まちを歩いて再発見を

久 隆浩さん

近畿大学総合社会学部教授


講演会メモ

◎ 地域活性とは

コミュニティづくり、支えあいのしくみづくり

まずは、生活のイメージを明確にしたい ・・・

 ・ どんな暮らしがしたいのか?

 ・ 将来の暮らしに必要なことは?

  ⇒ 暮らしのあり方を地域のみんなで話し合い、

   それを実現する為の仕組みづくりや施設づくりを考える

生活のマスタープランづくり

 生活の仕方が違うところの調整を考える

◎ まちの構造をよみとる

まちを構成しているもの

 自然軸(木々)・空間軸(道路、建物)・

 生活軸、歴史軸(昔の地図や写真

まちの歴史を知る

 近代のまち・村のようす  明治20年前後の地形図

    (江戸期から集落のサイズは変わっていない)

 戦前の住宅開発  昭和初期の地形図

 昭和30年代以降・高度経済成長期

    地形図や住宅地図の経年変化から開発の様子がわかる

まちの構造

 神社、お寺、集会所、広場、庄屋さんの家 ⇒ 村の中心

 お地蔵さん ⇒ 村のはずれ

 城下町のお寺 ⇒ まちのはずれ(お寺は軍事基地)

 街道 ⇒ 山と平地の際に走っている

地名には環境の情報が隠されている

 弥刀 → ミト → 水戸 → 水の入り口/ミナ・ト

 近江堂 ← オオミト

   東大阪には水に関係する地名が多い

   水走、若江、長瀬、菱江・・・

 大和 ← ヤマト(山戸・山門)

 クボ → 窪んだところ

 ナラ → ならす~平らなところ

◎ 地形を読み解く

生駒山

東から来た断層が西側の断層に乗り上げたところなので、大阪側は急で奈良側が緩やかな地形になっている

上町台地

もとは大阪湾と河内湾に挟まれた半島状であったと考えられるが、 東部の河内湾が大和川からの土砂により、 河内湖・湿地帯を経て沖積平野となった。

江戸後期作の浪花百景でも、西側が高台となっている様子と対照的に 東側には田畑がひろがる様子が描かれています。

上町台地の西側に広がる展望

生玉絵馬堂                高津宮

上町台地の高台のようす

新清水紅葉坂瀧             真言坂

上町台地の東側に広がる田園風景

舎利寺(生野区)

◎ まち歩きの意味

まちを歩くと再発見があり、まちに起こっている変化に気付くことができる。 そして、大勢でまわるといろんな視点に気付かされる。

 ・ 人が興味を持って見ているものが面白い

 ・ 一緒に歩く人には物知りもいたほうがいい

◎ 地域の資源を活かす

あるもの探しをしましょう(⇔ないものねだりをしてもしょうがない)

 ・ 地元にあるものの情報が伝えられていない

 ・ 地元の人たちこそが地元の資源を大切にしたい

◎ アイディア・知恵でつないでいく力

☆わかりやすいキャッチフレーズを!!

 例:明治維新後の少しの間水沢県庁所在地だった登米(とよま)

   【宮城県登米(とめ)市、】 ⇒ 「宮城の明治村」

☆物語を勝手に作ってしまう

 例:由来をそれらしく創作した、瀧谷不動のくるみ餅