「フランク・キャプラかく語りき」(4)




生徒:
私は細かいところですが天使のクラレンスがマーク・トゥエインの本を持ってるところに興味を引かれました。この物語はいわばトゥエインの「不思議な少年」と対になったストーリーだからです。「不思議な少年」では登場人物の少年の一人が死んでしまうのですが、それはこの少年が生きていたらたくさんの災いが起こり、死んだ方がましだからという理由で、この少年もまたおぼれ死にました。ヴァン・ドーレン・スターンの書いたオリジナルの物語の中に天使がマーク・トゥエインの本を持っているという記述があるのでしょうか?そうでなければどうしてこんなアイデアを思いついたのですか?
キャプラ:
いや、これはオリジナルの物語にはなかった。私達が考え出したんだ。私はずっとマーク・トゥエインが好きだったから、トゥエインにつながるプラグとして天使に本を持たせたんだろうね(笑)。でもこの映画自体はマーク・トゥエインの「不思議な少年」に対する回答ではないし、彼の著作ともまったく関係ないものだ。
生徒:
あなたはこの映画の大部分を順番通りに撮ることができましたか?それともバラバラの順序で撮らざるをえませんでしたか?
キャプラ:
みなさんご存知の通り、理想的な方法はもちろん物語の進行通り順番に撮ることです。でもそれができない理由がたくさんあります。その最たるものが予算です。もし最初から最後まで順番通りに撮るのなら、最初の方に少しと最後の方に少ししか出ない俳優達にも2日分の給料をあげなくてはいけません。それだけでも多くの費用がかかります。でも私はこれまでどんな時でも可能なら順序通りに撮ろうと心掛けてきました。ひと続きのシーン、小さな場面全体、ほんのちょっとの短いシーンでも可能なら順撮りで。たとえそれがマスターショット(他のショットを用いなくても人物の配置関係を明確に表すことができ、アクション全体を把握できる視点からシーンを見たショット)であっても、その後、間を置かずに順撮りで撮ろうとしていました。監督の最も難しい仕事の一つに、次のシーンを撮る前にその前のシーンのすべてのクローズアップと全体を把握するという作業があります。映画を作るのにたくさんのシーンを撮らなきゃいけないことはおわかりだと思いますが、映画は1本の紐でつながれた真珠のビーズのようなもので、ビーズ−つまりシーン−をつながれる糸にマッチさせなければなりません。シーン2の後でシーン50を撮って、その後にシーン150を撮るなんてこともありえます。そんな時でもまだ撮ってないそのシーンまでどうやって撮影を進行させるかということを知ってなければなりません。そしてそれができるのは監督だけなのです。順序通りに撮影されないシーンがたくさんある時、登場人物達の成長要因とプロットは必ず監督の頭の中に入ってなければなりません。そしてそれはとても難しいことなのです。監督がセットの後ろに歩いて行って、ブラブラと神経質そうに行きつ戻りつしながら煙草を吸うところをよく見かけるかもしれません。そう、レオ・マッケリーはよくピアノを弾きに行ってたし、ジョージ・スティーブンスはパイプをふかすために外に出ていったけれど、誰も何も言いませんでした。彼らはセットに戻ってきてこう言ったはずです。「さあもう一度やり直しだ」彼らのやっていたことはバラバラに撮影されたシーンのそれぞれの登場人物達を頭の中でつなぎ合わせることでした。登場人物達がどれだけ物語から離れていたか、その間にどれだけ成長してきたかを考えていたのです。監督のこういった作業はめったに語られることはないでしょうが、撮影が順序通りに行われないなら、監督は頭の中に物語を叩き込んで、バラバラになったビーズを順序通りにつなげるという作業をしなくてはなりません。すべてのシーンを順序通りに撮れる状況があるならそうすべきだし、それができない状況ならせめてワンシークエンスの中ではとびとびでなく最初から最後まで順序通り撮れるようにすべきです。
生徒:
キャプラさん、私はこの映画を愛しています。私はこの映画を心から称賛します。以前に2、3度この映画を見て本当に好きになりました。この映画でただひとつがっかりすることがあるのですが、それはライオネル・バリモアが演じたポッター氏が十分に懲らしめられなかったことです。みなさんご存知のように大抵の映画では悪い男は最後に打ち負かされます。でもポッター氏はそうじゃなかった。私はそこにイライラさせられました。ポッター氏のような人物は徹底的にやりこめられるべきだと思うのですが。(笑)
キャプラ:
さっきも言った通り、私達は撮影中にポッター氏のキャラクターを討議しながら作り上げていきました。そしてこの無愛想な老人に少しでも被害を被らせようといろんな方法を考え、その唯一の方法がお金を失わせることだとわかっていたのですが、どうやって彼にお金を失わせるかを思いつくことができなかったのです。
生徒:
この映画は登場人物達の冷静な性格描写を重視している昨今の映画とはまったく正反対の主題を持っています。最近感動のあまり声をあげてしまうようなアメリカ映画にはお目にかかれません。薬屋で働いていた若い頃のジョージ・ベイリーのシーンはとても美しく、私は6歳か7歳の小さな時期にこの映画を見て感動をしたことを今でも憶えています。今の子供達にはこの作品のように見て熟考するようなタイプの映画がないのを残念に思います。
キャプラ:
どうもありがとう。(場内拍手)
生徒:
あなたが生み出したこういうタイプの映画は本当に素晴らしいのですが、このような映画を作る人が今ではほとんどいなくなりました。
キャプラ:
ここにいる生徒の皆さんは物語という点に重きを置いてくれているので、この映画のストーリーについてよく考えてくれていると察します。この映画の中には皆さんが今日見られる映画よりもたくさんの物語が含まれていることに気付かれることでしょう。第一にこの映画が長いということがあげらますが、それはここには多くのことが詰め込まれているからなのです。でもただダラダラと詰め込まれているわけではなく、コメディ的要素、ドラマティックな要素、エキサイティングな場面、メロドラマ的な側面、そういったたくさんのものが要領よくキチンと詰め込まれているのです。言ってみれば、この映画の観客は払った入場料に対し十分元を取れるだけのストーリーを見て、見ている間、気持ちを高揚させたり、悲しみに沈んだりして、感情の起伏をさせられるのです。この映画は一つのトーンで作られておらず、そういう風に映画を作るのは難しいことなのです。観客を泣かせた後に笑わせて、またその後で泣かせたりして、観客の気持ちを自在にコントロールする作業は大変難しいです。それにはかなりの経験が必要ですが、あなた方がこのような映画を作ってみたいと思うなら、もっと映画を見て勉強してぜひとも作って頂きたいです。


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