大阪水辺の風景

心斎橋(大正期)
  長堀川に架かっていた心斎橋は、元和8年(1622)、この長堀川を掘った人物の一人でもある「岡田心斎」によって架けられたと伝えられています。その後、橋も何代かの変遷を経て、明治42年に絵葉書の「石橋」になったのでした。
  絵葉書の風景は大正期のものと思われますが、この橋を架けるにあたり、請け負った業者が、橋の素材やなんかにあまりに凝りすぎたため、予算オーバーの挙句に行方不明になってしまったというエピソードがあるそうです。気合を入れすぎたんですねえ。
  写真にも写っていますが、片側にそれぞれ4基づつのガス灯を持つ、なかなかにおしゃれな橋であったようです。
  残念ながら昭和39年に長堀川は埋め立てられ、心斎橋もその名を地名として残すだけとなりましたが、橋の欄干部分は現在でも交差点に保存されています。「時をかけるおとら」の「大阪ミナミ探索」をご覧ください。
  ちなみに現在、この地下には大阪市の3セクで悪名高いクリスタ長堀があります。平成16年10月現在の借金が320億円だそうで… 情けない…


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