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第1期クェーサー(1976〜1977)/東京 | ライヴ活動 |
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1976 1977 |
1976年東京。 ヴォーカル・ギター・ベース・キーボードの森田、同じくキーボードの松浦、そしてドラムの中間の3人により第1期クェーサー結成。 当時のレパートリーは「タルカス」「悪の経典」等、EL&Pナンバーの完全コピーと、全編40分に及ぶ壮大な長編オリジナル3部作。 これらを武器に、クェーサーは渋谷「ジャンジャン」「屋根裏」、そして吉祥寺「マンダラ」等のライヴハウスを拠点として活動を開始した。 当時はクェーサーの他に「破天荒」、「スペースサーカス」そして「プリズム」といった技巧的な演奏グループが次々と結成された時期。 クェーサーは日々これらのバンドと共演。 とりわけ松浦のキーボードプレイは、日増しに高い評価を得てゆくことになった。 一方で、バンド・マネジメントを担当していた森田が神戸出身であったことから、関西を拠点に活動していたプログレ・バンドとも交流を深めてゆくことに。 そのような中、森田は当時「天地創造(現:アインソフ)」で活動していた山本要三と出逢う。 |
渋谷「ジャンジャン」 渋谷「屋根裏」 吉祥寺「マンダラ」 ほか (主に都内で活動) |
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第2期クェーサー(1978〜1982)/福岡・東京 | ライヴ活動 |
1978 1979 |
1978年。 実家の経営するミュージック・スクール経営拡大のため、松浦が福岡に戻ることに。 残された森田、中間は決断を迫られた。 だが熟考の末、2人はバンドを存続させ、その上で更なる音楽的研鑚が必要との結論に。 最終的にメンバー全員の福岡移住を決意、クェーサーの活動拠点を福岡へシフトすることにした。 1979年、ドラムの中間が脱退。 だが代わりに、当時福岡ヤマハ(現:ヤマハ・ミュージック・コミュニケーションズ)でディレクターとして活躍していた鴨崎がドラマーとして、そして鴨崎によりその才を発掘された新進気鋭のギタリスト・是永が新メンバーとして参加することに。 これによりクェーサーは森田、松浦、是永、鴨崎という4人編成のバンドとなった。 新メンバーを迎えたクェーサーは、福岡を拠点に九州地方で数多くのライヴを展開しはじめる。同時に、多数の楽曲制作、デモテープ作りにも取り掛かった。 この頃よりキーボードの松浦もヴォーカル・パートを担当しはじめ、音楽的には特に森田・松浦の強力なダブル・ヴォーカル、そして是永の美しいメロディー・ラインを前面に打ち出すなど、徐々にそのスタイルを固めつつあった。 |
福岡「80's Factory」 ほか (主に福岡市内で活動) |
1980 1981 |
1980年、是永が大学入学を機に上京。 ほぼ同時期にデモ・テープの認められたクェーサーはアルファレコード(現:東芝EMIに吸収)と契約、新たなメンバーを引き連れ再度東京へ進出。 当時の東京音楽シーンは「バンドブーム前夜」ともいうべき熱気を帯びており、ロックバンドがビジネスになるチャンスがいたるところに転がっていた。 クェーサーは千載一遇のチャンスを掴むため、原宿「クロコダイル」、渋谷「エッグマン」、そして目黒「鹿鳴館」等のライヴハウスを拠点に東京音楽シーンでの活動を再展開。 厚見玲衣率いる「タキオン」、「TAO」等のグループと共演する熱い日々を繰り返すことに。 |
渋谷「エッグマン」 原宿「クロコダイル」 目黒「鹿鳴館」 ほか (主に都内で活動) |
1982 |
だが「バンドブーム前夜」の熱気の裏側で、プログレッシブロック自体は徐々に衰退、冷遇されはじめる。
同時にプログレッシブロックを音楽の基盤としてたクェーサーも、その活動の方向性に苦しむことになった。 そのような状況下、しばらくの間バンドとしての活動は継続されたが、最終的に当時のシーンを強く意識したポップス志向の担当ディレクターと方針が合わず1982年、遂に第2期クェーサーは解散することに。 活動をともにしてきたメンバーは、それぞれの道を歩み始めることになった。 |
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第3期クェーサー(1993〜現在)/神戸 | ライヴ活動 |
1993 | 第2期クェーサー解散以降、森田は神戸に帰郷していた。 既に音楽活動を諦めたかに見えた森田であったが、実はデジタル楽器を駆使することにより、水面下で密かにデモテープを作り続けていた。 1993年3月、デモテープを持って山本要三に再会。 目的は「幾つかの楽曲のためにギターを弾いて欲しい」、その旨を伝えるためであった。 10数年振りの再会であったが、森田が新しいアルバムを制作しようとしていることを知ると、山本はこれを快諾。 当初、森田のソロアルバム制作として予定されていたプロジェクトは急遽、クェーサーの1stアルバム制作として進められることになった。 |
(ライヴ活動無し) |
1994 |
1stアルバム「Out from Quaser」をマーキーよりリリース。デジタル楽器を駆使したシンフォニック・ロックが誕生した。![]() アルバムリリースを機にクェーサーは新たなメンバーを迎え入れることに。 まず、神戸のアイランドミュージック等で活動していた中津浜がベーシストとして、次いでミダス、マグダレーナ、夢幻など数々のバンドを渡り歩いてきた形山がドラマーとしてクェーサーに参加。 新メンバーを得たクェーサーは、神戸を拠点にライヴ活動を再開する。 |
●08月27日/神戸「音屋」 |
1995 | 1stアルバムをリリースし、また新メンバーを得たクェーサーは、その活動の軸足をライヴに移行すべきである、森田はそう考えはじめていた。
年が明けて10日余後、クェーサーは新年最初のライヴを開催した。 「今年はライヴ活動の年になる」メンバーの誰もが、それを確信して疑わなかった。 だがその5日後、阪神・淡路大震災が阪神地区を急襲。 神戸を活動の拠点としていたクェーサーは、突如として活動停止状態に。 同時に各メンバーの安全の確保と、生活インフラの復旧が最重要課題となった。 そのような中、クェーサーはメタル系出身のギタリスト・勝浦を新メンバーとして迎え入れることを決定する。 |
●01月12日/神戸「音屋」 ●06月29日/神戸「音屋」 |
1996 | 幸いにも震災被害の軽微であった形山所有のレコーディング・スタジオ「The
Experiment Studio」の復旧作業が完了。クェーサーは次アルバムのための新曲レコーディングを開始。 記念すべきレコーディング第1曲目は「Doomsday」。これは「震災当時の強烈な印象を残しておきたい」という森田の強い思いから生まれた楽曲であった。 |
●02月20日/神戸「チキンジョージ」 ●07月03日/神戸「音屋」 |
1997 | 勝浦が、自身のギターサウンドを活かした新曲を書きはじめる。 勝浦が書いた楽曲を後に森田が編曲、最終的に「Anastasia」と「King of Pancrase」の2曲へと結実。 第3期クェーサーにおいて、2人目のコンポーザーが生まれた瞬間であった。 |
●02月10日/神戸「チキンジョージ」 「The Progressive」 with トシミ・プロジェクト (現:パワージョブ) |
1998 |
震災被害からの復旧を概ね果たしたクェーサーは、再びライヴとレコーディングに専念することに。 とりわけスタジオワークにおいてはサウンドクオリティ追求のため、既存の AKAI12CHデジタルレコーダ、 Tascamのミキサーに加え新たに EmagicのLogicを採用することにした。 |
●02月15日/神戸「キャッシュボックス」 09月15日/大阪「光明アムホール」 「Progressive Hard Night」 with ベラフォン, アゾート, etc... ●11月08日/神戸「チキンジョージ」 |
1999 | 2ndアルバム「Remergence」をマーキーよりリリース。
震災からの復旧等、多忙をきわめた中でのレコーディングであったため、実に5年ぶりのアルバムリリースとなった。![]() しかしながらその直後にベースの中津浜がクェーサーを脱退、新ベーシストとしてミカエル山口を迎え入れることになる。 |
●11月14日/神戸「ビッグウェイブ」 |
2000 |
第3期クェーサーとして初の東京ツアーをおこなう。 会場は吉祥寺「シルバーエレファント」、 京都のプログレッシブバンド「ベラフォン」との共演であった。 このツアーにおいてクェーサーは早くも、次アルバム「Phase Transition」に収録されることになる組曲「Promised Land」の原型曲を披露する。 特にこのツアーに関して音楽専門誌「ユーロ・ロック・プレス」の取材を受ける。 ![]() ![]() また、前年にリリースした2ndアルバム「Remergence」が、 CDジャーナル別冊「ストレンジ・デイズ」No.8にレビュー掲載される。 ![]() ツアー終了後、次アルバムに向け作曲及びプリプロダクションを本格始動。 |
●03月08日/東京「シルバーエレファント」 with ベラフォン |
2001 |
神戸「クラブ・ジュンク」でのライヴを最後に、ベースのミカエル山口がクェーサーを脱退。 リズム隊の欠けたクェーサーは、しばらくの間、森田、勝浦、それにリズムシーケンサーを加えた小規模ユニット「プチ・クェーサー」としてライヴ活動をすることに。 その間、一方では次アルバム制作に向けたレコーディング作業と、ベーシスト募集のためのオーディションをおこなう。 年末に、藤井(現:荘園で活躍中)が新ベーシストとしてクェーサーに参加。 初セッション時において既に組曲「Promised Land」を全曲マスター、森田を驚愕させる。 |
●02月10日/神戸「チキンジョージ」 with Makin’Love ( Kiss cover band ) ●04月08日/神戸「クラブ・ジュンク」 ●05月03日/大阪「ネストサルーン」 with ブレインサラダ(現:イグジットナイン) 【Petit Quaser(森田+勝浦)】 06月23日/大阪「ブランニュー」 with ローゼス, クラウドフォレスト 【Petit Quaser(森田+勝浦)】 |
2002 | 05月22日、神戸「Wacawaca」で単独ライヴ。 新ベーシスト藤井参加後の初ライヴとなった。 ![]() ![]() 更にクェーサーの活動は加速。 続く07月31日、神戸「チキンジョージ」でおこなわれた 「プログレッシブ・フェニックス in 神戸」に出演。満席。 クェーサーとしては、主に次アルバム収録予定の楽曲を披露するかたちとなった。 その他、森田、形山が、共演のバンド「スコープ」にインプロビゼーション、ヘルプで飛び入りする一場面も。 ![]() ![]() ![]() ![]() ライブ以降は次アルバム制作に向けたレコーディング作業に専念。 一方で、次アルバムのビジュアルデザイン・コンセプトを固めるため、デザイナーの押本が参加。 コードネームは「Project Q3」。 ジャケットデザインに関するミーティングが繰り返された。 |
●05月22日/神戸「Wacawaca」 ●07月31日/神戸「チキンジョージ」 「Progressive Phoenix in Kobe」 with ベラフォン, スコープ |
2003 |
03月21日、それまでの「Quaser's Home Page」を大幅改変するかたちで、クェーサー・オフィシャルウェブサイトを開設。 07月19日、神戸「上屋劇場」において開催された「だててんりゅうライブ2003」に参加。 出演は、原始、 加藤義明(ex:村八分)、 ひろし(ex:頭脳警察)&ポートカス、 Jutaro&Anjie、 だててんりゅう、 そしてクェーサー。 とりわけクェーサーは10月リリース予定の3rdアルバム"Phase Transition"収録予定の楽曲を中心に、更に磨きのかかったアンサンブルを披露、ファンを熱狂させた。 10月01日、3ndアルバム「Phase Transition」をフラップレコードよりリリース。 ![]() 11月、3rdアルバム「"PhaseTransition(フェイズ・トランジション)」発売記念ライヴとして東京、大阪、神戸をまわる3大都市ライヴツアーを敢行。3rdアルバム収録曲に加え、未発表の新曲「Enemy God and Dance」(プロコフィエフ「スキタイ組曲」より)を披露。 |
●07月19日/神戸「上屋劇場」 「だててんりゅうライブ2003」 with 原始、 加藤義明(ex:村八分)、 ひろし(ex:頭脳警察)&ポートカス、 Jutaro&Anjie ●11月02日/東京「シルバーエレファント」 with 荘園、 MoonStone ●11月03日/大阪「ライブスクエア・2nd Line」 with 追越禁止 V.A. ●11月29日/神戸(阪急六甲)「Maden Voyage(メイデン・ヴォエッジ)」 with world-min、 シス・グルソウド |
2004 |
ライブ活動、「布引音頭」等の神戸の民謡の制作に協力しながら、新たな方向性を模索する。
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●2004年5月23日/難波ロケッツ「Signs from Zodiac」出演、HARMONIA等、若手メタルバンドのゲストとして登場。
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