大東京三十五區

55.「浅草公園六区」
  この繁華の地も、明治初年までは水田になっていました。明治十九年に埋め立てて公園の第六区とし、それまで観音堂の背後にあった見世物小屋を、全部ここに移しました。今日の六区は、俗に映画街といわれている通り、殆ど映画館全盛の状態で、土曜日曜祭日などは、身動きもできないほどの人出に賑わいます。



56.「神田市場」
  神田秋葉原駅前にあります。この青物市場の歴史は遠く慶長の昔にその端を発していると言われています。敷地約二千坪、これに関係する問屋は二百数十件、その取扱いは年額約二千三百萬圓に及び、名実共に東洋第一の青物市場であります。



57.「魚河岸」
  魚類の大集散市場としての魚河岸は、日本橋際にあって、昔から江戸名物の一つに数えられていましたが、大震災後、都市計画の都合で築地に移されました。世も明けきらぬうちから、ここに押し寄せる鮮魚買出人は、一日二萬三四千人、貨物自動車だけでも一千台に達し、これが午前九時前後には、すっかり四方へ散らばってしまいます。



58.「ビル街の朝」
  丸の内のビルディング街の朝は、深い沼の底のような静けさのうちに明けて行きます。この静けさも、併し、一時間後には完全に破られて、ビルディングの窓という窓は、悉く(ことごとく)開け放されて、火花を散らすような大活動が開始されます。そして夜、世間はまだ宵の賑やかさにいる頃、ここはもう人影もまばらに寂しい沈黙に還るのであります。  



59.「東京の反面」
  がっしりとした鉄筋コンクリート、清洒な白タイル、七色のネオンライトに彩られたモダン東京も、その裏に廻ってみれば、この有様です。額にばかりゴテゴテ白粉を塗って、襟筋の垢をそのままにしている、下手なお化粧に似てはいませんか。ここは銀座一丁目の町つづき、大根河岸附近から眺めた情景です。



60.「水の上の生活」
  陸地に一定の住家を持たず、一艘の小舟を我が家として、浮き草のような日々を送っている水上生活者は、東京だけで一萬二三千戸、人口にして三萬六七千人というのですから、正に地方の小都市に匹敵します。これらの人々の生活は、京橋区明石町河岸にある水上警察署が、その保護と取り締まりの任に当たっています。





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