「ジェイムズ・スチュワートかく語りき」(2)




LM:
この映画の撮影に取りかかった時、あなたは神経質になりましたか?
JS:
ええ、なりました。でもさっきも言ったようにこの映画に関わった人達と一緒にいるのはとても素晴らしいことでした。フランク・フェイレン、ブーラ・ボンディ、ワード・ボンド、ライオネル・バリオア、もちろんフランクを含めてみんなが力を貸してくれました。バリモアはことあるごとにセットの脇に呼び出してこう言ってくれました。「自分でもわかってると思うが、君はよくやっているよ。心配する事はない。すべてがうまくいっている。君はすでにコツをつかんでこのキャラクターを自分のものにしている。気楽にやればいいさ。」彼のこの言葉は忘れられません。彼らとは素晴らしいひとときを共有しました。撮影終了後、フランクは完成祝いを計画し、みんなはマリブの丘陵地帯のふもとでのピクニックの招待状を受け取りました。フランクがすべて自分で手配したのです。乗馬靴投げや両足を袋に入れて走るサックレースなんかも用意してました。ピクニックと聞いて連想されるあらゆることをやったのです。そのピクニックには出演した俳優や裏方のスタッフ、編集担当者にいたるすべての人々が80人から90人も集まりました。本当に素晴らしい一日で、この日フランクがしてくれたことにみんなが感謝しました。当時台の上にみんなをのせて学校のクラス写真のようにグループ写真を撮るのが流行してました。みんなはただ突っ立ってカメラマンがグループ全体を収めるために右から左とあちこちに動いてたのですが、その時私はフランクと一緒に立ってて、ライオネル・バリモアが中央にいたかな。フランクは左端に来るように言ったので二人で左端へ移動しました。カメラマンが「オーケイ、みんな用意はいいかな?これから写すからね」と言ってパチリと撮った後、フランクは「もう一枚撮ろう」って言い出したのです。それから二人して今度は右端に移動してもう一枚撮りました。この写真はすごくいい写真です。私はまだどこかに持ってるはずなんだけど」
LM:
私もこの写真を見るのが好きです。まるで映画を見ているような感じがします。
JS:
そう、ピクニックもまさにそんな感じだった。まるでこの映画の一齣のようだった。フランクはそういうこともわかってたんだよ。
LM:
はじめてキャプラに会った時のことを覚えてますか?
JS:
おそらく「我が家の楽園」の時だと思います。それ以前に会った記憶はありません。本当に幸運なことでした。私はメトロ社から数回ほど貸し出されたことがあって、その時フランクはコロンビアにいました。みんなはフランクとハリー・コーンは喧嘩してるって言ってましたが実はそうじゃなかった。二人はすごく仲が良くて互いに尊敬してたのです。約一年後フランクは「スミス都へ行く」に出演するように言ってきました。フランクが自分をひとまわり大きく成長させてくれることは私にはわかっていました。当時のメトロ社はスターや監督達やなにもかもすべてをワーナーやフォックスに貸し出していて、そのおかげで「スミス都へ行く」に出演することができたのです。この映画では本当の達成感を味わうことができたと思ってます。フランクは私に一大転機をもたらしてくれました。もしスミス氏の役をやらなかったら「フィラデルフィア物語」での役ももらえなかったし、アカデミー賞をもらうこともなかったでしょう。あのアカデミー受賞はフランクのおかげなのです。


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