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Member
「メンバー紹介」
ここではクェーサーの現メンバー、ならびにかつてクェーサーに参加していた元メンバーを紹介しています。
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TAKUYA-Whogets-MORITA / Keyboards&Vocal
TAKUYA -Whogets- MORITA
森田〜風月斎〜拓也
Vocal, Keyboards(Roland-JV, etc...), Words, Music Compose & Arrangement

クェーサーのバンドリーダー。
9歳からギターを、12歳からピアノを習い始める。キーボード奏法においてはキース・エマーソン、ディビッド・スチュアート、フリードリッヒ・グルダの、ヴォーカルでは、グレッグ・レイク、ディビッド・シルビアン、そしてクラシック、シャンソン等のジャンルからそれぞれ影響を受けている。 また、複雑系等の科学・社会学の領域からインスピレーションを受けた独創性の高い楽曲を生み出しつづけている。
クェーサーにおける活動以外にも、盆踊りなど民謡のロック化アレンジ及び演奏等、幅広いジャンルで精力的に活動中。
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MASAMI KATSUURA / Guitar
MASAMI KATSUURA
勝浦 雅巳
Guitar(Godin & Fender)

幼少よりクラシックギターを習い、ロックギター歴は15歳から。アマチュアバンドや劇団伴奏活動を経て、 1995年の阪神淡路大震災直後よりクェーサーに参加。 リッチー・ブラックモア、イングヴェイ・J・マルムスティーン、ヌーノ等の、ハードロック・メタルギタリストに触発された独自のフレージングは、他のギタリストの追随を許さず、海外音楽誌からは「Holdsworthy!」との賞賛を受ける。
クェーサーにおけるメタルテイストの仕掛人であり、作曲においてもその独特のセンスが光っている。

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HIROAKI FUJII / Bass
HIROAKI FUJII
藤井 博章
Bass(SystemCraft Custom Bass)

2002年末、関西のヴォーカル+インストゥルメンタルグループ「Sixnorth(シックスノース)」 のリーダー・島氏の紹介によりクェーサーに参加。クェーサーのベーシストを務める一方で、京都のインストゥルメンタル・プログレバンド「荘園」にも参加。 荘園として2003年3月にMuseaより1stアルバムを発表している。 バンド活動以外にもCDコレクター、プログレ関連メーリングリスト運営者として多彩に活躍中。
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KAZUO KATAYAMA / Drums
KAZUO KATAYAMA
形山 和夫
Drums(Tama, Paiste) & Engineering

イエスのアラン・ホワイトやレッド・ツェペリンのボンゾを彷彿させるパワフルなドラミングが特徴。 クェーサーにおいては、ドラムに加え、レコーディング・エンジニアリングを担当。 デジタルオーディオレコーディング統合型システム「Logic」を自在に操る。 その他、関西クラシック界においても数多くのレコーディング・マスタリングを手掛ける。
バンド歴は長く、高校時よりドラムを開始。 1984年、MIDASに加入。 1988年、アルバム「Beyond the clear air」をリリース。 その他「夢幻」「マグダレーナ」といった他バンドにもドラマーとして参加し、80年代の関西プログレシーンで活躍。
1992年より、自身が経営するスタジオ「The Experiment Studio」より 斧田陽子の「Sadness and Enjoyment」、 MIDASのベーシスト松浦正平のソロ「The Scene that I Have Felt」、 Vox in the Experimentの「FOR MY DEAR...」といった作品群をリリース。
1994年、アインソフの山本要三の紹介によりクェーサーに参加、現在に至る。
ex-Member
「元メンバー紹介」
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YOSHIKAZU MATSUURA
松浦 義和
Keyboards & Vocal

1975年、森田、中間らとともに第1期クェーサー結成。 その技巧的なキーボード・プレイは、当時からシーンの話題となる。 更に1979年頃からは、ヴォーカル・パートをも務めるように。 1978年、実家の経営するミュージック・スクールの経営拡大のため、福岡に戻る。同時にクェーサーの活動拠点も福岡へ。 1982年の第2期クェーサー解散後は、多数のセッションワークやCM楽曲製作、プリズムやラ・ムーなどのバンドへの参加を通じて、更に積極的な音楽活動を展開。 一方では、ミュージック・スクールの講師等をも務めるようになる。 その過程において徐々に音楽教育への関心を深め、遂に1992年、福岡にソルフェ音楽専門学院を開校。以降、コンピュータ・ミュージック、音楽理論について教鞭を振るう。 1998にソロアルバム「Asian Black Eyes」を発表。 現在、ソルフェ音楽専門学院学院長。
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KAZUYUKI NAKAMA
中間 和之
Drums

1975年、森田、松浦らとともに第1期クェーサー結成。
そのドラミング・テクニックは、カール・パーマーを彷彿させた。
1979年の第1期クェーサー脱退後は、福岡で音響関連の仕事に従事。
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KOICHI KORENAGA
是永 巧一
Guitar

1979年、当時福岡ヤマハ(現:ヤマハ・ミュージック・コミュニケーションズ)のディレクターとして活動していたドラムの鴨崎によりその才を発掘されるかたちで、第2期クェーサーに参加。 弱冠19歳であったが、指先から紡ぎ出される独自のフレーズは当時から群を抜いていた。 1980年、大学進学を機に東京へ。同時にクェーサーも活動の拠点を東京へ移すこととなった。 1982年の第2期クェーサー解散後は、プレイヤー、プロデューサー&アレンジャーとしての道を歩むことに。 1985年から1991年までレベッカのレコーディング及びツアーに参加。その後、ベイビーズ・ブレスを結成する。 その他、主に飛鳥渡辺美里宇都宮隆浜崎あゆみ等の作品に携わる。 現在、ハーフトーンミュージック所属
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EISHO KAMOZAKI
鴨崎 永昌
Drums

当時福岡ヤマハ(現:ヤマハ・ミュージック・コミュニケーションズ)でディレクターとして活躍していたが、1979年、発掘した是永を引き連れ第2期クェーサーに参加。 1982年の第2期クェーサーの解散とともに郷里・広島に帰る。以後、FM放送・音楽制作等のプロデュース業に専念。 しかしながら1996年、闘病の末に逝去。

2ndアルバム「Remergence」には、森田による鴨崎への追悼曲「Mr.Duck」が収録されている。
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YUSAKU NAKATSUHAMA
中津浜 優作
Bass

神戸のアイランド・ミュージック等を経て1994年、1stアルバム「Out from Quaser」を完成させた直後の第3期クェーサーに参加。 当時はクェーサーがバンドとしてライヴ活動を目標に活動し始めていた時期であった。 しかしながら2ndアルバム「Remergence」のレコーディングを最後に1999年末、クェーサーを脱退。 表現ジャンルの広いベーシストであり、その多様性が「多方位ロック」を目指した「Remergence」には色濃く反映されている。
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MICHAEL YAMAGUCHI
ミカエル 山口
Bass

様々な音楽ジャンルから影響を受けた、元ジャズ・クラシック系のフレットレス・ベーシスト。
1999年、脱退した中津浜の後任ベーシストとして第3期クェーサーに参加。2001年に脱退。 この間、クェーサーはスタジオ・レコーディングを行っていなかったため、残念ながら今日、音源を通してその演奏を楽しむことはできない。 クェーサー脱退後は フォークジャズバンド「レ・ミネット」、 アコースティックユニット「風来(ふうらい)」、 小規模作業楽団「YS-11」等のバンド、ユニットで活動。 特に、自身のウェブサイト「ミカエルズ ビュウ」において展開されている音源レビュー・コーナー「ミカエル音楽雑記帳」は必見。
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