明日はきっと・・・





 降り続いた雪は止み、明るい日差しが白銀の世界を眩しく照らしている。久し振りに空は青く晴れ渡り、ここ数日の間に城のあちこちに積もった雪に、穏やかな朝の光が反射しきらきらと静かに輝いている。

 魔王陛下の必死の努力の甲斐あって、数日振りに手に入れた貴重な休息日。執務にお疲れ気味の彼の人をゆっくり眠らせてあげたい気持ちもあったが、行動的な彼に少しでも長く自由な時間を楽しんでもらおうと、コンラートは日が昇ると共に魔王の私室へと向かっていた。
 扉の前に立つ不寝番の兵が素早く敬礼を取るのに頷きを返し、儀礼的に軽く扉を叩く。重厚なドアを静かに開き、足音をたてない様にと注意して寝室まで足を運ぶと、広い部屋の中央にある天蓋のついた豪奢な寝台には気持ちよさそうに寝息を立てるこの城の主の姿があった。

「陛下、起きてください。」
「ん・・・・・・」 

 主に一度声を掛けた後、コンラートは魔王の寝室の大きな窓に向かいゆっくりとカーテンを開けた。外の雪を跳ね返し眩しい程に煌めく朝の光を部屋に入れると、何の反応も見せず深い眠りに落ちたままの、軍人としては些か課題が残る弟と違い、有利は僅かに身じろぎ低く小さい呻き声ともつかぬ声を零した。腰をかがめ、主の顔を覗き込む。あまりに罪のない無邪気なその寝顔に、コンラートは思わず口元を綻ばせる。トントンと軽く肩を叩くとゆっくりと瞼が震え、黒曜石のように美しい漆黒の瞳がぼんやりと頼りなげに開かれた。一瞬、その漆黒の中に映し出された自分の姿に、心が震える。
 その瞳に朝の光を迎え入れるより先に、一番に自分の姿を映したい。触れて、この腕に抱き締め、いつしか自分だけを捕らえて欲しい。いっそ誰も知らない所に閉じ込めて、自分だけのものにしたい。そう願う心を知ったら、この瞳は逸らされてしまうのだろうか。コンラートはそんな事を思いながら、また半分閉じてしまった瞳を覗き込み、幼さを残す額に掛かる闇色の髪をそっと梳いた。

「・・ん・・・コンラ、ッド?」

 少し掠れた有利の声に、コンラートは一人の男の顔から、すぐに穏やかな保護者の笑顔を纏わせる。

「はい、陛下。」

 やはり連日の激務のせいか、普段寝起きの良い主にしては覚醒に少し時間が掛かっているようだ。この分では、昨日の自分との約束を憶えているかどうかすら疑わしい。やはりもう少し眠らせてあげようかと、コンラートが腰を上げかけたところで、寝惚けた瞳とぶつかった。

「へ、いかって言うな・・・・な、づけ親。」

 子供のように眠たげに目をこすり、些か呂律の回っていない口調で紡がれるいつもの台詞に、コンラートは愛しげに双眸を細めた。

「すいません、ユーリ。目が覚めた?いつもより少し早いけど、今日は俺と一緒に城下へ行く約束だったでしょ?起きられる?」
「ん?・・・じょう、か?・・・・・・・あっ、城下!!」

 覚醒し真っ先に視界に入ったよく見慣れた男のいつもの軍服とは違う私服姿に、前日に護衛と交わした会話を思い出したのか、有利はガバッと勢い良く上体を起こした。有利の顔を覗き込んでいたコンラートは、危うく主から頭突きを喰らいそうになったが、さすが軍人の身のこなしで難なく寝台から離れ、朝一番の爽やかな笑顔を有利に向けた。

「おはよう、ユーリ。」
「おはよ、コンラッド。」

 グンと手を突き上げるように伸びをしながら、有利はコンラートに訊ねた。

「グウェンから休暇もらえた?城下に行けるの?」
「ええ、大丈夫です。今日一日、休みを貰いましたよ。外出の許可もね。」
「そうか、やった〜!あっ、でも、グウェン怒ってなかった・・・?」

 両手を上げて久しぶりの外出の喜びを表現したものの、ふと眉間に皺を刻む宰相の顔を思い出したのか、すぐに表情を不安なものに変え、有利は上目づかいにコンラートを見上げた。

「ご心配なく。グウェンも、昨日の陛下の頑張りに快く休みをくれましたよ。それに、せっかくの休暇だから思う存分楽しんでこいって、ほら、こうやってユーリの為に色々用意してくれましたしね。さあ、早速着替えて出掛けましょう。」
「これって・・・・;;;」

 にっこり笑顔の護衛から差し出された物を受け取り、有利は僅かに口元を引き攣らせた。腕の中にこんもりと纏まる温かそうな毛糸の感触。その一つを手に取ると、予想通りのキュートな耳が付いたクマハチ帽子だ。寝台の上に腕の中の物を次々と広げていくと、手袋・マフラー・セーターに厚手の靴下まである。ちなみに全てお揃いのマイドイン・グウェンダルのタグ付きだ。

「雪は止みましたけど、外はまだまだ寒いですよ。それに少し遠出しようと思いますから、温かくして下さいね。」
「温かそうなのは、温かそうなんだけどさぁ・・・・、全部クマハチテイストだぞ、これ。このトータルコーディネートって、魔王としてどうよ・・・・?」
「俺は、可愛くてキュートな魔王陛下も良いと思いますけどね。」
「可愛いって言うな!」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべて答える護衛を睨みつけるが、効果は全くないようだ。一向に気にしないという風に微笑み続ける男に溜息を零すと、有利はグビビグビビとまだぐっすりと寝続けているヴォルフラムを起こさないように素早く寝台から抜け出し、すっかり慣れた手順で髪を染め瞳の色を変えて、いそいそと城を出る準備を始めた。


***


 二人で厩まで行き、雪の積もった道は足元がぬかるみ危険が多いからと、僅かな荷物と共にコンラートの愛馬ノーカンティーに相乗りする。外気は冷たいながらも風はなく、グウェンダル手作りの品々のお陰で、有利は寒さはあまり感じない。その上、預けた背中をゆったりと受けとめる厚い胸と、有利の身体を包むように回された腕の温もりも心地よく、穏やかに晴れた空の下、まだ人気の少ない城下を、二人を乗せたノーカンティーはのんびり穏やかな歩みで行く。
 目的地は王都から少し離れた、なだらかな丘陵地を抜けたところにある美しい湖だと言う。そんな馬上での保護者の説明に、有利はなぜ冬に湖に行くのだろうと疑問に思ったが、その疑問はほどなくして到着した目的地の賑わいですぐに解消された。簡素な白木で出来た門を潜ると、広大な広場の様な場所に抜ける。そこで色々な催し物が繰り広げられているのか、すぐに華やかな装飾と人の活気に包まれた。静かな湖畔と思っていた場所にいきなり現れた城下の市にも似た賑わいに、有利はすぐに興味を抱き瞳をキラキラと輝かせる。腕の中でキョロキョロと辺りを見渡し、落ち着きをなくした有利の姿に、コンラートは小さく吹き出した。

「坊ちゃん、落ち着いて下さい。あんまり動くとノーカンティーから落ちてしまいますよ。」
「コ・・・・カクさん、笑うなよ。だって、びっくりしたんだよ。何でこんな所にたくさん人が集まってんの?何やってんのここで?お祭り?」
「それはすぐにお教えしますよ。まずはノーカンティーを預けてから、ね。」
「わ、わかった。」

 ハシャぐ子を諭すように顔を覗き込み告げる名付け親は、まだクツクツと笑い続けている。有利はワクワクと浮き立つ自分の子供っぽさが急に恥ずかしくなり、真っ赤に染まった頬を隠す為に慌てて正面を向き、大きく頷いた。
 広場に入ってすぐの管理小屋にノーカンティーを預け、愛馬から下ろした荷物を担いだコンラートと並び、有利は人並みに自然と乗るように広場の奥に向かって歩き始めた。

「ここでは今、氷祭りが開かれているんですよ。」
「氷祭り?」
「ええ、雪像を作ってその年の一番の作品を選んだり、屋台でみんなで騒ぎながら食事をして、音楽を奏でて夜通し踊ったり。寒い冬を乗り切る民たちの数少ない娯楽というか、楽しみの一つですね。」
「へぇ・・・知らなかった。」
「坊ちゃんがご存知ないのは仕方ないですよ。この祭りは、元々この辺りの庶民だけの小さな祭りですからね。領主や貴族が催す祭りとは全然違います。だから村全体で作った大きな雪像もありますが、家族で作った小さな楽しい雪像とか氷像とかもありますよ。残念ながら本祭りは三日後ですけど、今なら雪像を作っている途中の状態とかがご覧になれますよ。」
「あ、それ面白そう。」

 コンラートの言葉通り、道の両脇に並べられた雪像や氷像を数人ずつが囲み、何やら一生懸命作業している。ノミのような道具を使い、氷を器用に削り出していく様はずっと見ていても飽きない。無心に氷を削る人、分担を決めてわいわいと楽しそうに作っている家族、指導者ばかりが一生懸命になっていて後の数名はお喋りに高じていたりと、決められた儀式にのっとった国の祭事と違い、実に様々で面白い。ふと奥の方を見ると、大きな氷の滑り台も作られ、子供たちの人気を集めている。長い列を作り、順番に滑り降りてくる楽しげな子供たちの様子を有利がじっと見つめていると、背後でクスッと笑う気配がした。

「滑り台の順番の列に並びますか?」
「誰も子供たちに混じって滑るなんて言ってないだろ・・・・。」
「滑りたそうなお顔をなさってたので、てっきり坊ちゃんも滑りたいんだと。」
「そりゃ楽しそうだとは思うけどさ・・・・。子供たちの邪魔しちゃ悪いだろ?」
「坊ちゃんなら邪魔にはならないかと思いますが。でも、もし良かったらあちらに先に行ってみませんか?」

 意地悪な顔で子ども扱いする護衛に有利が口を尖らせると、コンラートはまたクスリと笑い、広場の一番端の小屋を指差した。即されるままその方向へ向かうと、広場沿いに茂っていた木々か途切れいきなり視界が開けた。その眩しさに、有利は思わず目を細めた。

「うっわぁ〜広い!」

 見れば目の前には、豊饒な鏡のような湖面が、黄金の陽を浴て蒼白く輝いている。絵画のように美しい風景だが、どこか違和感を感じよく見ると、何故か湖面をたくさんの人が歩いている。いや、正確には滑っているのだ。

「えっ、湖面が凍ってるの?ひょっとして、あれってスケート?」
「はい、そうです。坊ちゃん、最近ロードワークへ行けなくて運動不足でしょ?ちょっとやってみませんか?」
「やる!やってみたい!!」

 好奇心に輝く瞳と共に返って来た主の元気な返事に、コンラートは満面の笑みを浮かべ頷き返した。


***
 

 湖の上では、かなり多くの庶民がスケートに高じていた。軽快なスケーティングを披露したり、バランスを崩して尻もちをつく子どもの姿もあり、みな笑顔で冬の娯楽を楽しんでいる。

「やっ、ほっ、とととっ・・・・」

 そんな庶民たちに平和な日常を与えている魔王陛下は今、慣れない氷の上で悪戦苦闘中だった。コンラートは、氷の上で次々と変える愛しい名付け子の表情に、無意識に笑みをこぼしていた。今にもバランスを崩して転びそうな見るからに危なっかしい足取りで、ピョコピョコとクマハチ帽子の耳を揺らし、滑る、ではなくよろよろと歩く姿は実に微笑ましい。

「うっ、うわぁっ!?」

 前足は止まろうとしてるのに、後ろ足が変な方向を向いて自分の意思に従わない。バランスを崩して倒れそうになる有利を、コンラートが両腕で支えた。ほとんどしがみつくような体勢になっているけれど、転倒しないように踏ん張るだけで精一杯の有利には恥ずかしさを感じる余裕さえ無い。コンラートに支えられ、やっと安定を取り戻した有利は、ほぉっと大げさに息を吐いた。

「ふぅ・・・、アッブねぇ;;助かったよ、カクさん。」
「どういたしまして。」
「でも、おっかしいなぁ、俺、小さい頃に何度かオヤジに連れられて、スケートには行った記憶があるんだけどなぁ・・・。どうにも上手く滑れないや。」
「それは仕方ないですよ。地球とは道具も違いますし・・・。それに、ちゃんと綺麗に整備されたスケートリンクと違って、湖面は決して平らではありませんから。」

 護衛の言葉通り、地球でのブレードと靴が一体化して足首まで固定されたスケート靴と比べ、こちらの物は踵や爪先は多少固定できるものの、鉄製のエッジに紐を結んでその上に靴を載せて結んでいるだけのかなり簡素な代物だ。おまけに湖面は自然に凍ったものだから細かいデコボコがいたるところにあり、ブレードが全然真っ直ぐに安定しない。そんな状態で、地球のスケート、それも何年も前にしかした事がない有利にとって、かなり難しく感じるのは仕方が無い事なのだが、根っからのスポーツ少年にとって今の屈辱的な状態はどうにも納得がいかないらしい。

「でもさぁ、あんたは上手に滑れてるじゃんか。」
「俺は軍人ですから、氷上での訓練もしてるんですよ。」
「多分そうなんだろーとは思ってたけどさぁ・・・。氷の上で派手に転ぶウェラー卿コンラートって言うのも見て見たいじゃない?」
「でも俺が滑れなかったら、大切な主を守れないじゃないですか。」
「まあね。でも、なんか悔しい・・・。」

 よちよちと歩く有利と向き合ったまま、何でも難なくこなし、自分は後ろ向きで余裕の笑顔で滑っている男に、有利は口を尖らせた。

「大丈夫ですよ。坊ちゃんは元々運動神経が良いんですから、ちょっとコツさえ掴んでしまえば、後はあっという間に上手に滑れるようになりますよ。」
「そうかなっ、とっとっ・・・・あっ!」

 またしても小さな突起に躓き、有利がバランスを崩したその時、突然小さな男の子が勢い良く飛び出してきた。友達と氷上で追いかけっこをしているのか、後ろばかり気にして全然前をみていないまま有利に向かって猛スピードで突っ込んでくる。

 「危ない!」

 身体が後ろに反り、転倒してしまいそうな有利を支えようと、コンラートは急いで手を伸ばした。ぐっと有利の腕を掴み胸元に引き寄せて何とか子供と激突する事は避けられたが、まだ不安定な体勢な時に、暴走する子供たちに巻き込まれた別の子供がコンラートの服を咄嗟に掴み、コンラートも体勢をくずしてしまう。とどめに、追いかけっこの後続の子供が有利の足を引っ掛けて、氷上の暴走族のごとく凄い勢いで通り過ぎて行った。

「うわぁ!」
「ユーリ!」

 そのままもつれるようにして体が傾き、え?と思った次の瞬間には氷の上に二人して倒れてしまっていた。

「坊ちゃん、大丈夫ですか?」
「あ、うん、なんとか・・・。」

 心配げな名付け親の問いかけに答え、思った程の衝撃を感じなかった事に安堵した有利は、そこでふと自分の今の体勢に気がついた。衝撃を感じないのも道理で、有利はコンラートの上に乗っかっているのだ。肩をつかんで、まるで押し倒しているような格好で。

「う、うわわわわぁ!?ご、ごめん!」

 あまりの体勢に焦って立ち上がろうとするが、ここがまだ氷の上だと言う事をうっかり失念していた。またもや足がズルリと滑り、再びコンラートの上に思いっきり倒れこんだ。すごい勢いで顔が迫り、触れる直前で止まる。吐息が触れる程に近づいた唇にドキリとし、すぐ目の前で珍しく少し見開かれた瞳に輝く銀の虹彩に囚われたように、有利は不自然に固まってしまった。

「・・・・ユーリ、大丈夫ですか?」

 再びの問いかけに、有利はハッと我に返った。

「あっ、ほ、ほんとにゴメン;;;」
「いえ、それより、怪我は無い?」
「う、うん、大丈夫。コンラッドこそ、怪我してない?」
「俺は大丈夫ですよ。ユーリは、どこか捻ったりしてませんか?」

 コンラートもゆっくりと上体を起こし、有利の顔を気遣わしげに覗きこんだ。また目の前に迫るキラキラと光る虹彩。そこで、足を伸ばして座っている状態のコンラートの太腿の上に跨って、その両肩に手を置いている自分の格好に気付き、有利は一気に赤くなった。

「う、うん!、俺ってば全然平気だから!!」

 恥ずかしさに、また慌てて立ち上がろうとする有利をやんわりと留め、コンラートは安心させるように微笑んだ。

「落ち着いて、ゆっくりと立ち上がればいいからね。」
「う、うん。」
「慌てないで、ちゃんと俺が支えてるから。」

 コンラートに手を添えられ、二人でゆっくり立ち上がる。

「ほら、もう大丈夫。」

 名付け親はにっこり笑うと、有利の膝に付いた雪をパンパンと軽く手で払った。優しい手つきのその腕も少し濡れ、雪に塗れているのを見つけ、有利も手を伸ばしてその雪を払ってやった。

「本当に、派手に転ぶウェラー卿、見ちゃったな。」
「恥ずかしいから、皆には内緒にしといて下さいね。」

 そう言って口元に人差し指を当て片目を瞑った名付け親に、有利はプッと噴出した。なんだかおかしくなってそのまま二人でクスクス笑っていると、ふっと二人の目が合った。 コンラートの薄茶の瞳に映る自分の笑顔に、なんだか凄く気恥ずかしくなった有利は、そっとその瞳から視線を逸らした。
 
「危ないから、手を繋いで滑りませんか?」

 声と共に差し出された手。それを手繰って見上げる主に、コンラートはニッコリと微笑みかけた。目の前にある、今は薄い皮の手袋で覆われた大きな掌をじっと見つめ、戸惑い気味に有利はその手を掴んだ。濡れた膝は冷たいが、顔と胸の内は熱くて仕方ない。初めて手を繋ぐわけではないのに、どこか緊張している自分に気付き、有利の頬はまた熱くなった。コンラートは込み上げる笑みをそのままに、頬を染めて少し俯きがちな主の手を引いて、人の流れに乗るようにゆっくりと滑り出した。



 



okan

(2010/02/09)