ただしいしし。ぷろじぇくと







 祭りの喧騒から少し離れた夜半の川沿いの道で、ニヤニヤと笑うガラの悪い三人の大男たちに囲まれ、その人は立っていた。多勢に無勢とまでは言わないけれど、相手の体格とあまりにも違いすぎる。
 往来は祭りで浮かれた酔客で賑わう時間帯で、大通り程ではないにしてもまだまだ人通りはある。しかし遠巻きにちらちらと立ち止まって気にはしていても、助けに入ろうとする者はいないようだ。
 俺が駆け出したのは、そんな理由だけではない。遠目でも分かるその凛とした立ち姿に、もしや、という嫌な予感が頭に過ぎり、気付いた時には足が動いていた。まさか、まさか、と頭の中で何度も繰り返しながら全力で走る。集まりだした野次馬の輪に肩で息をしながら俺が辿り着いた時には、しかしもうこの勝負の行方は誰の目にも明らかなものになっていた。
 とは言っても、どちらかが一方的に殴っているわけじゃない。いや、ある意味ではそうなのだが、殴り掛かっているのは男達ばかりで、その人からは一切攻撃を仕掛けてはいないのだ。それでも襲い掛かってくる大男たちを無駄の無い動きで軽く往なし、相手の攻撃の勢いを上手く利用して素早く手首や腕を掴んでは自分より大きな相手を次々と投げ飛ばしていく。
 遥か遠い異国に伝わるというこの武道は、『愛の武道』とも呼ばれるのだと上官に教えてもらった事がある。なるほど、と納得できるほど、その一連の動きは、武骨な剣を握るよりその人に良く似合っていた。
 結局のところ、己の力量を測れず何度も挑みかかり、その度に地面に叩き付けられたのは男達のみで、彼の人は擦り傷一つ無い。まさにあっという間の出来事だった。
 それでも人垣を掻き分け、ようやく視界が開けた騒動の中心をまじまじと見れば、その場に立っていたのは出来れば当たって欲しくない予感通りの人物で、倒れている三人の男たちより明らかに華奢なその姿は、少し上質だがいたって平凡な平民服に身を包んでいて、背中に流した赤茶の髪も派手な色が多いこの国ではあまり目立つものではなかった。だが、軽く動いた所為で乱れた髪を後ろできゅっと結び直す為に顎を上げたその顔は、美形ぞろいのこの国でもついぞ見かけないほどに美しい。しかしその人は綺麗な眉を盛大に顰め、蹲って呻き声を上げる男たちを睨み付けながら派手な溜息を一つ吐きだした。

「ったく…、だからやめろっつっただろうが…」

 艶やかな声音だが、不機嫌を全く隠さない乱暴な言葉で、麗人は倒れて呻いている男たちに吐き捨てる。

「『小よく大を制する』ってな、体格は関係ないんだよ。人を見かけで判断するから、こういう目にあうんだ」

 今は自分より下にある男たちの目線に合わせてしゃがみこみ、先導していたと思われる男の頭を掴んで顔を上げさせ言い聞かせる。

「だいたいなぁ、今日はみんなが楽しみにしている祭りの日なんだよ。そんな時にこんなとこで大声上げながら我が物顔で振舞って、嫌がる女性を囲んで怖がらせて…。迷惑だってわかんないのか?それになぁ…、なんで俺があんたらと淫らで楽しいイ・イ・コ・トなんつーのをしなきゃいけないわけ?正々堂々と口説いてくるならまだ可愛げがあるものの、下品な言葉並べるだけ並べて芸のない…」

 早口で捲くし立てながら怒りが蘇ってきたのか、頭を掴んでいる指先が白くなるほどきりきりと力が加わっているのがわかる。そのせいで髪が強く引っ張られたのか、男は小さな呻き声を上げているが、それが聞こえているのかいないのか、その人の説教はまだまだ途切れる気配は無い。大きくため息を吐き、座り込んだ格好のまま男の目を見据えている。

「挙句の果てに順番だぁぁ?勝手に盛り上がってんじゃねぇよ!それでも酔った上での悪ふざけだと聞かなかったことにしといてやろうと思ってたのに、ひとの腕無理やり掴んでどこ連れてく気だったんだ?恥ずかしがらなくて良いって?恥ずかしがってなんかいねえよ!ふざけんじゃねえ!あんたたちまさか…、今までも誰彼構わずこんなことしてたんじゃないだろうな……?」
 
 最後の一言を一際低い声で唸り、ぐいっと男に顔を近づける。目の前に迫った艶やかに整った顔にぎろりと睨まれて、主犯格の男は不自然な体勢のまま、掴まれている頭を慌てて左右にブンブンと振った。

「いいか、もうみんなに迷惑かけんじゃねえぞ。わかったか?」

 今度は頭を上下にブンブンと振る男に、その人は苦々しい表情を浮かべて肩を竦め、大きく息を吐きだした。

 その時、集まっていた見物人の声がどよめきに変わり、衛兵だ!という声が聞こえてきた。すぐに複数の軍靴の音と共にひとの気配が近付き、周りを取り囲んでいた野次馬たちの輪が割れる。ドカドカとそこを通って現れたのは、今更ながらに騒ぎを聞きつけて駆けつけたらしい数名の王都警備隊隊員だった。

「何を騒いでいる!」

 騒動の現場を見回し、兵の一人が威圧的に叫ぶ。

「うわっ、やべぇ……」

 王都警備隊の登場にまずい、という顔をして小さく呟いたのは、加害者ではなく被害者の方だった。呟きと同時に掴んでいた男の頭を素早く手放し、その拍子にゴンと鈍い音がした。地面に強かに頭を打ち付けた男がぐぁっと苦しげな呻き声を上げる。その声に周囲の視線が一斉に集まり、彼の人はその視線を避けるように背を向け、こそこそと懐から取り出した色付き眼鏡を慌てて掛けた。見る人が見ればすぐにわかるそのお顔を隠す為には仕方ない事とはいえ、残念ながらその一連の動きは逆効果しか生まない。結果的に、出来るだけ目立たないようにしようとする本人の意思とは裏腹に、その存在はかなり怪しいものになってしまっていた。当然、民を護る使命に燃えた警備隊員はその不審人物を見逃すわけが無く、自分の存在を隠すかのように丸めた怪しい背中との距離を確実に縮めて取り囲んだ。

「そこの怪しい男、少し話を聞かせて貰おうか」

 その警備隊員の判断を責める事は出来ないだろう。確かに呻き声をあげて倒れているのは男たちの方で、彼の人は無傷だ。その上に慌てて背中を向ける不審な行動と、暗闇にも関わらず顔半分も隠れそうな大きさの怪しげな丸い色付き眼鏡。全てを見ていたわけではない警備隊員にしてみれば、この人物を最重要参考人として問い詰めない方が職務怠慢だと攻められると言うものだ。俺がこの警備隊員でも間違いなく職務質問をする。それほど怪しさ満載なのだ。
 しかし今ここで、その職務を遂行して貰っては困る。非常に困る。
 ここに何故この方がお一人でいるのかという疑問はさて置き、ここが潮時と、警備隊員が伸ばした手が護るべき貴人の肩に掛かる前に、俺はすっと体を割り込ませた。

「悪いのはこの方ではない、倒れている男たちだ」

 見知った隊員が居て良かった。出来るだけ明るい場所を選んで、俺の顔がはっきりと認識できるように話し掛けると、逆に背後の人物を薄暗い方へと誘導する。声で俺が誰か分かったのか、俺の背後の緊張が少し緩む気配がする。それと同時に、俺の正面に立つ、今日のこの班の班長であろう隊員が少し驚いた顔で声を上げた。

「あっ、あなたは…!」
「非番でたまたまこの騒動に遭遇したんだよ。そこに倒れてる三人が乱暴な振る舞いで一方的に絡んで迷惑を掛けたんだ、完全な正当防衛でこちらの方に一切非は無い」
「そうでしたか、しかしこの状況は…」

 俺の説明は理解したものの、倒れて呻いている男たちと背中を向ける不審人物とを交互に見やり、未だ隊員は困惑しているようだ。それに同情的な苦笑を浮かべながら、俺は正面に立つ隊員へ言葉を続けた。

「倒れてるのは、こいつらの自業自得ってやつだ。この方の身元は俺が保証する。とにかくこいつらを連れて行ってしっかりと反省させてくれ」
「はっ!」

 ビシッと敬礼する班長と事後処理について短い言葉を交わし、すでに捕縛していた男たちの連行を促す。程なくして男達と共に警備隊員たちは詰所に向かい、それと同時に騒動に興味が失せたのか、集まっていた野次馬たちの輪がちりじりに散っていった。
 最後にこの場に残ったのは、俺と、俺に背を向けたままの貴人だけ。俺は大きく息を吐き出し、くるりと回りこんで、俺から逃げずにこの場に留まって下さったその方の正面に立った。すると色眼鏡を少し下げた隙間から俺を見上げ、この国の頂点に立つ人はばつの悪そうな顔で笑った。

「ごめん、助かった」
「いいえ、お怪我が無くて何よりです。ところでお供の方は?」
「えーっと、あーうん……、居ない、っかな〜?」

目を泳がせ、歯切れの悪い答えに、俺の悪い予感は大当たりだと知る。目の前の事実を否定したくて笑ったつもりが失敗し、俺は強張った顔を隠すように片手で口元を覆った。

「何故、疑問系でお答えになるんですか…」
「はははははっ、まあそれは置いといて」
「いえ、置いとくわけには…、うわっ!えっ、ちょっ、ちょっと待ってください!」
「まあまあまあ、こんなとこで立ち話もなんだし、どっかで落ち着こうぜ。お礼に驕るからさ、ほら行こう!ほらほら!」

 俺が急激な脱力感に襲われている最中に渇いた笑い声と共に腕を掴まれ、固辞する間もなくぐいぐいと強引に引っ張って行かれる。その腕を乱暴に振り払う事も出来ず、俺はがっくりと肩を落として、色眼鏡の不審人物こと、お忍び姿の魔王陛下と共に、賑わう祭りの喧騒の中へと吸い込まれていった。















okan

(2013/07/29)