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あなたの傍に
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「はぁ〜お腹一杯。」
「今日も朝から沢山食べましたね。」
満足そうに呟き、その容姿に似合わぬオヤジ臭い仕草でお腹を擦る有利の姿に、コンラートはクツクツと楽しげに笑い、意外にマメな長兄が作って送ってきた鍔の広い帽子を念の為に主に目深に被せた。その背に手を添え、宿の扉を開く。そのまま宿を出て兵達がきびきびと動くのを横目に広場まで歩き、有利は綺麗に整えられた花壇横にある長椅子に満腹で膨らんだお腹を突き出すようにドサリと腰掛けた。
「だってさぁ、この村の料理ってホント美味いんだもん。」
「そうですね。」
コンラートは同意を伝えるように頷き、肩の力の抜けた有利の幸せそうな呟きに、にっこりと笑みを返した。
この地に有利が来て今日で4日目の朝を迎える。大賢者からの白鳩便に書かれていた2・3日という当初の滞在予定は、有利の護衛を勤めるコンラートのこの地での任務の都合上10日間へと大幅に伸びた。これは有利にとっては嬉しい誤算であり、大賢者の勧め通り、魔王はその身分を隠して美しい風景や賑やかな市での闊達な民達と直接触れ合い、この村での自由な時間を堪能していた。それは楽しい時間であると共に、自分の気持ちを自覚した有利にとって、会いたくてたまらなかったコンラートと2人で誰にも邪魔されず過ごせる貴重な時間でもあり、有利の心は穏やかな温もりに満ち足りていた。
「昨日の市で食べた焼き物、あれも絶品だったよなぁ〜。」
一先ずは色気より食い気。成長盛りの胃袋も満たされた有利は、自分の心と同じく晴れ渡った空をのほほ〜んと見上げポツリと呟いた。賑わう市を生き生きとした足取りで探索していた昨日の有利は、出店の主人達との会話を楽しみ、時に頷き、熱心に質問しながらその瞳を純粋な好奇心でキラキラと輝かせていた。出店で買い求めた串焼きを大きな口を開けて美味しそうに頬張っていた有利の様子を思い出し、コンラートの口元は自然と綻んだ。
「ああ、ネグロシノマヤキシーの焼き物ですね。この辺りの名物ですが、確かにあれは美味かった。」
コンラートの何気ない台詞に、有利はもたれていた椅子の背もたれからガバッと上体を起した。
「おぉぉぉぉ!?鶏肉だと思ってたけど、あれがネグロシノマヤキシーだったのか!?俺、知らない間に謎の生物ネグロシノマヤキシー食っちゃったよ・・・・。」
「そうか、坊ちゃんはネグロシノマヤキシーを食べたの初めてだったんですね。ネグロシノマヤキシーって言うのは、この辺りにも生息する生物で」
「いや、いい!それ以上説明しなくて良いから!」
謎の生物は想像以上に美味かった。でも今後食する機会があるのなら、その生物の姿かたちや生態は謎のままの方がいい。特にこの国では、地球育ちの有利の想像を遥かに絶する生物が調理され、普通〜〜〜に食卓に並ぶ。美味しく頂いていたモノの生前の姿を知り、途端に美味しさ半減、口に運ぶのすら戸惑う様になってしまった食べ物のなんと多きことか。悲しい過去の経験を思い出し、有利はコンラートの口を慌てて両手で押さえ説明を遮った。不思議そうに首を傾げるコンラートにハハハハッと引き攣った笑顔で笑いかけ、有利は話題を変える為に広場を見渡し、機敏に立ち働く兵達にふと目を留めた。
「なあコンラッド、確か俺達が王都へ帰るのって5日後のはずだよな?血盟城にもそう連絡しといたって言ってなかったっけ?グウェンもそれで了承したって。でも、兵士さん達見てると今にも帰るって感じで準備してるように見えるんだけど・・・気のせい?」
「そう見えますか?」
「うん。ひょっとして予定が早まった、とか?」
残念そうに眉を下げて問う有利のすぐ横に静かに座り、コンラートは少し悪戯っぽい笑顔を浮かべて有利の耳元に顔を近づけた。
「坊ちゃんがそう思ってくれたって言うことは、俺達の作戦は成功に近付いてるって事ですね。」
「え?作戦!?」
声が少し高くなった有利の口元に、コンラートは立てた人差し指をそっと当てる。話の内容が内容だけに、静かにというジェスチャーだとわかってはいるが、ふいに縮められ距離と触れた少し硬い指先の感触に、心の準備ができていなかった有利はグッと息を飲み込んだ。その顔の近さに思わず心臓は跳ね上がるが、コンラートが口にした言葉は、その声音や表情とは裏腹に甘い色を含んだ話ではなかった。
「はい、先日お話した様に俺達は盗賊団の首領と大多数の手下の身柄を既に拘束しています。ですから、盗賊団はほぼ壊滅状態です。現に首領を捕まえてから、この村は盗賊団に襲われていない。そこに盗賊団検束の為にこの地にやってきた我々が、当初の予定より時期を早めて明日の朝出立することになったという噂が流れる。それを肯定する様に兵達のこの動きです。首領を取り戻そうと躍起になってる残党達はどう考えると思いますか?」
コンラートからの問いの答えを求めるべく、有利の眼差しは暫し宙を泳ぐ。だがやがて2・3度の瞬きと共にその瞳がハッと見開かれ、キラキラと星のような煌きが今は色を変えた大きな瞳に宿った。キビキビと動きながらも、王都への帰還にどこか浮き立った様にさえ見える兵達の振る舞い。それらが全て計算ずくであるのなら、答えは自ずと導かれるというものだ。
「そうか・・・、陽動作戦か!」
「その通り。」
コンラートは、有利の答えに“よく出来ました”という様にニコリと目を細めて頷いた。
「俺達は盗賊団の残党の最後の一人まで捕まえることを諦めてはいない。この兵の動きは敵の目を欺く為のものです。」
「首領を取り返す為に必死になってるやつらは焦るだろうな。予定が前倒しになるって事は、今まで準備してた段取りが全部狂っちゃって、もう一回みんなで作戦を練り直さなきゃいけなくなるもんな。」
「そういうことです。」
「じゃあ・・・」
「今夜、こちらから仕掛けます。」
きりりと口元を引き締めはっきりと言い切るコンラートの表情は、いつもの柔和で過保護な保護者のものではなく、普段の有利があまり目にする事の無い、敵を追い詰める不敵な指揮官のものであった。
「だから坊ちゃん、申し訳ないんですが、今晩は宿の中で良い子でお留守番してて下さいね。」
武官の厳しい表情を一瞬で消し去り、一転してその瞳に悪戯な色を浮かべたコンラートは、どこかワクワクとした様子の有利の肩に片手を置き、小さな子供に言い聞かせるような口調でそう言うと、細めた眼差しで有利の顔を覗き込んでくる。
「決して兵達と一緒に盗賊を捕まえに行く!とか言わないように、ね。」
キラキラと輝く爽やか過ぎる程の笑顔でそう念を押されて、有利はグッと詰まった。優秀な護衛は主の表情や態度からその脳内の流れを正確に読み取ったらしい。だめ?と、いつの間に身に付けたのか、お願い事をする時の必殺技『上目遣い』でそっと自分を伺う魔王陛下に、コンラートはわざわざ困った顔を作り大げさに肩を竦めてみせた。宰相と王佐には効果絶大なこの攻撃も、どうやら優秀な武官でもある護衛には効かないらしい。苦笑を浮かべ溜め息をつくその態度が、益々自分を子ども扱いしているように感じたのか、有利は途端に唇を尖らせた。
「そんな顔してもダメですよ。民の為に盗賊を捕まえたいっていう坊ちゃんの思いは分かりますが、余りにも危険すぎます。」
「でも・・・、コンラッドは行くんだろ?」
拗ねた声音のその奥に、微かに甘えた響きが潜んでいる。そんな有利の様子に、コンラートの眼差しがフッと優しげに細められた。穏やかな佇まいに不似合いな大きく無骨な手がまた有利に伸び、その掌が宥めるようにポンポンと軽く撫で叩くように頭に触れる。
「俺は行きませんよ。」
「え?」
「忘れちゃったんですか?約束したでしょ、あなたがここに居る間ずっと傍に居ますって。それに部下を信頼するのも上司の仕事だって。」
「それじゃあ・・・・。」
「はい、余程の不測の事態にならない限り、俺は坊ちゃんと一緒にこの宿に残ります。この宿が指令本部代わりになっていますからね。」
本来なら兵達に同行し指揮を執る予定だったが、魔王の滞在に伴い本部に残ることになったという事実を有利に告げる必要は無い。部下への揺るがない信頼も事実だ。真実を見通す力を秘めた透明な瞳でジッと見つめる有利を見つめ返し、コンラートは笑った。
「だから坊ちゃん、今晩は俺と一緒に指令本部で頑張りましょうね。」
「おう、お茶汲みでも書類配りでも雑用は任しといて!あっ、疲れて帰ってくる兵士さん達に夜食のおにぎりとか要るかな?」
「おにぎりですか。それは兵達も喜ぶかもしれませんね。」
「だよな!んじゃあ、お米ってどれだけ炊いたらいいのかなぁ?俺一人で皆の分握れるかなぁ?」
「俺も手伝いますよ。」
「えぇ〜、指揮官が本部でおにぎり握んのかよ!それはダメだろぉ〜。」
魔王陛下がおにぎりもダメだろ、と言うか違うんじゃないか?誰かが聞けばそんなツッコミが入りそうな話だが、いつの間にか機嫌の直ったらしい有利の提案を無理矢理ほじくり返して追究するのは無粋というものだ。
おにぎりの中に入れる具材にまで話が進んだところで、遠くの方から有利の名を呼ぶ声が聞こえてきた。とは言っても、今ここで呼ばれる名は『ユーリ』ではなく『ミツエモン』だ。自然と視線をそちらに向けると、行き交う兵士達の合間に見え隠れして、赤毛の少年が2人に向って大きく手を振りながら駆け寄ってきた。
「おはよう、ルーカス!」
有利が少年と同じようにニコニコと大きく手を振って少年の名前を呼ぶと、元気な足音が勢い良く近付いてくる。少し息を弾ませながら、少年は軽快な足取りで2人の元へと辿り着き、にっこりと微笑んだ。
「おはよう、ミツエモン兄ちゃん!おはようございます、コンラート閣下。」
「おはよう、ルーカス。」
憧れの武官に礼儀正しくペコリと頭を下げる少年に、コンラートも椅子から立ち上がり柔らかな笑みを向ける。すると、ルーカスは照れくさそうに頬を染めた。その姿は、しっかり者で相手が誰であろうとちゃんと自分の意見を伝えることが出来るちょっと生意気な普段の印象とは違い、年相応の幼い少年に見える。
「何かさぁ、俺へとコンラッドへとでは、ルーカスの態度が違うような気がするんだけど・・・・」
「そうですか?それだけルーカスが坊ちゃんに親しみを感じてるって事じゃないですか?」
「そうかなぁ・・・?まぁ、そーゆー事にしておいても良いけど。」
「そうそう、そーゆー事。」
ルーカスの返事に、有利は調子良すぎ!とクスクス笑いながらルーカスの頭を小突く。するとルーカスも小さな舌をペロリと出す。仔犬の様にじゃれながら楽しそうに笑い合う二人の少年の姿は、見かけは全然違うものの本当の兄弟の様に微笑ましく、自然と広場に居る者達の笑みを誘っていた。
初めてこの地に着いた夜に食べた料理と、その店の家庭的で温かな雰囲気にすっかり魅せられ、有利はそれから毎日ルーカスの両親の営む食堂でコンラートと共に夕食の時間を過ごす様になっていた。初めはコンラートの大事な客人と言う事と、その類稀なる容姿に恐れ慄き、かなり遠慮がちに接していたルーカスの家族と店の客達だったが、気さくで大らかな有利の人柄に触れるとともに打ち解け、今では遠方から来た親戚の子を可愛がるかのように接してくれている。特に息子のルーカスは、初めのケンカ腰の態度が嘘のように有利に懐き、あっと言う間に軽口を叩き合える関係になっていた。
「ところで朝からどうしたの?この辺に何か用事?」
一通りじゃれあった後、ふと気付いたように有利が問いかけた。ルーカスの店からこの広場までは少し離れているのだ。有利の問いに「うん」と大きく頷いてから、ルーカスはチラリと視線をコンラートの方へと向けた。仲良くじゃれ合う少年達に気を利かせたのか、コンラートはいつの間にか少し離れた距離に立ってこちらを見ていた。そのすぐ横に、若い、人間で言うなら18、9歳ぐらいに見える美しい娘も立っている。金色の長い巻き毛を耳の横でフワリと一つに纏め、大きな空色の瞳で控えめにコンラートを見上げ、2人は何やら親しげに話をしている。
「エリスお姉ちゃんが、コンラート閣下の隊に差し入れ持って行くって言うから着いてきたんだ。」
「あの女の人、エリスさんって言うの?」
「うん。この辺りで一番大きな葡萄農場の娘さんで、よくウチの店にも来てくれるんだ。でね、今日は朝からコンラート閣下の隊にこの村で出来た葡萄酒の差し入れを持って行くって言ってたから、僕もお手伝いしたんだ。葡萄酒の樽は重たいからね。」
「そっか、偉いなルーカス。」
有利が褒めながら赤い髪を撫でると、ルーカスはくすぐったそうにしながらも、エヘヘと照れ笑いを浮かべた。
「それにしても綺麗な人だな・・・・。」
「そうだね、村の皆はエリス姉ちゃんは美人だって言ってる。ウチの店に来る独身のお客さん達も、エリスお姉ちゃんが店に来てる時はみんな争うように話しかけてるしね。」
「へぇ〜」
「でも父ちゃんが言うには、この村で一番のお金持ちの娘さんだから、そんじょそこらの男じゃ相手にならないんだって。それでもお客さん達は、エリス姉ちゃんみたいな人は『守ってあげたい!』って思うから、万が一の可能性に賭けて、少しでもエリスお姉ちゃんの気を惹こうと必死になってるだって。」
「まあ、あんなに綺麗なら分かる気がするな。」
「そうかな?僕はミツエモン兄ちゃんの方がよっぽど綺麗だと思うけど。」
「////ばっ、な、何言ってだよ!俺が綺麗だなんて、ちょ、ルーカスそれ違うし!まったく、この国の美意識ってやつはおかしいんだから・・・・」
ルーカスの思わぬ発言に驚き、耳まで赤くなった有利はブツブツと口の中でつぶやき、居た堪れなさにキョトンと見つめてくる少年の純朴な瞳から視線を外した。
目に入ってくるのはその先に並んで立つ2人の姿。コンラートが一言何か告げると、エリスという娘は柔らかそうな白い頬を薔薇色に染め、コロコロと鈴を転がすような声で笑っている。クルリと巻いた髪が笑うたびに揺らめいて、その姿は確かにルーカスの言うように男の庇護欲を誘うような可憐な雰囲気があった。美男美女のカップル。2人並んで笑い合う姿は、まるで一枚の絵のようだ。客観的に2人を見ているとそう思うだろう。途端に、有利は胸がキュッと痛くなるような疎外感を感じた。
その時ルーカスがすすすっと有利のすぐ側に近付き、有利の服の裾をくいくいと引っ張る。
「ねえねえミツエモン兄ちゃん、一つ聞いてもいい?」
「ん、何だ?」
内緒話をするように声を潜めるルーカスに付き合い、有利も心なしか声を潜める。顔を寄せ合い小声で話す姿は悪戯を企む子供の様だ。
「ミツエモン兄ちゃんって、コンラート閣下の恋人?」
「・・・・・・はいぃ?」
唐突すぎる質問に、言われた言葉の意味がすんなり頭に入らずおかしな声が出た。
「・・・・・っていうか、えええぇ!?」
言葉の意味がわかると同時に、またしても素っ頓狂な声を出し、有利は大きくのけぞった。その口元をルーカスが慌てて手で押さえるが、漏れ聞こえた声に反応したコンラートが、有利とルーカスの方へ顔を向け近付いて来ようとする。それを二人揃って「何でもないから!」とニコニコ笑顔で両手を振って止め、2人はまた顔を寄せ合いヒソヒソ話の体勢に戻った。
「ミツエモン兄ちゃん、声がでかいよ!」
「ごめん。でもびっくりするだろ、何てこと言い出すんだよ。」
「じゃあ違うの?」
「ち、ち、ち、違うに決まってんだろ!だいたい俺は男だぞ!男の俺がコンラッドの、こ、こ、恋人になんかなれる訳ないだろ!」
「何言ってんの!男同志だって恋人になれるよ!ミツエモン兄ちゃん知らないの?恐れ多くも当代魔王陛下の婚約者様も、フォンビーレフェルト卿っていう列記とした男の方なんだぞ!」
「あ゛ぁ〜〜〜〜、はいはい、さようでございましたね。」
知ってます!確かに魔王陛下の婚約者は男です!でもあれは事故だったんですぅぅぅぅ!心の中でそう叫び、有利はゲンナリと肩を落とした。脱力する有利の前で、ルーカスは、だが、ふざけてる気配は無い。こちらをじっと見つめる勝ち気な眼差しは真剣で、興味本位だけの質問ではないと感じた。
「で、何で俺と、その・・・、コンラッドが恋人、とか思ったの?」
「皆が言ってるよ、コンラート閣下は訪ねて来たお客人を凄く凄く大事にしてるって。訪ねて来たお客人ってミツエモン兄ちゃんのことだよね?だから僕、ミツエモン兄ちゃんは、コンラート閣下の大切な恋人なのかなって・・・。」
「そうか・・・・・・。」
わずかに俯き、有利は眉を下げ苦笑した。
「うん、確かに、いつもコンラッドは俺の為に行動してくれてる。いつも傍に居て、俺のこと守ってくれてる。自分の事までも犠牲にして・・・・・。」
そこで一度、有利は顔をしかめて言葉を切り、空を見上げた。不安や、迷いさえも全て包み込んでくれそうな美しい青空だった。その空がひどく眩しく見えて、有利は被っていた帽子の鍔を少し下げて目を細めた。
「だから、コンラッドは俺のこと凄く大切に、大事にしてくれてるんだと思う。でも・・・、恋人、じゃないよ。」
苦みをにじませた声音に何かを感じたのか、ルーカスは神妙な表情のまま有利の横顔を見つめていた。そんな少年を安心させるように微笑み、有利はルーカスの少し癖のある赤い髪に手を置きポンポンと軽く叩いた。
「そうだなぁ・・・、コンラッドは俺の過保護な保護者で、コンラッドにとっての俺は、手の掛かる弟とか、そんな感じなんじゃないのかな。」
「そうなの?」
「うん、きっとね。確かなのは、俺にとっても、コンラッドはとても大切な人だってこと。」
そう言って有利は小さく微笑み、ルーカスもつられたように微笑んだ。
「私もお話のお仲間に加えていただけますか?」
唐突に割り込んできた声と同時に感じた人の気配に顔を上げると、座っている有利とルーカスの目の前に、声の主、エリスが笑みを浮かべて立っていた。
「エリスお姉ちゃん・・・!」
「楽しそうにお話なさっておられるので、不躾かと思いましたが声を掛けさせて頂きました。はじめまして、私エリスと申します。」
有利よりも頭一つ分程小さい小柄な体つきに似合いの軽やかな声。大きく巻いた金色の髪を結ぶ薄桃色のリボンと同じ色のスカートの裾を摘み、エリスは優雅な仕草でお辞儀をした。有利もそれに習って軽く頭を下げる。
「はじめまして、エリスさん。俺はミツエモンです。」
「存じ上げておりますわ。コンラート様の大事なお客人でいらっしゃると閣下からお聞きしております。」
「コンラッドから?」
「ええ。閣下がこの村にお着きになってからずっと、この村の世話役である父が隊の皆様のお世話をさせて頂いておりましたので、その縁で私もコンラート様と何度かお話させて頂く機会がございましたの。コンラート様も私の事をエリスと呼んでくださり、とても親しくさせて頂いておりますわ。」
「そうだったんですか・・・。」
有利はエリスに返事を返しながら、コンラートの姿を目で探した。離れた場所に居る事はないと確信していた姿は、案の定、有利達が話をしている花壇の長椅子から5mも離れていない距離にあり、彼の副官と共に手にした書類を見ながら話をしていた。しかしすぐに有利の視線に気付き、こちらに顔を向ける。大事な今日の作戦の打ち合わせであろう話を中断してこちらに向おうとする気配に、有利は慌てて「大丈夫だから打ち合わせを続けろ」と目線だけで伝え、わかりやすい笑顔を作って手をヒラヒラと振ってやった。それに笑って頷きを返し、コンラートはまた書類に視線を戻した。
「ミツエモン様は、村の皆が噂しているように、本当にコンラート様に大切にされてらっしゃるんですのね。」
「え?」
「ミツエモン様に向けるコンラート様のあんな笑顔、私は今まで見たことありませんもの・・・・」
エリスは秀麗な眉を切なげに寄せ、副官に指示を出すコンラートの姿をジッと見つめると長い吐息を漏らした。そんなエリスの姿に、有利の心臓がトクンと震える。
「エリスさんって、もしかしてコンラッドのこと・・・・?」
思わず零れた有利の言葉に、エリスは何も言えず恥ずかしそうにポッと頬を染め、すぐに両手で火照った頬を覆って俯いた。伏せている睫が震える可憐なその姿を見れば、彼女がコンラートに恋をしているのは明らかだ。
「あっ、ごめんなさい!俺ったら初めてお会いした方にいきなりこんなこと言って・・・・」
有利が慌てて謝ると、彼女は頬を染めたまま首を横に振り微笑を浮かべた。
「いいえ、お気になさらないで下さいませ。」
「や、ホントすいません;;俺って、こんな失礼なヤツだから女の子にモテないんだよなぁ・・・。」
「え?ミツエモン兄ちゃんって女の子にモテないの?」
「モテないよ!自慢じゃないけど、彼女いない暦が年齢と同じなんだぞ!って、あぁ・・・自分で言ってて落ち込んできた・・・・」
自分の言葉にへこみ、有利はがっくりと頭を垂れて肩を落とした。思わず深い溜息をつく有利の頭上で、エリスがくすくすと笑う 。
「エリスさん、デリカシー、じゃなくて、心配りに欠けた言葉ですいませんでした。」
再びペコリと頭を下げる有利を真っ直ぐ見つめて、エリスは否定するようにふるふると首を横に振った。
「いいえ、ミツエモン様がお気になさることは何もございませんわ。私がコンラート様をお慕いしておりますのは、本当のことですから・・・。」
そう話しながら胸の前で祈りるように両手を組み、エリスの視線は副官と打ち合わせをしているコンラートの元へ向う。その眼差しと自分の気持ちを隠そうとしない彼女の素直な心に、有利の感情は高ぶり、嫉妬とも劣等感とも思える感情を胸に覚えた。
「明日にはもう、王都へ帰ってしまわれるのですね・・・・。」
エリスが残念そうに呟く。それに頷くルーカスも、ひどく寂しげに見えた。
「もう少しこの村にいらっしゃると思っておりましたから、凄く残念です。ご出立するまでに、と思って用意しておりましたものも、明日立たれてしまわれるのでしたら、とても間に合いそうにありませんわ。」
小さく息を吐き、悄然と肩を落とし俯くエリスに、有利の心がきしりと痛む。
それが今すぐでなくても、いつかきっとエリスのようにコンラートに焦がれ、その思いを告げる娘は現れるだろう。そして心通わし、自然にその横には控えめに身を摺り寄せて幸せそうな笑顔で笑う女性の姿を見ることにもなるのだろう。想像するだけで胸が痛くて苦しくなる。しかし、その時のコンラートもまた、愛する女性の横で幸せな笑顔を浮かべているのであれば、自分は心の中で涙を流しながらもそんな2人を応援しなければいけないのではないか。そんな思いが、有利の胸を重く満たした。
「大丈夫だよ、明日帰るとは限らないし・・・。」
儚い恋に哀しげな少女の姿を見つめながら、色んな思考に深く沈み、そして無意識に呟いてしなった言葉に、自分でもハッと驚き、有利は思わず口許を手で覆った。しかし、不用意に発した言葉は、すでにエリスの耳に届いてしまっていたようで、「え?」と怪訝な眼差しで有利を見つめてくる。
「ええっと・・・・・・ほら、えっと、そうそう!また盗賊団の残党のヤツらが何かやらかしたら、コンラッドだってそれほっといて帰る訳にはいかなくなるだろ?」
ひどく言い訳めいた言葉だと思いながらも、慌てて口にした有利の言葉だったが、エリスとルーカスは素直に納得したのか「なるほど」と受け入れ頷いていた。
「だから、ほら、ひょっとしたら間に合うかもしれないよ。」
「そうですね。」
有利の言葉に嬉しそうに頷くエリスに、有利の胸はまた、ズキン、ズキンと痛くなる。我ながら不器用だと思うが、気付いてしまったコンラートへの自分の気持ちをこれからどうしていけば良いのか分からないのだからが仕方ない。有利は持て余す感情に肩を落とし、誰にも気付かれないように小さく息を吐いた。
「僕も、ミツエモン兄ちゃんが少しでも長くこの村に居てくれたら嬉しいな。」
「ルーカス・・・・。」
「せっかく仲良くなれたのに、もうお別れなんて寂しいよ。」
「ありがとう、ルーカス。俺も寂しいよ。だから、俺がここに居る間は、いっぱい喋ったり遊んだりしような。」
「うん!」
よしよしと少年の頭を撫で、顔を覗き込んで微笑む有利の瞳はとても優しい。ルーカスは至近距離で見てしまったその綺麗な笑顔に、途端に顔を真っ赤に染め、わたわたと慌てて目をそらした。そんなルーカスの様子に、有利が不思議そうに首を傾げていると、聞きなれた柔らかな声がすぐ傍から掛かった。
「坊ちゃん、お待たせしてすいませんでした。」
「コンラッド!」
心に穏やかに響く声に、有利はフワリと柔らかな笑みを浮かべ、すぐ傍らに立つコンラートを見上げた。
「そんなの全然気にしなくていいよ。ルーカスと、それにエリスさんも一緒に話してたから、退屈なんてしなかったし。なっ、ルーカス。」
「うん!」
有利の言葉に、ルーカスは少し潤んでいた目元を拭い大きく頷いた。
「ルーカス、俺の代わりに坊ちゃんの側に居てくれてありがとう。」
視線を合わせてニッコリ微笑んでくれる尊敬する武官に赤い髪を撫でられると、ルーカスは初めてのおつかいを成功させた子供のように誇らしげに笑った。
「エリス嬢も、ありがとうございます。」
「いいえ、私はミツエモン様とルーカスが余りにも楽しそうでしたので、仲間に入れて頂いただけですわ。」
貴婦人への振る舞いのように礼儀正しく接するコンラートに、エリスは頬を上気させ、嬉しそうに微笑む。そして、少しはにかんだような微笑を浮かべたエリスは、コンラートの言葉にゆっくりと首を傾けた。
「コンラート様は、ミツエモン様の事を坊ちゃんと呼ばれるのですね。」
「ああ、坊ちゃんは俺が昔、まだまだ若造と呼ばれる頃、大変お世話になった方の息子さんなんですよ。だからつい、昔からのクセで。」
「それもクセで片付けるのかよ・・・・。」
いつもの台詞をさらりと言ってのける名付け親に、有利は誰にも聞こえない小さな声でツッコミを入れた。
「それより、もう副官の人との打ち合わせはいいの?」
「ええ、とりあえずは大丈夫です。」
コンラートは有利に頷き、少し被りが浅くなった帽子と頬に掛かった髪を直す。乱れた髪を梳く指先はとても優しく、頬に触れる指先に少しだけ有利の体に緊張が走る。
穏やかな笑みを浮かべそっと丁寧に指先を動かしていくコンラートに、徐々に体から力が抜けていき、有利はその心地よさに目を細めた。そんな無自覚な2人が醸し出す甘やかな雰囲気に、ルーカスは落ち着き無く視線を外し、僅かに頬を染めていた。
「あの・・・・、コンラート様。」
甘美な空気に割って入る呼びかけに、コンラートはようやく視線をこちらを見つめたまま佇む声の主に移し、先を促すように双眸を細めた。
「私の父が、盗賊団から村を救って下さったコンラート様に感謝の気持ちをお伝えしたいと、今夜ちょっとした催しを計画しておりますの。村の顔役達を集めてのささやかな宴なのですが、ご参加下さいますよね。」
否の言葉などありえない。そう思い込んでいるかのようなエリスの問いかけに、コンラートはしかし、きっぱりと断りの言葉を口にした。
「申し訳ないのですがエリス嬢、そのご招待は辞退させて頂きます。」
「なぜですの?」
「魔王陛下は常々おっしゃっておられます、兵は民の為にあれと。その尊いお志の元、困っている民を救うのは俺達の当然の仕事です。」
「でも、それでは、私達の感謝の気持ちが」
「お気持ちだけで充分です。それでも、と仰るのでしたら、先ほどエリス嬢の父上から我が隊へ差し入れて頂いた葡萄酒を、そのお気持ちとして受け取らせて頂きます。兵達も喜ぶことでしょう。」
「・・・・・・わかりましたわ。」
柔らかな物腰と表情とは裏腹に、コンラートはあくまでも誇りを持った魔王陛下の一武官としての毅然とした態度を崩さない。エリスはコンラートを宴に招待することを諦め、深く息をついた。
「ご理解ありがとうございます。」
礼儀正しく胸に手を当てて礼をとるコンラートに、エリスはふんわりと柔らかな曲線を描いているスカートを皺になるほど強く握り、クッと唇を噛み俯いた。そして恭しく一礼すると、クルリと踵を返し小走りにこの場を後にした。
「さあ坊ちゃん、お待たせしました。キャッチボール始めましょうか。」
その背中を見送る事もなく、話は終わったとばかりに笑みを有利に向ける。コンラートのそのあっさりとした態度に、有利は少しエリスが気の毒に思えた。しかし、その態度に安堵する自分もいて、揺れ動く自分の気持ちに上手く対応できない。
「坊ちゃん、キャッチボールしないんですか?」
「するする!」
再び掛けられた声に、思考に沈んでいた意識からハッと浮上する。そして、楽しいお誘いの言葉に有利は嬉しそうに大きく頷いて、ずっと横に置いてあった布袋の中に上機嫌に手を突っ込んだ。中から取り出したのは、使い込んだグローブ2つとボールが1個。当代魔王陛下の影響で野球好きになった王都警備隊の兵士達の為に、隊が所有しているものだ。それを見て、ルーカスが驚きに目を見開き、すぐに興奮ぎみの声を上げた。
「ねえねえ、ミツエモン兄ちゃん!これって、ひょっとして、やきゅうで使うぐろーぶとぼーる?」
「おう、そうだぞ。」
「うわぁー、僕初めて見たよ・・・・。」
「ボール、触ってみるか?」
コクンと頷き、おっかなびっくり、という感じで差し出された小さな手を取り、有利は満面の笑顔でその掌にボールをポンと乗せた。まるで宝物みたいにそれを大事に包み込み、ルーカスは手元のボールを目を細めて見つめ、その感触を楽しむように両手でコロコロと転がした。
「ルーカス、野球に興味あるのか?」
「うん、やってみたい!魔王陛下がお好きなんだよね?ミツエモン兄ちゃんはやきゅうできるの?」
「できるぞ〜、野球大好き!」
そう宣言する有利は、まるで子供のような満開の笑顔だ。コンラートはその横で、ニコニコと楽しそうに2人の話を聞いている。
「やってみるか?」
「教えてくれるの?」
「当たり前だろ!」
「教えて、教えて!僕、やってみたい!」
「よし!それじゃあまずキャッチボールからだ!」
勢い良く立ち上がった有利は、すぐ横に立っていた本来のキャッチボールの相手であり、バッテリーの相棒でもある男の存在にアッと小さく声を上げた。野球に興味があると言ってくれたルーカスが嬉しくて、すっかりコンラートのことを忘れていたのだ。最近はコンラートの事ばかり考え、その恋心に悩める有利ではあるが、元々は野球一筋の野球バカなのだ。兄曰くのおばかちんな有利の脳ミソは、野球の話になると色んな事は吹っ飛んでしまうらしい。せっかく忙しい中、キャッチボールの時間を作ってくれたコンラートなのに申し訳ない。そう思いながらそ〜〜っと視線を向けると、優秀な相棒は気分を害した風でもなく、そうなると思ってましたよという顔つきで立っていた。
「ごめんコンラッド!」
ルーカスに聞こえないように小さい声で言うと、同時に両手を顔の前で合わせて頭を下げる有利に、コンラートは穏やかに目を細めながらゆっくりと首を横に振った。
「わかってますよ、俺のことは気にしないで下さい。俺もルーカスには野球好きになって欲しいですから。」
まだすまなそうにしている有利に気にしないでと微笑みかけ、すぐにコンラートは視線をルーカスに移した。そして視線を少年に合わせて屈みこみ、その頭に優しく手を乗せた。
「ルーカス、頼みがあるんだが。」
「はい、何でしょう閣下。」
「悪いが、俺の代わりに坊ちゃんとキャッチボールしてくれるか?」
「はい、それは喜んで。でも、コンラート閣下がミツエモン兄ちゃんときゃっちぼーるするんじゃないんですか?僕はその後でいいです。」
「俺も野球が大好きで、本当は坊ちゃんとキャッチボールしたかったんだけどね。あいにくと、また副官と打ち合わせしなきゃいけないことが出来てしまったみたいなんだ。」
そこでコンラートが言葉を切り、視線をすぐ側に控える副官に移す。すると、主従の遣り取りを全て見ていた副官は、心得たようにルーカスを見て小さく頷き、申し訳ない風に装って頭を下げた。ほらね、とルーカスに肩を竦めて見せ、コンラートは赤い髪を掌でポンポンと優しく叩いた。
「だから、ルーカスが俺のかわりに坊ちゃんとキャッチボールしてくれるかい?」
「はい、わかりました!」
ルーカスは元気いっぱいの笑顔で大きく返事を返す。
「それと・・・・、コンラート閣下がお側に居ない間、僕がコンラート閣下のかわりにミツエモン兄ちゃんを守ります!」
キリッと背筋を伸ばし、見よう見まねの敬礼付きでルーカスは言う。堂々と宣言した少年の大人顔負けな言葉に、コンラートと副官は思わず瞠目する。そしてすぐに顔を見合わせて口元を緩め、小さな護衛官に綺麗な返礼を返した。
「ではルーカス、よろしく頼む。」
「はい閣下!」
もう一度ピシッと敬礼をする頼もしい少年に、自然と口元が緩む。「キャッチボールするぞ〜!」という有利の声で小さな護衛はいつもの無邪気な少年に戻り、準備体操真っ最中の有利の元へ嬉しそうに駆けて行った。その姿を微笑みながら見送った後、コンラートはスッと指揮官の顔になり、副官の差し出す書類に視線を移した。
やがて、楽しそうな2人の笑い声が聞こえ出す。グローブのはめ方、ボールの握り方、時折じゃれ合いながら有利がルーカスに野球のいろはから丁寧に教えている。コンラートは時折その様子を眺め、それに気付いた有利がコンラートに大きく手を振る。そんな事を繰り返しているうちに、ようやく野球用具の取り扱い及び基本動作講習が終了したのか、2人は少し距離を取りキャッチボールを始めた。コンラートと時折視線を合わせていた有利は、自然とコンラートの方へ顔を向け、ルーカスがコンラートに背を向ける立ち位置だ。
「おっ、上手いじゃんルーカス。」
「そう?」
「うん、初めてにしてはいい感じ。その腕の動き忘れちゃダメだぞ。」
「うん!」
有利の言葉通り、コンラートの目からから見ても、ルーカスは初めてとは思えないほど上手にボールを投げている。野球センスがあるようだ。飲み込み早く、どんどん上達していく生徒に上機嫌な有利は、より高度な技術を教えようとかなり真剣な面持ちで身振り手振りを交えて教えている。その姿はいつまでも見ていたいほどに微笑ましい。しかし、今夜の作戦行動の現場責任を任せている副官からの質問を無碍にすることも出来ず、コンラートは有利の声や気配に気を配ったまま、副官の指差す地形図に視線を戻した。
「いいぞ〜、ルーカス!良い球投げるよ。きっと自肩が強いんだな。よし、もう少し長い距離投げてみようか。」
「ちょっと遠くない?」
「大丈夫、大丈夫!」
「いくよ〜!」
「さあこい、ルーカス!」
グローブにキャッチされたボールが何度も往復し、その度に小気味良い音を立てる。
「よ〜し、良い球だ!全力でこい!」
「お〜〜!あっ、ごめんなさい!!」
「いいよ、いいよ気にすんな〜!」
どうやらルーカスが力んでボールがすっぽ抜けてしまったらしい。コンラートが視線を上げると、有利が背後に転がったボールを追いかけている。申し訳なく思ったのか、ルーカスも全力疾走でその後を追いかけている。それが災いしたのか、焦って勢いあまったルーカスの足が、広場の隅で止まりかけていたボールを間違って蹴ってしまった。ボールはまた転々と広場の外まで転がりだす。兵士達が集まる宿の前から広場を挟んで丁度反対側にある建物と建物の隙間に転がり込んだボールを、大笑いしながらまるで仔犬のように楽しげに追う2人。
_____ふと過ぎる嫌な予感。
「ユ、坊ちゃん、待って!!」
叫ぶと同時に、コンラートは広場を全速力で横切る。いきなり主の元へ走り出した上官のただならぬ気配に、副官はすぐ近くに居た直属の部下数人を引き連れてすぐに後を追う。勢い良く路地に駆け込んでいくコンラートの背中に数歩遅れ、彼らもまたすぐに路地に飛び込む。
「坊ちゃん!ルーカス!坊ちゃん!!」
主の姿を求め、迷路のように縦に横に入り組む路地の辻々を走る。開放的で明るい表通りとは違い、まだ昼だというのに辺りはもう薄暗い。
「閣下、2つ先の辻の路上にこれが。」
捜索していた兵士に差し出されたそれを胸に抱き、コンラートは怒りと悔しさに、思い切り壁に拳をぶつけた。鈍い音が路地裏に響く。
「ユーリ・・・・!」
少し汚れたボール1つを残し、有利とルーカスの姿は、薄暗い路地裏で忽然と消えてしまった。

okan
(2011/02/16)

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