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ただしいしし。ぷろじぇくと
<3>
噂の人物、ウェラー卿コンラート閣下の登場に驚いた陛下とは対照的に、俺はほっと胸を撫で下ろしていた。実はさっきの男たちを連行した衛兵隊員に、俺は近衛隊への託を頼んでいたのだ。それは護衛増員の要請だった。その待ちに待った陛下の護衛要員が来ていたのは、先程から背後に感じる気配で察していた。それが当の閣下であったことには俺も驚きを隠せなかったが、それも一瞬で、これ以上心強い助っ人はいない。ただ、今まで話していた陛下の話の内容が内容なだけに、密かに一人でどきどきしていたのだ。しかし、閣下はご不満そうな口調とは裏腹に、いつもの爽やかな笑みじゃなくて、もうちょっと甘い雰囲気で微笑まれていらっしゃる。どうやらこれは犬も食わない、というやつだろう。
護るべき至高の存在を何とか無事に引き渡した事に安堵して、俺は無言で席を立ち、陛下の隣の席を本来の優秀な護衛官へと明け渡した。閣下はそんな俺の肩に手を置き、ご苦労だったな、と労いの言葉を掛けて下さった。それに目礼を返し、そのまま卓の直ぐ脇に控える俺の少々力の抜けた肩の上に、いきなり太く逞しい腕がまわされる。突然のことに驚いた俺は、びくっと全身を緊張させた。そんな俺の様子に耐え切れず、くつくつと楽しそうに笑う気配に、俺は全身の力を一気に脱力させた。
「グリエさん…」
はぁぁっと息を吐き出し顔だけで振り向くと、鍛え抜かれた上腕二等筋を持つ人物は、俺の髪をぐちゃぐちゃに掻き回し、今まで見事に気配を消していたのが嘘のような存在感でにやりとした笑顔を向ける。
「よう、ごくろうさん!久しぶりだな坊主」
「お久しぶりです」
「グリエちゃんも帰ってきてたんだ!」
突然のことに驚きつつも、変わらず人を食ったような笑顔が良く似合う人物の名を呼び挨拶を返すと、陛下もグリエさんの存在に気付かれたのか、ぱあっと満開の笑顔を向けられる。
「はい、ただいま帰ってまいりましたよ、坊ちゃん」
「おかえり、グリエちゃん!」
「俺には言ってくださらないんですか?」
「何を?」
閣下の言葉に笑顔を一変、やさぐれた態度で陛下はわざとらしく恍けられた。
「酷いなぁ…、少しでも早くあなたのお傍に戻りたい想いで、形振り構わず最短最速で帰って来たのに」
肩を竦めて笑った閣下の顔からは、確かに幾分の疲労の色が窺えた。当初の帰国予定とカヴァルケードからの移動距離を考えると、お言葉通りかなり無茶な移動をなさっているはずだ。しかし陛下はちらりと振り返るだけで、ムッとした声音のままで答えられる。
「あんたは凄ぇ〜美人なお姫様たちと楽しく踊ってたんじゃないのかよ」
「確かにそれぞれに美しい姫君ではありましたけれど、それだけです。楽しい訳ないじゃないですか」
閣下はため息交じりにぼやかれると、少し眉を歪ませた。そんなお二人のやり取りを、グリエさんはにやにやと笑って見ているだけだ。
「それでも甘ったるい台詞は吐いてきたんだろ?」
「ご機嫌を損なうわけにはいきませんから、外交辞令に過ぎない美辞麗句は並べてきましたけど、甘い言葉なんか吐きませんよ。だいたい甘ったるい言葉ってなんですか」
「『艶やかな絹糸のような髪』とか『真珠を溶かした肌』だとか」
「それは全部あなたに言った言葉でしょう」
澄ました顔で言う閣下に、むきになって陛下が声を張り上げられる。
「そ、それが甘ったるいって言ってんの」
陛下が睨みつけると、悪びれた様子もなく閣下は肩をすくめて笑った。
「事実を述べただけです。それが甘ったるいかどうかは知りませんが、心からの言葉を尽くしたいと思うのはあなただけなんですから。それがいくら美しいと評判の姫君とはいえ、俺の中で輝きなど見出せない者に対して言うわけ無いじゃないですか」
「ホントかよ」
「信用ないなぁ…」
猜疑心に溢れた陛下の発言に、閣下は柔らかな苦笑を深められた。それでもそのまなざしはどこか嬉しそうで、少しばかりふてくされた調子でいる陛下を優しく見つめている。
つまり猜疑心は独占欲の裏返しということだ。じっと見つめられていて決まりが悪くなったのか、やがて陛下は卓に並んだ皿の一つを手に取りぐいっと乱暴に閣下の前に差し出した。
「それより腹減ってないの?」
「帰路の高速艇で軽く食べてきました。かなり揺れたので落ち着いては食べられませんでしたけどね」
そう言って、閣下は軽く肩を竦められる。
「そうなの?じゃあコレ食べなよ、美味いよ?」
「じゃあ少しだけ貰おうかな。その半分のやつで良いですから」
「これ?良いけどこれ俺の食べかけだぞ」
「ええ、それでいいです」
そう言いながらも閣下は皿に手を伸ばす事はない。少し屈んで自分の顔を陛下の目線に合わせ、そのまま口を開ければこの後どういう展開になるかはわかろうと言うものだ。見てはダメだと心の中で警報が鳴り響くが、視線をそらす事が出来ず、お二人の様子をそのまま窺っていると、陛下は促されるまま指で摘んだ棒付きの腸詰を閣下の口に運んだ。閣下はそれをぱくりと食べて、おまけとばかりに油のついた陛下の指先をちろりと舐められた。
心の警告は大正解だった。見ているこっちの顔が赤くなってしまう。急激に熱を持った頬を手で押さえていると、そんな俺を気の毒そうに見て、グリエさんはやれやれと肩を竦めて椅子の背もたれに寄りかかった。
「美味しいですね」
「だよな」
何事もなかったかのように陛下と閣下の会話は再会される。そうですか、お二人にとっては人目を気にするまでもない日常の風景なんですね…。
「帰らないで欲しいとか、お姫様に言われたんじゃないの?」
「ええまあ、やんわりとそんなような事は仰ってましたね。でも、あなたに言われるなら嬉しいですが、他の者に言われても俺には何の抑止力にもなりません。それより俺はあなたとの約束を護る為に必死で帰ってきたんですよ。そんな俺に何も言ってくださらないんですか?」
閣下が笑いながらそう仰ると、陛下はぷいっと顔を逸らされた。横を向いてしまった陛下の髪に絡まるように閣下の手が添えられる。何度も髪を梳かれるその手付きはこれ以上ないほど優しく宝物に触れるようだ。陛下はずっとされるにまかされ、やがてぽつりと口を開かれた。
「………おかえり、コンラッド」
陛下がそう呟くと、閣下は美しく弧を描いた唇を陛下の耳元に寄せる。
「ただいまユーリ、遅くなってごめんね」
甘い声で囁いて陛下をみつめる閣下の眼差しが、なんとも柔らかい、というか甘ったるい。なんだかどきどきしてきて、警護のためにと自重して、初めに一口飲んだまま手にしていた酒を堪らずごくりと飲みこんだ。
甘い…。口の中がじゃりじゃりしそうに甘い。俺の酒盃に誰か勝手に山盛りの砂糖を溶かし入れたんだろうか?心当たりのある悪戯好きな人物を窺えば、グリエさんも俺と同じように、まるで砂糖をそのまま丸飲みしたみたいな複雑な顔をしていた。
「ホントに悪いと思ってる?」
「ええ、突発的なこととは言え、もう少しであなたとの約束を反故にしてしまうところでしたからね」
「じゃあさぁ、今から祭りに付き合ってくれる?」
「はい、喜んで」
「よし!それじゃ、行くか」
花が咲くような華やかな笑顔で、陛下は俺たち二人を振り返った。どうやグリエさんと俺の存在は忘れ去られていなかったらしい。グリエさんも俺と同じことを考えていたようで、互いに顔を見合わせやれやれと肩を竦めて笑いあった。
折角の時間が勿体無いからと、早速移動する事になった。食べ終わった食器の乗った盆に手を伸ばす俺を制して、陛下と閣下は当然のように二人並んでそれを返却口へ持って行かれる。そんなお二人の後を慌てて追いかける。どうやら護衛の為の近衛兵は何人か付いてきているようで、見知った顔を何人か見かけ、互いの位置を確認して頷き合う。
祭りの華やかな雰囲気に包まれながらさりげなく手を繋いで歩く陛下と閣下。そのすぐ後ろを歩くグリエさんに呼ばれ、俺はこの国の主の警護に加わる為ごった返した人ごみの中を歩き出した。
他国から訪れた商人は、一月にも及ぶ祭りの期間に少しでも新たな商い先を獲得しようと、露店同士でも売買の交渉をしていることもあり、立ち並ぶ屋台は小さな品評会のように品揃えが豊富だ。色んな国の衣装を着た商人たちがいたるところで商談を進め、この祭りは庶民の中でも小さな貿易の場であるともいえる。そんな露店がひしめき合う大通りは人混みも増し、なかなか歩きにくいのだが、ご機嫌な陛下は鼻歌など口ずさみながら足取りも軽く歩いていらっしゃる。先程とは大違いだ。陛下の機嫌を上昇(下降)させたご本人であるコンラート閣下は、陛下が祭り客とぶつからないようにさりげなく自らの身で庇いながら人混みの中を歩いていた。常に甘い笑みを浮かべながら…。
「げっ!まただよ……」
上機嫌だった陛下がうんざりした声を上げ、ぴたりと足を止められた。
「どうしました?」
「あれだよ、あれ!」
閣下の問い掛けに答える陛下の視線の先を辿ると、連なる露天の幾つもの軒先にぶら下げられている絵をご覧になっての発言のようだ。それは肖像画が描かれた掌ほどの大きさの紙で、通りに並ぶほとんどの店に飾られていた。
「あれがどうしました?」
「さっきから気になってたんだけどさぁ、あれってもしかして俺?」
「髪も瞳も黒いですし、黒いお召し物ですから、恐らく魔王陛下の絵姿なんじゃないですかねぇ。それに魔王陛下のご生誕を称える言葉が書いてあるし、間違いありませんね。ほら、こっちの店のには『我らが美しき魔王陛下万歳!』、あっちの店のには『偉大なる魔王陛下のご生誕おめでとうございます!』ってね」
グリエさんは凄く楽しそうにそう言って、にやにやと笑っている。
「その文字の部分を音読すんの恥ずかしいから止めて、グリエちゃん…」
陛下は益々顔を顰められ、頭痛に耐えるように大げさな身振りで額を押さえられた。
「でもこれさぁ、どう見ても女の人じゃん」
「そうですねぇ…、魔王陛下の肖像、と言うより美人画ですね。全く似てませんが」
「コンラッドもそう思うだろ?普通はさぁ、王様の肖像画って、なんていうのかなぁ威風堂々たる風貌!って感じだと思わない?それなのにこれはさぁ…」
「たわわな胸こそ無いものの、昔出回ったツェリ様の肖像とほぼ同じ立ち姿ですね。背中に大輪の花まで背負っちゃってますし。まあ俺が訪ねた国々での魔王陛下のお噂は大概『眉目秀麗、輝くようなお顔立ちに、たおやかに咲く花のようなお姿』とか言われてますからねぇ」
「げっ、誰のことだよそれ…」
一応は周りの耳を気遣いながら、そんな会話が小声で交わされる。
「今更だけどさぁ、俺ばんばん顔出していこうかなぁ…、そしたら、も少し普通に描いてもらえるかもしんないし」
「いや、それは返って絵師のやる気を煽るだけだと思いますが…」
苦笑を浮かべた陛下の溜息混じりに呟きに、同じく苦笑した俺は思わず小声で反論する。勿論、俺の苦笑が意味することは陛下のそれとは全然違う。でも陛下にはよく分からなかったようで、意味がわからないというような顔をして俺を見返される。しかし閣下とグリエさんには充分すぎるほどに伝わったようで、目が合うと肩を竦めてこれまた苦笑を浮かべられた。
「坊ちゃんの仰るように顔をばんばん出されると、こうやって祭り見物もできなくなりますよ」
「まあね…、だから顔出し極力避けてたんだけど、どうもあの絵姿には納得できない。慣れたつもりだったんだけど、やっぱりこっちの美的感覚はどうかしてるよ」
恨めしい思いを込めた眼差しで未だ姿絵を見つめ続ける陛下を、閣下は柔和な笑みで見つめ背中に手を回される。
「まあまあ、似ていない絵姿はどうあれ、軒先を花で綺麗に飾りつけたり、ああやってお祝いの言葉を掲げたり、それは生誕を祝う民たちの気持ちの表れなんですから。ね、その気持ちだけ素直に受け取ってみては如何ですか?」
「そうだよな、ありがたいことなんだよな」
「愛されてますからねぇ〜、この国の魔王陛下は」
グリエさんの言葉に同意を示すように、俺も大きく頷いた。少し離れて護衛に当たっている近衛兵たちも、俺と同じようにうんうんと頷いていた。そんな俺たちを見て、陛下はふわりと微笑まれる。
「幸せだよな、俺」
「俺達も幸せですよ」
閣下の優しい微笑が陛下を包む。二人の視線が絡んで、陛下は静かに頷かれた。
「それよりあちらの広場に人だかりが出来てますよ。坊ちゃんが見たいって言ってた曲芸団じゃないですか?」
仄かな甘みを帯び始めた空気を、グリエさんの声が掻き消した。
「ああ、ホントだ!」
陛下の表情は弾けるような笑みへと変わり、子供のように嬉しそうに必死に首を巡らせ広場の方を覗き込む。そんな横顔に、閣下は穏やかに目を細められた。
「行こうぜ、コンラッド!」
「はい」
陛下に手を取られ駆け出す閣下。そんな二人の背中を、ヨザックさんと僕は苦笑を浮かべ慌てて追いかけた。なんだか今日は苦笑いばかりだ。

すいません;;
とりあえずここまでで…;;
何とか陛下のお誕生日に間に合わせたかったんです…(ノ△・。)
okan
(2013/07/29)

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