テクノスケープ
~風景価値の発見と視座の共有・伝播をめざして~
岡田 昌彰 さん
近畿大学理工学部 社会環境工学科 准教授
(はじめに)
風景の価値やまちの宝は、誰かが発見してそれをみんなの中で 共有できれば、まちのなかに新しい景観、あるいはものの価値が増える。 見方を変えるということでそれができるのではないか。
自分は茨城県日立市の工場群の中に育ったので、まちに対して 独特の見方をもっている。記号や番号、都市に座標ができる。 巨大な定規をまちに置く。
工場をつくる人は、おもしろいものをつくろうとしてつくっているのではない。 しかしその風景をおもしろいと感じている人はいるはず。 そこで出てくるキーワードが「視座」。
(視座について)
視座について、地理学者であるオギュスタン・ベルクが興味深い仮設を 提示している。 「絵画や詞歌などによる「教育」を通し、単なる環境が"風景"となる」と。
なんてことない風景は、景観としてはとらえられているが・・・、 単なる環境、そこに感情はない。
絵画、詩歌などを通して、啓発(教育)されるのがひとつの契機となり、 同じところを訪れたとき、単なる環境だったものが別のものに見えてくることがある。
ここでおもしろいのが、物理的には実態は何も変わっていないが、 それを見る人の見方、言い換えれば視座が変わっているということ。 見方(視座)をもつことで日常のなんてことない風景がおもしろいと 思えるようになったら、またそれがみんなで共有できるとなれば、 景観の価値が社会的に増えることになる。 いいものをつくって景観デザインをしていくのもいいが、 それと同じくらい価値があるものかもしれない。 埋もれていくものを見つけて、価値をつくりあげることができないだろうか。
(テクノスケープとは)
身の回りの景観には、なにげないもの、素朴なものが数多くある。 それは、明快にデザインされているわけでもなく、 へたしたら無視されているようなものも。 とくに景観の価値が与えられていなかったものに、息を吹き込むことで 何か価値を見いだすことはできないだろうか。
最もデザインされてないものに工場景観(テクノスケープ)があげられる。 工場は、効率・安さ・力学などを追求して形づくられたもの。 デザインされていないからといって、そこに景観の価値はないのだろうか。 必ずしもそうではない。価値があるという見方がある。
テクノスケープは、美的には作為がないが、景観の価値は生成している。 では、作為がないにも関わらず、景観の価値が生まれるというのは どうゆうことなのか。
景観の価値にはおおざっぱに分けると2種類ある。 ひとつはそこに「社会的な意味」をともなうもの。景観の背景にある意味に対して、 わたしたちがプラスの評価している場合は、その景観を良いものだと思う。 そして、もうひとつは、「美(表層)」をともなうもの。 これは、背景の意味はどうでもよくて、単純に形や見た目が非常にすばらしいと いう見方がある。
(芸術のとらえるテクノスケープ)
シーラーの"Classic Landscape"(1929)や古賀春江の"海"(1929)という 絵画があり、そこにはテクノスケープが描かれている。 その解説によれば、工業化時代が来たことによって、「富」「力」「新しさ」 そういったものを礼賛すると書かれてある。 つまり、当時の国を支え強大にしていた第二次産業を賞賛していた背景があり、 テクノスケープはそのアイコン(象徴)として描かれていた。
(工業都市の原風景としてのテクノスケープ)
京浜工業地帯に扇島というところがあり、ここには海水浴場があった。 海水浴場を宣伝する絵葉書が残っていて、そこには工場地帯が映りこんでいた。 これは意図的に入れているものと思われ、工業地帯の近くで海水浴する ということが当時かっこいいこと、つまりアピールポイントになっていたと考えられる。公害問題が大きく取り上げられる前の話だが。
学校の校歌にも工業景観があらわれている。たとえば、 川崎区の臨港中学校では、次のような歌詞が出てくる。 「クレーンの陰に 富士をのぞみて 工場の煙 軒に流れる」 これは今もなお歌われているというところに価値があり、 このようなものがいいものだと社会がとらえているひとつの証拠だと言える。
時代の流れによって風景の価値は移り変わっていく。 工業は高度経済成長後、環境を破壊するものの象徴としてとらえられてしまい、 人々の価値観が変わっていった。 その結果、歌詞の一部が変更及び削除されたものもあった。 しかし、産業遺産としての見方や、工場地帯のツアーなど、 その価値をもう一度見直そうという動きも出てきている。(写真1)

(埋もれているものを発掘する)
堺市に灌漑用の風車があった。現在も農業用として活躍しているものは 一基もなかったが、公園や緑地に移設や新設されているものがあった。 さらに調べてみると、設置の目的としては記憶の継承や理科の教材などであったが 残念なことに不明というところもあった。 ものはあるが、人々がその価値を継承していない。 大切なものが目の前にあるのに見落としている事例。 これは、誰かが発見しなければ、永遠にほうむりさられていたかもしれない。 このように地域に埋もれているものを発掘しスポットをあてるのは とても大事なことだと思っている。
【岡田先生的おすすめスポット】
「in 東大阪」
枚岡にある昔の役場の建物 (旧枚岡市庁舎・現在の旭町庁舎)
町工場 : 人々が活動する場として町工場がある町 「町」と「工場」当然、 人間生活がある スポットライトをあてていったらおもしろい
近大商店街 : 日本を代表する商店街 バイエルンに匹敵するんじゃないか!?
「in 八尾」
掩体壕(えんたいごう) : 軍事施設で今は農機具置き場として活用 八尾人のたくましさを感じる
八尾空港 : プラスで活かしていくことを考えていければ可能性がおおいにある
住居近くの田畑 : マンションの隣に田んぼがあったりする 稲穂の香りがいい
友井にある鉄のゲート : 道に迷ったとき目印にしていた 大型車両が通らないため?
→その後、八尾市・北村さんから情報 お祭りで活躍していました(写真2)

「食と景観」
イギリスのポーツマスに当時軍事施設であった島がある。 歴史が好きな人は来るのだが、いろんな人にも来て欲しい・・・。 ここでは、おもしろいシステムをまわしていて、 たとえばサンデーランチをしている。 海の真ん中でランチが食べられるということで、おもしろそうやなと、 とりあえず人がやってくる。動機はそれだけで十分である。 この島の企画運営者は、島が持つ潜在的な魅力を意識しつつ、 まずは、「食」がきっかけで人を呼び、訪問者が島について興味を持って、 いろいろスタッフに尋ねていくうちに、島の「食」以外の魅力に気付き、 島への関心が高まるという良い循環が生まれている。
いい景観を見ながら食べるとよりおいしく感じる。 おいしいものを食べながら景観プラスアルファを感じるとよりおもしろくなる。 ここ大阪の東大阪、八尾には、うまいものがたくさんあり、 「食と景観」をうまくリンクさせていけば、いろんな可能性が出てくると思われる。