大東京三十五區

61.「池上本門寺の五重塔」
  日蓮宗の大本山として上下の尊信厚き本門寺は、池上町にあります。池上右衛門太夫宗仲の創建したもので、日蓮上人は弘安五年十月十三日に、この地で入寂され、遺弟日朗がその後を継いだと伝えられています。この五重塔と山門だけは、当時のもので、他の堂塔は寛永七年の大火に焼失後、再建したものです。毎年十月十一、二、三のお会式には非常な雑踏を極めます。



62.「芝浦桟橋」
  大正の大震災当時、日本内地は勿論、遠く海外諸国より送られた救援物資は、殆どすべてこの芝浦地先に山積せられました。桟橋もなく倉庫もない港の不便さを、そのとき痛感させられた結果、経費百四十六萬圓を投じて、二ヶ年の継続事業として起工されたのが、この桟橋と倉庫であります。現在は臨海鉄道も埠頭まで敷設されて、物資の運送をやっております。



63.「神宮プール」
  明治神宮外苑にあります。水上日本の名を世界に高からしめる、全日本の水泳選手達が、必ず踏まねばならぬ檜舞台が、この神宮プールであります。全国学生水泳競技大会、全日本水泳選手権大会など、血湧き肉踊る壮快な争覇戦の実況は、その都度、ここから全国へラヂオで放送されます。



64.「水の公園」
  吾妻橋から言問橋までの隅田川の両岸を取り入れた水の公園は、復興東京の一名物として、市民に最も親しまれています。総坪数五萬六千八百余坪、両岸は吾妻橋より橋場に至る約十二丁半の臨水公園になっており、東岸は有名な向島の桜並木を巧みに取り入れてあります。



65.「水の上の生活」
  隅田川風景の一つです。浮草や今日は向こうの岸に咲き、流れのままに、所定めぬ流浪の生活...といへば風流に聞こえますが、板子一枚、底は地獄の船乗り稼業で、親子四人の口をつないで行くのは、生優しいことではなさそうです。夏の川風に、赤ちゃんのおむつがへん翻とひるがえるあたり、見た目には如何にも長閑そうですが...



66.「海苔を採る舟」
  大森町外れの風景です。この附近は、昔から海苔の名産地で、謂ゆる浅草海苔というのは、ここで採れたものを、昔は浅草観音の境内で売り出したために、その名を喧伝されたものであります。将来の都市計画では、大森海岸の埋め立てが予想されているそうですが、そうなれば、この由緒深い大森風景も消滅するわけで、心ある人々に惜しまれています。





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