大阪ミナミ探索


  「ミナミ」は大阪市の中心部南部を指します。
  その歴史は「難波津」と呼ばれた昔に遡るそうですが、事実上の「町」としての開発は、やは
り「豊臣秀吉」の頃からと言えるでしょう。秀吉は当時砂州地帯であったこの地に、数多くの堀
を掘ることによって運河を開き、人々を集め町を発展させて行ったのです。
  しかしその町も「大阪の陣」により一旦は灰燼に帰するのですが、後、大阪城主となった「松
平忠明」の手により復興され、ほぼこの時代に現在の「ミナミ」の原型ができたものと考えられ
ます。
  ところで「ミナミ」の定義ですが、そのエリアは時代と共に拡大を続けている、と言って良い
でしょう。元々は「道頓堀川」をはさんだ小さな区域でしたが、やがて「難波」や「千日前」、「西
心斎橋」なども加えられ、現在では御堂筋をはさんだ「アメリカ村」あたりまでが「ミナミ」と認識
されているようです。

  さて、2002年の春、まさかあそこまで盛り上がるとは夢にも思わなかったワールドカップを
控え、あちらこちらでその「青い」宣伝グッズを見かけた「ミナミ」を探索しました。いかんせん繁
華街はその変化が大きく、かつての名残を留めるものも少なかったのですが、わたしにとって
は楽しい「大阪再発見」のひとときとなりました(くどいようですが「おとらのしっぽ」は大阪発信
なんです。ほとんど大阪扱ってませんが…)。


千日前



  まず向かったのが「千日前」です。
  この場所は、すぐ北側に「法善寺」 「竹林寺」というお寺があり、それぞれ「八千日回向」「五
千日回向」というように千日ごとの念仏供養から「千日寺」と呼ばれたのだそうです。そこで「千
日前」という地名になったと言われています。
  繁華街としての歴史は意外に新しく元々は松平忠明の時代に墓地となり、その後刑場、火
葬場などが並ぶという決して「繁華」な場所ではなかったのですが、明治になってから、刑場は
廃止され墓地も阿倍野へ移転され、さらに明治末期に発生した「ミナミの大火」以後、大衆娯
楽地として「楽天地」が建設されることで、大正あたりから、繁華街として発展していったのだそ
うです。
  上の絵葉書にはその当時の活況ぶりが写されていますが、画面右の建物が「楽天地」で
す。



  では定点比較をしてみましょう。商店街への入口が扇状になっている(中央の丸い屋根は
地下街への入口です)ことが昔の姿をやや留めています。
  右手の「ビックカメラ」の看板が掛かっている建物が、かつての「楽天地」跡で、「歌舞伎座」
「千日前デパート」「プランタン」と経て現在に至っています。

  ところで「千日前デパート」というと火災により全焼後、いわゆる心霊スポットとして有名にな
ってしまったようですが、「プランタン」あたりまではそんな話もチラホラ残っていた(エレベータ
ーを降りるといつの間にか「千日前デパート」になっていたとかいう話を読んだことがありま
す。)ようですが、最近はとんと聞きませんねえ。



  ところで絵葉書の画像の中で気になったところがありました。一部を拡大してみます。
  よく見ると怪しげな興業が行われているようです。「問題の魔人 チバシンジー」とは?
  インチキか? はたまた人権無視の見世物か? さあどうなんでしょうか。


道頓堀

  続いて向かった先は「道頓堀」です。全国的に有名な戎橋がかかるこの堀は、江戸時代初期に「安井道頓」という人物により(諸説アリ)掘られ、運河として整備されました。その南側に道頓堀商店街を擁し、今でも「ミナミ」の「顔」となっております。
  絵葉書は大正初期の道頓堀界隈の賑わいを写しだしています。撮影ポイントはわかりませんでしたが、中央の建物がどうも芝居小屋のような気がしますので、もう少し調査をすればはっきりするかもしれません。一応、比較のために戎橋あたりから撮影しましたが、左に見えるのが「かに道楽」で、巨大な蟹が動いています。折しもワールドカップバージョンとなっており、これはこれで2002年という時代を物語っています。

  この界隈には名物看板が多数あります。まず、先に紹介した「かに道楽」のカニですが、この店は昭和37年オープンでその当時からこのカニ(横幅7メートル、上下幅3メートル、重さ100kg)はここの壁にへばりついていました。
  ちなみに写真はありませんが「えび道楽」という店もあって、こちらは巨大なエビが壁にへばりついて動いています。ずいぶんと前ですが、そのエビが故障して動かなくなったとき、エビの腹に白い玉を幾つかのせることによって、卵を抱いているので大人しくしているのだということで話題になり、当時新聞記事にもなっていました。

  余談ですが「かに道楽」も「えび道楽」も親会社は同じで「JRI」という会社です。なぜ「JRI」?「J」は「joy(楽)」。「R」は「road(道)」。「I」は「inc.」で、「道楽」なわけです。
  さて、「かに道楽」の向かい側にあるのが「くいだおれ」で昭和24年の創業だそうです。
  この人形は「文楽」の流れもくんでいるそうで、なんか奥が深いのです。

  尚、特別にめでたいことが起こると、彼の隣に弟の「次郎」が登場するのです。わたしは残念ながら実物を見たことがありませんが…

  「づぼらや」です。

  フグの全国最大の消費地は大阪です。フグ鍋を「てっちり」、フグの刺身は「てっさ」といいます。フグは当たると死ぬので「鉄砲」で、魚の身を湯につけると、身がチリッと縮むところから鍋料理そのものを「チリ」といいます。で、「鉄チリ」なワケです。「てっさ」は「鉄」の「刺身」ということですね。

  なんかどうでもいいことを長々と…
  道頓堀に架かるあの橋が「戎橋」です。大正14年に架かりました。

  なにかめでたいことがあると、大阪人はみんなここから飛び込みます(嘘)。さらに右手にあるのが「グリコ」の看板。ネオンになっています。普段は白のランニングシャツなんですが、アディダスのジャパンブルーに身を包んでいます。う〜ん、アディダスとしては良い宣伝だなあ。
  はて? グリコがアディダスに使用料を払っているのか、アディダスがグリコに広告費を払ったのか?
  ま、どっちでもいいけど…