明日はきっと・・・





 コンラートの言葉通り、少し練習をすると有利はなんとか転ばない程度に滑れるようになった。湖の外周に沿って流れていく人波に合わせて、二人も並んで氷上を滑っていく。コンラートが時折横目に見る有利は、今は色を変えた赤茶の髪を冬の風に遊ばせながら、とても嬉しそうに笑っている。冬の日に、そんな有利の笑顔が見られる事が、コンラートは何よりも嬉しかった。

「やっぱり、外の空気って気持ち良いな。」

 手を広げて風を全身で感じ、嬉しそうに微笑む有利に、コンラートも同じように微笑みを返した。

「そうですね。でも、寒くないですか?」
「うん、大丈夫。寒くないよ。」

 頬に当たる風は確かに冷たい。そんな冬の寒さの中にいても、有利は少しも寒いと感じる事はなかった。手袋越しだが、繋がった手がいつもよりも暖かく感じる。それを確かめる様に少しだけ力を込めてきゅっと握ったら、思いがけず強い力で握り返され、思わず向いた先に男の穏やかな顔があった。

「少し休憩しませんか?かなり頑張って練習したから疲れたでしょ?」
「うん、ちょっと足の裏がダルいかも。」

 苦笑する主の背に手を当てて湖畔へと誘導し、スケートを堪能した二人は広場へと戻った。夥しい数の屋台が並び、威勢の良い声で客を呼び込んでいる。その中で、比較的小綺麗で、椅子と机が湖を望むオープンカフェの様に配置されている店を選んで昼食を摂る事にする。コンラートがカウンターで店主に食べ物と飲み物を頼んでいる間に、有利は店の女性に勧められるまま、すぐ側の空いている席に座った。

「はい、どうぞ。温まりますよ。」

 思っていた以上に疲れている身体を木製の椅子の背もたれにくたりと預けていると、すっと目の前にカップが差し出された。見上げれば、もちろんそこには護衛の優しい笑みがある。有利は礼を言い、湯気を立てる乳白色の飲み物を両手で受け取って、手袋越しに感じる温かさにほうっと息をついた。

「料理はすぐに来ますからね。それはガルピィズと言って、ヤギ乳の脂分を取り除いてそれを発酵させて作った物で、夏は水、冬はお湯で割って飲む、この土地独特の飲み物です。ちょっと甘酸っぱくて、美味しいですよ。」
「ふぅ〜ん」

 勧められるままに、温かそうに湯気を立てるカップを両手で包み、ふぅーと息を吹きかける。やけどをしないように気をつけて、ちょっとずつちょっとずつ啜っていく。ちょうど良い甘酸っぱさが口の中に広がると同時に、身体の内側からほわりと温められる気がする。

「ん?・・・・おぉっ、ホット・カルピス!?」

 後口がさっぱりしているので、少しレモンのような柑橘類が入っているのかもしれないが、その味は「初恋の味」という名コピーで呼ばれる地球産の水玉模様の乳飲料にそっくりで、有利は思わず目を丸くしてまじまじとカップの中を覗き込んだ。

「ガルピィズです。地球風に言うと、ホット・ガルピィズですね。」
「へぇ〜、名前まで似てるや。美味しい。それに懐かしい味だよ。子供の頃、お袋が良く作ってくれたなぁ。」
「美子さんが?それは良かった。」

 またふぅふぅと息を吹きかけて、ゆっくりゆっくりと味わっている有利を、コンラートも嬉しそうに笑いながら見守っていた。
 ふわりと良い香りが有利の鼻をくすぐり、カップから顔を上げると、店主が机の上に料理を並べ始めていた。肉や魚介類を刺した串焼きや、パン生地のようなふわふわな生地にソーセージと刻んだ野菜を挟んだ物、野菜の煮込みなど、鼻腔をくすぐる香ばしい匂いに食欲をそそられ有利のお腹は急に空腹を訴え始めた。

「俺、すっごく腹減ってるかも。」
「よく動きましたからね。さあ、どうぞ。この辺りの特産品で、なかなか美味しいですよ?」

 さり気無さを装い少しずつ自らが口を付けた皿を、コンラートは有利の食べやすい位置に移動させた。それまで無邪気に二人だけの楽しい時間に浮かれていた有利は、護衛として魔王である自分を守る為のそのコンラートの振る舞いに、哀しげに眉を曇らせて彼の護衛を見た。主の視線に気付いたコンラートは、それでも、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。

「すいません。でも、念の為ですから。」
「・・・・わかってる。」
「そんな顔はしないでください、ね。ほら、早く食べないと、せっかくの料理が冷めてしまいますよ?」
「そうだな・・・・・、うん。んじゃ、いっただきまぁ〜す!」

 大きく一つ頷き、有利は軽く手を合わせ元気良く声をあげ、さっそく湯気を立てる料理に手を伸ばした。

「あっ、これ、すっごく美味い!ほら、あんたも早く食べなよ。」
 
 ニコニコと嬉しそうに頬張りながら、有利が肉の刺さった串を差し出した。

「坊ちゃん、ありがとうございます。」

 従者に気遣う心優しき主からそれを受け取り、コンラートも主の勧めるままに食事を始めた。
 運動の後はやはりお腹が空くもので、二人はあっという間に机に並んでいた皿を平らげた。丁度良いタイミングで、食後にと頼んでいたお茶とお菓子が運ばれてきた。ふんわりと焼きあがった大き目のワッフルの様な物に、とろりとハチミツが掛けられている。

「おぉ、これも美味そう!」
「少し大きいですから、切り分けますね。ちょっと待ってて下さい。」
「女の子じゃないんだし、マナーにうるさいヤツも居ないんだから、もうそれぐらいの大きさで大丈夫だよ。」

 さっそく手を伸ばそうとする手を、コンラートは声を掛けて留めたが、有利は待ちきれないのかまだ半分に切っただけのそれに手を伸ばし、口を大きく開けて甘いお菓子に飛びついた。

「痛っ!?」
「どうしました?」
「・・・・・唇が、切れたみたい。」

 有利は、チクリと痛んだ下唇にそっと指で触れてみた。見ると、指先に血が付いている。

「コ・・・、カクさんが、お菓子切ってくれてたのに、待たなかった罰、かな?」

 心配気に覗き込む男に、有利は苦笑気味に答えるが、笑った拍子にまた唇が痛む。

「痛てててっ;;」
「罰なんかある訳ないじゃないですか。ちょっと見せて下さいね。」

 コンラートも苦笑を浮かべたが、すぐに笑みを消して真顔になり、有利の顎に手をかけた。視界いっぱいに丹精な男の顔が映り、有利は慌てて身を引こうとするが、相手は穏やかそうでいて屈強な軍人なのでびくともしない。

「あ、あの、カクさん?」
「ああ、コレは痛いでしょう・・・・。空気が乾燥しているこの季節に、ずっと外にいたのが良くなかったんですね。すいません、俺の不注意です。」
「いやいやいや、そんなの気にしなくて良いから。ほ、ほら、この季節ってさ、俺、地球でもよくあるんだよ。唇ちょっと切れちゃっただけなんで、心配しなくても、舐めてりゃ自然に治るから。」 

 早くこの恥ずかしい状況から逃れたくて、有利は必死に言い募ったが、過保護な名付け親はまだ手を離す気は無いらしい。

「坊ちゃん、じっとして・・・。」

 お互いの吐息がかかるこの距離は、正直恥ずかしい。目の前に迫るコンラートの唇が目に入り、ジタバタする有利の紅くなった耳に届く、優しく囁く様な名付け親の声に、有利の身体がピキッと強張った。あまりの恥ずかしさに、有利は思わずギュッと目を瞑った。
 顎に掛かった手に少し力が加わり、自然と有利の顔は上を向く。すっと気配が近づいてきて、不意に何かが唇に触れた。下唇を滑り、次に上唇へと移る。唇を辿っていくそれは、しっとりと濡れて温かく、有利はそれを心地よいと感じた。また、すぅっと離れていく気配が名残惜しい。

「はい、おしまい。」
「へ?」

 早まる鼓動とふわりと蕩けるような感覚に包まれていた有利は、コンラートの声にパチッと目を開けた。すると、何故か人差し指を一本立て、名付け親はニッコリと邪気の無い笑顔で笑っていた。

「唇を守る為に、応急処置でハチミツを塗っておきましたから。」

 そう言われて、目の前の男の人差し指をよくよく観察すると、とろりと黄金色に光る何かで濡れていた。仄かに甘い香りがする。有利が改めて唇に触れてみると、唇がしっとりと潤っていた。

「甘いからって、あんまり舐めちゃだめですよ。」

 いつもの笑顔で自分に笑いかけるコンラートに、有利は急に恥ずかしくなって顔を背けた。

「坊ちゃん、どうしました?耳が紅いですよ、まさか熱?」
「ち、違う!何でも無いから!!め、飯食って、血行が良くなっただけ!!」

 ぐるりと覗き込んで、今度は額を合わそうとする過保護な名付け親の手から慌てて逃れ、有利はふるふると両手を振った。

「おやおや、お客さんたち、仲が良ろしいですねえ。」

 不意に掛けられた声に振り返ると、この店の女将らしき恰幅の良い年輩の女性がニコニコと笑いながら丸い盆を手に二人の机の横に立っていた。女将から掛けられた他愛ない揶揄だが、ひょっとして今までのコンラートとのやりとりを一部始終見られていたのかと、また体中の血が顔に集まっていくのを感じ、有利はその熱をパタパタと両手で必死に冷やそうとした。コンラートはそんな主の様子に微笑み、そのまま横に立つおかみに穏やかな笑顔を向けた。

「ごちそうさまでした。失礼ながら、祭りの屋台でここまで美味いものを食べられるとは思いませんでしたので、正直驚きました。」
「それはそれは、お口に合って良うございました。普段はここから少しばかり行った町で、亭主と二人で小さな店をやってるんですよ。少しでもこの祭りの役に立って皆さんに楽しんでもらおうって思いましてねえ、祭りの期間だけ、こうやってここで商売をさせて頂いてるんです。粗末なものばかりでお恥ずかしいんですがねえ。」
「そんな、粗末だなんてとんでもない!どれもみんな凄く美味しかったです。ごちそうさまでした。」

 有利は女将の言葉を慌てて否定し、満面の笑顔でペコリと頭を下げた。お供の青年に坊ちゃんと呼ばれ、上質な布で出来た服を着た身分あるであろう美しい少年の律儀で礼儀正しいその姿に、女将は一瞬目を見開き、すぐに嬉しそうに相好を崩した。

「色んな上等なもんを毎日食べてらっしゃるだろう、こんな綺麗な坊ちゃんに、ウチの料理を褒めて頂けるなんて光栄なこってすよぉ。」
「いやいや、綺麗とか、それ違いますから;;;絶対、この国の美的感覚おかしいから・・・・」

 困惑顔でブツブツ呟いて、今度は小さく開けた口で残りの菓子をもそもそと頬張る有利の様子を微笑ましげに見ていた女将は、ふと何かを思い出したように口を開いた。

「そうそう、お二人は、この祭りの“願い菓子”のことをご存知ですか?」
「願い菓子、ですか?」

 コンラートもそれは知らなかった様子で、首を少し傾げた。

「ええ、これなんですけどね。この辺りで出来る小麦をこの湖の水で練って作ってあるお菓子で、何てこと無い庶民のお菓子なんですけどね。氷祭りの間に、この湖の畔で願い事をしながら食べると願いが叶うって言われております。」

 女将はそう行って、手にしていた盆をすっと二人の目の前に差し出した。そこには、籐で編んだ籠いっぱいに砂糖をまぶした500円玉ぐらいの大きさの丸いドーナツの様なものが盛られていた。

「まあ、お遊びみたいなもんですけどね。でもね、その願い菓子の中に、たまぁ〜に何故だか小さな魔石が入ってる事があるんだそうですよ。」

 悪戯を仕掛ける子供のような表情を浮かべ、女将は黙って話を聞いていた主従の顔を覗き込んだ。

「魔石が?それって誰かが入れるの?」
「いいえ。作るのはあたしたちが作るんですから、どんなに小さくても魔石なんてそうそう手に入るもんじゃありませんよ。」
「そうだよなぁ、魔石って貴重で高価だって聞いた事があるよ、俺も。」
「それがね、いつの間にか入ってるんだそうですよ。」
「それは不思議ですね。」
「ええ。それで、その魔石が入った願い菓子を食べた者の願いは、どんなに難しいお願いでも絶対に叶うって言われてるんですよ。まあ、死人を蘇らすとか、そう言うのはご法度だそうですけど。だからね、若い娘達はこの祭りの間、必死でこのお菓子を食べるんですよ、恋が叶うようにってね。」
「へぇ〜、どこの世界でも、女の人のこーゆーものに掛ける想いって、凄いよね。」
「そうですね。」
「でも、食べても食べても魔石が出てこなくて、とうとう食べ過ぎて太ってしまう娘も必ず一人や二人出てくるんですよ。それで逆に恋が実らなかったりね。」
「うわぁ〜、それは気の毒と言うか、何と言うか;;;」
「でも、男が必ずしも細い女性が好きだとは限らないでしょう?」
「え?コ・・・、カクさんはぽっちゃりした方が好みなの?」
「いやいや、坊ちゃん。俺個人の意見じゃなくて、一般論ですよ。」
「ふ〜ん・・・。そーいや俺、あんたとそんな話したことないな・・・。で、そうなの?」
「俺は外見より、その人の中身ですから。」
「カッコいいこと言っちゃって、ホントにぃ?」
「じゃあ、坊ちゃんはどうなんですか?」
「お、俺ぇ?俺は、えっと・・・・///」

 クスクスと笑う気配に、二人はハッと女将の存在を思い出した。女将は二人を見ながらおかしそうに、ぽっこりとしたお腹を揺らしながら笑っている。こんな豊満な女性が好みなのだろうか。好みのタイプと問われ、脳裏に一瞬過ぎった相手を思い、有利は自分と余りにも違いすぎるその存在感にくらりと軽い眩暈を覚えた。

「お二人は、ホントに仲が良ろしいんですねぇ。」

 笑い混じりの声で女将に言われ、二人は少々バツが悪そうに顔を見合わせた。

「で、でも、どうして誰も入れてないのに、魔石が入ってるんだろう?」

 有利は、照れ隠しの様に女将に尋ね、不思議そうに首を傾げた。

「この辺じゃあ、遥か昔、眞王陛下のご時世に、眞王陛下と盟約を結んだ水の精霊がこの湖に住んでいたと言われております。ですから、願い菓子を練る時に使うこの湖の水の中に、その精霊が紛れ込み、眞王陛下と気まぐれな悪戯をして、願いを叶えるんだと伝えられておりますけどね。」
あの眞王ならやりそうだ ・・・・・。」

 有利が眉を寄せ小さく呟いた言葉は、女将には聞こえなかった様で、にこやかに微笑みながら二人に願い菓子の入ったカゴを差し出した。

「さあ、これはウチの料理を褒めてくだすったお二人へのお礼です。一つずつ選んでくださいな。」
「え、いいの?」
「ええ、もちろん。二人の恋の占いをどうぞ。」
「えぇぇぇ!?二人の、こ、恋って・・・・///」
「おやおや、坊ちゃんも、お供の方も、お若いのに恋のお相手がいらっしゃらないんですか?」
「あ、ああ、そういう意味か・・・・・。」
「どうぞ坊ちゃん、一つ選んで下さいな。さあさあ、お供の方もどうぞ。」

 女将に勧められ、二人は願い菓子に手を伸ばした。有利はうんうん唸って迷いながら、結局一番上に乗っていたものを摘みあげた。コンラートは、有利が取った途端、バランスを崩しコロコロと籠から落ちそうになった菓子を手に取った。

「じゃあ目を瞑って、心の中で願いを唱えながら口にして下さいね。それと、もし魔石が入っていても、決して人に教えないこと。人に教えてしまうと願いは叶わなくなるそうですから、充分に気をつけて下さいね。」
 
 そう言って朗らかに笑い、女将はまた仕事へと戻って行った。

「あ、俺、ダメかも。絶対入ってたら隠せない。」
「おや、それは困りましたね。でも、頑張って隠さないと恋が実りませんよ。」
「い、居ないよ、そんな相手・・・・・。」

 苦笑し顔を背ける有利に、コンラートの唇は微笑ましげに弧を描く。その顔を主に向け、コンラートは問いかけた。

「坊ちゃん。坊ちゃんの願いは、何ですか?」
「俺?」

 有利は、ふいを突かれたとでも言うように目を見開いた後、願い菓子を右の人差し指と親指の間に挟み、器用に転がしながらそれをジッと見つめた。

「俺は・・・・・・・、やっぱり立派な王様になる事、かな。」

 小さな声でそう言って、有利は照れたように笑う。でも、有利の脳裏に浮かんでいる思いは、口にしている言葉とは全く別のことだった。この、コンラッドと二人だけで過ごす今という時間が、永久に続いて欲しいと願う心。

「何、乙女なこと考えてんだよ、俺!」

 ブンブンと首を振って思考を飛ばし、熱くなった頬を誤魔化すように冷やす。

「どうなさいました?」
「いやいやいや、なんでもない。コ・・・、カクさんはさぁ、何を願う?」

 心配そうに覗き込む護衛を引き攣った笑いで誤魔化し、有利はコンラートに問い返した。

「俺ですか?俺のは・・・・・、坊ちゃんの願いが叶いますように、かな。」
「ダメだよ、そんなの!ちゃんと、自分の為の願いじゃないと!」

 何処までも過保護な名付け親の発言に、有利は大げさに頬を膨らませてみせた。主の不興を買った事に、護衛は困った表情で眉を寄せた。

「そうですか?俺の願いはあなたの願いが叶うことなのに・・・。」
「ダ〜メ!ちゃんと自分の為の願いじゃないと認めないよ。眞王が認めても俺が認めない!」
「それは困ったなぁ・・・・、俺の為の願いでもあるんですけどねぇ。」
「ダメったら、ダメ!ちゃんと、コンラッドの為の願いを頭に浮かべて。俺もちゃんと自分の願いを思い浮かべるから。」

 今は色を変えたその大きな瞳は、己を誤魔化すことを許さないかのように真っ直ぐに、真剣な表情で自分を見つめている。コンラートは其れを受け止め、真実の望みを口にする事は出来ないまでも、心の中までも誤魔化すことを諦めた。

「わかりました。」
「よし!じゃあ祈るぞぉ〜!」

 目を閉じて真剣な顔で祈る有利に微笑み、コンラートも胸に秘め、決して叶う事はないであろう願いを心に浮かべ、そっと目を閉じた。

「いい?んじゃ食べるよ?」
「はい。」

 からっと揚がった薄い生地が、サクッと音を立てる。目を閉じたまま、有利は何か入ってないかと用心深く咀嚼するが、あっと言う間に口の中の物は全て溶けていった。後には砂糖の仄かな甘さが残るだけ。

「なぁ〜んだ、何も入ってないや、ほら。」
「そうですね。」

 目を開けて、ガッカリと肩を落とし、舌を出し口の中を見せる有利に、コンラートも眉を寄せ、同じように口を開けてみせた。

「ちぇっ!俺ってば一応魔王だし、ひょっとしたら、な〜んて思ってたのにさ。」

 そう言って口を尖らせ、頭の後ろで手を組んで背中を椅子の背凭れに預けた有利に、コンラートは穏やかに笑いかけた。

「まあまあ、そう気落ちなさらずに。さっき女将も、お遊びみたいなもんだと言ってたじゃないですか。それより、まだ時間はありますから、もう少し祭りを楽しみませんか?」
「うん、そうだな。あっ、俺、あっちの出店見てみたい!皆へのお土産も買わなきゃ。」

 早々に気分を切り替えたのか、それとも言葉ほど願い菓子への願いは深くなかったのか、そう言って椅子から立ち上がり、有利は先ほどの女将の元へと駆けていく。さっそく身振り手振りを交えて、願い菓子の結果報告をし始めた。くるくる変わる表情。全ての者を魅了する温かな笑顔。たかが願い菓子一つに、真剣に思いを込める自分に小さく吐息を吐き、コンラートは柔らかな保護者の笑みを纏い、すぐにでも祭りの人ごみに飛び出しそうな主の元へ足早に向かった。


***


 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、すでに月が顔を出し薄い雲の合間から淡く白い光で辺りを照らし始めていた。

「冬の日は、沈むのが早いなぁ・・・。」

 ノーカンティーの背に揺られ、それまで黙っていた有利が不意にポツリと呟いた。その声は少し寂しそうだ。

「そうですね、すぐ真っ暗になってしまいますね。陛下、寒くないですか?」

 主を包む毛布の合わせを片手で直しながらの問いかけに、有利は不満げに頬を膨らませた。

「うん、大丈夫。っていうか、陛下って言うな、名付け親。」
「すいません、ついクセで。」
「さっきまで陛下なんて言わなかったくせに・・・・」

 さほど悪いとは思っていない口ぶりで謝られ、有利は呆れたように大きく溜息をついた。そのまま、また無口になる。

「ユーリ?」

 まどろんでいるのか、ゆらりと揺れた有利の身体を受け止めつつ、呼びかける。

「ん?」
「疲れたでしょ?眠かったら、俺に凭れて眠っていいからね。」
「うん、ありがと。コンラッド、今日は楽しかったな・・・・。」
「ええ、とても。」
「また、二人で出掛けような・・・。」
「ええ、必ず。」

 交し合う笑顔がもたらす二人の絆で、心の中に温かい火が、一つまた一つ灯るように、雪の思い出が楽しいものに塗り替えられていく。そっと預けてきた重さを両手で抱きかかえるように包み、コンラートは手綱をしっかりと握りなおした。夜の星々の下を、ノーカンティーは静かに進んで行く。 
 冷たく、しかし柔らかな風が流れ、雲の合間から月が顔を覗かせる。夜の闇が、一瞬ふわりと明るくなった。

「うわぁ・・・」
「どうしました?」
「月、・・・・すげぇ・・・・・・。」

 有利の視線の先に、蒼白い光を纏い、濁りの無い綺麗な月が、手の届きそうな距離で冬の空にくっきりと浮かんで見えていた。その静かな美しさに有利はしばし言葉を忘れ、その月をジッと見つめた。この世界に、まるで月と二人しか居ないかのような錯覚に陥り、でもそれでも良いかもしれないと有利は思った。コンラートと二人で、この綺麗な月をずっと並んで見つめていけるなら、それで何もいらないと。今まで他のだれにも感じたことのない、この感情を上手く言葉に出来ない自分が歯痒い。

「コンラッド、・・・月が、綺麗だなぁ。」
「ええ、ユーリ。この綺麗な月を、ずっとあなたと見ていたい・・・・。」

 互いの言葉が、ふわりと胸の内に染み渡る。コンラートが愛しい温もりを抱きしめるその両腕に、ギュッと強く力を込めると、有利は甘えるように背中の温もりに身体を預けてきた。コンラートの顎のあたりで、細い髪がサラサラと流れる。日向の香りに惹かれて、思わずコンラートはその髪に鼻先を埋めた。心地よい感触に誘われるまま、コンラートはゆっくりと右手を上げ有利の髪に触れた。そっと指で梳いてみるが、腕の中で重さを増した愛しい名付け子は何も反応を返さない。

「ユーリ?」

 問いかけるが何も返事は無く、微かに穏やかな寝息が聞こえる。コンラートは、細く絹のように滑らかな髪を指先で何度も梳いた。その温もりと感触はとても優しく、狂おしいほどの愛しさがこみ上げてくるのを感じる。

「ユーリ・・・、もう眠っちゃった?」
「ん・・・」

 無意識に目元を擦る子猫のような仕種に、思わずクスリと笑みが零れる。やはり少し寒いのか、有利は身体を丸め、毛布に擦り寄るように寝ていた。コンラートは更に目を細め、薄く開いた唇にそっと指先を伸ばした。昼間塗っておいたハチミツは全て舐めてしまったのか、また少しかさついている。コンラートは、チラリと覗いている有利の舌先で自らの親指の腹を湿らせ、濡れた指でその唇の輪郭をゆっくりとなぞっていった。

「ユーリ、あなたは俺に、あなたの為でなく、自分自身の為に願えとおっしゃいましたよね。・・・・俺の願いが、この唇を奪う事だと知ったら・・・・、あなたはどうしますか?」

 そんな事は無理だと解ってる。そんな事をすれば、今まで培ってきた信頼も、名付け親としての自分に向けられた愛情も、何もかも一度に失ってしまうだろう。しかし、息苦しいほどの切なさも、張り裂けそうな哀しさも葛藤も、切ない程に求める心を止める事はできない。コンラートは、上着のポケットから小さな石を取り出し、それを親指と人差し指で挟み月に翳してみた。

「他愛のない占いなどにも縋ってしまう俺を、馬鹿だと笑いますか?」

 蒼白い月光に妖しく光る魔石をギュッと握り締め、祈りを捧げるようにその拳を額にあてた。

「愛しています、ユーリ。」

 コンラートはぐっと身体を引き寄せ、愛しい温もりをしっかりと両腕に抱き、眠る有利の瞼に唇を寄せた。

 馬上で一つになった影。
 夜空に浮かぶ月だけが、そんな二人を照らし続けた。





 end




『明日はきっと・・・』は、とりあえずこれで完結です。
やっと終わったぁ・・・・。
でも、長くなった割には、全然進展しない二人です。
ま、ウチの次男はヘタレですから、寝込みを襲えないのはわかってましたけどねww
その上、色々と次への伏線張ってたりしてます。
それをちゃんと繋げるかどうかは、技術的に不安は残りますが・・・。(苦笑)
次こそは、ドーンと進展させたいと思います。

あ、余談ですが、飯屋の女将のモデルはあたしですww
やっぱり、じれったい二人にじっとしてられなくて、登場させちゃいました。
あんまり役に立ちませんでしたがww
でっぱったオリキャラですいませんでした;;

明日へ繋げる活力の為にも、感想など頂けると嬉しいです。

okan

(2010/02/15)