうになってらっしゃいましたが」
「うっ……」

 痛いところを突かれたのがお気に召されなかったのか、かなりの不満顔でいらっしゃる。顰められたそんな表情すらお綺麗で、思わず目が奪われる。それでいて目が合うと何故かとてつもなく恥ずかしくなってしまい、俺はきっと赤くなっているであろう頬を隠す為に慌てて灯りの届かない場所に顔をずらし、こほん、と咳払いをしてから言葉を続けた。

「それに、あの男たちが得物を持っていたらどうなっていたかわかりません」
「そりゃ、剣は苦手だけどさぁ…」
「そうご自覚なさっているなら尚更」
「おまえさぁ…、可愛くないよ、その言い方。そーゆーとこコンラッドに似てきた気がする。昔は可愛かったのになぁ…」
「それは…、ありがとうございます」

 ギシギシ音を立てる椅子を気にもせず背もたれに寄りかかり、心底嫌そうに俺を見る陛下のお言葉に、俺は苦笑を浮かべるしかない。些か棒読み調の俺の返答に、陛下は苦虫を噛み潰したかのように益々顔を顰め、棒付きの腸詰を指先で摘んでそのまま半分に噛み千切った。
 
「それより、どうしてこんな無茶をなさったんですか?」

 ことの核心に迫る俺の問いに、ぴくりと陛下の体が揺れた。やっぱり聞いてくるのか、と色眼鏡越しにじとりとした視線を感じるが、今度は直視せず気付かないふりをする。
 だからそういうとこがそっくりなんだよ、という声はあえて聞こえないふりをして、そのまま暫し沈黙を続けていると、漸く観念なさったのか、陛下は店の喧騒に掻き消されそうな小さな声で呟かれた。

「コンラッドが悪いんだよ、一緒に祭りに行こうって言ってたくせに……」

 そう呟いて、陛下はプイッと視線を逸らせて頬杖を付いた。予想通りと言えば予想通り、まさかと言えばまさかな答えに、俺は思わず目を瞬かせた。
 
「まさか、それで城を抜け出されたんですか?」
「まあね」

 ツンと拗ねた口調に、大人気ない、と思わず口にしそうになるのを堪え、肩をすくめるに留めた。
 見目麗しく心優しい、この国の全ての民から愛される魔王陛下は、血盟城の豪奢な玉座に御座す時、圧倒的な存在感を纏い、近寄りがたいほどの威厳に満ちておられる。しかし今、俺の目の前で古びた木椅子に座る陛下は、まるで子供のように拗ねた表情で唇を尖らせていらっしゃる。その表情は、昔、俺を可愛がってくれた『ミツエモン兄ちゃん』まさにそのままで、俺は自然と綻ぶ口元を隠す事が出来なかった。
 
「なんだよ…その顔」

 俺は零れそうになる笑みを必死で噛み殺すため唇を震えさせ、多分ぴくぴくと鼻も膨らませているハズだ。そんな俺の顔に気付いた陛下は不満そうに口を曲げ、腕を組んで俺を見返した。

「あっ、今おまえ笑っただろ!」
「と、とんでもございません」

 声が裏返ってしまったのはご愛嬌だ。謝罪の言葉すら笑いを含んでいることに気付かれたのか、陛下は憮然とした表情で俺を一睨みし、酒盃を一気に飲み干す。空になった杯を両手でコロコロと転がし、唇を尖らせたまま陛下はぼそぼそと話し始めた。

「約束してたんだよ、あいつと。祭りやってる間にさぁ、絶対二人で行こうぜって」
「そうだったのですか…」
「結構楽しみにしてたんだぞ、久しぶりだし…。俺だって、祭りを楽しみたい」
「それでしたら尚更、警護の者をお連れ下さい」
「……俺は、コンラッドと二人で行こうって約束してたんだよ」
「…………」
「あっ、また笑ったな!子供じゃあるまいし、なぁ〜に駄々捏ねてるだ、とか思ったんだろ?」
「い、いえ!そ、そんなことは……」

 わざとふて腐れたような顔を作る陛下のご様子に、可笑しくなってとうとう笑ってしまった。肩を震わせる俺に、美貌の王はいつも涼やかな柳眉を微妙な角度に歪めながらも、口元だけはどこか楽しそうに緩く弧を描いていた。

「いいよいいよ、呆れたんだろ。まあね分かってるんだよ、俺も。国外の視察なんて、先方の都合とか思わぬ横槍とかで予定変更は当り前ってとこあるから、仕方ないことだって。分かっちゃいるんだけどさぁ……」

 そこで言葉を切り、陛下は両手で掴んだ酒盃をギュッと強く握り締めた。指先が白くなるほど握られたそれが、木杯で良かったと思えるほど強くだ。瑠璃で出来た盃だったら間違いなく粉々だ。

「あいつの帰国が遅れてる理由、何だか知ってるか?」

 表情通りの低い声に、ぞくりと背中が震える。

「た、確か、カヴァルケードを訪問中の某国の王族の方々が突然舞踏会をと」
「三姉妹だよ、三姉妹!」

 俺の言葉を遮る凄い勢いで、陛下は言い放つ。陛下の背後でぼっと燃え上がる炎の幻が見えた気がして思わず見つめたお顔の眉間の皺が、宰相閣下並みに深く刻まれていた。先程まで和やかだった空気が一瞬で変わった気がしたのは俺の気のせいなんかじゃないと思う。

「美人三姉妹なんだってさ!」
「は?美人、三姉妹、ですか…?」
「そう、かなりお美しい妙齢の姫君が三人いるんだって。で、コンラッドを一目で気に入ったらしい。三人ともだぞ、三人とも!」
「は、はぁ…」

 陛下から溢れ出る怒気を含んだ熱気が肌を焼くようで、どうにも落ち着かない。陛下の迫力に負けて、情けない声しか出ない俺はまだまだ修行が足りないようだ。恐る恐る返すと、陛下はしかめっ面のまま仰った。

「先方はその内の一人をコンラッドへ、って思惑らしくって、無理やりカヴァルケードに舞踏会を捻じ込んできたんだってさ」
「それはまた……」
 
 魔王陛下の想い人が誰かなんて、血盟城に居る者なら誰だって知っている常識だ。そして、そこにちょっかいを掛けようなんて思う者はまず居ない。どうやら最近同盟を結んだばかりのその国には、そんな当り前な情報すら入っていなかったようだ。

「あいつはさぁ、昔っからお姉さんたちにモテるんだよ。女の人を引き寄せるフェロモンがダダ漏れてるのか、声を掛けやすいあの似非紳士面が問題なのか…、とにかく、あいつは一人にしとくと油断できない」

 陛下はそこまで一気に言うと、くしゃりと顔を歪められた。『ふぇろもん』とやらが何かよく分からないが、『似非紳士面』と言うのはかなり酷い言い草だと思う。陛下のお言葉を聞いているだけで、俺に向けられた言葉でもないのに変な汗が流れてきた。

「確かに閣下はおモテになりますけど…」
「だろ?」
「しかし、閣下は間違いなくお断りになるでしょう?」
「当り前だ、あいつは俺のなんだから」

 即答ですか、陛下…。つーか、さっきの罵詈雑言は結局ノロケだったんですね。
 戸惑いのない断言に、聞いた俺の方が何故か無性に恥ずかしくなってしまった。それならば何も心配することはないと思うのだが、そういうものではないらしい。俺の疑問がおわかりになったのか、陛下は言葉を続けられた。

「心配ないって頭ではわかってるんだけどさぁ、相手が女の人ってだけで落ち着かないんだよ」
「………それだけで、ですか?」
「うん、それだけでね。俺の育った世界では男は女に惹かれるのが当り前だったから…。もうこの国で過ごした時間の方が長いのにね、これだけはずっと心の中で燻ってる」

 麗しい双黒の魔王陛下とその傍にずっと影のように寄り添われてきた閣下。そのお二人の姿は一幅の美しい絵を見ている様に自然で、そんなお二人と間近に接する機会に恵まれた俺にとって、陛下の今のお言葉は意外な台詞だ。男とか女とか関係なく、安定した絆で結ばれているお二人だと思っていたのに、長い先月を掛けて慈しみ合っていても、俺たちと同じように、少しの事で想う相手に不安になることがあるんだと初めて知った。それが何だか嬉しかった。
 自分の告白に少し照れたように目を細めた陛下は、皿の上のキノコを一つ指先で摘み、ぽいっと口に放り込んだ。それを咀嚼し飲み込んでから、ふうっと溜息を吐かれる。

「まあね、コンラッドに俺の代行でカヴァルケードに行ってくれって言ったのは俺だし、今は無碍にできない相手だから舞踏会の一つや二つ、外交上吝かでないんだけどさぁ…、『祭りに行かないのであればその時間を執務にあてて頂けますな』とか言われて、俺がグウェンに執務室に閉じ込められてる間にさぁ、あいつが鼻の下伸ばしてその三姉妹と楽しそ〜〜に踊ってるんだって思ったら、どうにも気が納まらなくて」
「鼻の下は伸ばしてらっしゃらないと思いますが……」

 背後の気配を気遣いながら呟く俺。
 それを横目に、陛下は空になった酒盃をどんと大きな音がするほど勢いよく卓に置いた。

「それでも絶対、優雅に踊りながら歯の浮くような恥ずかしい台詞吐いてるに決まってる、あのバカッ」

 小さな声で呟いて、陛下は握り締めた杯を睨みつけた。するとすぐに「誰が馬鹿なんですか?」と言う声が返って来る。急に声を掛けられ、陛下が弾かれたように振り向くと、そこには呆れ顔で陛下を見下ろすコンラート閣下がいらっしゃった。

「それに、誰彼構わず恥ずかしい台詞なんて吐くわけないでしょう。ちなみに、鼻の下も伸ばしていませんから」
「コンラッド…!?」

 驚きの声と同時に今まで硬かった陛下の表情が、一瞬にしてぱっと明るく輝いた。









 






okan

(2013/07/29)